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鬼塚勝也

世界挑戦直前のインタビュー。

「いつか世界チャンプになるんだ!って
それだけを、自分だけがそれを信じて…

福岡から出てきた僕に、ただのガキが
こんな凄い人と出会って…
こんな凄い人が僕の夢を信じてくれて
…そして、ここまでこれた。」

セコンドの片岡鶴太郎氏の目を見ながら、切々と語る鬼塚。

「皆の期待に応え、一緒に夢を叶えたい…」

その澄んだ瞳は疑うことを知らない、純粋な一若者の瞳だった。


迎えた世界王者決定戦、鬼塚はキビキビした動きで
好調さを感じさせる。

が、タイの強打者タノムサクは
それを上回るベテランらしいボクシングを披露した。

頑丈そうな肉体から繰り出されるジャブは
若い対戦者の出鼻を挫くのに充分だった。

ペース争いで後手を踏んだ鬼塚は
中盤からジワリと反撃を開始。

クリーンヒットこそ奪えないが
徐々に鬼塚の手数が目立つようになる。

試合終了のゴングと同時に
タノムサクは両腕を高々と上げ勝利をアピール。
逆に鬼塚は肩を落とし、自らのコーナーに戻った…。

微妙なRの多い、ジャッジ泣かせの試合内容だったが
判定は2-1で鬼塚を支持!
若い新王者誕生に会場は沸いたのだが…

マスコミは素直に新王者を受け入れなかった。

「疑惑の判定」
「地元判定」

世間一般にダークなイメージの鬼塚が定着してしまう。

リングの上で全力を出し切って戦った鬼塚には
何の責任もないのに…

少年の頃から夢見てきた世界チャンピオン。
実際に成就してみると、ただ空虚なだけ…

腫れた瞼の奥にある
濁りのない澄んだ輝きの中に
悲しげな陰が感じられた。

そして2度目の防衛戦、最強の挑戦者が来日する。

モンストォリオ(怪物)と呼ばれるアルマンド・カストロは
自慢の強打でランキング1位を勝ち取った本物のスラッガーだ。

それは1Rにして証明された。
フックの直撃から強烈なアッパー!

危険な挑戦者を前にいきなりKO負けのピンチが訪れる…

すぐに必死の反撃で凌いだ鬼塚だったが
怪物の恐ろしさを身を持って感じたはずだ。

が、鬼塚はここから本領を発揮する。

逃げ腰になるどころか
スピードある動きで鬼塚がまさかの前進、
徐々にポイントを挽回していく。

挑戦者の危険な接近を細かい連打で許さないどころか
織り交ぜた強打がカストロの顔面を幾度となく捕らえる!

それでも眼光鋭く迫り続けるカストロは
まさに怪物、空振りにはまだ逆転の力が感じられた。

辿り着いた最終R、逃げ切れば防衛確実の場面だった…

「!」

ゴングと共に赤コーナーを駆け足で飛び出し
猛然と打って出た鬼塚のその誇り高い姿…

「自分は逆転のKOを恐れる王者にはなりたくない。」

指名挑戦者を見事な判定で撃退した鬼塚の忘れられない名台詞だ。


が、その後の防衛戦では再び悲劇が繰り返される。

「勝者、鬼塚!」

勝っても勝っても、マスコミは「また疑惑の判定」と書きつづけた。

特に5度目の防衛戦、李にプロ初ダウンを喫した試合では翌日、
「ダウンしても勝利?」
の文字が…

どう考えても、鬼塚の勝利だった試合内容のはずが、
記事になるとどうしてこんなになってしまうのか…。

彼は当時、眼疾を患っており距離感も正確ではなかったはず。
それでも、必死で相手を研究して、怖さに打ち勝ち、
努力の末に掴んだ勝利。

それを理解できない人間に「疑惑」などと呼ばれ…。

…鬼塚、引退時の発言。

「やってきたことに対しては悔いも後悔もない。
でもボクシングには、ものすごく未練がある…」

最後までボクシングを嫌いにならなかった鬼塚…
筆者は心から尊敬しています。


ラスト・ファイト

応援しているボクサーが勝つ姿はファンにとって嬉しいのは当然だ。
が、時として負ける姿が忘れられないほど印象的に迫ってくるボクサーもいる。

鬼塚勝也のラストファイトとなった6度目の防衛戦、
10連勝中のチャレンジャー李炯哲(韓国)が相手。

かつて防御型のデビット・グリマンに敗北を喫しているが、
日本やアジアの選手との対戦が豊富でガチンコには滅法強い。

李は癌に侵された父親にベルトを見せるために
並々ならぬモチベーションと共に来日した。

ファイター・タイプはモチベーションひとつで驚くほど強くなる。
「怖い挑戦者」、戦前から誰もがそう思った。


対する鬼塚はギリギリの試合が続いていたがすでに5度の防衛に成功、
悩み続けていたがそのハイテンポなボクシングに陰りは感じられなかった。

誰もが「鬼塚は円熟期を迎えつつある」、そう思っていた。

が、実際には当時、視界が失われつつあり、
失明の恐怖とスパンキーは孤独に戦っていたのだ…

医師による網膜剥離の正式診断と同時に治療を開始できるが、
それはボクサー鬼塚にとって世界王座返上・引退を意味する。

少年の頃からの夢、世界チャンピオン。
生きていく上で大事な「見る」という能力。

当時のコミッション・ルールは鬼塚の治療への決断を遅らせた。

「今度、試合をしたら失明するかもしれない」
そんな状況で繰り返される世界中の猛者との戦い。

その孤独がどれほど苦しかったろう。

あえて選ぶメキシコ製6オンスの危険なグローブに
どんな想いが込められていたのか?
悲壮感あふれる薄いグローブでの12R死闘を経て、
なお繰り返される「疑惑の判定」の報道。

改めて思う。「その孤独がどれほど苦しかったろう」と。
(引退会見で彼は全てを正直に告白した。
それは次世代のボクサー達への愛だと私は思う。)


試合は壮絶な内容だった。

にも関わらず、私は鬼塚がのびのびとボクシングを楽しんでいる気がした。
ベルトを賭けた世界戦でそんなはずないと思うが、今でもそんな気がしている。

日本王者時代の空間を生かしたステップワークが久々に展開され、
自分の一番好きなスタイルで最強の挑戦者と向かい合っている姿。

なぜか清々しいイメージがした。

ただそれは「勝てそう」という楽観的イメージとは別物で
ジャブの相打ちが目立ち、試合がどう転がるかは混沌状態だった。

9Rだったと記憶している。
互角の打ち合いを演じていた鬼塚が
執拗に追ってくる李の執念に捕まった。

拮抗していた両者だったが、一瞬にして傾き始めた展開はもう止まらない。

強烈な一撃を浴びた我らが王者が大きく揺れながらロープまで後退すると、
ここで挑戦者は好機とばかりに素晴らしい集中打で倒しにかかった。

コーナー付近で猛打の嵐に絶えつつ反撃を狙う鬼塚だったが、
その反撃にもカウンターが突き刺さり鋭い眼光が完全に失われた。

その後、李はサンドバックを叩いているかのごとく
鬼塚に対して左右のフックをジャストミートさせ続ける。
まさに最強、素晴らしいチャレンジャーだ。

なぜ倒れないのか?

李の攻撃は体重が乗っていて回転も申し分ない。
誰がどう見ても立っていられる状況ではない。

意識を超えた状態にも関わらず鬼塚は倒れない。
やがてガードが壊れ、レフリーが試合をストップさせた。

なぜだか分からないけれど私は息が出来なくなった。

これまで鬼塚は勝っても辛い表情を見せてきた。
自分を果てしなく追い込む修行僧のような男だ。

私はベルトを失った喪失感で鬼塚はうな垂れていると思っていた。

が、コーナーに座ってセコンドと話す彼の表情は
どの防衛戦の後よりもどことなく満足感が感じられた。

夢であり悩みでもあった世界王座。

それを失った直後の鬼塚に渡来した気持ちは、
「喪失」よりも「安堵」だったのではないだろうか…

そう思えてならない。



投稿

先日の畑山の試合は残念な結果に終わってしまいましたね。

ただ、ものすごく久しぶりに鬼塚さんの姿を
目にすることができてとても懐かしかったです。

私も10年前の冬、有明コロシアムへ行きました。
いろいろマスコミでは言われていましたが、
私が実際に自分の目で見たのは
そのカストロ戦と引退試合だけです。

だから、「疑惑の判定」と言われたものに関しては、
運良く目にしていないので、あまり信じないことにしています。

鬼塚さんのボクシング観は面白いですね。

勝ち続けている間は「空しい」と言い、
負けた時には「みんなに見守られているのを感じた」と言って感激している。

人は何のために戦うか?

おそらくただ勝つためだけではないのでしょう。

惜しむことなく自分の持てる全てのものを投げ出して、
なにかに賭けてみる。

そして、そのなにかを手に入れようという意志が
ギリギリのところで打ち砕かれることによって
自我のエゴイズムが消失した時、
それまでは体感することのなかった
新しい別の感覚を得るということでしょうか。

といって、よくわかりませんが、
リングの上で砕け散っていくボクサーの肉体は、
それを息を詰めて見つめる者たちの暗い情念に
与え尽くされることによってより輝きを増す。

そして、なにかを奪い続けることによって増していく
彼自身の魂の飢餓感は、
逆に自身を与える行為によって
初めて、鎮められることになる…
とでも言ったらいいのでしょうか。

勇気というのは、もしかしたら自分を
他人に与え尽くす快感のことなのかも知れない。

ボクシングとは、過剰に愛(の代わりと呼べるもの)を求めて、
最後は自分がそれを全て与える側にまわってしまう、
そんな切なくも、高貴な競技なのでしょうか。

(ファイティング原田なんて、いかにも
そんな感じのする人。寺山修司も書いています。)


ところで4、5年前に都心で行われた
鬼塚さんのファンを集めての講演会のようなものを
聞きにいったことがあります。

しかし、ファンから受けた質問に、
あまりに身もふたもなく正直に答えるので、
一緒にいた料理人平野さんという人が、
フォローに躍起になっていました。
(面白かったです)

自分で描いた絵の展示などもされていたらしいですけど、
そういう「いかにも文化人」っぽいことは
かえってしないほうが良かったのでは、と思いました。

関係ありませんが、私は鶴太郎の「片岡画伯」なんていうのも、
インチキ臭いし、実際絵が下手なので、やめてほしいと思っています。

絵を描いてお金をもらう人というのは、
基本的にそれしか食っていく道のない、
ビンボーや偏見と戦う天才のやることだと思います。

山下清や岡本太郎のように…

そして、あれだけは才能だと思います。

絵を描く人というのは、
赤ん坊の頃から、おじいさんになって死ぬまで、
ひたすら描いていられる人のことだと思うからです。

他にできることのある人は
一番できることを売るべきではないでしょうか。

鶴太郎みたいに、昔の日本の中世や
近世の頃の肉体と雰囲気を持った人は他にいないと思っています。

舞台で謡曲「青頭巾」を現代版でやってほしいのに…。

しかし、鬼塚さんにも本当は現代版「屋島」などを
舞って欲しいなどと勝手に思ったりもしています。

修羅ものの能の中にあるあの情念、あの華やかさ、
彼のボクシングとどこか通じるものを感じます。

そんなことをいろいろと思いました…

(投稿・Naoko Sato)



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