ボクシングのゲーム、実写でボクシングのバナー(3)

セレス小林

スズキ・カバトというフィリピン出身の日本王者は
世界王者になるほどのセンスは感じられなかったが
重い右カウンターを武器に日本のルーキー達の壁となっていた。

のちの世界王者、徳山とは2戦して1勝1分、
そしてセレス小林とは3戦して1勝1敗1分…

もしかしたらスズキ・カバトの存在は
日本のボクサー達にとって
とてつもないレッスンだったのかも…

(なんて、当時は思えない程の
彼はラフなスタイルだったけれど)


「自分、プロボクサーになれますか?」
こんな一言で始まったセレスのプロ人生。

地味なボクシングスタイル、判定負けのデビュー戦…

勝ったり負けたりで迎えた10戦目、
セレスはホープとの対戦に辿り着く。

佐藤晃(協栄)は長いリーチと豊かなスピードを武器に
将来的には世界を狙えるだけの逸材だった(…)。

そのきれいなボクシングスタイルは
セレスのボクシングと比べると明らかに輝いていた。

ホープの通過点と思われていた新人王決勝戦。
が、試合の結果は優劣の難しい内容でドロー。

私はこの試合でセレスを初めて見たはずだが
申し訳ないが、佐藤苦戦といった印象しか残っていない。

その後、地道に連勝を続け(柳光には判定負けしたが…)
ついに辿り着いた日本フライ級タイトルマッチ。


その相手が上記で紹介したスズキ・カバトである。

当時のセレスはアウトボクサーを目指していたのだろう。

ピョンピョンとした瞬発的なスピードこそなかったが
パンチを遠くで当てる努力とサークリングの徹底…

現在の主武器である固いガードやボディ打ちは
それほど多用していなかったと記憶している。

初戦は負傷判定による引き分け、
次戦は善戦したものの小差の判定負け…

「日本タイトルに挑戦するボクサーを
きちんと厳選すべきではないだろうか?」
「質の低いタイトルマッチはファン離れを招く」

某雑誌の投稿欄にこんな内容が掲載されたのは
世界を取った今だからこそいい思い出だが
当時は悲しくて仕方がなかっただろう…

アウトボクサーが崩れる主な原因は
ジャブにカウンターをドンピシャされて
そのまま距離が曖昧になるパターンだ。

葛西雄一、八尋史郎、西岡利晃…

国内無敵を誇った優秀なボクサーが
世界戦で散った原因も共通していると思う。

日本の壁に弾かれた二試合を見て、
私はセレス小林の天井を明らかに感じた…

そしてその予感は大抵当たるのだが…


セレスは大方の予想を覆して大化けする!

彼は相当ボクシングに対する情熱が高いのだろう。
(もしくは三浦トレーナーの熱い指導もあるだろう)

通常、ボクサーの基本スタイルは
そう簡単には変わらないし、
「変わった!」
と言っているボクサーでも
基本的な動作や重心は同じ事が多い。

例のカバトに微妙なポイントの雪辱を果たしてから
迎えた初防衛戦は注目の一戦となった。

挑戦者、名古屋のホープ石原がたった3戦のキャリアで
負けて踏まれてやっと王者になったセレス小林を倒して
最短王座奪取の記録を更新する…かも?

注目のリングの上には上体を柔らかく使いながら
相手の攻撃をスリップ、もしくはブロックして
コツコツとカウンターやボディ攻撃を決めるセレスがいた。

とにかく石原選手の攻撃を上目遣いでよ〜く見ている。

この石原選手の攻撃も中途半端ではない。
バネの効いた若い肉体から繰り出される左右ブローは
充分に迫力があるし、セレスよりも数倍の切れがある。

が、両者の技術レベルは段違いだった。

手数は若い石原でも、当たるのはセレスのパンチだけ。

7R、名古屋のスラッガーは接近戦での
パンチの交換の最中に
リングに正座して動けなくなってしまった…

この試合は何度も見直しました。
「…強い。」

カバトの分厚い壁を突き破った果てに
待っていたセレスの新世界は
まさに自分とトレーナーとの強い信頼関係と
なによりセレス本人の情熱と努力の結果。


「日本タイトルを取れなかった頃、
俺はこう考えていたんです。

守る物がなにもない人間ほど強いはずだ!って。

でもね、今こうして家族ができて
子供が生まれて、考え方が変わったんですよ。

守る物がある人間ほど強いんだ!って!
守る物があるからこそ人間は強いんだ!って…」


この理論は直後に行われた世界戦で見事に証明された。

セレス小林はあの頃とは比べ物にならないほど
実際に強くなっているのだから…!


地味だが着実だったセレスの世界奪取劇。
その下地にどれだけの努力があったのだろうか…



投稿

セレス小林は日本タイトルを4度防衛うち
3度はフルラウンドを要せず勝利を手にしたという。

が、若者に欠落した武器『経験』で驚異的完勝を遂げた
石原戦以降の試合のチェックを怠っていたため、
迎えた初の世界挑戦でまたしても小林には度肝を抜かれた。

どれほど成長していたか全く知らなかったのだから
当然だがそれにしても・・・。

当時の王者・マルコム・ツニャカオ。
フットワークとハンドスピードは秀逸。

フィリピンで天才を謳われ
無敗でそれも最悪の敵地タイで世界の頂に立った寵児。

国技館に行く前日、WOWOWでツニャカオの戴冠試合を見て立てた予想は、
「素人目にも明らかな小林のスピード負け。
国内では文句なしのbPでも世界はまだ早い」。

ところがどっこい小林は石原戦からさらに別人と化していた。

ツニャカオ自慢のフットワークからフリッカージャブが
場内をどよめかせるのはラウンド開始せいぜい1分だけ。

あっという間に小林につかまりボディブローを浴び放題。

見る見るうちに上体が丸まり、
中盤には顔面に返したフックが王者の細いあごを捕らえ、
「もしや!!」の期待に場内が大歓声に包まれる。

小林が惨敗するのを見にきた自分も知らずに立ち上がり、
汗を噴き出しながら「もう一発!もう一発!」と絶叫を繰り返していた。

結局4回の左腕負傷、10回の左被弾が
小林から栄冠を遠ざけてしまうのだが、
韓国人ジャッジの、「採点ミス」の告白がリング上でなされていたら・・・。

7ヵ月後の再挑戦正式決定に、
もはや小林の可能性を疑う理由はない。

いやひとつある。

「相手がレオ・ガメスであること」、だ。

日本の誇る戸高秀樹の顎を
その凶悪なまでの威力のライトアッパーで粉砕し
入院・手術に追い込み、軽量級4階級制覇という偉業を成し遂げた、
ある意味憎悪の対象ともいうべき37歳の大ベテラン。

が、前回と違い、横浜アリーナにははっきりと小林のベルト姿を見に行った。

絶対見られるという確信をもって
大枚5000円の当日券で二階席から味わった興奮・・・

安い買い物だった、つくづくそう思う。

2001年3月11日、ツニャカオを苦しめたボディブローは、
打てば当るといわんばかりにガメスの太鼓腹をえぐり続けた。

戸高を辟易させた大型ノーファウルカップが無用の長物と化し、
みるみる動きの遅くなるガメス。

表情も露骨に嫌がっている。

4Rにカウンターの右でひやりとさせられた以外は
ほぼ完璧なボクシングを展開する挑戦者。

5回にはガメスの顔右半分が血に染まる。

6回、7回と後半に棒立ちの王者を連打、完全にノッている。

9回の大攻勢を凌がれたガメスに
エネルギーはどれほど残っていたのか。

10回、それでもわずかに残った力を吐き出し
遮二無二強打を振るって来る『小さな闘牛』が
小林の「ロケット」という新型左ストレートをカウンターで浴び崩れ落ちる。

結果的にこれがガメスの政権とともに
ボクサー生命の終わりを告げる一撃となる。

顔面、ボディ両方にダメージを蓄積された挙句の必殺の一撃、
前のめりの壮絶な倒れ方。
そして両手を突き上げ総立ちの観客。

自分が叫んだ内容が思い出せない。
ただ大声をあげていただけかも知れない。

新王者誕生は疑うべくもなかった。

レフェリーのジェスチャーがベルトの移動を告げ、
大爆発する観衆の真只中で三浦トレーナーと抱き合い、
高橋会長に頭を下げ、わずかに傷ついた顔をくしゃくしゃにして泣き崩れる小林。

自分は「凡庸なる者」であるという事実を抵抗なく受け入れ、
その上で自分にできる戦い方を模索、
試行錯誤を繰り返し辿り着いた答え。

それが小林を世界の頂点に連れてきた。

「自分、プロボクサーになれますか?」

10年前のこの言葉から、辰吉丈一郎、畑山隆則、
オスカー・デラ・ホーヤ、フロイド・メイウェザー・ジュニアら
きら星のごとく輝くスター達とは異質の、
いぶし銀のオーラを身にまとう
ニュータイプのヒーロー誕生のシナリオが始まっていたのかもしれない・・・。

(吉田氏)



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