「恵子ぉ!!いきなりドツくなぁ! ケホッケホッ!!」
陽子はそれだけ言うのが精一杯だった。
『おっはよぉ〜』というと同時に背中をいきなり、しかも力一杯たたかれてむせ返って
しまった。
「えーっ。いつもと同じ位なんだけどなぁ」恵子は屈託なく笑いながら応えた。
「だから、いつも怒ってるんでしょうが!」
「そうだったのぉ?」
こいつはぁ!! 陽子は握った拳をふりあげる。しかしこういうときの恵子の動きは
すばやい。
学校めがけてさっさと走り去っていた。
今は登校時間、周りには同じ学校の生徒ばかりではなく通勤途中のサラリーマンやOL
もいる。
周囲の視線に気が付き、真っ赤になりながら陽子は恵子を追いかけた。
毎朝おきまりのパターン。この二人は存在そのものが賑やかだった。
同級生たちを追い抜き、ひたすら校門を目指す恵子の後ろ姿をその気になれば、
すぐにでも捕まえられるのに、陽子もこの追いかけっこを楽しんでいた。
高校に進学して新入生歓迎のマラソン大会が催され、陽子は意外にも5位入賞した。
走ることの楽しさを知った陽子は陸上部に入部した。そして県大会で400m走に出場して
ベスト8に入った。これには恵子も驚き、同時にわがことのように喜んでくれた。
そんな陽子も小学生の頃は、おとなしい内気な性格で誰とでも気軽に話せるタイプでは
なかった。
陽子にとって人生の転機といってもいい出来事。それが恵子との出会いだった。
小学校4年生の2学期に席替えをして恵子の隣になった。
同じクラスでも明るくカラカラ笑ってみんなと楽しそうにはしゃいでいる恵子は、陽子に
とってうるさいだけのあまり好ましくないクラスメートだった。
そのころ学校では人気のTVゲームの話題で持ち切りとなり、男女を問わず話題はその
ゲームのことばかりだった。しかしTVゲーム機本体を持っていない子は自然と仲間はず
れになってゆき、陽子もそのひとりだった。彼女はいつも一人で本を読んでいた。
陽子はTVゲームよりパソコンの方に興味があり、父親のパソコンがいつでも使えるため
学校では、アプリケーションソフトの参考書を読んでいた。
陽子にとって意外だったのは、おせっかいな恵子が本のことについては全く聞いてこな
かった事だった。
運動会が近付いたある日、学級会で応援用のパネルの絵柄を決めようということになり、
やはり今一番の話題であるそのTVゲームのキャラクターに決まった。
クラスのみんなは大きな模造紙にグループごとに下書きをはじめたが、陽子はキャラク
ターどころか ゲーム自体知らないので、後ろの方からみんなが楽しそうに描いているの
を見ているだけだった。
そのうちに熱中するあまり男子の一人が、後ろでただ見ているだけの陽子がうっとうし
くなり、
「描かないんなら、邪魔だからあっちいけ!」とつきとばした。
その時、恵子が
「陽子ちゃんはゲームを知らないんだから、教えてあげてみんなで描こうよ!」
と、今にも泣き出し、教室を出ていこうとした陽子を抱きとめてみんなに抗議した。

「でも、やったことないんじゃ描けないじゃん。」
男子の一人がいうと、
「私だってあまりやったことないよ! ゲーム機持ってないもん。でも、本見たりお話し聞い
てたから判るんだよ。陽子ちゃんにだって、お話ししたりして教えてあげればわかるよ!」
「えーっ。瀬川、ゲーム機持ってないの?ドヒンミン!!」
「なんでドヒンミンなの? ゲーム機なんか無くったって別にいいじゃない。」
陽子は恵子の後ろで聞いていてビックリした。
パソコンをやってるとはいえ、みんなが話題にしているゲーム機を持っていないことに、
陽子は劣等感を持っていたことは確かだ。そのうえ、そのゲーム機でしかできないゲーム
にみんなが熱中していると、自分だけ仲間はずれの様な気がして余計に孤独に思えた。
「じゃあ、なんで瀬川はゲーム機持ってる様なこと言ってたんだよ。」
「私、一度も持ってるなんて言ったことないよ。」
「そう言えば、恵子ちゃん持ってるって言ったことなかったね。」
クラスメートのあかねが弁護してくれる。
「やっぱり、ゲーム機も買えないドヒンミンじゃないか。やーい。」
「そんな言い方するのひどいよ!恵子に謝りなよ!!」
「別に私の家ドヒンミンじゃないし、私が欲しくないから買わないだけだよ。」
抗議するあかねを制して、恵子は昂るようでもなく淡々と言った。
恵子の後ろで、恵子にまで恥ずかしい思いをさせてしまったと、くやしい気持で見ていた
陽子は、こんなに侮辱されているのに全然怒っていない恵子の態度が新鮮に思えた。
(いつもはあんなに騒いでうるさいヤツだと思っていたのに……)
「でも、それじゃ瀬川はゲームの話しなんかできないじゃないか」
「あんたもしつこいわね。なくったって、私の家でPLAYしたり本を読んで楽しむことだって
できるじゃない。」
「もういいよ、あかねちゃん。それよりお願いがあるんだけど。」
「なあに?」
「このパネル完成させるのが来週の木曜日だから、その前に1度、陽子ちゃんにゲームやら
せてあげて。そうすれば、絵が描けるでしょ。ね、陽子ちゃん。」
「え? うん、1度でも見られればわかると思うけど。」
「なんだ、そんなことか。いいわよ、今日でも。」
「ごめんね陽子ちゃん、私が持ってればいくらでもやせてあげられるんだけど。」
「私の家でも、いくらでもやっていいわよ。」
「へん! なんだよ、ドヒンミン連合!」
「いいかげんにしなさいよ!」
と、あかねがドツキにいった。
「よかったね、陽子ちゃん。今日いっしょにあかねちゃんの家行こうね。」
「ごめんね、恵子さん。私の事で恵子さんまで、恥ずかしい思いさせて…」
「?なにが?? 恥ずかしいことなんかないよ」明るく笑って恵子が言う。
「え?」
「ゲーム機持ってないのは本当だし、それに私はゲームをやりたいんじゃなくてゲームの
STORYやキャラクターが好きなんだもん。本読んでた方が面白いじゃない。ゲームしな
くったって楽しみ方はいろいろあるでしょ?」
「そんなふうに考えた事なかった・・・」
この時、恵子に対する陽子の印象が180度変わった。ゲーム機を持ってないことを恥ず
かしがるどころか、自分で本を探すなど自分なりの楽しみ方をする。知りたいことは友達
に教えてもらったりしながら、話にも積極的に加わって行き、ゲームをすることだけにこ
だわったりしない。
そんな恵子の本当の姿を知って、尊敬に近い感情が芽生えていた。
その後も恵子と付き合うようになってから、陽子は自分自身が変わって行くような気が
した。恵子の見栄を張らない性格や、何にでも興味を持つ幅広い好奇心、いつも周りの人
を気づかうやさしさ、でも決してでしゃばらないで本当に必要な時だけ助ける謙虚さ……
陽子はそんな恵子を知れば知れほど、出会えたことに感謝した。
二人は中学生になったが、運良く小学校4年から4年連続で同じクラスだった。
それも二人には幸運だったのかもしれない。特に陽子には…。
ある日、陽子が新しいパソコンソフトのマニュアルを見ていると、ふいに恵子が取り上げた。
いままで1度もそんなことした事がなかったのでビックリしていると、
「陽子、このソフトはやめたほうがいいよ。人気はあるけど結構いいかげんで、陽子みたいな
真面目っ子は精神的にも影響されると思うよ。」
「なんで、恵子がそんなこと知ってるの?」
「私も買ったんだ、これ。でもねやってみたら初めのうちは結構楽しめたんだけど、しばらく
やってるとだんだん気持ちが荒んでくるメッセージが多くなってきて、最後にはマインドコン
トロールされてるみたいに、やたらと脅迫観念が強くなってくるんだもん。知り合いの人に聞
いたら、絶対やめなさいって言われちゃった。」
陽子からとりあげたマニュアルをぱたぱた振りながら、恵子は横目で睨んだ。
「あれ?って言うことは恵子もパソコン持ってるの?」
「うん、パパが昔から使ってるし、私もCGイラスト描いてるから前から使ってるの」
「えっー?! どうして今まで話してくれなかったの?」
隠し事されてたみたいで陽子はショックを受けながら文句を言った。
「ごめんね。ところで、陽子。もっといいソフト教えてあげるからこれは使うのやめて。」
「う…ん。せっかくおこずかい貯めて買ったのに…。」
「陽子。あきらめ悪いぞ!」
「わかったわよ。使いません。…あのさ、恵子。ちょっと聞きたいんだけど…。」
陽子は話し辛そうにモジモジしながら言う。
「なになに?」
「えーと、小4のときにさ、私が初めて恵子の隣の席になったとき…」
「ふんふん。」
「恵子、私がパソコンソフトのマニュアル見てても、一度も『それなんの本?』って聞いたこ
となかったよね。」
「うん?」
「他のみんなは必ず一度は聞いてくるんだけど、教えてもつまらなそうにまた他の子のとこ
行っちゃうのに、なんで恵子は一度も聞いてこなかったの?」
「私もそのころからパソコン使ってたけど、ほとんどお絵描きにしか使ってなくて、アプリ
ケーションソフトもいくつか持ってたけど、あまり好きなのなかったんだ。」
いつもの恵子と違い、なんか照れくさそうに応える。
「でね、陽子が見てたソフトもいくつか買ってみたんだけど、私、面倒な設定とかあまり
やりたくないんで、話題にできなから話すのやめてたんだ。」
「じゃあ、私が持ってたソフトをあとから買ったこともあるの?」
「う……ん、まあね。エヘエヘ。」
「ひどい!私いつも話し相手がいなくて寂しく一人でマニュアル読んでたのに!」
陽子は拗ねて背中を向ける。
恵子はなだめるように
「だぁーって、パソコンは大抵一人でするものでしょ、だから陽子が何か聞いてきたらお話し
しようと思ってたんだよぉ。」
「そんなの…恵子が、ま・さ・か パソコン使ってるなんて夢にも思ってなかったわよ!」
「あ、それはひどいよぉ。」
頬を膨らませて抗議する恵子。
「それじゃあ・・・」
何かひらめたらしく陽子が明るさを取り戻して言い出した。
「今度一緒にホームページ作ろうよ」
「え? 私作り方よくわかんないよぉ」
「作り方は私が勉強中だから、恵子にはデザインやイラストを担当してほしいの。」
納得したような表情で恵子は
「なるほどね。そういうことかぁ」
とニタニタ笑いながら応えた。
実は、小4の時の運動会の応援パネルを作ったときの話には後日談があったのだ。
あかねの家でゲームをしてキャラクター等はわかったのだが、いざパネルの下絵を描く時に
なって陽子に絵のセンスが全くないことがわかったのだ。
陽子が一所懸命に描けば描く程、原形から遠ざかって行く。これにはさすがに恵子も救いの
手が出せず、以来陽子は絵を描かなくなった。
「わかったわよ。でも部活のある日はだめよぉ。」
中学生になって恵子は絵画部に入っていた。パソコンクラブ以外では、唯一CGができる美術
系クラブなのだ。
「はいはい。私も部活の日は遅くなるから一緒にできるのは週末ぐらいね」
こうして、二人のホームページ造りが始まった。
恵子と陽子はお互いにかけがいのない存在になっていった。
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恵子を追い掛けてきた陽子は正門の手前でつかまえることができた。
でも恵子は、逆に陽子の腕にしがみついて甘えてきた。
身長は陽子の方が8センチほど高い168cm。陸上を始めてからグングン背が伸びてゆき、
いつしか恵子を追い抜いていた。
もし自分が男だったら恵子とベストカップルになれたかも……なんて、ちょっぴり思って
しまう陽子だった。
8時20分を告げる予鈴が正門前の二人をせきたてるように鳴り響いていた。
<つづく>
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