「二輪走」二十周年記念誌発行に寄せて
『ブラインドランナーと思いをひとつに』
長野県視覚障害者マラソン協会
事務局長(ガイドランナー) 濱 成一
私がガイドする時の案内方法は、普段は「あと30メートルで、9時の方向に曲がります」「給水所が見えてきました!水分補給しますか?」等と一般的ですが、お互い少し慣れてくると「路面がいたるところ凸凹していますので、盛り上がっている所は“モッコリ”、へこんでいる所は“ボッコリ”、水たまりは“ビチャッ”と言いますね」等のように、自分的に少しユーモアを交えながら案内もしています。ランナーは孤独が当たり前ですが、ガイドする時は喋りながら(当然ですが…)走るので、何故か楽しいんですよね。私がRUNそのものを続けてこれたのも、この楽しみがあったからだと思うんですよね・・・。長野冬季パラリンピックの翌年の1999年6月に会が発足して以来、大勢の皆様に支えられ今日があります。振り返ってみますと、会が発足した当時は、副会長だっさんが2000年のシドニーパラリンピックを目指し、二代目会長になられた翌年の2004年のアテネパラリンピックでは5位入賞されました。会が発足してから僅か数年の間に、初代会長の小林義定さんをはじめ、幾人もの仲間を亡くし、2011年1月に南沢和矢さんは事故で大怪我を負われ、現在もリハビリを頑張っています。NSVA(NPO 日本スポーツボランティアアソシエーション、代表宇佐美彰朗氏)と共催で、県内4ウォーク」を開催し、長野マラソン大会に視覚障がい者の部を設けて頂きました。マイクロバスで県外の大会へ泊まりで参加したり、小海や白馬、それに“世界の上高地”でも合宿をさせて頂きました。会の愛称(二輪走)や会の歌まで作っちやって。RUNを通じて、まさかここまでやるなんて。これもブラインドランナーの会だからこそ、できたことなんですよね。今でもアイマスクをして走らせて頂く時は、とてもじゃないけどガイドしてくれる人を信用できなくて、一歩一歩確認するように走ってしまいます。私がガイドする時は、何故か全く恐怖心を感じていないように思えてしまって、怖くないのかな、ガイドランナーをよく信用できるな~と感心してしまいます。こんなガイドランナーでもよければ、この先も一緒に走らせてください。皆さんも一緒に、♪走れ!二輪走どこまでも・・・♪。
濱さん 顔写真
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02年 イラスト 増田 由香さん
モデル 小山 正さん