SCO
高分子成形加工(Polymer Processing)、コーティング、繊維形成(溶融、乾式紡糸)関係のコンサルティング、ソフトウエア開発を専門とするコンサルタントです。
また、STEP(ISO 10303) AP227(3次元プラント設計情報規格)の国際共同開発経験もあり、この分野でもお役に立てます。

コラム一般ページ


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1. 徳川道と谷勘兵衛
以前、近所の知人の案内で、白川の里というところ(神戸市須磨区)に連れて行ってもらいましたが、そこで幕末に作られた徳川道と呼ばれるものの一部が残っており、この道の工事を元請として請け負ったのが、谷勘兵衛という人であることを知りました。

この徳川道は、神戸の開港に際して、外国人とのトラブルを避けるために、大名行列などを、街中を避けて通すためのバイパスとして急遽作られたもののようです。現に横浜では、薩摩の島津久光の一行が生麦村にさしかかった際、乗馬のままでいたイギリス人を切り殺すという、いわゆる生麦事件が起こって、日英間の大問題になっています。

徳川道は現在の地名でいえば、神戸市灘区の石屋川沿いの地点(御影公会堂近く)を起点として、灘区篠原の護国神社沿いを摩耶山に向けて登り、森林植物園を経由して鈴蘭台に至り、藍那、白川、布施畑、長坂等を経て、明石の大倉谷に至るという長大なものです。利用できる部分は、既存の道を使いながらであったと思われますが、この大工事を二ヶ月で終わったことが記録されており、工事を請け負った谷勘兵衛の組織力のすごさに驚嘆させられます。徳川道には、白川に残っている岩を切り取って作った崖沿いの道に見られるように、難工事の箇所も少なくなかったと思われます。

谷勘兵衛家は、当時の大庄屋ですが、土木業の大手でもあったと考えられます。徳川道の全貌が明らかになったのは比較的最近のことで、昭和50年に谷家で工事関係資料が大量に見出さされたことによります。これ等の文書を基にした調査報告書が、神戸市により昭和53年に「徳川道」として発行されています。

この報告書により、徳川道の正確なルートはもちろん、谷家が当時いかに大きな力を持っていたか、当時の大規模な土木工事がどのような仕組みで行われたか等をうかがい知ることができます。江戸幕府の役人が作成した仕様書、工事計画書、また契約書に当たる工事請書、谷家と各村間の下請け契約書、工事完成報告書、工事完成に伴う請求書、領収書などの内容を知ることができますが、仕様書、工事計画書、工事完成報告書などは、その内容は詳細を極め、この頃既に、現在と変わらぬ大規模工事の受発注システムができあがっており、それを支障なくこなせる社会体制があったことが分かります。

前記の報告書中に、谷家文書ではないと思われますが、検分のために現地を訪れた役人のための賄いに関する詳細な資料が収録されており、毎日の献立が記録されています。この工事にあたっては、接待を質素にするようにとのお達しがあって、豪華な献立とはいえないものの、さすがに神戸らしく、魚料理が多く見られます。一例を挙げますと、焼もの料理で、上(上役と思われます)小鯛、下(下役と思われます)はまち切身とあり、質素といいながら結構良いものを用意したようです。

谷家は工事代金(約2万両)の受け取り直後に、その代金を幕府方の資金とみなされて、長州藩に没収されてしまいました。この金は、幕府の資金ではなく、工事契約に基づいて正当に受け取ったものであり、没収は極めて不当な行為ですが、幕末の混乱期の、世相の一こまというべき事件でした。没収後も、谷家からの下請けへの支払いは、誠実に行われました。谷家は明治20年になって、兵庫県知事に返還請求をしましたが、請求は認められず、金は終に戻らなかったとのことです。

後日この谷家は、大学時代の友人の奥方の実家と聞き、二度びっくりさせられました。

2. 神戸のパン・洋菓子
神戸には、ちょっと他に自慢したくなるようなものがたくさんありますが、パンや洋菓子などもそれにあたるのではないでしょうか。

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フロインドリーブのレストラン(三ノ宮)
これらの歴史を略説したものを読みますと、居留地時代の外国人が自分達のために輸入したり、作ったりしたものは前史的なもので、日本人のためのものは、明治15年に「二宮盛神堂」というのが元町3丁目に開店したのを嚆矢とするそうです。明治30年には、東京から暖簾分けした「神戸風月堂」が創業しています。

現在に続くパンの方も意外に早くて、「ドンク」の前身の「藤井パン」が明治38年に兵庫区で創業したと記されています。

第一次大戦後には、神戸の店らしい店である「ユーハイム」(大正12年)、「ゴンチャロフ」(大正12年)、「フロインドリーブ」(大正13年)、「コスモポリタン」(大正15年、平成18年閉店)などが続々と創業し、コスモポリタン以外は今(平成20年)も健在です。

これらの店は、どれ一つとっても秘められた歴史を持っているはずで、現に「コスモポリタン」(創業時の店名は「F・モロゾフ」)については、私家版と市販本の両方で本になっており、創業時や戦中の苦労などについて興味深く読みました。ただ、神戸の洋菓子やパンについて、現在に至るまでの歴史的な全体像や流れを詳しく書いた本が見当たらないのは残念なことです。ご存知の方がおられましたら是非お教え下さい。

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ドンク(三ノ宮センター街)
上に書いた昔からの街中の店も頑張っていますが、近頃は周辺部から出てきた店の活躍が目立つようです。「フーケ」、「アンリシャルパンティエ」、「ケーニッヒクローネ」、「ツマガリ」など枚挙にいとまがありません。

私自身は、洋菓子には段々縁が薄くなってきている歳ですが(?)、パンは日常的に食べているものなので、人それぞれに好みがあるのではないでしょうか。なぜ、「イスズ」の山食が、神戸のパンの一つの典型(スタンダード)といわれるのかなど、知りたい疑問(どうでも良いようなことに興味を感じる今日この頃です)もいろいろあります。

それはともかく、名もない街のパン屋さんで、値段は高くないのにこれはという好みに合ったパンに出会うのも、神戸に暮らす楽しみの一つだと思います。

3. 神戸のコーヒーショップ
Nishimura
にしむら(ハーバーランド)
神戸はコーヒー好きの人が多いです。コーヒーショップの数が1980年代半ば以降減少傾向にあるのは神戸も例外ではなく(「神戸カフェ物語」、神戸新聞総合出版センター刊)、それだけコーヒー離れが進んでいると考えられ、今でも多いと言うべきかも知れませんが、若い人、中高年の人を含めて、神戸のコーヒーショップは結構繁盛しているところが多いように思います。

神戸には戦後いち早く全国展開をしたUCC始め、コーヒー産業が数多くあり、明治10年頃、日本で初めてコーヒーを出した店が、現在も元町にある「放香堂」(今は日本茶専業)であるとの話もあり、多くの地元のコーヒーショップが神戸では頑張っています。

神戸を代表するコーヒーショップといえば、宮水で入れることを売りにしている「にしむら」ということになるでしょう。「ドトール」や「スターバックス」の進出の影響を受けていることは、神戸も例外ではありませんが、独自色を出そうとしている店が少なくないのは心強いことです。時代の流れか、にしむらも喫茶店スタイルから、高級感は維持しながらもカフェスタイルに転じているようで、建替え中の中山手本店もおそらくそうなることでしょう。

リーゾナブルな値段で味が良いのは、JR神戸駅の近くにあるUCCの直営店「UCCカフェプラザ」、安くて美味しいのは、元町の「エビアン」などの説を述べる人もいますが、味は好みによってそれぞれでしょうね。

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UCCカフェプラザ(JR神戸駅北)
アメリカでの会議に出席した時、オランダの人にアメリカでもやっと美味しいコーヒーの店ができたので、案内すると連れて行かれたのがスターバックスでした。日本にもたくさんあると言ったら、ちょっと白けました。また、日本で国際会議があった時、アメリカ人がスターバックスはアメリカでは高級店だが、日本では安い店に入るようだねと言っていました。

かく言う私が、日常的に飲んでいるのは、近くの駅の構内にあるカスカード(パン屋さん)の、コーヒーマシンで入れる安いコーヒーです。

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