『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について 【初代〜十代】 初代陸奥が生まれたのは900年代初頭(=901年以降)。第十代の鬼一が生まれたのが1156年であるから、その間には最大255年の開きがある。 これを、その間の継承者9人で割ると、一人あたり約28.34年。 初代の生年を901年、二代目以降の継承者が『陸奥』を継いだのを生後14〜18年とすれば、各継承者の生没年及び活躍年代は以下の通りとなる。
【第十一〜十五代】 第十一代の虎一が生まれたのは1186年。第十六代の陸奥が生まれたのが1310年であるから、その間には124年の開きがある。 これを、その間の継承者5人で割ると、一人あたり24.8年。 『陸奥』を継いだのが生後14〜18年とすれば(修練の開始が遅れた虎一を除く)、各継承者の生没年及び活躍年代は以下の通りとなる。
【第十六〜二十七代】 第十六代の陸奥が生まれたのは1310年。第二十五代の辰巳が生まれたのが1535年であるから、その間には225年の開きがある。 これを、その間の継承者9人で割ると、一人あたり25年。 『陸奥』を継いだのが生後14〜18年とすれば(1552年の時点で『陸奥』を継いでいた事が確認できる辰巳と、27歳で『陸奥』を継いだ狛彦を除く)、各継承者の生没年及び活躍年代は以下の通りとなる。
【第二十八〜三十三代】 第二十八代の天斗が生まれたのは1613年。第三十三代の左近が生まれたのが1750年であるから、その間には137年の開きがある。 これを、その間の継承者5人で割ると、一人あたり27.4年。 『陸奥』を継いだのが生後14〜18年とすれば、各継承者の生没年及び活躍年代は以下の通りとなる。
【第三十四(?)〜三十六代】 第三十四代(?)の葉月が生まれたのは1780年。第三十六代の出海が生まれたのが1839年であるから、その間には59年の開きがある。 葉月は『陸奥』を名乗るには力不足だった事が明らかであるため、『陸奥』の名を(形だけ)左近から受け継いだとすれば、その時期は左近の没する直前であったと思われる。 第三十五代の兵衛が生を受けたのは、1804年7月14日に葉月が「二十年後の約束」を交わして以降のことであり、『陸奥』を継いだのが1825年2月11日である。 圓明流の修練を終える時期を生後14〜18年とすれば、そこから逆算して兵衛の生年は1905年以後〜11年頃?と推測される。 これらの点を考慮すれば、各継承者の生没年及び活躍年代は以下の通りとなる。
【第三十七〜四十代(?)】 第三十七代の天兵が生まれたのは1872年。第三十九代?の真玄が生まれたのが1913〜17年であるから、その間には41〜45年の開きがある。 これを、その間の継承者2人で割ると、一人あたり20.5〜22.5年。 『陸奥』を継いだのが生後14〜18年とすれば、各継承者の生没年及び活躍年代は以下の通りとなる。
【補足】 第三十九代?の真玄が生まれたのは1913〜17年。静流の長男である冬弥が生まれたのが1969年?であるから、その間には52〜56年の開きがある。 これを、その間の継承者1人(真玄)+静流の2人で割ると、一人あたり26〜28年。 よって、静流の生没年は、1941?-43?〜1988? となる。 繰り返すが、これらの年代は管理人が勝手に予想したものであり、根拠も裏付けもない数値である。 だが、歴代の『陸奥』と歴史上の出来事との関係を推測するための大ざっぱな目安にはなると判断し、あえて算出・掲載した。 今後描かれるであろう『刻』のストーリーを予想する上で、参考にしていただければ幸いである。 |
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