伝説はこの日からはじまった・・・・


陸奥圓明流年表 (未完成版)

■講談社コミックス版『修羅の門』(以下、『門』)1〜31巻、同『修羅の刻』(以下、『刻』)一〜十三巻、十三巻裏、十四巻、講談社マガジンノベルス『修羅の刻』壱(以下、『小説』)、KCDX修羅の刻パーフェクトガイド、講談社月刊少年マガジン1998年2月号の作者インタビュー、講談社月刊少年マガジン増刊GREAT2003年7月号の特集記事、月刊少年マガジン2005年9〜11月号(年表中赤字で書かれた部分)、その他の資料を元に作成した。

■『門』関連の年代については、第四部のヴァーリ・トゥード開催年を1991年として算出してある(別項【「現在」の考察】参照)。

■年月日の末尾に「頃?」「前後?」「以後?」等とあるのは、管理人が推測したもの(日付は現地時間)。その根拠についてはそれぞれ【備考・補足】欄に説明項目を設けた。なお、日付は旧暦表示のものと新暦表示のものが混在しているが、ご容赦願いたい。

■原作中に「数年前」とあるものは[基準年−1〜5年]、「○○歳をこえた」とあるものについては[○○+1〜5歳]という範囲で推測した。

■「○週間たった(=基準日から○×7日経過した)」と「○週間後(=基準日から○×7日経過後)」の表現が相互に矛盾を生ずる場合、「○週間たった」の表現の方を優先した。

■各キャラの年齢・生年は、満年齢が導入された1902年(「年齢計算ニ関スル法律」明治35年12月22日施行)までに生まれた日本人については数え年で算出してある(原作の注釈に「満年齢」と明記されている『刻』西郷四郎編のキャラを除く)。

■歴代の継承者が『陸奥』を継いだ年については、狛彦・九十九・天兵等の例を参考に、(※1)圓明流の修練が生後14〜18年程度で完了すると推測して算出した。

■雷電編に登場した、左近の娘の葉月については、
 (1)息子の兵衛が雷電に勝つまで腰に刀を下げていた=それまでは葉月が継承者であった
 (2)「あたしは陸奥だけど陸奥じゃない」という台詞は「陸奥の名前は継いだが力が弱いので陸奥を名乗れない」という意味であると思われる
 以上の2点を根拠に、(※2)『陸奥』を名乗る事はできないが、形式上『第三十四代陸奥』の名前だけは継いでいると判断した。


■未だ明らかになっていない、初〜九代、十二〜十五代、十七〜二十四代、二十九〜三十二代、三十八代の『陸奥』継承者の生年と、活躍予想年代(年表の灰色の文字及び右端の欄)は、管理人が勝手に予想したものであり、根拠も裏付けもない数値である(具体的な算出方法はこちらを参照)。だが、歴代の『陸奥』と歴史上の出来事との関係を推測するための大ざっぱな目安にはなると判断し、あえて掲載した。今後描かれるであろう『刻』のストーリーを予想する上で、参考にしていただければ幸いである。

 (※1)(※2)この辺りの考察については、別項を設けて詳しく述べる予定である。

【各『陸奥』継承者へのリンク】

 膨大な資料により年表も長大な物になり、これを閲覧して下さる読者諸氏には大変な労力を強いることになってしまった。申し訳ない。
 まずは、興味のある『陸奥』継承者から読んでいただけたらと思う。以下、人物名をクリックのこと。

陸奥鬼一  ◆陸奥虎一(虎若)  ◆陸奥辰巳  ◆陸奥狛彦  ◆陸奥八雲  ◆陸奥天斗  ◆陸奥左近  ◆(陸奥)葉月  ◆陸奥兵衛  ◆陸奥出海  ◆陸奥天兵  ◆陸奥真玄  ◆陸奥九十九

【西暦年】 【月日】 【時刻等】 【事柄】 【備考・補足】 【継承者】
900年代初頭 陸奥初代、誕生。
903年 平将門、誕生。
900年代前半? 陸奥圓明流、誕生。


921年 阿倍清明、誕生。
(929年前後?) (陸奥第二代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
935年 承平・天慶の乱。
939年 12月 将門、巫女のお告げを受けて『新皇』を名乗る。
940年 1月 将門追討の令が下る。
2月14日 将門、矢を眉間に受けて死亡。
(943〜947年頃?) (第二代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。


(957年前後?) (陸奥第三代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
(971〜975年頃?) (第三代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。


(986年前後?) (陸奥第四代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
(1000〜1004年頃?) (第四代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。


1005年 9月26日 阿倍清明、没す。
(1014年前後?) (陸奥第五代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
(1028〜1032年頃?) (第五代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。


(1042年前後?) (陸奥第六代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
1051年 前九年の役。
1056年 藤原清衡、誕生。
(1056〜1060年頃?) (第六代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。


(1071年前後?) (陸奥第七代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
1083〜1087年 後三年の役。清衡、陸奥守源義家と結んで陸奥六郡を領し、奥州藤原氏3代の栄華の基礎を作る。 藤原氏が陸奥一族との約定を結んだのはこの頃か?
(1085〜1089年頃?) (第七代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。


(1099年前後?) (陸奥第八代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
(1113〜1117年頃?) (第八代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。


1122年 藤原秀衡、誕生。
1123年 源義朝、誕生。
(1127年前後?) (陸奥第九代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
(1141〜1145年頃?) (第九代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。


1147年 源頼朝、誕生。
114?年 武蔵坊弁慶、誕生。
1156年 鬼一、誕生。
1159年 源義経(幼名:牛若)誕生。
2月 平治の乱起こる。
源氏と平氏の激突。平氏の勝利。
1160年 義朝、敗死。
1167年 平清盛、太政大臣となる。
1167〜1168年頃? 静、誕生。 『刻』八巻P162に「(1174年の時点で)七つ八つ」という義経のセリフあり。
1167〜1174年頃? 鬼一・静の母、没す。 『刻』八巻P177に「母を早くに亡くした」という静のセリフあり。
1169?年 義経、鞍馬寺に送られる。
1170〜1174年頃? 鬼一、『陸奥』を継ぐ(第十代)。


1174年 義経、京に上り、洛外にて弁慶、鬼一、静に出会う。
鬼一と弁慶の対決。途中で義経の仲裁が入ったため勝負はつかず。
義経、鬼一より奥州藤原氏との約定の証である金璽を受け取り、平泉へ向かう。
1174年〜1180年頃? 静、白拍子の祖家・磯ノ禅師と知り合い、その下で白拍子の芸を学び始める。 『刻』八巻P177に「(磯の禅師に)京においてたまさか知り合った」という静のセリフあり。その後は芸を学ぶため鬼一と別れて磯ノ禅師の元に身を寄せていたと思われるので、知り合ったのは鬼一が京で弁慶と戦って以降の事であろう(これは余談だが、静が芸を学ぶ事になったのは、彼女が幼い頃から嗜んでいた舞の技量の高さを磯ノ禅師に見い出されたからであろうと推測される)。
1175年 2月 義経、白河の関にて伊勢三郎(義盛)と出会う。
義経、平泉にて、佐藤嗣信・忠信兄弟に出会う。
義経、秀衡と対面。
1180年 以仁王、平氏追討の令旨を発布。
治承の乱起こる。
8月 頼朝、伊豆にて挙兵。
9月 義仲、挙兵。
義経、弁慶、伊勢三郎、佐藤兄弟、奥州を出立。
10月20日 義経、富士川にて鬼一と再会。
鬼一の放った掌に驚いて飛び立った水鳥の羽音に動揺した平氏軍は敗走(富士川の戦い)。
10月21日 夕刻 義経、黄瀬川宿にて兄頼朝と会見。
1181年 平清盛、没す。
1183年 義仲、越中倶利伽羅峠にて平家軍を破り入京するが、平重衡・通盛軍に敗れる。
義経、500の兵を率いて京に進軍。
1184年 1月20日 義経、鬼一の助言により、義仲を奇襲にて破る(義仲、後に敗死)。
義経、白拍子として遣わされた静と再会。
1185年 2月初め 義経、鬼一の助言により、2千の兵を率いて京を出陣。
2月7日 義経、70騎にて坂を駆け下り、一ノ谷の城を攻め落とす(一ノ谷の逆落とし)。
2月17日 未明 義経、150騎の兵を率いて屋島へ向かう。
2月19日 屋島の戦い。義経、勝利する。
嗣信、平教経の矢から義経をかばって戦死。弁慶負傷。
以後、鬼一は義経と行動を共にする。
義経、熊野別当湛増と会見し、熊野水軍兵2千・船艘2百を味方につける。
3月 義経、屋島を出航。
3月24日 壇ノ浦の戦い。
鬼一と教経の対決。鬼一、勝利する。
夕刻 戦いは義経の勝利に終わり、平家一門は滅亡。
5月 頼朝、義経に対し絶縁をふれる。
義経、異心なき旨を記した書(腰越状)を届けるも受け入れられず。
6月 義経、京に戻る。
10月17日 義経と静、頼朝の放った刺客、土佐坊昌俊の夜襲を受けるが、鬼一によって事無きを得る。 静、この時に虎若を身篭る?
義経、頼朝の追捕を逃れるために大物浦を出航。西国に向かうも、大風で遭難。
12月14日 義経一行、吉野山にて追っ手に囲まれる。
忠信、伊勢三郎、義経を逃がすため身代わりとなり死亡。
身重の静、義経一行と別れ、蔵王堂にて捕らえられる。
1186年 3月 静、義母の磯ノ禅師と共に鎌倉に送られ、取り調べを受ける。
4月8日 静、北条政子の思惑により鶴岡八幡宮の廻廊にて舞う。
閏7月 義経と静の子、虎若、誕生。
男児であるため由比ヶ浜に埋められるが、鬼一により助け出される。
帰京を許された静、鬼一、虎若と共に義経に再会。
1187年 義経、奥州に帰る。
10月 秀衡、没す。
1189年 閏4月29日 鬼一、鎌倉の動向を探るため、平泉を出発。
閏4月30日 秀衡の次男、泰衡が、義経の居館・衣河館を襲う。
弁慶、館の門前にて軍勢を防ぎ、立ち往生。
鬼一、義経の身代わりとなり、自害する。
7月 頼朝、奥州へ兵を向ける。
泰衡は敗れ、奥州藤原氏は滅亡。
1192年 7月 頼朝、征夷大将軍となり、鎌倉幕府を開く。
1199年 1月13日 頼朝、没す。
1200年 梶原景時の乱。 梶原一族滅亡。
1203〜1207年頃? 虎若、虎一と改名し、『陸奥』を継ぐ(第十一代)。 虎若は、少なくとも数え4歳以降から圓明流の修練を開始しているため、『陸奥』を継いだ時期も3年程度遅れたと推測される。


(1210年前後?) (陸奥第十二代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
1221年 承久の乱起こる。
(1224〜1228年頃?) (第十二代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。



(1235年前後?) (陸奥第十三代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
(1249〜1253年頃?) (第十三代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。



(1260年前後?) (陸奥第十四代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
1274年 文永の役起こる。
(1274〜1278年頃?) (第十四代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。



1281年 弘安の役起こる。
(1285年前後?) (陸奥第十五代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
1294年 楠木正成、誕生。
(1299〜1303年頃?) (第十五代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。



1305年 足利尊氏、誕生。
1310年 陸奥第十六代、誕生。
1324〜1328年頃? 第十六代、『陸奥』を継ぐ。



1331年 元弘の変。
1333年 鎌倉幕府滅亡。
(1335年前後?) (陸奥第十七代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
1336年 5月25日 湊川の戦い。
正成、尊氏に敗れ、没す。
1338年 室町幕府成立。
(1349〜1353年頃?) (第十七代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。



1358年 尊氏、没す。
(1360年前後?) (陸奥第十八代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
(1374〜1378年頃?) (第十八代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。



(1385年前後?) (陸奥第十九代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
1391年 南北朝の合一。
(1399〜1403年頃?) (第十九代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。



(1410年前後?) (陸奥第二十代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
(1424〜1428年頃?) (第二十代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。



(1435年前後?) (陸奥第二十一代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
(1449〜1453年頃?) (第二十一代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。




(1460年前後?) (陸奥第二十二代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
1467年 応仁の乱起こる(戦国時代の始まり)。
(1474〜78年前後?) (第二十二代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。




(1485年前後?) (陸奥第二十三代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
(1494〜1498年頃?) (第二十三代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。




(1510年前後?) (陸奥第二十四代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
(1524〜1528年頃?) (第二十四代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。




1534年 5月12日 織田信長、誕生。
1535年 辰巳、誕生。
1540〜1541年頃? 雑賀孫一、誕生。 『刻』十二巻P170に「(鉄砲は)親父どのが三つ四つの頃にようやく種子島に伝わった」という小一のセリフあり。
1543年 8月25日 種子島に漂着したポルトガル船により、日本に鉄砲が伝わる。
1549〜1552年頃? 辰巳、『陸奥』を継ぐ(第二十五代)。


1552年 3月 織田信秀、没す。
辰巳、信長と琥珀に出会う。
1556年 陸奥辰巳と琥珀の子、虎彦・狛彦、誕生。
1559年 信長、尾張を統一。
1560年 虎彦・狛彦の助言と辰巳の合力を得た信長、今川義元を破る(桶狭間の戦い)。
1561年 東郷重位、誕生。
1567年 真田幸村、誕生。
1569年 雑賀孫一の娘、蛍、誕生。
1570年 3月3日 信長、近江国常楽寺にて相撲興行を催す。
虎彦、飛び入りで出場し、鯰江又一郎と青地与右衛門を倒す。
狛彦、孫一と共にこれを観戦。
4月20日 信長、越前朝倉へ出兵。
4月26日 信長、浅井長政の離反に遭い、兵を退く。
信長軍の殿(しんがり)を務める木下藤吉郎、虎彦・狛彦の助力を得て金ヶ崎にて浅井・朝倉の両軍を迎え撃つ(金ヶ崎の退き口)。
5月半ば 藤吉郎、京に帰還。
6月 信長、朝倉・浅井軍を破る(姉川の戦い)。
9月 信長、戦場にて孫一と初めて相見える。
1571年 柳生宗矩、誕生。
5月 信長、伊勢長島の一向一揆討伐にて惨敗。
9月 信長、比叡山延暦寺を焼き討ち。
1572年 12月 武田信玄、三方ヶ原にて織田・徳川連合軍を破る。
1573年 2月 信長、虎彦・狛彦に、武田信玄と孫一の殺害を依頼。
2月10日 虎彦、野田城にて信玄を殺害。
2月20日 信長、柴田勝家・明智光秀・丹羽長秀ら主力を近江に出兵させる。
2月下旬頃? 狛彦、紀州・雑賀にて、孫一と対決。
狛彦、勝負を一時預けたため決着はつかず。
7月 信長、足利義昭を京から追放。室町幕府滅亡。
8月 信長、朝倉・浅井を滅ぼす。
12月1日 臨済宗大徳寺百五十三世住持、沢庵宗彭、誕生。
1574年 9月 信長、伊勢長島の一向門徒2万人を皆殺しにする。
1575年 5月21日 早朝 信長、鉄砲の三段撃ちを用いて武田騎馬隊に勝利する(長篠の戦い)。
1576年 5月3日 早朝 孫一、本願寺の戦いに参戦。
5月7日 狛彦、戦場にて孫一と対決。
狛彦、勝利する。 
1577〜1581年頃? 九鬼数馬、誕生。 『小説』P152に「(1611年の時点で)三十を幾らか過ぎた」とある。
1578〜1590年頃? 九鬼源次郎、誕生。 数馬と新三郎の生年の間。
1578年 3月 上杉謙信、没す(虎彦の仕業か?)。
1579年 柳生兵庫助利厳(寛永御前試合出場者)、誕生。
5月11日 信長、安土城天主に居を構える。
1582年 6月2日 本能寺の変。
虎彦と狛彦、陸奥圓明流の継承者の座を賭けて戦い、勝利した狛彦が『陸奥』を継ぐ(第二十六代)。
信長、蛍の馬上筒に撃たれて死亡。



6月5日 明智光秀、安土城に入る。
6月13日 光秀、羽柴秀吉に大敗(山崎の戦い)。
虎彦、小栗栖にて光秀を殺害。
6月15日 安土城炎上。虎彦、信長の遺体を焼け跡に埋葬。
辰巳、虎彦に『不破』の名を贈る(不破圓明流の誕生)。
1584年 3月 美作国吉野郡にて、宮本武蔵、誕生(1582年説あり)。
1585〜1586年頃? 柳生兵馬、誕生。 『小説』P43に「(1610年の時点で)二十五、六に見える」とある。
1590〜1591年頃? 九鬼新三郎、誕生。 『小説』P128に「(1611年の時点で)二十歳を幾つも越えてはいまい」とあるので、恐らく21〜22歳くらいであろうと推測した。
1590年 高田又兵衛、誕生。
1592年 文禄の役。
1593年 陸奥狛彦と蛍の子、八雲、誕生。
1594年 柳生宗厳、上泉伊勢守より新陰流の印可を受ける。
宗厳、宗矩親子、徳川家康に謁見。
無刀取りを披露し、家康より柳生新陰流入門の起請文を受ける。
1597〜1598年頃? 詩織、誕生。 『小説』P6に「(1610年の時点で)十三、四」とある。
1597年 慶長の役。
1600年 関ヶ原の合戦。
宮本武蔵、豊臣方に参戦する。
1603年 2月 徳川家康、江戸幕府を開く。
1604〜1605年頃? 宮本伊織、誕生。 『小説』P94に「(1611年の時点で)七つか八つ」とある。
1604年 徳川家光、誕生。
武蔵、京都にて、吉岡一門との三度の決闘全てに勝利。
1607年 柳生十兵衛三厳、誕生。
1607〜1610年頃? 八雲、『陸奥』を継ぐ(第二十七代)。


1610年 春の終わり頃 八雲、武蔵、詩織と出会い、詩織の用心棒として雇われる。 『小説』P8に「晩春」とある。
八雲と兵馬の対決。八雲、勝利する。
秋頃 武蔵、柳生新陰流と仕合うために江戸柳生屋敷の門を叩くも、宗矩に失望し、そのまま江戸を去る。 『小説』P106。
1611年 冬の終わり頃 沢庵、備後三原の海岸にて八雲と出会う。 『小説』P109。
武蔵、備前にて、宍戸梅軒と対決。武蔵、勝利する。
武蔵、沢庵と再会。
八雲、安芸国にて伊織と出会う。
八雲、詩織と再会し、再び用心棒として雇われる。
『小説』P92に、桜の花びらの舞う描写がある。
八雲、詩織を人質に取った九鬼三兄弟と対決。八雲、勝利する。
八雲、武蔵と対決。結果は引き分けに終わる。
1612年 4月 武蔵、小倉舟島にて、厳流佐々木小次郎と対決。
武蔵、勝利する。
1613年 陸奥八雲と詩織の子、天斗、誕生。
1614年 大坂冬の陣。
1615年 大坂夏の陣。幸村、戦死。
幸村の九女、圓、誕生。
1621年 宗矩、家光の師範となる。
1627〜1631年頃? 天斗、『陸奥』を継ぐ(第二十八代)。


1632年 柳生家、総目付に任ぜられる。
1634年 天斗、圓、佐助、伊織と出会う。
以後、天斗は圓、佐助と行動を共にする。
天斗、十兵衛と出会う。
寛永御前試合開催。
佐助、圓をかばって討ち死に。
天斗、十兵衛と対決。
天斗、勝利する(十兵衛、この時の傷により隻眼となる)。
1637年 島原の乱起こる。
1640年 武蔵、肥後熊本城主細川忠利の客分となり、大組頭格の地位を得る。
(1640年前後?) (陸奥天斗と圓の子、陸奥第二十九代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
1643年 東郷重位、没す。
1645年 武蔵、「五輪書」完成。
5月18日 武蔵、没す。
12月11日 沢庵、没す。
1646年 柳生宗矩、没す。
1650年 柳生兵庫助利厳、没す。
3月21日 山城国大河原村にて、天斗と十兵衛二度目の対決。
天斗、勝利する。十兵衛、死亡。
1651年 家光、没す。
慶安の変。
(1654〜1658年頃?) (第二十九代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。




(1667年前後?) (陸奥第三十代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
(1681〜1685年頃?) (第三十代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。



1671年 高田又兵衛、没す。
1678年 伊織、没す。
(1695年前後?) (陸奥第三十一代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
1702年 12月14日 赤穂浪士、吉良邸に討ち入り。
(1709〜1713年頃?) (第三十一代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。




(1722年前後?) (陸奥第三十二代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
(1736〜1740年頃?) (第三十二代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。




1750 左近、誕生。
谷風梶之助、誕生。
1764〜1768年頃? 左近、『陸奥』を継ぐ。 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。



1764年前後? 江戸の関取、出羽国大平山にて「藤原三吉」に倒される。 恐らく「三吉」=左近と思われる。
1767年 1月 雷電為右衛門、誕生。
1780 左近の娘、葉月、誕生。
1783年 8月 雷電、小諸八幡宮の祭礼に催した御前相撲に飛び入り参加し、岩五郎に勝利する。
約10日後 岩五郎、雷電の張り手が原因で死亡。
1784年 雷電、岩五郎の息子と出会い、力士になることを決意。
信州を立ち江戸へ向かう。
雷電、伊勢ノ海部屋の大関・谷風の内弟子となる。
1788年 雷電、雲州松江藩主のお抱え力士となる。
1790年 11月 雷電、初土俵。
西の関脇となり初優勝。
以降94年まで本場所七度の出場で四度の優勝を飾る。
1793年 左近の妻、流行病で没す。
1794年 左近、葉月と共に江戸本所回向院11月場所千秋楽を観戦(雷電は休場)。
暮れ頃? 左近と葉月、伊勢ノ海部屋にて雷電・谷風と相見える。
1795年 1月7日 谷風、風邪により没す。
3月 雷電、春場所より大関に昇進。
1802年頃? 左近、病没(葉月、第三十四代の『陸奥』を継ぐ?)。


1804年 5月13日 雷電、谷風の追善相撲を行うため、江戸を立ち奥州に向かう。
6月1日〜11日 仙台入口毘沙門にて、谷風追善相撲開催。
7月14日 葉月、出羽久保田八橋の旅籠にて、雷電と再会。
「二十年後の約束」を交わす。
1805年以後〜11年頃? 葉月の子、兵衛、誕生。 兵衛が生を受けたのは、1804年7月14日に葉月が「二十年後の約束」を交わして以降のことであり、『陸奥』を継いだのが1825年2月11日である。
圓明流の修練を終える時期を生後14〜18年とすれば、そこから逆算して兵衛の生年は1905年以後〜11年頃?と推測される。
1810年 10月 雷電、10月場所を全勝で終え、七場所連続優勝を飾る。
1811年 雷電、2月場所を全休。その後力士を引退。 休場の理由は「前年の10月場所の後、稽古中に腰を痛めたため」とされている。
1823年 雷電、江戸四谷の屋敷にこもり、「約束の日」のために稽古を積む。
1825年 2月11日 葉月と雷電の「二十年後の約束」の仕合。
雷電、兵衛と戦い、死亡。
兵衛、雷電に勝利した直後、葉月より継承者の刀を受け取る(第三十五代)。



1834年 10月9日 近藤勇、誕生。
1835年 5月5日 土方歳三、誕生。
11月15日 高知城下、上町にて、坂本龍馬、誕生。
1837年 大塩平八郎の乱。
1838年 中岡慎太郎、誕生。
1839 兵衛の子、出海、誕生。
1844年? 沖田総司、誕生(異説あり)。
1848年 3月19日 ワイアット・アープ、誕生。
1853〜1857年頃? 出海、『陸奥』を継ぐ(第三十六代)。


1853年 兵衛の子、雷、誕生。
3月 龍馬、江戸・千葉定吉の道場に入門。
6月 アメリカ東インド艦隊長官・ペリー、4隻の軍艦と共に浦賀に来航。
1857年 龍馬、土佐藩邸における御前試合にて優勝(出海、これを観戦)。
1858年 出海、龍馬と出会う。
出海と龍馬、江戸試衛館にて沖田、土方と出会う。
出海と龍馬の対決。出海、勝利する。
1861年 アメリカ南北戦争始まる。
1862年 春頃 アラパホー族のニルチッイ、誕生。 『刻』四巻P51に「(1877年春の時点で)15になったばかり」という雷のセリフあり。
1863年 8月 新撰組結成される。
1865年 南北戦争終結。
リンカーン大統領、暗殺される。
龍馬、長崎に亀山社中(後の海援隊)を設立。
沖田、新撰組一番隊隊長、剣術師範頭に任命される。
1866年 1月22日 薩長同盟成る。
1月23日 寺田屋事件。
龍馬、重傷を負い、新撰組に追い詰められるが、出海によって助けられる。
以後、出海は龍馬と行動を共にする。
3月 龍馬、妻のおりょうを連れ、九州各地を旅する。
1867年 1月4日 西郷四郎、誕生。
10月 大政奉還成る。
11月 龍馬、新政府綱領八策(船中八策)を作成。
11月13日 龍馬、新撰組を脱退した伊東甲子太郎より「忠告」を受ける。
出海と龍馬、最後の語らい。
龍馬、出海に自分の着物の片袖を手渡す。
11月15日 出海、中村半次郎と対決。途中で胸騒ぎを感じた出海は勝負を中断。
龍馬と中岡、近江屋にて伊東の襲撃を受ける。
龍馬、出海に看取られ絶命。
11月17日 中岡、死亡。
11月18日 出海、油小路にて伊東を殺害。
1868年 1月3日 鳥羽・伏見の戦い勃発。
4月3日 千葉流山にて、近藤、官軍に投降。
4月25日 近藤、板橋にて斬首される。
5月30日 出海と沖田、雪中での対決。出海、勝利する。沖田、死亡。
これ以後、出海は沖田の看病役の娘・蘭に付け狙われる。
8月 母成峠の戦い。
出海、土方を追うも、蘭と共に負傷したため土方には会えず。
9月8日 慶応から明治へ元号改元。
12月 榎本武揚を総裁、土方を陸軍奉行並とする、蝦夷共和国新政府発足。
1869年 5月11日 出海と土方、箱館にて対決。出海、勝利する。
土方、対決の後、官軍鉄砲隊の銃撃に身をさらし、死亡。
5月18日 五稜郭陥落。
1872年 アメリカの牧場主のリーガン、アラパホー族の居留地のある金山を自分のものにするため、トンプスン兄弟ら「死の5人組」を雇って居留地を襲撃する。
ニルチッイ、かろうじて生きのびるが、家族を皆殺しにされる。
『刻』四巻P71に「(1877年春の時点で)5年前」というビル・トンプスンのセリフあり。
陸奥出海と蘭の子、天兵、誕生。
1874年頃? 雷、寝ていた小船が波に流され、外洋(太平洋?)へ漂流。白人の船に拾われ、アメリカへ向かう。 『刻』四巻P15に「(1876年の時点で)2年くらい前」という雷のセリフあり。
1876年 雷、北アメリカ西部にて、ネズ・パース族のジルコォー・マッイイツォ、ニルチッイと出会う。
1877年 2月15日 西南戦争起こる。
ニルチッイ、家族の仇討ちのために旅立つ。雷も行動を共にする。
雷とワイアット・アープ、拳銃と素手による対決。雷、勝利する。
リーガンとトンプスン兄弟、ニルチッイを拉致。
雷、負傷する。
雷、リーガンの牧場に乗り込み、トンプスン兄弟を倒す。
ニルチッイ、リーガンを討ち、「クー」を果たす。
ネズ・パース族とアメリカ軍との戦い。
雷、ネズ・パース族の退却を助けるため、アメリカ軍をたった一人で食い止めた後、戦死。
1878年 11月18日 前田光世(コンデ・コマ)、誕生。
1882年 2月頃? 西郷四郎、会津より上京し、天神真楊流柔術に入門。 『刻』十四巻P26に「入門してまだ半年足らずですが 会津の方でもなにか やっていた」という井上敬太郎のセリフあり。
7月 出海、天兵を連れて天神真楊流の道場を見学。
西郷四郎、天兵に出会う。
西郷四郎、講道館に入門。
1884年 西郷四郎、保科家の養子となる。 『刻』十四巻P60に「(1886年の時点で)二年前」とある。
1885〜1886年頃 西郷四郎、巨漢の外国人、イーストレーキと戦い、道場の人気を高める。
1886年 1月 西郷四郎、五段に昇進。
西郷四郎、富士見町の道場にて大竹新吉・田中十蔵を倒す。
6月11日 向ヶ丘弥生神社にて武術大会開催。
西郷四郎、戸塚楊心流の照島太郎を山嵐で破る。
出海、天兵、この試合を観戦。
1887年 西郷四郎、この年に行われた武術大会にて好地圓太郎を山嵐で破る。
1889年 9月 西郷四郎、ジェームス・ノーマンと田中十蔵の「拳闘対柔術」の見世物を観戦。
途中、飛び入り出場した天兵と再会。
9月13日 嘉納治五郎、講道館を西郷四郎に託し、海外留学へ出発。
1890年 6月 田中十蔵、ノーマンに受けた傷が元で死亡。
天兵、『陸奥』を継ぐ(第三十七代)。


翌日の深夜 天兵、古川中之橋前にて西郷四郎と対決。
天兵、「雷」で勝利する。
(1892〜1894年頃?) (陸奥天兵と田中十蔵の娘の子、陸奥第三十八代、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
1894〜1895年 日清戦争起こる。
1896〜1900年頃? ビクトル・グラシエーロ、誕生。 「(1991年の時点で)90歳をこえた」と自分で語っている(『門』22巻P179)。
1898年 前田光世、講道館に入門。
1901年 1月 前田光世、三段に昇進。
1901〜1904年頃? 前田光世、西郷四郎と出会い、古川中之橋前にて彼の「独り言」を聞く。 前田が自己紹介した時「三段をいただいております」と語っている(『刻』十四巻P15)ので、彼が三段に昇進してから四段を獲得するまでの間の出来事と思われる。
1904〜1905年 日露戦争起こる。
1904年 11月16日 前田光世、陸奥圓明流に勝つため、世界武者修行に出発。
横浜からアメリカに渡り、以降イギリス、フランス、スペイン、メキシコ、中南米を次々と訪れる。
(1906〜12年頃?) (第三十八代、『陸奥』を継ぐ?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。




1912〜1917年頃? ビクトル、前田光世と出会う。 別項【「現在」の考察】参照。
1913〜1917年頃? 真玄、誕生。 「(ケンシン・マエダが真玄の前に現れた1968年の時点で)50を越えていた」と自分で語っている(『門』31巻P227)。
1914〜1918年 第一次世界大戦。
1922年 12月23日 西郷四郎、没す。
1923年 1月14日 講道館、西郷四郎に六段を追贈。
9月1日 関東大震災。
1925〜1929年頃? 龍造寺徹心、誕生。 『門』5巻P40に「(1990年の全日本異種格闘技選手権の時点で)60をこえた」という観客のセリフあり。
1927〜1935年頃? 真玄、『陸奥』を継ぐ(第三十九代?)。


1929年 1月13日 ワイアット・アープ、没す。
1931年 満州事変起こる。
1932年 五・一五事件。
1933年 二・二六事件。
1937年 日中戦争始まる。
1938年 5月4日 嘉納治五郎、没す。
1939年 第二次世界大戦始まる。
1940年前後? ヴァーリ・トゥード始まる。 『門』23巻P59に「(1991年の時点で)50年以上にわたり行っている」というミゲール・グラシエーロのセリフあり。
(1941〜1943年頃?) (真玄の娘、静流、誕生?) 別項【『陸奥』継承者の生没年・活躍年代について】参照。
1941年 10月28日 前田光世、アマゾンにて没す。
12月8日 太平洋戦争始まる。
1945年 3月10日 東京大空襲。
8月6日 広島に原爆投下。
8月9日 長崎に原爆投下。
8月15日 日本、無条件降伏(太平洋戦争の終結)。
1947年頃? 戦後初の「全日本空手道選手権大会」開催。
徹心、優勝する。
『門』8巻P150。
1949年頃? ジャージィ・ローマン、誕生。 『門』13巻P145に「(1991年の時点で)42歳」というセリフあり。
1952年頃? ケンシン・マエダ、誕生。 『門』31巻P206に「(1992年初頭の時点で)40になるかならず」というビクトルのセリフあり。
1953年頃? ジョニー・ハリス、誕生。 「(1991年12月24日の時点で)38歳」というセリフあり(『門』29巻P150)。
1955〜1959年頃? 真玄と徹心の対決。
真玄、「無空波」で勝利する。
「(1990年の時点で)三十数年前」という徹心のセリフあり(『門』3巻P89)。
1962〜1971年頃? リック・ガンフォード、誕生。 「私の父がヴェトナムで戦死した時 私はまだ2歳だった」と本人が語っている(『門』13巻P21)。
1964〜1973年頃? リック・ガンフォードの父親、ヴェトコンに殺される。 『門』13巻P20。アメリカ軍がヴェトナムに軍事介入したのは64年8月〜73年3月末。
1960年頃? 徹心とフランク・クラウザーの対決。徹心、勝利する。 「(1990年夏の時点で)30年前」というクラウザーのセリフあり(『門』6巻P199)。
1961年頃? レオン・グラシエーロ、誕生。 「(1991年12月24日の時点で)30歳」というセリフあり(『門』29巻P150)。
1962年頃? 飛田高明、誕生。 「(1990年の時点で)28才」というセリフあり(『門』4巻P59)。
1965年頃? ラモン・グラシエーロ、誕生。 「(1991年の時点で)26歳」というセリフあり(『門』21巻P204)。
マイケル・アーロン、誕生。 「(1991年夏の時点で)20歳でベルトを手にして以来6年間王座に君臨」というセリフあり(『門』15巻P48)。
1968年頃? 海堂晃、誕生。 「(1987年の時点で)十九」と自分で語っている(『門』8巻P158)。
陣雷浩一、誕生。 「(大学を)卒業できました」と本人が語っており(『門』13巻P12)、1991年の春から神武館の正指導員になっているので、91年3月に大学卒業と考えて逆算した(浪人・留年という可能性もあるが…)。
ケンシン、「陸奥」と戦うために真玄の元を訪れるが、真玄が高齢のため勝負せず。 『門』31巻P226に「20年以上前」という真玄のセリフあり。冬弥はこの時に生を受けたと思われるので、その時期は冬弥が生まれる1969年の前年あたりと推測される。
ケンシン、真玄に請われ、静流の一時の良人となる。
1969年頃? ケンシンと静流の子、冬弥、誕生。 『門』10巻P124に「(1988年の時点で)十九」という真玄のセリフあり。
イグナシオ・ダ・シルバ、誕生。 『門』28巻P22に「(1991年12月24日の時点で)22歳」というセリフあり。
1970年頃? 五十嵐利和、スポーツノンフィクションライターとしての仕事を始める。 「(1990年夏の時点で)20年格闘技を見てきてます」と本人が語っている(『門』4巻P100)。
1971年頃? 羽山悟、誕生。 『門』4巻P60に「(1990年の時点で)19才」というセリフあり。
ジョー五十嵐、スポーツジャーナリストとしての仕事を始める。 「(1991年8月29日の時点で)20年間」と本人が語っている(『門』20巻P174)。
8月末〜9月末頃? アリオス・キルレイン、誕生。 『門』19巻P53に「(1991年8月29日の時点で)19歳11か月」というセリフあり。
クラウザーとハリスの対決。
クラウザー、勝利する。
『門』30巻P7に「(1991年12月24日の時点で)20年前」というクラウザーのセリフあり。
1972年頃? 8月頃? ケンシン、再び静流の前に姿を現し、また立ち去る。 『門』10巻P120に「冬弥が三つの時」という真玄のセリフあり。九十九はこの時に生を受けているので、誕生日の6月30日から逆算した。
1973年頃? 6月30日頃? ケンシンと静流の子、九十九、誕生。 別項【「現在」の考察】参照。
1974年頃? 宍戸巌、龍造寺家に婿入りし、龍造寺巌と改名。 『門』15巻P84に「(1991年7月の時点で)17年程前」という谷山のセリフあり。婿入りと舞子の生年が同じ年である点から考えると、「出来ちゃった婚」の可能性もあり?
龍造寺舞子、誕生。 舞子の生年については、『門』4巻P86に「(1990年夏の時点で)中学の時から3年半」という本人の発言があるので、当時高校1年(16歳。九十九より1歳年下)であると判断した。
1979年頃? ローマン、ドライブ中の事故で妻子を失い、引退を表明。 『門』13巻P155に「(1991年の時点で)12年前」というセリフあり。
1981年頃? 春頃? 飛田、真日本プロレスに入門。 高校卒業と同時に入門したと推測。
ハリス、破壊王(キングオブデストロイ)のリングネームで新日本プロレスのリングへ上がるが、対戦相手を壊し、追放される。 『門』25巻P160に「(1991年の時点で)10年程前」という飛田のセリフがあるが、飛田は同ページで「当時オレはまだ新人でした」と語っているので、飛田の入門の時期を考慮し、ほぼ10年前と推測した。
1983年頃? 真玄、九十九に左目をえぐられる。 『門』9巻P22に「(九十九が)十歳の時」という真玄のセリフあり。
テディ・ビンセントがトレーナーを務めたヘンリー、エザード・ロスが育てたホセ・カルネラに敗れ死亡。 『門』19巻P39に「(1991年8月29日の時点で)8年前」というテディのセリフあり。
テディ、トレーナー業を引退。
1984年頃? 冬弥、圓明流の修練を終えるが、『陸奥』を継ぐ事を延期。 真玄は冬弥について「十五で(全盛時の)わしを越えた」と語っているが、これは「冬弥が15歳で圓明流の修練を終えた時、その技量がことごとく自分を上回っていた」という意味であろう(『門』10巻P120)。
イグナシオ、リオに上京。 「15の時」と自分で語っている(『門』27巻P157)。
1985年頃? 竹海直人、タイ・バンコクのラジャダムナンスタジアムの試合にて、満身創痍の状態から逆転勝利(ラジャダムナンの奇跡)。 『門』4巻P158に「(1990年夏の時点で)5年前」というセリフあり。
鬼道館館長・鬼頭撻馬、片山右京と出会う。 『門』7巻P104に「(1990年夏の時点で)5年前」というセリフがあり、回想シーンには桜の花びらの舞う描写がある。
アーロン、ホセ・カルネラを破り、WBC世界チャンピオンとなる。 『門』15巻P48に「(1991年の時点で)20歳でベルトを手にして以来6年間王座に君臨」というセリフあり。
エザード、トレーナー業を引退。 『門』15巻P133。
アリオスの母、没す。 『門』19巻P26に「(1986年の時点で)去年」というアリオスのセリフあり。
イグナシオ、ジュニオールのブラジル代表に選ばれる。 「16の時」と自分で語っている(『門』27巻P157)。
レオン、ヴァーリ・トゥードの試合で人を殺し、引退する。 『門』25巻P87「(1991年の時点で)6年前」というセリフあり。
1986年頃? アリオス、エザードと出会い、ボクシングを始める。 アリオスが14歳の時(『門』11巻P101)。
その3か月後 テディ、初めてアリオスと出会う。 『門』11巻P101に「(1991年の時点で)5年前」というテディのセリフあり。
イグナシオ、リオ州の決勝戦でフラメンゴに敗北。 ブラジル代表に選ばれた翌年(『門』27巻P160)。
試合後、徳光将と出会い、神武館ブラジル支部に入門。
1987年頃? 春頃? 舞子、ニューヨークから日本へ帰国し、中学に入学。 中学に入るまでは両親とニューヨーク住まいだったと本人が語っている(『門』15巻P141)。
11月頃? 海堂、第16回神武館全日本選手権にて初優勝。 全日本異種格闘技選手権の3年前(『門』8巻P160)。神武館の全日本選手権は毎年11月に行われており(『門』23巻P7)、講談社発行の「神武館 空手年鑑」の表紙には「(1989年の大会は)第18回」とある(『門』1巻P93)。
1988年頃? 九十九、圓明流の修練を終了。 『門』10巻P126に「九十九が大きくなるまでまってたんですよ」という冬弥のセリフがあるが、これは「九十九が圓明流の修練を終え、自分と継承者の座を争うに相応しい存在に成長するまで待っていた」という意味であろう。
その翌日(6月30日以降?) 陸奥圓明流継承者の座を賭けて、九十九と冬弥対決。
九十九、兄を殺める。
全日本異種格闘技選手権の2年前、九十九が15歳の時(『門』10巻P124)。
九十九、『陸奥』を継ぐ(第四十代?)。



静流、病のため没す。 『門』10巻P145に「冬弥が死んでまもなく」という真玄のセリフあり。
1989年頃? ローマン、ボクシング界にカムバック。 『門』13巻P155「(1991年の時点で)2年前」というセリフあり。
11月頃? 第18回神武館全日本選手権開催。
優勝:海堂、準優勝:陣雷、3位:増畑大志、4位:泉敏彦、5位、木村。
神武館の全日本選手権は毎年11月に行われており(『門』23巻P7)、講談社発行の「神武館 空手年鑑」の表紙には「第18回」とある(『門』1巻P93)。
1990年頃? 九十九、神武館へ。 「現在」の1年前(別項【「現在」の考察】参照)。
15:00頃 九十九、舞子と出会う。
九十九、毅波秀明と対決。
九十九、勝利する。
九十九、徹心と出会う。
その翌日 11:00〜? 九十九、神武館の黒帯を103人抜き。
九十九と指導員・木村との対決。九十九、勝利する。
九十九、神武館の四鬼竜と戦い、3人までを倒す。
海堂、修行のため、山に籠もる。
その1週間後 海堂、修行を終え、山を下りる。
九十九、海堂と対決。
九十九、「無空波」にて勝利する。
6月5日前後? 九十九、鬼道館へ乗り込み、片山と出会う。 九十九が鬼道館に乗り込んだのは、格闘マガジン7月号(発売月は普通に考えて6月。発売日は『門』23巻P7を見る限りでは5日頃と推測されるが、東京では早売りで4日以前に購入している可能性もある)の発売直後(『門』3巻P101)。
九十九、鬼道館の各支部道場や、格闘技関係の全ての団体に殴り込みをかけ始める。
九十九と鬼道館の奥寺鉄二、日向高文、九嶋孝とのストリートファイト。
九十九、勝利する。
7月5日前後? 徹心、記者会見で全日本異種格闘技選手権大会開催を発表。 記者会見は、7月発売の格闘マガジン8月号の発売直後に開かれている(『門』4巻P7)。
7月22日頃? 海堂、病院を退院。 選手権組み合わせ抽選会の5日前(『門』4巻P79)。
7月27日頃? 日本武道館にて選手権組み合わせ抽選会。 選手権開催前日(『門』4巻P65)。
7月28日頃? クラウザー、成田空港に到着。 選手権1日目(『門』6巻P25)。
全日本異種格闘技選手権大会開催(選手権1日目)。 一.選手権は記者会見の1か月後(『門』4巻P23)。
二.8月5日頃発売の格闘マガジン9月号に選手権の記事が載っている(『門』11巻P6)。
三.2日目の午後に新宿アルタ前でデートの待ち合わせをしているカップルがおり(『門』7巻P122)、TVの視聴率が午後2時過ぎに40%を越えている(同P125)ので、多分この日は休日である。
四.7〜8月には祝日はなく(海の日が祝日になったのは96年から)、この日は日曜日であると思われる。
・・・これらの点から考えて、恐らく開催日は7月最終週の土・日なのではないかと推測した。
12:00 1回戦Aブロック第1試合(九十九vs竹海)開始。
九十九、勝利する。
*1回戦Aブロック第2試合(羽山vs村井光雄)開始。羽山、勝利する。
*1回戦Aブロック第3試合(高山俊二vs?)開始。高山俊二、勝利する。
*1回戦Aブロック第4試合(飛田vs斉藤将司)開始。飛田、勝利する。
*1回戦Aブロック第5試合(秋山虎二郎vs浦部)開始。秋山、勝利する。
*1回戦Aブロック第6試合(大石vs安西)開始。結果は不明。
*1回戦Aブロック第7試合開始。
*1回戦Aブロック第8試合(片山vs神谷孝)開始。片山、勝利する。
*1回戦Bブロック第1試合開始。
*1回戦Bブロック第2試合開始。
*1回戦Bブロック第3試合開始。
*1回戦Bブロック第4試合(徹心vs伊達光院)開始。徹心、勝利する。
*1回戦Bブロック第5試合開始。
*1回戦Bブロック第6試合開始。
*1回戦Bブロック第7試合開始。
*1回戦Bブロック第8試合(東山vs?)開始。結果は不明。
選手の組み合わせと試合時間については、原作で描写されていた組み合わせ抽選会の場面や、武道館の時計、『門』11巻P6の格闘マガジン9月号表紙(7:30)等を参考にした。
陣雷、入院中の病院を自主退院。
16:00 2回戦Aブロック第1試合(九十九vs羽山)開始。
九十九、勝利する。
*2回戦Aブロック第2試合(飛田vs高山)開始。飛田、勝利する。
*2回戦Aブロック第3試合(秋山vs大石又は安西)開始。秋山、勝利する。
*2回戦Aブロック第4試合(片山vs?)開始。片山、勝利する。
*2回戦Bブロック第1試合(泰山大悟vs?)開始。泰山、勝利する。
*2回戦Bブロック第2試合(徹心vs?)開始。徹心、勝利する。
*2回戦Bブロック第3試合開始(勝者、不破北斗又は中村)。
*2回戦Bブロック第4試合開始(勝者、中村又は北斗)。
九十九、神武館にてクラウザーと出会う。
飛田、無断で選手権に出場したため真日本プロレスを解雇処分。
7月29日頃? 選手権2日目。
12:00頃? 3回戦Aブロック第1試合(九十九vs飛田)開始。
13:00 九十九、勝利する。
13:15 3回戦Aブロック第2試合(片山vs秋山)開始。
片山、勝利する。
13:30 3回戦Bブロック第1試合(徹心vs泰山)開始。
徹心、勝利する。
3回戦Bブロック第2試合(北斗vs中村)、北斗の不戦勝。
15:00 準決勝第1試合(九十九vs片山)開始。
15:30頃? 九十九、勝利する。
15:40 準決勝第2試合(北斗vs徹心)開始。
16:00 北斗、勝利する。
16:30 決勝戦(九十九vs北斗)開始。
19:30 九十九、優勝する。
北斗、死亡。
九十九、満身創痍の状態で半強制的に入院させられる。
竹海、現役引退を表明。
8月 アーロンvsトミー・シモンズ。
アーロン、KO勝ち。
『門』15巻P181。
8月〜1991年1月頃? 飛田、後楽園ホールにて、新団体RWF(リアルレスリングフェデレーション)を旗揚げ。
8月12日頃? 九十九、入院中の病院を抜け出し、姿を消す。 選手権の2週間後(『門』11巻P12)。
8月12日以降? 九十九、「最後の陸奥」として海を渡る事を真玄に告げる。 『門』21巻P192のシーンがこれにあたるが、ハワイへ向かう直前だと時期は真冬となり、情景的におかしい(このシーンでは雪が全く積もっておらず、草木の葉も生い茂っている)ため、恐らく退院直後の出来事であると思われる。
11月末頃? エザード、没す。 九十九がニューヨークに到着する3か月前(『門』11巻P103)。
テディ、アリオスの元へ弔問に訪れる。
1991年 1月17日 湾岸戦争勃発。
1991年頃? 1月下旬頃? 九十九、ハワイへ向かう。 船で出発したとすれば、ハワイまで約10日を要すると推測して逆算した。
2月上旬頃? ハワイにて、アリオスvs羽山戦。
アリオス、TKOで勝利する(九十九、これを観戦)。
九十九、アリオスと戦うため、貨物船でハワイを発つ。 ニューヨーク到着の3週間前(『門』11巻P76)。
2月15日 ローマン、ジャック・ロイドに2RKO勝ち。 『門』14巻P26。
2月末頃? 九十九、ニューヨークに到着。
アリオス、テディと出会う。
8月29日のアリオス戦の時に「あのジムに会いに行ってから半年かかったよ・・・・」と九十九が語っている(『門』19巻P72)。
テディ、九十九のトレーナーとなる。
4月初め頃? 九十九、ボクシングのライセンスを取得。
九十九、NY SPORTS PLAZAにてプロデビュー。
フレディ・メイスンをKOし勝利。
九十九がスポーツグラフィックスに載る1か月前(『門』11巻P197)。
陣雷、神武館本部道場の正指導員になる。 『門』13巻P13。
海堂と徹心、山篭りに出発。 『門』21巻P163に「(1991年9月下旬の時点で)そろそろ半年になりますよね 海堂君と館長が山に入って・・・」という谷山のセリフあり。
4月上旬〜4月末頃? 九十九vsリック・ランスフォード。
九十九、KOで勝利。
九十九vsケビン・シーゲル。
九十九、KOで勝利。
九十九vsハワード・ウォルシュ。
九十九、KOで勝利。
九十九vsビル・ラッセル。
九十九、KOで勝利。
5月初め頃? 九十九、「シューレス・ニンジャボーイ」として、スポーツグラフィックスに紹介される。 「(デビューから今日まで)たった1か月」というテディのセリフあり(『門』11巻P197)。
5月4日頃? 九十九vsトニー・ウィラード。
九十九、KOで勝利。
アリオスvsジェームズ・ガーナー。
アリオス、KOで勝利。
ボブ・キング、ボクシング世界統一トーナメント開催を発表。 キングは「今日の試合(アリオスvsガーナー戦)が終ればそのためのビッグプロジェクトが動き出す」と語っている(『門』12巻P36)。
恐らくキングは統一トーナメントに参戦する資格(世界2位の座)をアリオスに取らせるためにこの試合を組んだと思われるので、発表は試合の直後に行われたと推測される(それまでの1か月、ほぼ1週間おきのペースで試合を組んできたテディが、トニーとの試合後は一切試合を組んでいないので、発表は少なくとも試合後1週間以内となるが、プロモートの準備期間等を考慮すれば、やはり試合の直後だったと判断すべきだろう)。
5月5日頃? テディ、九十九をトーナメントに参戦させるため、キングと直接会見するが決裂。
プロレスラー、ラルフ・ドールマン、ボクシング界への挑戦を表明。
5月12日頃? 九十九、フローレンス・ヒューズと出会う。
九十九、ドールマンの挑戦を受け対決。
九十九、勝利する。
ドールマンの挑戦表明から1週間後(『門』12巻P98)。
5月14日頃? キング、記者会見で、アナクレト・ムガビのトーナメント参戦を発表。 九十九vsドールマン戦の2日後(同P153)。
九十九とテディ、エドワード・ヒューズの招待を受ける。
ヒューズ、九十九のトーナメント参戦をキングに要請。
5月15日頃? トーナメントの日程変更。
九十九のトーナメント参戦及び2週間後の特別予選が決定。
5月29日頃? 世界ヘヴィ級王座統一トーナメント開催。 トーナメントの日程変更から2週間後(『門』13巻P16)。なお6月29日のローマン戦は「1か月後」と語られており(『門』13巻P35)、この点も合致する。
20:00 特別予選:九十九vsリック・ガンフォード。
九十九、勝利するが、不正ジャッジによりノーコンテスト扱いとなる。
『門』13巻P152。
5月末〜6月初め頃? 九十九、トレーニングのためキャンプを張る。 キャンプを張ってからトムの店に行くまでの期間は 約3週間(『門』13巻P162)。
6月23日頃? キャンプを終えた九十九、トムの店でローマンと出会う。 ローマン戦の6日前(『門』13巻P168)。
1回戦:アナクレト・ムガビvsチャールズ・マッコイ。
ムガビ、勝利する。
同1回戦:アリオスvsベニー・ロビンソン。
アリオス、勝利する。
6月29日頃? 1回戦:九十九vsローマン。
九十九、勝利する。
別項【「現在」の考察】参照。
7月17〜18日頃? 舞子、父母のいるニューヨークへ到着。 一.木村が舞子に巌の伝言を伝えたのは、7月25日深夜(日本時間)のアーロン戦まで「10日もない」時期(『門』15巻P56)、すなわち日本時間で7月16日〜24日の間である。
二.舞子はこの時「もうすぐ夏休み」と言っている。高校の1学期の終業式は通常7月20日(海の日が祝日になったのは96年から)なので、時期をさらに絞り込むと7月16〜19日。舞子がニューヨークに向かったのはこの翌日になるが、19日であれば出発日は終業式当日の20日となり、「夏休み前に出発」という事にはならないので、恐らく一.の時期は16〜18日であると思われる。
三.舞子がニューヨークに着いた時、現地は朝であった(九十九がロードワーク中だった点や、同じ日に谷山・猪熊がアーロンのインタビューのために車で往復約5時間もかかるアトランティックシティを日帰りで訪れている点等から判断)。
・・・これらを踏まえ、さらに時差等を考慮すれば、到着日は現地時間で17〜18日であったと推測される。
舞子、セントラルパークにて九十九と再会。
巌、九十九と出会う。
アーロン、谷山のインタビューを受ける。
7月18〜19日頃? 九十九、キャンプに出発。 舞子と再会した翌日に出発(『門』15巻P123)。
7月22日 舞子、テディの部屋を訪れるが、キャンプ中のため九十九には会えず。 『門』15巻P123に「あと3日ですもんね アーロン戦まで」という猪熊のセリフあり。
7月23日 九十九、キャンプを終えトムの店へ。
舞子、谷山と共にキャンプの場所に向かうが、すれ違いになったため九十九には会えず。 『門』15巻P136に「(アーロン戦まで)あと2日」という舞子のセリフあり。
7月24日 舞子、テディの部屋でようやく九十九と再会。 アーロン戦の前日(『門』15巻P161)。
7月25日 12:00〜 2回戦:九十九vsアーロン。
九十九、勝利する。
試合時刻は、テディが舞子に渡したチケットの文字で確認した(『門』15巻P161)。
同2回戦:アリオスvsムガビ。
アリオス、勝利する。ムガビは試合後に死亡。
8月1日頃? 神武館ニューヨーク支部にて、九十九と巌の対決。
九十九、勝利するが、左拳と肋骨を骨折。
『門』17巻P26に「(7月25日のアーロン戦が終わって)一週間たっても(舞子が九十九に)一度も会いに行こうとしない」という舞子の母のセリフあり。
8月8日頃? 20:00 猪熊、格闘マガジン編集長からの国際電話を受ける。 『門』18巻P32に「(九十九vs巌戦から)1週間たってます」という猪熊のセリフあり。
九十九、マンハッタン・プレスの取材を受ける。 九十九が群衆に襲われる前夜。
8月9日頃? 九十九、マンハッタン・プレスの中傷記事が原因で群集に襲われる。 『門』18巻P121に「(アリオス戦は)3週間後」という猪熊のセリフあり。
アーロン戦からここまでの経過日数を単純に足すと、7月25日+1週間+1週間+1日+3週間=8月30日となり、1日分の狂いが生じてしまう。
この中で舞子の母と猪熊の「一(1)週間たって」いるという言葉は「7日経過している」という意味であると判断し、『門』18巻P121の猪熊のセリフを「(約)3週間後(=2週間と6日後)」と解釈した。
九十九、マッイイツォと出会う。
8月23日 九十九、テディ、クラウザー、キングシティに出発。 ホテル・キングに着いた時点で「試合(決勝戦)は6日後」という九十九のセリフあり(『門』18巻P144)。
マッイイツォ、ニルチッイの元へ赴く。
舞子、キングシティのホテル・キングにて、フローレンスと「対決」。
8月23〜28日頃? ニルチッイ、マッイイツォの採ってきた薬草で『魔法の薬』を作る。
8月28日 決勝戦調印式。 決勝戦の前日(『門』18巻P170)。
マッイイツォ、『魔法の薬』を持ってキングシティに到着。
8月29日 夕刻 決勝戦:九十九vsアリオス。
九十九、勝利し、史上最年少統一チャンピオンとなる。
舞子、九十九と選手控室で「約束」を交わす。
九十九、ロサンゼルスの病院に入院。
8月30日 九十九、統一王座を返上。 『門』21巻P128に「(アリオス戦の)翌日」という猪熊のセリフあり。
8月末頃? 舞子の母、神武館館長代理を務めるため、(恐らく舞子と共に)日本に帰国。
9月11日頃? マッイイツォ、テディから九十九のファイトマネーの一部を預かる。 九十九の退院の前日(『門』21巻P185)。
9月12日頃? 九十九、病院から退院し、マッイイツォと共にニルチッイの元へ向かう。 『門』21巻P128に「(アリオス戦の)2週間後」という猪熊のセリフあり。
谷山と猪熊、日本に帰国。
ニルチッイ、九十九の腕の中で永い眠りにつく。
九十九、ブラジルへ向かう。
猪熊、カメラマンとして一本立ち。山口、谷山の新しいパートナーとなる。
9月下旬頃? 片山、山寺に籠もり、修練を始める。 ヴァーリ・トゥード開催の3か月前(『門』31巻P170)。
南洋竜、日本の文化に順応できず、角界を去る。 ヴァーリ・トゥード開催の3か月前(『門』24巻P18)。
US RWF シュートファイティングにて、ラモン優勝。
11月1日 第20回神武館全日本選手権開催。
陣雷優勝。
格闘マガジンの表紙には「11.1」の文字があり(『門』23巻P7)、講談社発行の「神武館 空手年鑑」の表紙には「(1989年の大会は)第18回」とある(『門』1巻P93)。
なお、余談ながら、全日本異種格闘技選手権の頃の格闘マガジンの号数は「vol.7」「vol.8」等と表示されていたが(恐らく数字は月数を示していると思われるので、月刊誌であろう)、この時以降は「12.5号」等のように月日の表示となっている。
11月下旬頃? 九十九とマッイイツォ、アマゾン、マナウス、ブラジリアを経てリオデジャネイロに到着。 『門』22巻P87に「(アリオス戦は)3か月前」というレオンのセリフあり。
九十九、レオン、ビクトル、イグナシオ、徳光と出会う。
12月10日頃? 九十九、砂浜で老婦人のバッグをひったくろうとしたアニータを止める。 『門』23巻P44に「(ヴァーリ・トゥード開催まで)2週間」というアニータのセリフあり。
12月20日 ビクトルの元にケンシンより連絡が入る。 ヴァーリ・トゥード開催の3日前(『門』31巻P207)。
12月23日 ヴァーリ・トゥード開催(1日目)。
10:00 *1回戦第1試合 ポール・アグース対ジュリオ・エンリケ。
アグース、勝利する。
選手名の中にはトーナメント表(『門』23巻P88〜89)のアルファベットを管理人がカタカナに直したものもあるため、正式な発音とは異なる場合がある。
*1回戦第2試合 トーマス・ムーアvsカルロス・ガルシア。ムーア、勝利する。
*1回戦第3試合 ロブ・クーマンvsジョージ・サンチェス。クーマン、勝利する。
*1回戦第4試合 ジミー・リンvsマウロ・セルジオ。リン、勝利する。
*1回戦第5試合 ペーター・ベルカンプvsザイード・メスバイ。ベルカンプ、勝利する。
*1回戦第6試合 ブラッド・ウェガリーvsエリック・メオラ。ウェガリー、勝利する。
*1回戦第7試合 九十九vsリカルド・マジーニョ。九十九、勝利する。
*1回戦第8試合 南洋竜vsマイク・ジョーンズ。南洋竜、勝利する。
*1回戦第9試合 ヤン・グーリッドvsトニー・ハークス。ヤン、勝利する。
*1回戦第10試合 ローター・ベルトルトvsジム・スチュワート。ベルトルト、勝利する。
*1回戦第11試合 ユーリ・サレンコvsルイス・エスクバー。ユーリ、勝利する。
*1回戦第12試合 ウイリアム・スミスvsマルシオ・ヤマモト。スミス、勝利する。
*2回戦第1試合 ラモンvsヤン。ラモン、勝利する。
*2回戦第2試合 イグナシオvsベルトルト。イグナシオ、勝利する。
*2回戦第3試合 九十九vs南洋竜。九十九、勝利する。
*2回戦第4試合 レオンvsスミス。レオン、勝利する。
*2回戦第5試合 ベルカンプvsリン。ベルカンプ、勝利する。
*2回戦第6試合 ムーアvsアグース。ムーア、勝利する。
*2回戦第7試合 ハリスvsクーマン。
ハリス、勝利する。
*2回戦第8試合 ウェガリーvsユーリ。ウェガリー、勝利する。
*3回戦第1試合 イグナシオvsラモン。イグナシオ、勝利する。
*3回戦第2試合 ハリスvsムーア。ハリス、勝利する。
*3回戦第3試合 レオンvsベルカンプ。レオン、勝利する。
*3回戦第4試合 九十九vsウェガリー。九十九、勝利するが、右目を負傷。
12月24日 ヴァーリ・トゥード2日目。
9:00 九十九、大マラカナンスタジアムにてイグナシオとの語らい。
11:00 準決勝第1試合 九十九vsイグナシオ。
九十九、勝利する。
準決勝第2試合 レオンvsハリス。
レオン、勝利する。
決勝戦 九十九vsレオン。
九十九、優勝する。レオン、死亡。
海堂と徹心、山を降りる。
九十九、満身創痍の状態で入院。左腕の靱帯を手術する。
12月31日頃? 谷山と山口、帰国。 ヴァーリ・トゥード終了1週間後(『門』31巻P177)。
1992年頃? 1月2日 飛田、RWFの試合に出場。 ヴァーリ・トゥード1日目から数えて10日後(『門』23巻P105)。
1月2〜3日頃? 九十九、退院し、マッイイツォ、案内役のウェガリーと共にケンシンのいるコロンビアへ出発。 谷山と山口が帰国して2〜3日後(『門』31巻P177)。
1月初旬頃? 舞子、九十九の夢を見る。 舞子が見ていた格闘マガジンは「ヴァーリ・トゥード特別増刊のあとの通常号」(『門』31巻P220)であり、その誌面には「1.15」の文字がある(同P218)。これは多分「1月15日号」という意味であろう。
実際の発売日は雑誌の号数よりも早く(号数より発売日が後になる事はまずありえない)、また谷山が12月31日頃に機内で書いた記事が掲載されている点等から考えて、恐らくこの号が出たのは年が明けてすぐ(1月の初旬あたり)だったと推測される。


伝説はまだ終らない・・・・