荒地に降る雪 (後編)

 

 


「あんた、旦那にきちんと礼を言っておきなせえよ。」

総悟はそう言って、近藤は泣いていた。

どうやらかろうじて、命は取り留めたらしい。

総悟の話によれば、銀時が簡単に応急処置をしてくれた上。

匕首が刺さっていていつものように切り伏せられなかった攘夷浪士が、再びこちらへ切りかかってきたのを木刀でぼっこぼこに(これは総悟がそう言った)してくれたらしい。

「あんたが生きてるのは、旦那のおかげでさあ。」

そういう総悟は、組内で一番狙われている『副長』を長時間一人にしてしまったことを珍しく反省しているようだった。

「とにかくトシ。絶対安静だからな。」

「平気だよ、近藤さん。」

「平気なもんか。」

半ば泣き落としのように責められて、仕方なくベッドに転がる。

けれど我慢出来たのは数日だった。

どうせ退院したら俺がやるんだろ?そういって書類整理だけでもさせてくれるように頼み込んだ。

病院を抜け出しても困ると思ったのかも知れない。

日々溜まっていく書類を見て、さすがにこれ以上溜められないと思ったのかもしれない。

条件つきではあったが局長の許可は出て、毎日山崎が書類を運んでくることになった。

一つ目の条件は絶対に無理をしないこと。

そして、もう一つはきちんと直るまで退院は我慢すること。

案外すんなり頷いた土方に『そんなに退屈してたのか?』と見当違いのことを言う近藤。

だがそうではない。

退院してしまったら、土方は現実を直視しなければならなくなる。

まだ、その勇気がもてないだけ。

あの日。

普通婚約のお披露目をしたら、その後は近所の人間や親戚連中と宴会に突入するものだ。

なのに、あの時間に銀時は一人で居た。

羽織袴を脱いで普段着で…。

多分、土方を探していたのだと思う。

こっちだっていい大人なのだから、マナーくらいわきまえている。

婚約した男に、それまでの関係がばれるような言動などしない。

せいぜい顔見知りのそっけなさを装う分別くらいはある。

けれどあの男の事だ。きちんと話をしなければと思ったのかもしれない。

そして、この命を助けてくれた。

見殺しには出来ないくらいには、気に入ってくれていたらしい。

もう、それで十分じゃないか。

元々長く続くはずもないとの覚悟はあった。それが自分が思っていたより少し早く訪れただけだ。

まだ少し気持ちの切り替えが出来ていないだけ。

多分身体が元に戻って気力も取り戻したら、何もなかった振りを上手くやるから。

だから、もう少しだけ猶予が欲しい。それだけだ。

 

 


江戸に出てきて、こんなにゆっくり出来たのは初めてじゃないだろうか?

萎えた筋力を戻すためにリハビリも始めた。

それでも変化の乏しい病院内では、時間の感覚がおかしくなっている気がする。

今日が何日なのか?今何時なのか?入院してから何日たったのか?

そんなことがだんだんと曖昧になっていく。

まるで四角いマッチ箱の中に閉じ込められているような…。

外の出来事をどこか遠い世界のように感じ、現実味が薄れていく。

自分と銀時の間にあったことや、銀時の婚約のことも本当にあったことなのか良く分からなくなりつつあった。

「………。煙草、吸ってくるか。」

病院内なら、自由に歩いて良いとの許可を貰っていた。

個室とはいえ病室内での喫煙は禁じられているので、煙草とライターを持って屋上へと上がった。

腰から脇腹にかけての部分を刺されたため、歩くのには多少の支障があった。

以前と同じように動けるようになるには、もう少し掛かるだろう。

それでもリハビリを兼ねて、エレベーターではなく階段を使ってゆっくりと屋上へと向かった。

ギイ、と重い音を立てて、鉄の扉が開く。

途端に寒気が流れ込んできた。

パジャマにカーディガンを羽織っただけの姿では寒かったろうか。

けれど、病室に戻ろうとは思わなかった。

完璧にエアコンで管理された院内の空気は、快適だけれど時に気分が悪くなる。

どれだけ冷たかろうと、外の空気は格別だと思った。

煙草に火をつけ、思いっきり吸った。ふう、と煙を吐くと。風に飛ばされて流れていく。

何気なくその煙を見送れば、空はどんよりと曇っていた。

ああ、今日も雪が降るかも知れない。

そろそろ、春の頼りが聞こえてきそうな時期ではあるが。

土方が入院してからも、何度か雪は降っていた。

そっと、手を差し出してみた。

…まだ降ってはいない雪。…けれど、土方の目には雪が見えるようだった。

頼りなく、すぐに解けてなくなってしまう雪。

自分の思いも存在も、なんとはかなくて頼りない。

しばらくすると、まるで差し出した土方の手に応えるようにちらちらと細かい雪が降り始めた。

ああ、さすがにこの服装ではまずいだろうか?

感覚が麻痺しているのか、それほど寒く感じないので土方に危機感はなかった。

「…風邪ひくよ。」

後ろから、何か暖かいものをかけられる。

そしてそのまま抱きしめられた。

………っ。

間違いようもない、彼の匂い。

「………ぎ……万事屋?」

名前を呼んだ弾みで煙草がポロリと落ちた。

「階段上がっていくの見かけたから。煙草持ってるの見えたし、多分ここだろうと思って。なのにそんな信じられないくらい薄着だし。」

土方の病室を探し、毛布を持ってきたのだという。

それらを、少しも腕の力を緩めることなく…むしろぎゅうぎゅう抱きしめながら話す。

「ど、うした?」

「お見舞いに決まってんだろ。随分入院が長引いてるみたいだから…。」

「…、総悟から聞いた。俺が生きてるのはお前のおかげらしいな。いろいろ、悪かった。」

言うべき事は先に行ってしまおうと、少し早口で礼を言うと。

いや。だか、うん。だか良く分からない声がして。

「あのさ。………違うから。」

突然の銀時の言葉に、本当に訳が分からなくてただ首を傾げた。

「あの日のアレ。」

「………っ。」

ドクンと心臓が鳴った。

考えないようにしていたのに、何も感じないように感情を封印していたのに。

無意識のうちに身体が逃げようとしていたのだろう、さらに強い力でぎゅうっと抱きしめられた。

「聞いて、多串くん。仕事だったんだ。」

「………え…?」

「彼氏役を頼まれたんだよ。」

詳しい事情は、はしょるけどさ。

あの店の爺さんが大病してさ、もうちょっと危なかったんだよ。あの時点でね。実はあの後亡くなったんだけどさ。

爺さんは息子夫婦を亡くしててさ、一人っきりの孫娘をそりゃあ可愛がって育ててたらしいんだけどね。

自分が死んだ後一人残されるのは可哀相だっていうんで、早く結婚しろってうるさかったんだって。見合いの話とか持ってくるしね。

けど、彼女の方は他に好きな男が居てさ。それとなく爺さんに話したけど『身分違い』ってんで反対されてたんだって。なんだよなあ、いまどき身分違いって。

それでも時間をかけて説得しようとは思ってたらしいんだけど。

そしたら、いよいよ爺さんの容態も危ない…ってなってさ、せめて安心させてやりたい…ってんで。

「ね、それで万事屋に彼氏役の依頼が来たって訳。あの日は、爺さんの前でそれらしく振舞って終わりだよ。だってあの場にいた人、店の人も親戚の人も近所の人も皆事情知ってたんだから。」

早口で事情を説明する銀時。

ようやく土方は自分が感じていた違和感の正体に気が付いた。

そうだ、あの場には神楽も新八も居なかった…。

本当に銀時が結婚するのなら、二人は必ずあの場に居たはずなのだ。

「…信じてくれた?…えっとね、だからさ…。」

銀時がそっと土方の身体を反転させ、自分の方を向けさせた。

土方の目の前には、真剣にこちらを見ている銀時の顔。

飄々としていつも余裕があるように見える銀時なのに。なぜか今は切羽詰ったような、困ったような顔をしていた。

めったに見ることの出来ないそんな銀時の表情に、今の話は本当なのだとようやく土方の心に浸透してきた。

「………っ。」

呼吸の仕方を忘れてしまったかの用に、息が詰まる。

苦しい、苦しい、苦しい、苦しい。

助けを求めるかのように、銀時の身体にしがみついた。

「……っ、と。多串くん!?」

弾みで落ちかけた毛布をとっさにキャッチし、自分にしがみつく土方を唖然と見る。

「…っ  う……く……。」

上手く呼吸が出来ない、苦しくて呻いた。

不安定な自分と銀時の関係に対する不安や。

自分は銀時に欠片も想われていなかったのだという辛さや。

もう会うことも触れ合うことも出来ないのだという喪失感。

三下の攘夷浪士にまんまと襲われてしまったふがいない自分を悔しく思うし。

なかなか元に戻らない自分の身体に対するもどかしい思い。

これから自分は銀時に対して距離を置かなければならないのだという絶望感。

今まで感じないようにしていた様々な感情が一気に土方を襲い、その苦しさに身悶える。

「……よしよし、…ゆっくり呼吸しろ。…大丈夫か?」

ひどく優しい声が耳元で囁かれる。そして、力強い手が背中をなぜる。

毛布の中よりもずっと、銀時の腕の中は暖かい。

その暖かさを感じて、ようやく土方の呼吸が落ち着いてきた頃。

「…十四郎…。」

「っ?」

初めて呼ばれた名前に、驚いて顔を上げた。

「あの時、呼んでくれて嬉しかった。俺もずっと…呼べたらな…って想ってた。」

「ぎ、ん…。」

「もっと呼んで、十四郎。」

「銀、時。……銀時。」

「うん。」

すがるように呼んでしまった名前に、嬉しそうに銀時が笑う。

ぎゅっと抱きしめられて、そっと唇が重なった…。

では自分は、まだこの腕の中に居てもいいのだ。

ようやく土方の胸の中に安堵感が広がっていった。

「ああ、もう反則。そんなキレイな顔で微笑わないでよ。」

「え?」

「ただでさえ、お前入院しててずっと会えてなかったんだからさ。本当は、体調も考えずにむちゃくちゃしたいくらいなんだぜ。」

「え?」

何を言っているのだこの男は。思わずかっと顔が赤くなるのが分かる。

「ああ、だからそういう可愛い顔しないの。頑張って退院までは我慢するからさ、早く治して出ておいでよ。」

こつんと額をぶつけられる。

どこか遠い世界のように感じていたモノクロの外の景色が、天然色で鮮やかに変わる。

ふと気づけば、冷たい空気、雪の匂い、外の喧騒が聞こえてくる。

「ああ、そうだな。早く戻りたいな。」

ようやく、そう思えた。

 


 

そして出来れば、いつの日にか。

自分が、こいつのつっかえ棒になれたらいいのに。………そう、思った。

 


 

 

 

 

20080216UP

END

 


自分が本当に辛いときにも、意外と冷静に対処できてたりする。
けど、それはちゃんと事態を受け止められているのではなく。
どこか、こう、感情の配線を切ってしまっているような…。あえて辛いことをどこか心とは遠くへおいておくような…。
そんな風にしてやり過ごす。
そんな時って、なんか時間の感覚はおかしいし。暑い寒いも良く分からない。
土方にとって、銀さんとの別れはそのくらい辛い…ってことで。あえて全体的に淡々とした感じにしてみました。
(08、02、18)

 

 




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