定まらない視界の中で、ようよう自分を組み敷く男を見上げた。
普段は『死んだ魚のような目』だと言うのに、こんなときだけなにやら真剣で…。
欲望を秘めた熱い視線を嬉しいと思うのに、胸に溢れているのは切なくなるほどの虚しさで。
泣きそうになる自分を押し留めるように、瞳を閉じた。
君の言葉を聞かせて
もともと顔を合わせれば、喧嘩の仲だった。
それがいつの間にか、オフの時に合えば一緒に酒を酌み交わすようになり。和やかに盛り上がることも珍しくなくなってきた頃…。
しいて言えば、二人とも酔っていた。
気分は盛り上がっていたが、共にそれほど酒に強いわけではない。
そろそろ互いに限界だと分かっていた。それでも、なにやら離れがたくて。
フラフラと街中を歩き回っていたときに、その看板が二人の目に飛び込んできた。
場末の安宿。
入ったときは別に相手とどうこうしようなんて思っては居なかった。
ただ、離れがたく、人目を気にせず腰を落ち着けて話せる場所であればそれで良かったのだ。
なのに気付けば、なぜか二人はベッドの中で熱を共有しあっていた。
不思議と嫌悪感はなかった。
そのせいか、以来時折身体を重ねた。
『自分は良い』と土方は思う。
認めるのは本気で悔しいが、なんだかんだ言ってこの目の前の男に惚れている。
世の中を突き放して見ているようでいて、自分を頼ってくるものにはつい手を貸さずには居られない。
さらに自分が庇護すると決めた相手のためなら、命を掛けることも厭わない熱さを持っている。
どうにも敵わない剣の腕もあいまって、反発と紙一重の複雑な恋慕を持っている。
けれど、こいつはどうだろう?
男なんか…ましてや自分なんかを抱いて何が楽しいのか分からない。
まあ、後腐れなくて面倒がないのだろうな…とは思うが…。
ただ、最中に幾分目が真剣になるほかは特にどうという変化もなく。『好きだ』といわれたわけでもないし、想っても居ないのだろう。
その証拠に、体中それこそ余すことなく唇を這わせるくせに、キスだけはしたことがない。
恋人同士でもない、ましてや男同士でキスも何もない…と思っているのだろう。
不器用な自分とは違って、器用な男はその気持ちの欠片すら掴むことをさせてくれない。
必死に隠しているつもりだけど、実はこちらの気持ちはばれていて、そこにつけ込まれているだけなのか…?
この頃は、それでも良いか…と思ったりもする。
伝えたところでどうせ受け入れられるわけもないのだから…。
「土方さん、ですかィ?」
先程あったサド王子の声を思い出す。
「あの人なら、今日はあそこですぜィ。」
珍しく幾分真面目な声で、土方の行き先を教えてくれた。
真選組の菩提寺。
実際には『菩提寺』と決まっているわけではないのだが、隊士が亡くなるとそこで葬儀を行い、その敷地の片隅に埋葬させてもらうのだそうだ。
時節の折に局長か副長が寺を訪れるのだという。
「え、お彼岸はとっくに済んだよね。」
「その頃忙しくて行けませんでね。ここへ来てようやく落ち着いたからって。」
そういって首をすくめると沖田は行ってしまった。
彼なりに思う所もあるのだろう。さすがにこんな日にはサボる気にはならなかったらしく、町なかに目を走らせながら遠ざかっていった。
「………。」
墓参り…ねえ。
『鬼』とか言われているくせに、隊士たちをまるで自分の身体の一部であるかのように大切にする。
そのくせ自分の身体に関しては無頓着なのはどういう訳だろう?
いったいどんな顔で墓参りをしているのやら。
しかしまあ、仕事が落ち着いたというのなら今夜あたり久しぶりに飲めないだろうか?
土方が行ったという寺の方へ足を向ける。
何の弾みでか…ってか酔った弾みなんだけど…。
生まれて初めて男を抱くという経験をした。
昔戦争に参加していた頃、周りではそういうことで熱や恐怖を発散する者も居たけれど、自分はとてもそんな気にはなれなかった。
あんな極限の状態ですらしなかったことを、この期に及んですることになろうとは思わなかったが。思いのほか心も身体も満たされて癒された。
普段きつい視線が潤んで柔らかく流れる。
口を開けば罵詈雑言が飛び出す口からは、かすれた甘い声が上がる。
思い出すだけでそれは背筋をゾクリとさせるような色香を漂わせていた。
けれど…どれほど行為に夢中になっているように見えても、絶対にこちらの背に手を回してくれることはない。
いつも白くなるほどきゅっとシーツを握り締めている。
男に抱かれたことなど無いと言っていた。
そんなあいつが何故自分に抱かれてくれるのかは分からないが、やはりどこかに完全に受け入れられない部分があるのだろうか。
身体だけなのだと、快楽を求めているだけなのだと言われているようで、いつもそれ以上強くは出られないで、居る。
『俺も行こうか?』という近藤を押し留めて一人で来た、過去に死亡した隊士たちの墓参り。
来れば涙もろいあの人のことだ。号泣してしまうのは分かっていたから。
寺の傍にある花屋で仏花を買い、一通りの墓参りを済ませる。
この墓の前に立つと己の未熟さを感じる。
何が『真選組の頭脳』だと吐き捨てたくなる。
自分が立てた作戦で仲間が死ぬことほど、悔しいことはない。
きちんと学校で兵法を学んだわけでもない、格別に頭が良い訳でもない。ただ、今まで狡賢く生きてきたから、目端が利くだけで…。
そんな自分に命を預けなければならない隊士たちには、いつも申し訳なく思う。
だからいつも一番前に出てしまうのだ。
せめて自分が盾になれればいいと思って…。
考えても仕方がないことだが、あの男なら…自分よりもっと上手くやれるだろうか?
ちゃらんぽらんに生きているようなのに、男の周りには人が集まる。
それだけ人を惹きつける何かがあるのだろう。
自分にはないものを持つ男。
憧れる、そして反発も感じる。
けれど、ふとした折に思い出すのは男の事。
あの髪に触ることが許されるのなら…。どんな手触りだろうとか。
いっそのこと好きだと伝えたら、同情でも受け入れてはもらえないだろうか?とか。
いや、やはり面倒くさいのはごめんだと言われるだろうとため息をついてみたり…。
『あの、……もうし……もうし……。』
不意に女性の声がした。
はっと振り向いたが、誰も居ない。あたりの気配を探っても人が居る風ではなかった。
もしやコレは…『ユ』のつく4文字のアレだろうか?
ギクシャクと歩を進める。
『あの…もうし!!』
すぐ後ろで声がした…気がした。慌てて振り返っても誰も居ない。
「う…そだろ…。」
ゾクリと背筋が震えた。
『わ…私…お願いが……。』
とっさに走り出していた。
寺の広い敷地を駆け抜け、石段を駆け下り表の道へと出た。
ここなら、まばらとはいえ人通りもある。
ほっと肩の力を抜いたとき、再び声がした。
『お願いでございます……どうか……あの方に……。』
ビクンと背が震えた。
誰か…と回りに視線をやるが、この声が聞こえているのは自分だけのようだった。
ふと、視界の隅に白いものが映った。あいつが、何故ここに…?
その姿を見つけたときに胸に去来したものはなんだろう。
喜び、戸惑い、温かいもの。そして自分の気持ちを告げてしまいたいという思いと、告げてしまってら迷惑だろうなあという諦めと…。
『ああ、やっぱりあなたですわ。』
今度は頭の中に直接響く声。そして、途端に流れ込んでくる彼女の想い。
ああ、なんだ。自分たちは一緒なのだ。
…それが彼女の最期の望みだと言うのなら…。
「いいぜ。」
そう口にした途端意識を失った。
ふと気付くと、寺の前に土方が立っていた。
私服の黒の着流しで、周囲に視線をやっている。
…何をしてるんだ?首を傾げつつも近づいていくと、こちらを見つけたらしい。
『よ』と手を上げようとして、唖然とする。
まるで泣いているような笑顔を浮かべてこちらを見ていた。
ドクンと心臓がなった。なんて表情(かお)しやがる。
そして、何か小さく呟いた途端、膝から力が抜けるようにその身体が崩れた。
「うおあっ!」
慌てて駆け寄って地面に激突する寸前にキャッチする。
「おい、多串くん?」
もともと、色素の薄い顔は紙のように白くなっていた。
おそるおそる鼻の下に手をやると、弱いながらも呼吸がありほっとする。
「多串くん!」
ペチペチと頬をはたくが反応がない。何がどうなってるんだ?
ざっと身体を見渡したところ、切られたような傷も無い様だし。
「よう、どうした?」
通りすがりの人が声を掛けてくる。
「あー、いや。貧血らしい。」
「救急車呼ぶかい?」
「いや、いいよ。家がすぐ近くなんだ。」
その男に少しだけ手伝ってもらって、土方を背負う。
真選組の副長が町中で倒れたなんて噂が広がったら、おそらくテロリストたちが動き出してしまうだろう。
私服で居てくれてかえって良かったかも知れない。
きっと、又無理をしたんだろうなあ。
以前会った時よりも痩せたように感じて複雑な気持ちになる。
仕事に命をかけるのが彼の生き方だ。
それに対して、どうこう言う事も、心配する権利も自分にはない。
ヨイショと背負いなおして、屯所への道を急いだ。
20080108UP
NEXT
ようやく連載開始です。
ヨロシクお付き合いください。
(08、06、29)