叶えたい事
前編
「ふう。」
早朝の万事屋の居間で、土方は起きぬけの一服を味わっていた。
10月の朝は思ったよりも冷える。
短くなった煙草を揉み消し、台所へと立った。
これから、この万事屋の主と居候の少女と、今日は早朝からやってくる予定になっている従業員の少年と自分の分の朝食を作らなければならない。
元々料理はそれなりに出来る。
けれど、いかんせん。食される量が多すぎる。
手際よく作業を進めていたが、出来上がったのは結構な時間がたってからだった。
奥の和室に入り、爆睡する男を踏みつける。
「ぐえええ。」
「起きろよ。」
「…っ、ひでえ。」
「起きねえのか?…なら、もう1回…。」
「ちょ、起きる起きる。」
慌てて上半身を起こした銀時。
起きたのなら良し、と土方が背を向けようとするのを足を掴んで止め、更に着物を引っ張って引きずり倒した。
「っ、てめ、何すんだ!」
「俺、今日誕生日なんだけど。」
「それがどうした!」
誕生日を理由に、夜中の12時を過ぎた途端さんざん無体な仕打ちをしたくせに。
「やっぱ誕生日の朝はおはようのチューでしょうが。」
「何を……んん…。」
無理矢理唇をふさがれる。
それでも。
『誕生日だから』を理由にねだれるようになった銀時を嬉しいと思う。
以前の銀時は誕生日に対して…というより自分の生というものに対してもっと冷めていたから。
「っ、ま、待て!」
調子に乗った銀時の手が土方の体をそっとなぞる。
「まあ、いいじゃん。」
「良くねえ!…もうすぐ…。」
「おはようございま〜す。」
玄関から新八の声がする。
「え、もう、そんな時間かよ。」
「メシも出来てる。もう、起きろよ。」
「ちえ。」
残念そうに土方の上からどく。
乱れた着物を直して土方も立ちあがった。
「あとは、チャイナだな。」
土方は居間の襖を開けた。
「チャイナ、起きろ。」
「んん〜〜〜」
もぞもぞと布団の中に潜り込もうとする神楽を引っ張り出し、肩に担ぐと土方はそのまま台所に向かった。
この家には洗面所がない。
土方は台所の流しの前に神楽を立たせて、水道の蛇口を開けるとその水で神楽の顔を洗ってやる。
「むう。」
流石に寝ていられなくて神楽はようやくしょぼしょぼと眼を開けた。
「…神楽ちゃん、おはよう。」
新八が苦笑しながら神楽にタオルを渡した。
「メシが冷めちまうぞ。」
「うお、ご飯?ご飯アルカ?…おお、そういえば良い匂いがするアル!」
「今よそうから。箸を並べとけ。」
「分かったアル!」
ピョンピョンと飛び跳ねる勢いで4人分の箸をひっつかむと居間へ駆けて行く。
その間に風呂場で顔を洗った銀時も、テレビをつけて朝のワイドショーを見始めた。
「運ぶの手伝います。」
「おう、悪いな。」
それぞれの食器にご飯やみそ汁、そして数種類のおかずが盛られていく。
「今日は朝から豪勢ですね。」
「…まあ、たまにはな…。」
「銀さんの誕生日ですもんね。」
「…まあな。」
数日前から土方の周りは大騒ぎだった。
どうしてもこの日に土方を休みにしろと、子供たちが近藤の所に乗り込んできたのである。
当然近藤も笑って頷きはしたのだが、それはあくまでも『何もなかったら』という前提条件がついてのことだ。
そこで、パトロールの強化をし、山崎率いる監察はあちこちの不穏分子の監視の強化を余儀なくされ。
土方は屯所にこもってたまった書類を処理させられた。
幸いテロリストたちは、このところ大人しく。土方は晴れて今日1日の休みを確保できたわけである。
「僕たちもがんばりましたから。」
稼ぎの良い嫁を貰ったので、坂田家は以前に比べれば食生活は格段に向上した。
しかし、土方は余分な金は出さないし、元より銀時もすべてを土方に頼る気はなかった。
顔の広い銀時は、こまめに知人たちに声をかけ、仕事を取ってくるようになったし。そうやって顔が売れてくればさらに人づてに仕事が舞い込むようにもなった。
以前なら面倒臭がって断っていたような細かい仕事もすべて受けるようにしたため、『万事屋』もそれなりに忙しい毎日を送っていた。
数日前に舞い込んだ大きな武家屋敷の屋根の修理の仕事も、本来ならまだかかるところを頑張って昨日のうちに終わらせたのだ。
それも、今日という日の休みを確保するためだった。
今日はこの後、近場にある森林公園へ行く予定だ。
そこは、自由に遊べる広い芝生や、プラネタリウム、竪穴式住居や古民家などの展示や、簡単なアスレチックなどがあり、それらが遊歩道で結ばれている広大な公園だ。
多くの樹木や草花が植えられている遊歩道を散策するもよし、芝生でのんびりするのもよし、園内の各施設を見学(体験)するもよしという、格安の入園料だけで1日過ごせる大変ありがたい公園である。
朝食を終えて、いざ出かけようとしたとき。
万事屋の玄関がガシャンガシャンと叩かれた。
「………。」
「ババアじゃ、ねえだろうな。」
「また家賃溜めてんのか?」
「……あ〜、あと1ヶ月分くらいか…?」
「手前……。」
呆れたように土方が溜め息をつくが、家賃取り立てもお登勢の生きがいで、銀時はそれを分かって溜めているのではないか…と思い始めてからは強く言わないでいる。
対応に出た新八が、困ったように戻ってきた。
「あのう、仕事の依頼なんですが…。」
「………。ま、話だけでも聞いてみるか…。」
「あ、あの、お届ものだそうです。場所はそんなに離れてないんですが…。」
「じゃあ、ちゃっちゃと届けてその後に行くか。」
「ただ森林公園とは反対方向なんですが…。」
「………。」
ゾロゾロと四人で玄関に出ると、顔面蒼白な女性が平たくて大きめの箱を持って立っていた。
話を聞くと、ギャンブルで借金を作った弟を救うために、母親の形見の着物を送るのだという。
「ヤクザの事務所か…。」
「すみません。本来なら私が自分でいくべきなのでしょうが…。」
「いや、懸命な判断だと思うぜ。」
土方の言葉に全員が頷いた。
女性の腹はふっくりと膨れ、その中に新しい命が宿ってることは明白だった。
「旦那は?」
「今、出張中なんです。今日中に届けないと弟の命が…。」
「その着物で本当に弟さんは助かるのか?」
「…正直分かりません。ただ、弟が以前からだらしない生活を送っていたのは本当です。母の元にも、母が亡くなると私や私の主人の元にも何度もお金を無心しに来ていました。もう、私達にも余裕はないんです。
この母の形見の着物を見て、弟が改心してくれたら良いのですが…。
もしも改心してくれなかったとしても………。もう、援助してあげられるのもこれが最後です。
だって、私たちは…。」
「新しく生まれる命を守ってやらなきゃなんねえしな。」
「ええ。届けてくださるだけでいいんです。そのあとのことは弟自身に任せます。」
きっぱりと言い切った女性は、相応の決意で母親の形見を差し出すことを決めたのだ。
しかし、それもこれも今日中にこの荷物を届けないと話が始まらない。
「………分かった。引き受けてやるよ。」
銀時の言葉に全員一瞬目を向いたものの、異を唱えるものはいなかった。
「銀ちゃん。本当にやるアルか?」
ありがとうございます。と何度も頭を下げて依頼主の女性が帰ると、神楽が幾分不満そうに言った。
「場所は本当にそんなに離れてない。届けてから森林公園に行けばいいだろ。」
「けどそれじゃ………。」
『誕生日の日に何か欲しいものとかやりたいことはないか?』と聞いた子供たちに銀時は『ダラダラしたい』と言って呆れさせたのだった。
『それじゃいつもと同じじゃねえか』と冷静に突っ込んだのは土方。
家の中で銀時をダラダラさせるだけでは、子供たちが何かしてあげたという実感を抱きにくい。そうかといってあまりお金のかかることはできない。
そこで安い入場料で1日のんびり遊べる森林公園に行くことになったのだ。
そして。
土方がいない時に、ふと銀時が『土方も休めればいいなあ』と呟いたのを神楽は聞き逃さなかった。
そこで子供たちは銀時の願いをかなえるべく、土方の休み確保のために真選組に圧力を掛けまくったわけである。
「断った方が良かったか?」
そう銀時が聞くと、両方の頬をぷっくり膨らせながらも神楽は首を横に振った。
自分たちが断れば先ほどの女性は自分で届けに行くだろう。
普通の飛脚屋では断られたか法外な料金を請求されたかしたのだろうと思う。そうでなければわざわざ万事屋に頼みに来たりはしない。
身重の女性に何かあった…なんてことを後に聞いたりしたら、あのとき受けておけば良かったと後悔することになるだろう。
だったら、今動いた方がいい。
地図で場所を確認し、さあ、出かけようとしたとき。
またしても玄関がガシャンガシャンと叩かれた。
「………。」
「………。」
「………。」
「………。」
「…オウン。」
黙りこくった4人に、どうしたの?と問いかけるように定春が鳴いた。
20111008UP
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