時間の速度 1
「ごめんなさい。当馬さん。」
「いや、いいんですよ。ミツバさん。まだ体の方が本調子じゃないんですからね。無理はしないことですよ。」
「ごめんなさい、本当に。せっかく江戸見物へ呼んでいただいたのに…。」
「いえ、私の方こそ…。体の弱いミツバさんを人の多い江戸にお呼び立てして…。」
車の後部座席。隣から柔らかな笑顔を貰う。
いったいどれくらい振りだろうか。
一人で実家に残って。
弟の総悟から送ってもらう仕送りで、治療に専念して。
静かな暮らしではあったけれど、年に1・2度帰ってくる弟を迎える以外には何の変化もない毎日。
一人ぼっちの毎日。
誰とも会わない日も、誰とも話さない日も珍しくない。
そんな変化の無い中、偶然出会った人が見初めてくれた。
小まめに電話をくれたり、訪ねてくれたり。
ミツバの体調が悪くなっても嫌な顔一つせず、笑いかけてくれる。
『結婚』という言葉が、この頃出始めている。
この人を信じても良いのだろうか…。
心の隙間にスルリと入ってきた人。
「きっと人が多くて疲れたんですよ。今日はもう帰って休みましょう。」
「はい。」
「………それにしても…。渋滞しているようですね。」
蔵場が前方の様子をうかがう。
「それが、……何か事故か事件が起きたようで…。」
運転手が困ったように言う。
「…まあ。」
「それでは仕方ないね。焦ってもしょうがない。規制が解けるのを待つしかないね。」
ふう、とシートに沈み込む蔵場にならい、ミツバも背もたれに体を沈めた。
本当に、良い人。
こんなことで、イライラと怒りだす人じゃない。
ふふ、あの人とは大違い。
記憶の中の面影を探す。
こんな時あの人だったら、きっとイライラして怒鳴り散らしたかも…。なんて。
ノロノロと動く車の流れに乗って、ミツバの乗る車も少しずつ動く。
と。
どか〜〜〜〜ん
「きゃ。」
「おや、爆発?ですか?」
2軒ほど先のコンビニが黒煙を上げていた。
「ああ、どうやら真選組が出ているようですね。」
「真選組?」
「総悟くん、いるでしょうかね?」
「ええ。」
今回の江戸行きは総悟には知らせていない。
ミツバに関しては心配し過ぎるほど心配性の総悟のことだ。
数度しか会ったことのない男性と、江戸見物なんて…。絶対に反対されるのに決まっている。
けど、せめて、元気でいる顔だけでも見れれば…。
そう思い、車窓から外を窺う。
「山崎!!道路封鎖だ!」
「はいよ!」
っ。
「原田、裏へまわれ!付近の住民を避難させろ!」
「はい!」
この…。
「くおら、総悟!おやつ食ってんじゃねえ!」
「あイテ。」
声…。
総悟の頭にげんこつをひとつ落としたのは…。
記憶の中のものよりもずっと大人びて。
けど、時折テレビでちらりと見かける。
その姿。
「トシ、人質は大丈夫かな。」
「人質に何かあったら、俺たちがすぐに突入することは分かってんだろ。犯人たちだってそこまで馬鹿じゃねえだろ。…多分。」
「た、多分!?」
「土方さん。ここはひとつ、店長には尊い犠牲になってもらいやしょう。」
「こらこらこら、バズーカーを出すんじゃねえ。」
阿吽の呼吸で会話が進んでいく3人。
まじめなようで、どこか人を食ったような表現で。
ああ、この人たちは、ずっとこうやってやってきたのだろう。
ミツバが一人ぼっちでいる間も…。
「ミツバさん。体調はどうですか?道路が閉鎖されてしまったので、しばらく動けそうにありませんよ。」
「え、ええ。大丈夫です。総ちゃんがちょうど見えるし。」
「ああ、本当だ。声をかけますか?」
「…いいえ…。お仕事中ですもの。」
「そうですね。」
心のどこかで期待していた。
江戸へ行けば、土方に会えるのではないか…?と。
久しぶりに会ったら、何かが変わるかも知れない…とも。
『ずっと手の届かなかった人が、こんな数mしか離れていない場所にいる…。』
その事実に気がついたとき、思わず両手を力いっぱい握りしめていた。
そうでもしなければ、この興奮を表に出してしまいそうだったから。
その時、女の子が土方の背後にとととっと駆け寄った。
少女はぴょんとジャンプする。
『あ、危ない。』
ミツバが声も出せずに見ていると、土方の背中が一瞬緊張し身じろぎしたがすぐに煙草を口から外す。
少女はその背中へ、がっちりと飛びついた。
「危ねえだろうが。」
「大丈夫ネ。」
「大丈夫じゃねえよ。道路閉鎖してあったろうが。」
「ジミーならむこうでミントンしてたアル。」
「こら〜〜!山崎!!歩道もちゃんと閉鎖しておけ!!」
「うわああ、はい!!」
「それからチャイナ。」
「何、アルか?」
「急に飛びつくな。煙草で火傷しても知らねえぞ。」
「大丈夫アル。フクチョー、ちゃんと気づいてどけてくれたアル。」
「ち。…とにかく、降りろよ。」
「いやアル。」
「そうだ、降りろこのアマ。」
「いや!アル。」
「今日こそ決着を…。」
「こら、総悟。今はそれどころじゃねえだろうが。」
いがみ合う総悟と少女。
あれは…。
思わずクスリと笑ってしまう。
自分が幼いころに、当たり前にしがみついていた背中。
道場での稽古の帰り道、無謀にも入り込んだ近所の山で道に迷った時…。
自分のものだと思っていたその背中を取られたようで、やきもちを焼いているのだ。
『総ちゃんもまだまだ子供なんだから…。』
すると、ミツバが乗った車の脇へ1台の原付がノロノロと近付いてきた。
「こらこら、神楽。あんまりそいつにくっついてると、妊娠すんぞ。」
「そうだ!妊娠するぞ!」
「てめえら!何の言いがかりだ!」
それまで子供相手ということで、幾分余裕を持って接していた土方がくわと目をむく。
「あれあれあれ、図星ですか副長さん。モテモテですからねえ、副長さんは〜。」
「言っとくがてめえがモテねえのは、俺のせいでも、その天パのせいでもねえからな!」
「え〜、じゃあ何のせいだよ。」
「そりゃ、てめえが人間失格だからだろうが。」
「んだ〜、そりゃあ!俺の人格全否定かよ!」
「どこに肯定できる部分があるんだよ。」
「く〜〜。てめえにだけは言われたかねえなあ。だいたいそんなに瞳孔ガン開きな奴人類じゃねえから!」
「んだとう!」
「あ〜、こらこら、トシ?」
「黙っててくれ、近藤さん。」
「そうそう、ゴリラは黙ってて。」
「近藤さんはゴリラじゃねえ!」
「あ〜。……ったく、お前ら本当会うたびに喧嘩してるな。」
ため息をついた近藤だが、『いつものこと』と笑っているようにも見える。
「んなことより土方さん。」
総悟が腕時計を見ながら土方に声をかける。
「んだ?」
「そろそろ夕方のドラマの再放送が始まっちまいますぜぃ。」
「やべえ。録画予約してくんの忘れてた。」
「俺もですぜぃ。」
「しょうがねえな。突入するか。」
言うなり、土方はいまだ背中にしがみついていた少女を降ろし、バイクの方へと押しやった。
「てめえは保護者んとこにいろ。」
「ええ!?特等席でみたいアル。」
不満そうに言いつつも少女は車の隣のバイクへと近付いてきた。
「配置は済んでるな。」
土方の声に、周辺の隊士たちから『ハイ』と返答が返り。無線機からも『住民避難完了しました。いつでも大丈夫です』と声が聞こえる。
「総悟。バズーカーは駄目だ。」
「ち。」
舌打ちしながら総悟がバズーカーを脇に置く。
「よし。」
土方がすっと息を吸い、あたりで同じようにコンビニを見つめる隊士たちを見回した。
「突入する!」
とたんに「おおおおおお!」と声が上がり大使たちがコンビニへと駆け込んでいった。
「突入したね。銀ちゃん。」
「お〜お。楽しそうに。」
「フクチョーは喧嘩大好きネ。」
「だなあ。」
「さっき言ってた再放送ってピン子か?ピン子アルか?」
「ああ、あれは違うよ。配置も済んだし、タイミングもいいし。そろそろ行くか…って感じで言っただけ。あいつが見てた再放送は先週終わったばっかだし。」
「ふうん?」
「あああ、あんなに店内荒らしちまって…。ジャンプは……無事じゃねえだろうな…。」
「ほかのコンビニへ行くしかないアルね。」
「はああ。」
溜息をつきつつ、白い着物にヘルメットをかぶった男がバイクのハンドルの上に頬杖をついた。
20090526UP
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