One night
夕食の後、寮の消灯時間までは自由時間となる。
『自由』とはいっても、自分のペースで過ごして良いと言うだけで、学校の外へ外出が出来るわけでもない。
風呂に入ったり課題をこなしたりしていると、それほど時間の余裕があるわけでもない。
それでも1年A組は結構仲の良いクラスだろう。
寮の共有スペースには常に複数の生徒が集まり、共に課題をこなしたりその日の演習を振り返ったりと切磋琢磨に余念がない。
出久も風呂を終えた後、共有スペースで数人と歓談中だった。
と。
― バンッ ―
遠くで音が聞こえた。…気がした。
「何か、今、音した?」
「…ような気がするんだけど…。」
「え、音なんかした?」
すると少しして。
― ドンドンドン ―
今度は先ほどより近くから聞こえる。
「…上?」
「2階の誰かじゃねえ?」
「僕、部屋見てみようかな…。」
2階に自室がある出久がソファから立ち上がった時、エレベーターの扉が開き、勝己が出てきた。
「デェクゥゥ!」
「ひ、」
先日大喧嘩をして一応の和解(?)をみたものの、長年植えつけられた恐怖心は簡単に払拭することは出来ない。
低い声で凄まれると思わず一歩引いてしまう。
「こんな所に居やがったか。」
「な、何?」
「担任に許可を取った。外出るから上着来て貴重品持って2分で戻ってこい。」
「へ?」
「早くしろ!」
「ま、待って、何事なの?」
「歩きながら説明すっから、とにかく急げ!」
「う、え、けど、もう夜だよ?」
「許可取ったつったろーが。動けねえんなら部屋の鍵寄越せ。でなきゃドア破壊すんぞ!」
「わ、分かったよ。」
出久がわたわたとエレベーターを使い自室へと上がっていく。
「何だ、どうしたんだ?爆豪。」
上鳴がヘラリ、と問う。
「うっせえ、手前らには関係ねえ。」
「そんな言い方ねえだろうが。」
切島は苦笑交じりに言うが、内心では『こりゃ駄目だな。』と思う。
長くもない付き合いだが、勝己が本気で拒絶している時の表情をしている。
こういう時は押しても駄目だ。
だが、そこまで読み切れない飯田が、
「爆豪くん。この時間から外出とは…。それに、緑谷君を巻き込んで。」
と、疑念を口にする。
ギッと勝己が飯田を睨み付けたとき、ブブブとスマホのバイブ音がした。
「ち。」
舌打ちしつつ勝己が出る。
「ウゼェ。今、寮を出るところだ。……うるせえ!クソババア!こちとら寮や学校を出るだけでも許可がいんだよ!……分かってる。駅の反対側のでかい所だろ。……受付行きゃあいいのか?5階?…ああ、時間外か。……分かった。」
勝己が電話を切ったところへ出久が戻ってきた。
「上着と貴重品、で良いんだよね。」
「クソデク。…何でリュックに入れるほどの荷物になんだよ!」
「へ?」
財布やスマホを秋物のジャンパーやズボンのポケットに突っ込んだだけの身軽な勝己に対して、出久はいつもの黄色いリュックを背負っている。
周りで見ていた男子もこの点だけは勝己に同調すると思いつつ、まあ緑谷だしなと苦笑する。
「あ゙あ゙、いい!行くぞ!」
「うん。…で、どこへ行くの?」
「歩きながら説明する!」
二人は慌ただしく寮を出て行った。
「……で、どこへ行ったんだ?」
「さあ?」
その場にいた者たちが、首をひねる。
何となくもやっとした気分を抱えていると、5分ほどして相澤とオールマイトがやってきた。
「爆豪と緑谷はもう出たのか?」
「さっき台風みたいな勢いで出て行きましたけど。」
「緑谷少年の様子はどうだったかな?」
「緑谷?なんか訳も分からず連行されていきましたけど。」
「…ああ、先に用意させて後から伝える…か。合理的だ。」
「何かあったんですか?」
「緑谷少年のお母さんが倒れられてね。」
「え!?」
「過労ということとだから、特に重篤な病気といというわけではないのだが…。」
「過労…。」
「それはそれで心配ですね。」
「うむ。緑谷少年のお母さんは大変少年のことを心配していらしたから…。そういう心労もあったのかもしれない。」
しん。とその場が静かになる。
「で、何で爆豪が?」
「ああ、爆豪の母親は緑谷の母親と仲が良いらしいからな。」
「は?」
「子供たちはあんななのに?」
「あんななのに、だ。真っ先に駆けつけて、入院の手続きやら学校への連絡やらをしてくれたんだ。」
「へえ」
「原因が緑谷に対する心労なら、早く息子の顔を見せてやったほうが良い。が、時間も時間だし、今から一人で外出させるわけにもいかないからな。」
全寮制になった目的を考えれば一人で夜間に外出などさせられない。
「けど、だったら爆豪より飯田とか轟とか仲の良い奴のほうが良かったんじゃねえ?」
「病院は二人の地元の病院だし、面会して落ち着いたら爆豪の家に泊めるとか言っていたし。そのほうが母親のいない自宅で一晩過ごすより緑谷もいいだろう。」
「泊める?爆豪の家に?」
「幼いころは良く互いの家で泊まりあってたらしいぞ、母親が言うには。」
「マジかよ!」
「アイツら、本当に幼馴染なんだな!」
「ねえ。かっちゃん、どこ行くの?」
「ちょっと待て、電車の時間まであと5分だ。先に乗っちまうぞ。」
「うぇ、うん。」
地図上で見れば雄英高と駅はそれほど離れていないのだが、何しろ学校の敷地があまりにも広大なため、その片隅にある寮から駅に行こうとすると意外と距離があるのだ。
走るという程では無いもののそれなりの早足で駅まで歩き、勝己の目的としていた電車に無事乗り込むことが出来た。
帰宅時間からはズレている為、電車は割と空いていた。
二人並んで座席に座る。
はあ、と出久は小さくため息をついた。
「で?」
「ああ。おばさんが倒れた。」
「は?」
「今、折寺総合病院に入院してる。」
「ちょ、本当なの!?」
「うちのクソババアから連絡があった。過労だとよ。」
「過労…入院?」
体中から血の気が引いた気がした。座っていなかったらフラ付いていただろう。
「過労って、何?…何か…。」
「多分、心配しすぎたんだろ。」
「!?」
唖然と勝己の顔を見返す。
「…僕のことを?」
「他にねえだろ。」
「…それで倒れた?」
「多分。…とクソバアアが言ってた。」
「おばさんが…。」
ならば間違いはないだろう。勝己の母親は出久の母親の一番の親友だ。
「え、ひどいのかな。入院ってどれくらいなんだろう。大変な病気ではないんだよね。…っと、僕何も持ってきてないけど良いのかな…。」
「落ち着け、デク。」
勝己の声が出久を宥めるように、いつもより低く響く。
「入院の手続きとか、何か入用なものはクソババアがやってくれてる。」
「へ…あ、うん。」
「乗り換えだ、降りるぞ。」
「うん。」
うん、と返事をしたものの、うまく立ち上がれないでいると、グイと腕が引っ張られた。
「かっちゃん。」
強引に立たされ、歩かされる。
足をもつれさせながらも、何とか歩き出した。
ホームを歩き、階段を上る。
ふふ。そんな場合ではないのに、小さく笑いが込み上げる。
勝己に手を引かれて歩くなんて何年振りだろう。
視線を上げれば、憧れ続けた背中がある。
少しだけ力を込めて手を握り返したら、勝己がジロリと睨んできた。
怒鳴られるか、爆破されるかと首をすくめたが、小さな舌打ちだけでスルーされた。
つないだ手はそのままに、乗り換えた路線を地元までたどる。
地元の町で一番大きな病院へ向かい、時間外用の入り口から中に入る。
「5階だとよ。」
「う、うん。」
なんだか足元がフワフワする。
エレベーターに乗り込んだ。
「顔。強張ってんぞ、クソが。」
「だって。」
「過労なんだから、ゆっくり休みゃあ治る。」
「………。」
「ついでに手前ェの顔見りゃ…」
「かっちゃん。」
「安心すんだろ。」
「………。」
「笑えてりゃあな。」
「うう。」
その時ぐっとつないだ手を握られた。それまでは出久が握ってくるから仕方なくという感じだったのに。
『しゃんとしろ』そう言われてるのだと思った。
チンと軽い音がして、5階につく。
「ありがと、かっちゃん。もう大丈夫。」
出久が手を放すと、フッと小さく笑った勝己はスタスタと廊下を歩いていく。
うわあ、かっちゃん笑った。超レアなもの見た。
出久の顔も思わず緩む。
けど、それも病室の前に着くまでだった。
扉の脇にある名前のプレートを確認して『ここだな』と勝己が言ったとき、思わずビクンと肩が跳ねてしまった。
「まだ手ェ引かれなきゃ歩けねえか?クソデク。」
「だ、大丈夫だよ!」
扉を開けて、中に入った。
時間外なのでそっと歩を進め、プレートに名前のあった場所、一番奥の窓際のベッドに向かった。
「あ、出久くん。」
勝己の母親がベッドを仕切るカーテンを開けて顔を出した。
「ほら、出久君、来たわよ。」
「出久………。」
ベッドからは弱々しい母親の声。
「お母さん、大丈夫?」
「ごめんね、出久、心配かけて。」
「ううん。」
母親のふっくらした手を握る。
けど、なんだか前より少しだけ痩せたみたいだ。
普段から口癖のように『ダイエット』を言っている母親だが、こんな痩せ方は歓迎できない。
「僕が心配かけたからだね。ごめんね。」
「出久。」
「でもね、この頃は本当に大丈夫なんだよ!怪我とか全然してないし!そ、それにね。この間ちょっと変わった先輩と会ったんだ。」
「先輩?」
「そう、男の先輩なんだけど『透過』の個性を持ってて、体がいろんなものをすり抜けちゃうんだ。それがね、個性の加減を間違えると服も通りぬけちゃって。」
「まあ。」
「上半身はまだいいけど、パンツも通り抜けそうになっちゃって、クラスの女子が大騒ぎして逃げたりしてね。」
「ふふふ。」
「来月になったら文化祭もあるって。今年は一般公開はしないかもって言ってたから、もしかしたらお母さんたちに見てもらえないかも知れないけど、今からクラスで何やろうかって相談してるんだよ!」
「そうなの。」
ようやく母親の表情が落ち着いた気がして、出久もほっとする。
後ろの方では、勝己と母親が話をしていた。
そちらはそちらで久し振りの親子の会話があるのだろう。
「あら、ふふふ。」
「え、なに?」
「出久に手を握ってもらっちゃって、これじゃどっちが親か分からないわね。」
「何、言ってんの。」
ふふと笑い返しながらも、母親と手を握るのもそういえばずっと無かったなあと思う。
「ね、出久。」
「ん?」
内緒話をするように声が顰められたので顔を近づける。
「出久の手から甘い匂いがするわ。」
「へ?」
「勝己君に手をつないでもらってきたの?」
「あ、え、と。」
「ふふ、何年振りかしらね。出久が小さい頃は、いっつも出久の手からこの匂いがしてね。『ああ、また出久泣いちゃって、勝己君に手を引っ張られて来たんだろうな』って思ってたのよ。」
「へ?」
「また、仲良く出来てるのね。良かった。」
にっこりと笑う母親に、『実はいまだに微妙なんです』とは言えなかった。
「じゃあ、もう、面会時間過ぎてるし、いったん帰るわね。」
と勝己の母親がいう。
「ええ、ありがとう。爆豪さん。」
「いいのよ。出久君今夜家に泊めるから安心してね。」
「へ?」
「は?」
「あと、明日学校へ戻る前にもう一回顔出させるし。」
「ふふ、本当に何から何まで。ごめんね。」
「いいのよ。じゃ、行こうか。」
「勝己君も、ありがとうね。」
「……っス。」
そっと廊下に出てから。
「あの、泊めてもらうとか、聞いてないんですけど!」
「デクを家に泊めるって?…つうかこの後寮に戻るんだと思ってたわ!」
「うるさい!ここ、病院よ!」
「静かにしてください!」
ナースセンターの方から叱責の声が飛ぶ。
「あら、いけない。」
全く悪びれずに勝己の母が首をすくめた。
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