One night
「外泊のことは学校に連絡済みよ。勝己に外出許可取って出て来いって言った後、せっかくだから一晩泊まって、明日の朝もう一度面会してから学校へ戻ってもいいかなって思い直して、改めて学校に連絡いれたのよ。そうしたらオールマイトが出てね。」
「電話にですか?」
「そう。」
「何してんだ、あの人は。」
「入寮の説明の時、緑谷さん一旦は反対したんですってね。」
「あ、はい。」
「それを無理に頼み込んでしまったって気にしてたみたいで、『是非しっかり安心させてあげてください』って言って下さってね。」
「…そうですか。」
「緑谷さんが入院しちゃってるんですもの、出久君家に帰っても一人になっちゃうし。今夜は家に泊まればいいでしょ。」
「あの、一晩くらい一人でも…。」
「あら、駄目よ。相澤先生に言われてるもの。『二人一緒ならということで外出許可を出したから、決して一人にはさせないように』って。」
「ち」
おそらくは、そう言えば出久は泊めてもらいやすいし、勝己は断りにくいと踏んでのことだろう。
少し前の大喧嘩でだいぶ関係は落ち着いたとはいえ、『仲が良い』とはまだ決して言えない二人。
もう少し距離を縮めて来い…という事なのかも知れなかった。
勝己の母親の運転する車で家へと向かう。
出久は内心、寮で風呂を終えていて良かった。と思った。
夜着は勝己のものを借りることになったものの、風呂がまだだったら下着も…ということになっただろうが、さすがに下着を借りる気にはなれない。
…となるとコンビニで買うか、家に寄ってもらって着替えを取りに行くか…。
なんだこれ、彼氏の家にお泊りする彼女か?
勝己の家に着くと勝己の父親はすでに帰宅していた。
「おかえり。」
にっこりと暖かい笑顔で迎えてくれてほっとする。
「緑谷さんは、どうだったんだ?」
「うん。出久君見て、ずいぶん落ち着いたようよ。」
「それは良かったね。」
「あの、おじゃまします。」
「はい。出久君、久しぶりだね。ゆっくり休んでいってね。」
「はい。ありがとうございます。」
「勝己。」
「おう。」
「おかえり。」
「おう。」
母親には反発する勝己も父親に対する態度は割とソフトだ。
母親に言われ、勝己の部屋に出久用の布団を敷く。勝己のベッドにもシーツを敷きベッドメイクをする。
勝己の部屋に入るのは子供のころ以来ぶりだ。
当時は割と普通の子供部屋だったと思う。
ヒーローグッズもいくつか置いてあったし、当時流行ったアニメやゲームのグッズもあったように思う。
けれど、今は、日用品を寮に持ち込んでいることを差し引いても、シンプルで男っぽい部屋だと思う。
「ああ、クソ、何もねえな。」
「え?」
「トレーニンググッズ。全部寮だ。」
「あ、うん。」
「今夜は仕方ねえか。」
ため息をついて部屋を出る勝己に続いて、出久も出る。
トントンと階段を下り1階に戻ると、勝己の両親はこれから夕食のようだった。
「出久君も何か食べる?」
「いえ、寮で夕食は食べたので。」
「じゃあ、リビングでテレビでも見たら?勝己、何か出してやりなさい。」
「ち。」
舌打ちしつつも冷蔵庫から2リットルのお茶のペットボトルを出し、食器棚からグラスを2つ持ってくる。
「座れや。」
「うん。ありがとう。」
テレビの前のソファに座る。
お茶とグラスをローテーブルに置くと戸棚を物色し、数種類の菓子を出してくる。
ドサリと出久の隣に座ると、リモコンを操作する。
ピッピッといくつかの番組をザッピングしたが、結局はニュース番組に落ち着いた。
自身の前のグラスにお茶を注ぐとペットボトルを出久に渡す。
「ありがと。」
受け取ってもう1コのグラスにお茶を入れる。
ニュースでは、今日活躍したヒーローを取り上げていたが、特に大きな事件もなかったようで、サラリとした紹介だった。
物足りなさは感じつつも、けど、平和なのが一番だよねと思っていると。
「風呂。」
と言って勝己が立ち上がった。
勝己は寮ではたいてい風呂に入るのは一番最後のグループだ。
夕食後、課題を済ませ、トレーニングとジョギングをこなした後に入るとそうなるのだ。
寮の風呂は常にお湯が足されているので、いつ入ろうがきれいなお湯につかれる。
でなければ、潔癖症の気のある勝己は風呂には入れなかったかも知れない。
「そのクッキー、美味しいかい?」
夕食を終えたのだろう、勝己の父親がビールの缶を持って隣に座った。
「あ、はい。」
「貰い物らしいんだよね。」
と言ってから、小さく笑う。
「僕はそういうの、遠慮しちゃって開けられなくてね。けど、勝己は見つけたらガンガン開けるんだよ。」
そういえば先ほども、クッキーの缶の縁についているビニールを取り外していた。
「勝己が開けてくれないと…どうにもね。食べたいお菓子も食べづらくて…。あ、決して開けたら怒られるわけじゃないんだけどね。」
そう言って、勝己の開けたクッキーを一つ口に運ぶ。
「美味しいなあ。」
「ふふ、はい。」
頷きながら、ふと思う。
今、寮で生活しているクラスメイト達。
彼らの家でだって、多かれ少なかれ同じようなことが起きているのだろう。
子供がいないことの違和感、不具合。そういうものを感じるたびに子供が家にいないことを実感する。
それを、他の家族と共感しあったり、慰めあったりすることで、心の平穏を保つ。
けれど、出久の家は母子二人きり。
出久がいないことの影響はとても大きいのに、それを紛らわす所がなかった。
あるとすれば勝己の母に対してなのだろうが。
多分。…と出久は想像する。
子供を敵に誘拐されていながら、尚、雄英に預けるという決断をした勝己の母に、愚痴はこぼせなかったのだ。
自分よりももっと大変な思いをして、決断をしただろう人に、『寂しい』とか『心配』とかそんな小さなこと言えない、と遠慮してしまったのだろう。
しばらくポリポリとクッキーをつまみながらテレビを見ていた。
「すまなかったね。」
「え?」
「僕たちだって寂しいんだ。緑谷さんはもっと寂しかったろうにね。気付いてあげられなくて。」
「いえ!そんな!」
「そこで、提案なんだけどね。」
「は?」
「ラインっていいよね。」
「え?」
「毎日じゃなくてもいいんだよ。別に用事なくたってさ。変なスタンプ1コ送るだけでいいからさ。送ってあげてよ。」
「てめえ、クソ親父!自分のウザさを誤魔化すな!」
「かっちゃん!?」
ふろあがり。首にタオルをかけた勝己が父親を睨み付ける。
「毎日毎日ライン送ってきやがって、彼女か!」
「だって寂しいんだよー。それに、いつも勝己は既読スルーじゃないか。」
「『行ってきます』『ただいま』に一々返してられるか!」
けどきっと、ラインでその文を読んだ時、心の中では返しているのだろう。
さっき言っていたように『おう。』って。
「それに!こういう菓子もちゃんと自分で開けて食え!賞味期限切れんだろうが!」
「あ、うん。そうだよね。食べられなくなっちゃったらもったいないよねえ。」
「菓子開けるためだけになんて、帰ってこねえからな!」
「うるさい!何時だと思ってんのよ!」
「手前ーの方がうるせえわ!クソババア!」
「母親に向かってクソババアとは何よ!」
母親がベシッと勝己の頭を叩く。
そんな二人を嬉しそうに父親が見ている。
ああ。勝己の怒鳴り声が無いと、きっとこの家はとても静かなのだろう。
「二人ともそろそろ寝なさい。」
「はい。」
先に歩く勝己についていけば、洗面所だ。
洗面台に付いている引き出しから薄いビニール袋に包まれた歯ブラシセットを渡される。
「親父が出張のとき、ホテルのアメニティ持って帰ってくんだよ。減らすの手伝え。」
「ふふ。こういうのって意外とたまるよね。」
何か今日は勝己が親切だ。
母親のことを心配している出久を想いやってくれているのか。
久しぶりの実家で安心しているのか。
それともあまりにも久しぶりに出久が泊まっていくという事態に戸惑っているのかも。
二人は歯磨きを終えて勝己の部屋へ行く。
時間的にはいつもの就寝時間より少し遅いくらいだが。まだ眠くはない。
日常とは違う事態に気持ちが興奮しているのだろう。
だが、頭の真ん中みたいなところが重く痺れている感じはあって、疲れてもいるのを感じる。
差し出されたスウエットに着替える。手も足も少し余る。クソッ。
明日はいつもよりゆっくりでいい。
午前中、病院で、本来はまだ面会はできない時間なのだが特別に会うことを許された。
患者の心労が子供を心配してのものであるからこその配慮だろう。
面会してから登校すれば良い、とのことだった。
「お母さん大丈夫かな。」
自分が寮へ戻ったら又一人になってしまう。
「多分、まだ『切り替え』が出来てねえんだろ。」
「『切り替え』?何の?」
「…覚悟…?」
「?」
勝己はベッドサイドのスタンドの灯りをつけた。
「部屋の電気消せ。」
「あ、うん。」
出久が入り口にあるスイッチを押し、灯りが消えた。
勝己がベッドに座ったので、出久も自分用にと敷かれた布団の上に座った。
「おばさんはお前が無個性だと診断されてから、10年かけて無個性の手前と生きていく覚悟を固めてたんだよ。」
「…!」
「それはそれで、結構な覚悟だったと思うぜ。」
「………。」
「よっぽどの物好きでなけりゃあ、いまどき無個性の男と結婚してくれる女もいねえだろうしな。就職だって職種によっちゃ制限されるだろうし。」
「………。」
「なのに手前は『ヒーロー』『ヒーロー』言ってっしな。」
「それは!」
「個性持った今なら分かるだろ。前の自分がどれだけ無謀なことを言ってたか。」
「…分かる…けど。」
個性がありさえすればなれるというものではない。
ワン・フォー・オールという最強の個性を受け取った今でも、もがいているのだから。
「今更言うことじゃねえが、やりようはいくらでもあったろうがよ。」
「へ?」
「体作って格闘技を極めるとか、銃やナイフ…はガキじゃ無理か…パチンコやダーツ辺りの腕を磨くとか…そうやって何か特技を身に着けてそれをさらに生かせるような装置…みてえのを開発するとかよ。剣道や弓道も使えそうだよな。」
「…かっちゃん?」
「そうやったところでヒーローになれるかどうかは分からねえけど。中学までの手前よりはナンボかマシだろうがよ。」
「そ…だね。」
無個性だからと一番出久を縛り付けていたのは、出久自身だったのかも知れない。
「ヒーローになりてェと言いながら、なにもしねえお前をおばさんは一番そばで見てきたんだ。多分、給料は安くともとにかくなにかキチンとした職業についてくれれば良い。結婚は出来ないかもしれないから、自分の体が許す限り頑張って面倒見よう。二人で一緒に生きて行こう。…って感じだったんじゃねえかと思う。」
「そう…かも。」
「それが、急に個性出た。ヒーローになる。雄英に入った。連日大怪我。…じゃあ、な。」
「そうかもしれないけれど…。」
まるで今の自分を否定された気がして焦る。
個性を得たことを、母親だって喜んでくれていると思っていたのに。
「お前、どうせ浮かれてて心配するおばさんに『平気』『大丈夫』『心配しないで』くれェしか言わなかったんじゃねえの?」
「う。」
『お母さんもうイヤだよう』そう言われたのは何の時だっけ。
あのとき自分は何と返した?
覚えていないことこそが、母親の心配をないがしろにしてきた証しなのだろう。
「それでもまだ毎日家に帰ってるうちは良かったんだろう。自分の目でお前の様子を確認できた。けど、寮に入ってからは様子が全く分からねえ。」
「う…ん。」
「確かに最近は俺とやりあった時の怪我ぐれェで大きな怪我はしてねえ。けど、安心出来る材料であるそれも分からねェ。」
「……仮免取れたことは伝えたよ!」
「馬鹿じゃねェ。そんなのおばさんにはどうでも良い事だろ。」
「ど…どうでもいい!?」
「無個性の母親なめんな。おばさんは多分、雄英除籍になろうが、ヒーローになれなかろうが、ケロッとしてるぞ。」
「まさか!」
「絶対だ。おばさんの人生設計の中には『ヒーローの母親になる』ってのは入ってなかったからな。」
「………。」
「だから、今、切り替えてんだろ。」
「………。」
勝己のいう事はとても納得できた。
けれど、なんだか自分ばかりが責められているようで素直に頷きたくは無かった。
「かっちゃんは?かっちゃんだってヒーロー志望じゃないか。」
自分だって親に心配をかけているはず。
はっ。と笑った勝己は馬鹿にするように出久を見た。
そういえば、こういう感じの目線を送られるのも久しぶりだ。
「俺とお前じゃ違うだろ。俺は4歳でちゃんと個性が出た。それも思いっきりヒーロー向きのだ。それからずっと個性をコントロールするために努力もしたし、体も作った。ヒーローになりたいからだ。」
「………。」
「高校は雄英に行くって小学校の頃から決めてた。勉強もした。そういう俺をババア共はずっと見てたんだぜ。」
「…っ。」
「雄英の体育祭1つとったって見方が違げェだろうが。」
出久の母親は出久が好きで見たがるからと一緒にテレビを見ていたが、出久がそこに参加するかもしれない可能性など全く考えず、ただ数ある番組の一つとして眺めていたのだろう。
けれど、勝己の両親は将来勝己があそこに参加することを前提として見ていた。
個性を使って障害をクリアしたり、戦って怪我をしたり、それもあり得るのだとずっと覚悟をしていた。
敵に誘拐されたのはさすがに想定外だったろうが。
それでも、もともと覚悟はできていたから。
今更雄英をやめさせたところで、勝己が大人しくしている訳も、敵が見逃してくれる訳でもないことは分かっている。
だったらこのまま雄英に在籍し、立派なヒーローにしてもらえば良い。
そう考えられるだけの覚悟はすでにしてきたから。
「だからまあ、おばさんの覚悟がちゃんと切り替わるまでは気を付けてやれって話だ。」
「うん。何か今日はかっちゃん優しいね。」
「はっ、バカか。おばさんが倒れるたびに俺までとばっちりを喰らうから言ってんだろーが。今日のトレーニング出来なかったんだぞ。」
「ふふ…うん。」
出久が笑ったとき。
「ちょっと、あんたたち!まだ起きてるの?早く寝なさい!」
廊下の向こうから声がかかる。
「ち。」
舌打ち1つして勝己がベッドに潜り込む。
出久も布団に入った。
「お休み、かっちゃん。」
返事は無かったけれど、出久は穏やかな気持ちで目を閉じた。
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