やさしい笑顔を

 

 

 

「ああ、ハボック少尉。」

「はい?」

 自分の机の上を片付けていると、ホークアイに声を掛けられた。

「少尉はもう上がりよね。」

「はい。」

 まさか、追加の仕事じゃないよな。と少々警戒しつつ返事をする。

 昨夜夜勤だったので、今日は午前中で上がりだ。そのうえ明日は久々の非番。今日はゆっくり休んで、明日は彼女に連絡をとって会おうかと思っていたのだ。

「今日、トウエン少尉がお休みだったでしょ。」

「あ、はい。やっぱりって感じっスよね。」

 数日前から、時折咳き込んだりしていた同僚。昨日巡回の帰りに小雨に降られていた。

『大丈夫』と言っていたが…。とうとう力尽きたらしい。

「彼女、一人暮らしだし。朝、電話を受けた子は本当に辛そうだったって言うのよ。悪いけど、ちょっと様子を見に行ってあげてくれないかしら?」

「え?俺がっスか?」

「ええ、私が行けるものなら行きたいのだけれど…。」

「ああ、大佐の仕事。溜まってますしね。」

「そう。目が離せないのもあるけれど…。ご自分で行くって言い出さないとも限らないでしょう?」

「ですね。」

 彼女、リアーナ・トウエン少尉はマスタングのお気に入りだ。

「分かりました。行ってきます。」

「彼女、頑張ってしまう人だから。もしあまりひどい様子だったら、こちらに連絡をいれてくれるかしら?」

「はい。…まあ体力はあるんで、大丈夫だと思いますが。」

「そうね。けど、彼女はれっきとした女性よ。あなたと違ってね。」

 

 

 私服に着替えて、買出しをする。

温めればいいだけの食材や果物を買い、万一無かった時のことを考えて風邪薬も買って、何度か訪れたことのあるドアの前に立った。

 訪れたことがあるとは言っても、このドアの前までだ。一緒に飲みに行った帰りに送り届けたことがあるだけ。中に入ったことは無い。改めてドアの前に立つと、そういやどんな部屋に住んでいるのだろうなんて、ふと思ってみたりして。

 そういえばここって、今の彼女の家と近いよな何て辺りを見回してみたり。

“ピンポーン”

 チャイムが鳴る。中で何か動いた音はするが、出てこない。もう一度鳴らす。

 ガタンと明らかに音がした。…もう一度。

「はい、はーい。…誰?」

 ドアの向こうから聞きなれた…けど、随分とかすれた声が聞こえた。

「俺ー、生きてるか?」

「ハボック?」

 ガチャン、ガチャンと音がしてドアが開く。偉い偉い、ちゃんと二重の鍵にしてんだ。

「どうしたの?」

「見舞い。」

 ほらよっ、と買ってきたものを渡す。

「…っ、ありがとう。」

「大丈夫なのか?ちゃんと寝てるか?…熱は?」

 取り敢えず、額に手を当てる。

「……高けーな。」

「はは、実はさっきからメリーゴーランド乗ってるみたいで。世界が回るのよ。」

「うおう。起きてくんな。つーか、寝てろ。」

 一度預けた紙袋を取り返し、二の腕を掴んで引きずるようにベッドへと向かった。

「…乱暴。」

 一応病人よ、と眉をひそめる。

 ベッドにちょこんと腰掛けた姿に不覚にもドキリとする。

 いつもアップにしている栗色の髪を下ろしている。丈の長い形のパジャマの上着だけを着ていて、素足にスリッパという姿はやたらかわいらしく、普段のキリリとした感じと違って女性らしい。

 そういえば、と部屋を見回す。ぬいぐるみなどは無いけれど、木目調の家具と色の明るい家具を上手い具合に組み合わせている。殺風景で小汚い自分の部屋とは違うなあとか思っていると、ガツンと向う脛を蹴飛ばされた。

「痛ってえ!」

「女性の部屋をじろじろ見ないの!」

 前言撤回。どこが女らしいんだ!

 と、ケホケホと咳き込む。

「寝てろ。」

「う………ん。」

「氷枕は?」

「夜の間に解けきったわ。今、冷凍庫の中。」

「じゃ、濡れタオル。」

「うー、タオルはー。」

 …シャワールームの棚。

「変なとこ、見ないように。」

「見ねーよ。つーか寝てろって。そして、しゃべるな!」

 冷凍庫から氷を出して氷水を作り、タオルを冷やす。(氷枕はまだぬるかった。)

「あー、冷たい、気持ち良いー。ありがとう。」

「いや、良いけど。メシは?」

「作る気力があるように見える?」

「食欲はあんのか?」

「うーん。微妙。」

「何か食わねーと、薬飲めねーしな。」

 取り敢えずおかゆを作る仕度に取りかかった。使わないものは冷蔵庫にしまう。

 作りながら様子を見ていると、何となくうつらうつらしながら時々こちらの様子をうかがっているようだった。

「出来たぞ。」

「んー。いい匂い。」

 少しスッキリとした顔で、器を受け取る。

「野外演習の時、ハボック結構まともな料理作ってたでしょ?楽しみにしてたんだ。」

 ああ、それでこっちを見てたのか。

「どうだ?」

「おいしい。いいお婿さんになるわ。」

「あー。……はいはい。」

「良いよね。料理の出来る男って。私も彼氏作るなら、朝食を作ってくれる男にしよう。」

「ま、頑張れ。」

 ゆっくりだけど、器に盛った分はきれいに食べきった。

「お前、こんなときに来てくれる男、本当にいねえの?」

 東方司令部内じゃ人気者なのに。

 途端にむっとした顔になる。

「余計なお世話。あんたくらいに料理が出来る使い勝手のいいのならともかく、何の役にも立たないのがきたってうっとうしいだけ。」

「ああ……そう。」

 褒められてんのか、バカにされてんのか。

「ほれ、薬。」

「ん。…ね、今日仕事は?」

「いまさらだろ。今日は夜勤明け。」

「あ…そか。ごめんね。貴重な休みに。」

「いいって。」

 『ありがとう』『ごめんなさい』親しくなればなる程、つい照れが出て言わなくなりがちな言葉。それらを、リアーナはちゃんと口にする。見習わなきゃな、そう思う。

「ま、早く治せや。何時までも休んでると…。」

「『俺らに仕事が回ってくる』でしょ。分かってるわよ。」

 しょうがないわね、と笑う。

「色々冷蔵庫に突っ込んであるから、作れるようになったら食えよ。」

「うん、本当、助かったわ。サンキュ。あのまま干からびるかと思って、ちょっと心細かったのよ。」

 いつも強気の彼女から出た言葉とは思えない台詞に、こいつでも病気のときは凹むのかと驚いてみたり、様子を見に来て良かったなとほっとしてみたり。

「中尉も心配してたぞ。」

「うん、今夜電話するわ。」

「ああ。…じゃ、俺帰るわ。」

「…うん。」

 一瞬心細そうな目を向けられ迷うが、まさかずっと居るわけにもいかないし。

 じゃ、と腰を上げる。

「ま、明日くれーはゆっくり休め。」

「ん?」

「俺も休みだから。」

「…ああ。途方に暮れるブレダの顔が目に浮かぶわ。」

「だろ?」

「で?あんたは、スイートハートとデートなんだ?」

「う。」

 普段からノロケたり愚痴をこぼしたりしているせいで、リアーナはハボックの女性関係を全て把握しているのだ。

「会ってもらえるかしらね。この間のデートから2週間もほっぽりっぱなしだもんね。」

「う…これから電話する。」

「そ。ま、検討を祈るわ。…駄目だった時の飲み会は、私の風邪が治ってからね。」

「駄目になるの、前提かよ。」

 言葉の合間に咳き込んではいたが、軽口叩けるだけの元気はあって良かった。

「鍵、閉めとけよー。」

「んー。」

 薬が効き始めたのか、大分眠そうなトロリとした声。

 鍵、本当に大丈夫だろうか?

「鍵閉めろよー!」

「煩い!分かってるわ!」

「…あ……そ。」

 うん。大丈夫そうだ。

 

 

 昨日、電話で何とか彼女とのデートの約束を取り付けることが出来た。

 ……そろそろ約束の時間だけど、彼女はまだ来ない。まあ、いつも遅れてくるのだけど。

 溜め息を1つ付いて、昨日の彼女との電話を思い出す。何か変だったよなあ。

少し、かみ合わない感じ。ハボックは思い出しつつ首を傾げた。

 そのうちに道の向こうに彼女、ダイアンが現れた。目立つ美人なので、幾人かは振り返っていく。

「……怒ってるか?」

「まあね。」

「あー、ごめん。」

「………。」

 むっとした顔のままだ。

「店、入るか?」

 すぐ傍の喫茶店を示す。

「そうね。」

 オープンテラスの喫茶店。外のテーブルに着く。

ハボックはコーヒーを、ダイアンはケーキセットを頼んだ。

「あのね、違う。」

「?」

「あなたが謝っていることと、私が怒っていること。」

「違う?ずっと会えなかったことじゃなくて?」

「始めはそれで怒ってたわ。」

 結構プライドの高い彼女。放って置かれるのは、一番嫌いなのだ。

「…今は違うのか?」

「違う。」

 じゃあ、何なのだ?うーんと考え始めてしまったハボックを不機嫌に睨みつける。

 それぞれに頼んでいたものが来て、口をつけた。ケーキの甘さで少しだけほっとしたのか、ダイアンがヒントをくれ始めた。

「昨日、仕事、早く終わったわよね。」

「ああ、良く知ってるな。夜勤明けだったんだ。」

「そう、仕事が終わって何をしていたの?」

「家へ帰って寝たけど…?…ああその前にダイアンに電話した。」

「司令部から?どこにも寄らずに?」

「…少し買い物した。…なんせ、冷蔵庫が空っぽで…。」

 そういうと、さらにダイアンの機嫌は悪くなったようだ。

「買い物の後はどこへ?」

「だから家へ…。」

「違うでしょ!」

「…?……ああ、もしかしてトウエンの家に行ったことか?」

「トウエン?」

「そ、同僚。」

「軍人?」

 ダイアンは唖然と口をあけた。軍人の女性に偏見は無いつもりだったけど、あんな美人もいるんだ。…まあ、自分には負けるけど。

「家に行ったわよね。」

「行ったな。」

「中に入ったわよね。」

「ああ……。…って、ええ!?それで怒ってんのか?」

「当たり前でしょ!」

「ち、ちょっと待て!」

 今日初めて、ハボックは慌てた表情になった。

「風邪をひいてたんだ。」

「あなたが?元気そうだけど!」

「違う。トウエンが。で、休みやがったから。帰りに様子見てくれって上司に頼まれたんだよ。」

「………。」

「本当だよ。あいつ普段はえれー元気なくせに、年に一回くらい思いっきり体調を崩すんだ。前回のときは女の上司が様子を見に行ったんだけど、今回は仕事が立て込んでて行けないって言うし。同期の俺が丁度早く上がれる日だったから、見てきてくれって言われて…。」

「食料買い込んで。」

「一人暮らしだから、買ってきてくれる奴いねーし、作ってくれる奴いねーし。果物と簡単に食べられるものを少し買ってったけど。」

「なかなか出てこなかったわよね。」

「見てたのかよ。」

「だから、怒ってるんでしょ!」

 昨日家の傍でハボックを見つけて、てっきりダイアンの家に来るものだと思っていたら、行った先は他の女の家だった。…ということらしい。

「簡単にメシ食わせて、薬飲ませて出てきたよ。そんなに長居してない。思ったより元気そうだったし。」

「………。」

 微妙だわ、すっごい微妙よ。ダイアンは難しい顔で考え込んだ。

 “あいつ”とか呼び方すっごい気安いし、同僚で同期?体調悪くて気持ちも弱ってる時に本当に何も無かったのかしら? 大体何なのこの男は。付き合ってくれって言ってきたのはそっちの方なのに、あっちにもこっちにもヘラヘラといい顔をして。

「おーい、ダイアン?」

「何よ?」

「ああ、良かった。すっげー難しい顔して黙り込んでるから。」

「考えてたのよ。色々と。」

「そう…ですか…。」

 そんなに怖い顔だったのだろうか?ハボックの表情が引きつる。

「あの、疑惑は晴れたのでしょうか?」

「微妙だわ。」

「何でだ?本当に見舞いに行っただけだぞ!」

「そうよ。だから微妙なんじゃない。」

何で上司はあんたに行かせるのよ。女の一人暮らしの部屋に。

「東方司令部の中には女性職員なんて何人もいるんでしょう?そのうちの誰かじゃ駄目なの?その人、嫌われ者なの?」

「へ?女性職員に?まさか。カリスマって言うのか?ああいうの。」

「カリスマ?」

「おうよ。姉御肌っていうのか、良く人の相談とか乗ってやってるみたいだし。多少年上の人でも、頼ってわざわざ相談持ち込む奴もいるらしいんだよな。」

「へー。」

 自分はそんな役回りごめんだ。悩み事は自分で解決して頂戴。

「ホークアイ中尉も人望あるけど、気安く相談出来るのはトウエンの方だろうな。やっぱ。」

「中尉?ああ、あの金髪の人ね。」

 考えてみれば、この男の職場って周りに美人が多いんじゃ…。まあ、自分程じゃないけど。

「トウエンの隊の奴らなんか、男も女も命令1つで命投げ出さんばかりに心酔してる奴多いから、見てるとおっかねーよ。トウエンが上手く押さえちゃいるが。」

「そういう女の人が行けば良かったんじゃないの?」

「中尉がはっきりと言ったわけじゃないから分かんねーけど。行った奴と行けなかった奴とで揉めたりするからじゃねーのかな。」

 袋叩きとか…、とどこまで冗談か分からない言葉を吐く。

「あなたは、平気なの?」

「あ、へーきへーき。」

 だ・か・ら。それが問題なんでしょう!二人は特別だって、周りは認めているってことでしょう!ニブちんのあんたは気付いてないらしいけど!

 …とハボックの視線が動いた。ダイアンの斜め後ろ。街行く人の中に誰か見つけたのだろうか? ガタリと立ち上がった。

「あら、ハボック。」

「トウエン、お前。出歩いて平気なのかよ!熱は?」

 慌てて、ダイアンが振り返ると、昨日ちらりとドアから見えた人っぽかった。

 明るい栗色の髪をさらりと下ろし、白い大きめのTシャツにジーンズのミニスカート、足元は編み上げのサンダルで…。とても軍人には見えない。

「随分良くなったわ。昨日はありがとうね。」

 にこっと笑った顔はかわいらしい。その視線がダイアンの方へと流れてきた。あら、といった顔になる。

「ごめん。デート中に声かけちゃった?」

「ああ、まあ。」

「始めまして、リアーナ・トウエンです。ハボックの同僚なの。デート中に邪魔しちゃってごめんなさいね。」

 と、ダイアンに笑いかけた。

「あ…いえ。」

 なぜか思わず照れる。女性に人気があるの、分かるかも。さっぱりした感じの人なんだきっと。

じゃ。と行こうとするのを、ハボックが引き止める。

「ちょっと待てお前。本当に熱、下がったのか?」

「うん。明日には行けそうよ。」

 ハボックがリアーナの額に手を当てて熱を測る。

 何なのよもう。おでこをくっ付けて測らないだけましだけど、普通男の人がそう簡単に女の人に触ったりしないもんでしょう。

「…まだ少し、あるんじゃねーか?」

「…ちょっと、買い物をするのに歩き回ったから…。大丈夫よ、もう後、帰るだけだから。」

「買い物?」

「食料品。昨日のも助かったけどね。そろそろ違う味が食べたいなーって思って。」

「まあ、料理する気力が出てきたんなら良かったよ。」

「二日休んじゃったからね。明日から、又頑張らないと。」

「机の上、凄いぞ。きっと。」

「仕事、半分廻すから。」

「うおい!…ってああ、そうだ。昨日言い忘れたんだけど。明日のお前の隊の演習、俺の隊と変えといたから。」

「え?」

「お前出られるかどうか分からなかったからな。隊長抜きでやっても仕方ねーし。」

「ありがとう。どうせやるならちゃんと準備してやりたかったから、助かったわ。ハボックの隊の演習って何時だったの?」

「今週末。」

「ん。それなら大丈夫だわ。ありがとう。明日の昼食は奢るわ。」

「レストランで?」

「まさか。食堂のAランチよ。」

「なんだ。」

 ニッと笑い合う二人。ダイアンから見ればとっても息が合っているように見える。

「じゃ、明日。」

 ひらりと手を振って、彼女は行ってしまった。

「な、疑惑は晴れただろ。」

 何でよ!ダイアンは内心呆れる。ハボックにとって、リアーナは女性とか男性ではなく『気の合う同僚』なのだろうけど。

「取り敢えず、保留にしておく。」

「何でだ!」

「男女間での友情なんて、成立しないって言うのが私の持論なの。」

「んな!?」

 そうよ、あれだけ気が合っているんだもの。いつ何時、恋人にならないとも限らないじゃない。

「…で?今夜は何をご馳走してくれるの?」

「〜〜〜〜。」

 困ったように苦笑するハボック。

あの、マスタングとか言う大佐ほどではないけれど、ハボックもまあまあいい男だし、こうやって多少の我儘も聞いてくれるし、優しい。こんな人が本当に軍人なんてやっていけるのかと思うほどだ。

 今別れたら、自分が負けたみたいじゃない。ダイアンはきっと顔を上げた。

あんな女に負けたりしないから。

 

 

 

 

 

 

20050706UP
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一応、お知らせをしておきますがこのお話の主人公はリアーナです。
ダイアンじゃありません…。…って分かるよね。
せっかく風邪を引いたリアーナのところへハボが看病に行ったのに、くっ付いてないから微妙な感じに…。
同僚で親友。そんな二人が今後どうなっていくのか。どうぞお楽しみに。

 

 

 

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