やさしい笑顔を 2
かち合うときはとことんかち合うものだと、ダイアンは内心盛大に溜め息を付いた。
給料日だったため、銀行へ預金を下ろしに来たのだが、そこで。
『リアーナ・トウエン様〜』
との呼び出しを聞いてしまったのだ。視線を上げれば窓口には先週の彼女。
髪はアップで纏めてあって、化粧もきっちりしている。この間よりは少しはキリリとした感じだけど、相変わらず大きなサイズのTシャツにカプリパンツとハイヒールという姿。やはり軍人には見えない。
多分現金を下ろしたのだろう。封筒などを受け取ってハンドバッグにしまいながら行員とニコニコ笑い、二言三言言葉を交わしている。
そして、くるりと振り返って。あ…とこちらを見る。
にこっと笑って小さく頭を下げ、店を出て行こうとした。
ダイアンもほっとする。特に話もないし、話す気もない。
ハボックの浮気の件は今でも保留状態だ。ハボックは反論するが、どうにも納得がいかない。ダイアンだけを見ていない男なんて要らない。
多分口で言えば、ハボックは自分の望むとおりにするだろう。甘い奴だし。けど、それじゃ駄目だ。言わなくても思い通りの男になってくれなきゃ。
……と、ガタンと乱暴に入り口のドアが開いた。何!?
「動くなっ!!」
店を出ようとしていたリアーナの目の前に、覆面をした男が5人。銃を構えながら入ってきた。
銀行の警備員は真っ先にロープで縛り上げられる。
ダイアンやリアーナをはじめ、数人の客は一箇所に集められ銃を突きつけられる。
行員はカウンターの向こうにホールドアップで固まっていた。
「この袋に現金を詰めろ!!」
男たちは大きな麻袋を2・3枚、カウンター越しに行員たちへ投げつけた。
…“銀行強盗”…。
ダイアンの停止状態だった脳がゆっくりと動き出す。
軍は何をしているの!?と心の中で毒づいて、そうだ軍人がいたじゃない!とリアーナの方を伺うと。ダイアンのすぐ傍で、ハンドバッグを抱きしめて他の客たちと一緒に指示に従っていた。
どう見ても、怯える一般客と同じ。…だめだ、こりゃ。きっと一人では何も出来ない人なのだ。カリスマだか何だか知らないけど、情けないわね!
その時、リアーナは頭の中で色々と考えていた。
自分は今日休みだし。この件の担当はきっとハボックになるだろう。ここにはダイアンがいるし、何とか突入しないで済ませられないだろうか。取り敢えずは大人しくしていよう。現金だけとってそれで満足なら、銀行から逃走した後、ダイアンの見えない場所での捕り物ですむ。
逃走の際の人質が一般人になりそうだったら、その場合は自分へ注意をひきつけ、人質をかって出る。そして、犯人を外へ誘導できれば…。
上手くいく?分からないけど、やれるだけのことはやってみよう。
何となく年が若いのではないかと思われる男が、こちらにライフルを向け見張りとして立っていた。後の二人は外へ向けての警戒、残りの二人は行員に作業を急がせている。
シーン…と、息詰まる空気が流れる。
…大人しくしていれば…大丈夫よね。ダイアンがそう思った矢先だった。
異変を感じた誰かが通報したらしい、外が騒がしくなる。軍が到着したのだ。
そっと様子を伺うが、リアーナが動く気配はない。けれど、男たちは明らかに慌てたようだった。中の人間である筈はないのに、こちらを睨む。
「ちっ。誰だ、連絡をいれたのは!」
「おい、早く金を入れろ!」
「逃げるぞ!」
「どうやって!」
「こっちには人質がいる!」
リーダーらしい男が言う。男たちの視線がこちらへ来た。女性の方が確率高いんじゃ…?案の定、男の一人がこちらを見て何か言いそうになった。
『いやよ!私』ダイアンが心の中で叫んだとき。
「痛っ」
小さく声がした。
「何だ!」
「あ…いえ。」
消え入りそうな声で、俯くリアーナ。
「どうした、と聞いている!」
「あ、あの…。その…足を…。」
挫いたのか、捻挫したのか…?
「そうか、人質はお前がいいな。」
「……え……。」
青ざめるリアーナ。
「そういえば、お前は確か店を出ようとしていた女だな。」
「金を下ろしたのか?そのバッグの中に入っているのかっ」
「え…?」
リアーナがきゅっとバッグを抱きしめる。
「出して行け。そうしたら命までは取らん。」
「で…でも。」
「あ゙っ!?」
「ら…来週…実家に…友達の結婚式で…。お祝いも、上げられなく…なっちゃ…。」
途切れ途切れの声。しかし犯人グループも、ばたばたと慌しくなる外の気配にイラつき始めていた。
「いいから出せ!」
「結婚式に出られなくなるぞ!」
「………。」
観念したように、リアーナはノロノロとバッグを開けた。
そして、黒いものを取り出して…。
「動かないで!」
目の前の若い男の額にぴたりと向けた。先ほどまでのおどおどとした口調とは違う、余裕の声。カチリと安全装置を外す音が響いた。
「お…お前。」
「東方司令部です。残念だったわね。」
ハンドバッグを傍のカウンターに置き、犯人たちを見据えながらゆっくりと立ち上がる。
「足…。」
「足が?何?」
すっと立ち上がって開いている左手を背中に廻す。そして、大きなTシャツの中からもう一丁銃を出してきて、他の犯人たちの方へ向けた。
「………っ。」
「女性の全てがか弱い訳じゃないのよ。身体検査をするべきだったわね。…動かないで!武器を捨てて頂戴。」
「……くっ…。」
「捨てて!」
ガシャンガシャンとライフルが床に捨てられる。
「支店長さん、回収して。犯人の傍へ寄るときは気をつけてね。皆もカウンターの奥へ。」
リアーナを軍人だと知っている者が居たのかも知れない。いわれたとおりに動く誰かにつられて、ダイアンもカウンターの奥へと移動した。
『あ。』もしかして、いやきっとそうだ。ダイアンはリアーナがかばってくれたのだと気が付いた。一人で犯人と対峙する背中を見て、信じられない気持ちになる。
なぜ、そこまでするのだろう。ダイアンが一般人だから?それともハボックの恋人だから?ダイアンにもしものことがあったらハボックが悲しむから…とか?そのために自分を危険にさらすの?…まさか、好きなの?ハボックが。
馬鹿じゃないの。それで恋敵が消えてくれれば御の字じゃないの。
この女はどこかおかしいらしい。それがダイアンの出した結論だった。
「1対5だぜ。勝てると思ってるのか!」
「1対5?」
にっこりと笑うリアーナ。
「ドアの外には軍人がうようよ居るけど?」
「っ………。」
「…にしたって、一度に襲い掛かられたらどうにもならねえだろ。」
「…やってみる?一応同期の中では、射撃の成績は2位だったの。…1位は今、ドアの外に居るけど。」
余裕の表情で笑いながら、リアーナは内心『馬鹿かと思ってたけど、案外鋭いのね』と思っていた。いくら射撃の腕が良くても、全員は無理。3人までは何とかなるかも知れないけれど。しかも、犯人が自分ではなく人質の方に襲い掛かったらどうしよう。カウンターの中に入られたら大変なことになる。
一方、ダイアンは首を傾げていた。射撃の成績1位って、まさかハボック…とか?
休日も銃を携帯している事は知っているけど、あのぼんやりとやる気の無さそうな男からは想像が出来ない。
「隠している武器があるのなら、全部出して。」
そして、銃で外へ出ろと指示をする。
犯人たちに迷いが見えた。諦めるべきか、さらに足掻いてみるべきか…。
多分、駆け引きというものなのだろう。リアーナは急かさなかった。
しかし。一般人で、思いもかけずこの災難に遭遇した人質や行員たちは、もう限界だったのだ。リアーナが銃を向けたことで、何とかなりそうだと思ったらしい。若い行員の一人が、金をいっぱいに詰め込み、重くなった麻袋を犯人たちに投げつけた。
「!!」
“ガン!ガン!!”
リアーナが天井へ向かって、銃を撃った。
そして、リアーナへではなく行員の方へ襲いかかろうとした男を蹴り倒した。と、同時に銀行のドアが破られ、軍人が大量に雪崩れ込む。
沢山の銃声。人の叫び声。入り乱れる足音。
それらが入り混じり、ダイアンはカウンター越しとはいえ生きた心地もしない。頭を庇い小さくなっていると。…やがて、収まっていった。
後ろ手に縛られて、4人の男が連行されていった。後の一人。リーダー格の男は…。
床で絶命していた。その前にはリアーナとハボックが立ち、見下ろしている。
犯人を蹴り倒したリアーナの後ろから襲おうとしていた男を、突入してきたハボックが撃ったのだ。けれど、同時に振り返ったリアーナも、その左胸に標準を合わせていて…。
低いトーンの声で言う。
「馬鹿ね。…私がやったのに。」
溜め息を1つ付いて。
「…そう言う訳にも、いかんだろう。」
「…ありがと。」
「……いや…。」
シーンと店内が静まり返った。
ハボックがやったの?人殺しを?ダイアンは信じられない気持ちで息を詰めた。
するとハボックは不謹慎にも、軍服のポケットから煙草を取り出す。一本咥え、ジッポで火をつけようとするが…。…カチッ、…カチッ、…カチッ、と数回。音はするが火がつかない。
オイル、入っていないのかしら?ダイアンが首を傾げた時。そっと、リアーナの手が伸びて、ジッポを取り上げる。
「あんた、本当……。」
馬鹿ね…と口は動いたけれど、声にはならなかった。
リアーナの手の中で、シュボッと1回で火はつき煙草の前に差し出す。
顔を寄せて煙草に火をつけたハボックは、大きく吸い込み。
「サンキュ。」
言葉と一緒に、煙を吐き出した。そしてやっといつもの顔でニッと笑う。
そうなって、初めて気が付いた。
ヘビースモーカーのハボック。朝から夜まで、何度もジッポで煙草に火をつけるという作業を繰り返していて。多分平素なら目を瞑っていたって出来るであろうその行為を、まともに行うことが出来ない位動揺していたのだということに。
そして改めて、思った。自分はもうあの男に触れることは出来ないし、触れられたくない。怖いし、嫌悪感が先にたつ。誰が人殺しの彼氏なんか欲しいものか。
「始末書、だね。」
「う。」
口調も表情も一変させて、二人が話し出した。その周りでは、ハボックの隊の隊員と思しき者たちが、遺体を片付け警備員のロープを解いたりしている。
「大変ねー。頑張ってねー。」
「あー、ちっくしょう。何で、お前巻き込まれてんだよ。てか、中にいんなら突入の準備が整うまで引き伸ばしてろよ。」
「あら、仕方ないじゃない。何事にも臨機応変に対応するのが軍人さんでしょう?」
「つーかむしろ、大人しく人質やってりゃ良かっただろう。」
「やー、まーね。5人だしさあ。お金取ったらそれで良かったみたいだから、私もそうしようかとも思ったんだけど……色々あって…。」
「何が、色々だ。」
「だって、私のお金まで取ろうとするのよ!」
「はあ?」
「下ろしたばっかりの帰省費用。」
「ああ、来週帰るんだっけ。」
「そうよ。銀行のお金はどうでもいいけど、私のなけなしのお金を取られるのはイヤ!」
あまりにも素直な言葉に行員たちも苦笑いだ。
「…怪我は無いのか?」
「うん、平気。」
「なら、良かった。お前が怪我したなんて知ったら俺のせいじゃなくたって、お前の隊の奴らに殺される。」
「……え……と、これは虫さされだし。…こっちは、昨日書類でピッて切っちゃった傷だし…。」
「…探すなよ。」
クスクス。眺めていた人たちの間から笑みが漏れる。
「私、帰れるかしら?」
「無理だろう。事情聴取あるし。」
「うー。服買うつもりだったのに…。」
「服?」
「結婚式で着る服。」
「ああ、来週の。」
「うん。」
「大佐に頼んでみれば?」
「帰してくれるかなあ。」
「あー、…けど。代わりに一緒に買いに行くとか言い出しかねないよな。」
「うーん。」
「買ってやるとかも言い出しそうだよな。」
「服は手に入っても、もっと大事なものを無くしてしまいそうな気がする。」
「…そんなしおらしいタマか。」
ガツン。リアーナがハボックの向う脛を蹴飛ばした。
「痛ってえ!」
「あら、失礼?……あぁ、ありがとう。」
隊員からバッグを受け取り、中に銃をしまう。
「“失礼”…じゃねえよ。」
「あんたも、失礼だから。」
「事実だろうが。」
「まだ言うか!この口は。」
口の横を摘んで引っ張る。
「痛てーって!」
「おいこら」
そこへもう一人軍人がやってきた。ブレダだ。
「何、事件現場で夫婦漫才をやってんだよ。」
「夫婦じゃねー。」「漫才じゃないわ。」
二人同時に切り返し、互いに顔を見合わせた。再びブレダを見て。
「漫才じゃねー。」「夫婦じゃないわ。」
と、同時に叫ぶ。
「何でもいいよ。もう。」
ブレダが疲れたように肩を落とす。
そこへマスタングが入ってきた。
「こら、そこのお笑いトリオ。何時までしゃべっている。」
「えー、俺も入ってんのかよ。」
ブレダの嘆きで、再びクスクスと笑いが起きる。
「ハボック。撤収の作業をちゃんとやらんか。」
「あー。」
「ハボック少尉。撤収作業、終わりました。」
隊員がピッと敬礼をする。
「あー、ご苦労さん。…大佐ー。終わりましたよー。」
「……全く、上司が仕事をせんから、部下が有能だな。」
「えー、私たち有能なんだ!」
「うちの上司はちっとも仕事しねーからなー。」
「俺、この間中央の将軍宛の書類、作成しちゃったぜ。」
「私なんて、代わりに決済しちゃったよ、20枚位。サイン似せるのに苦労したー。」
「なんの。俺なんか、大総統府宛の書類、作っちゃったぜ。」
「「おおっ」」
「君たち!」
「何ですか?仕事しない上司。」
「この有能な部下に何かご用で?」
「てゆーか、大佐。私早く帰りたい。」
「無理だろう。」
「えー、服買いたかったのにー。」
「服?」
「友達の結婚式で着るんです。」
「…買ってやろうか。」
「えー、危ない気がするー。」
「どのブランドが好きなんだ?」
「えっ!?ブランド物、買ってくれるんですか?」
「目ぇ、輝いてるぜ。」
「大切なものを無くすんじゃなかったのか?」
「えー、でもブランド物のスーツにバッグに靴に…。」
「…そこまで言った覚えは無いが…。」
「えー、買ってー。」
「強請ってるぞ。」
「だから、大切なものを…。」
「いいじゃん。二人とも何だかんだ言って、飲みに行って奢ってもらってるくせにー。」
「俺らはいいんだよ。」
「そうそう。」
「何だ?食事の方が良いのか?だったら今夜夕食でも…。」
「「駄目だ。」」
「そうやって、二人が止めるからー。」
「失敬だな、お前たち。」
「俺らも一緒なら…。」
「便乗する気か。」
「だとしたら、居酒屋?…ブランド品の方がいい。」
「「お前っ!」」
クスクスクス。周りでは和やかな雰囲気が広がっていた。
そこへ、外から女性が入ってきた。
「ホークアイ中尉。」
「皆。何時まで、遊んでいるんですか。」
「「「すみません。」」」
「大佐まで、一緒になって…。」
「やあ、すまない。」
「トウエン少尉。」
「はい。」
「怪我は?」
「ありません。」
「そう、良かったわ。」
「すみません。ご心配を。」
「いいのよ。…大佐。」
「うむ。戻るか。」
「中尉、…私、今日…。」
「ああ、トウエン少尉は今日は非番でしたね。使用した弾丸は何発?」
「2発です。」
「突入の合図の2発だけね。」
「はい。」
「そう。では、ブレダ少尉に経過報告をしたら帰ってかまわないわ。その代わり、明日中に詳しい報告書を提出してもらいます。」
「はい。ありがとうございます。」
「そうだ、トウエン少尉。」
「はい。何ですか?大佐。」
「後、5分。突入を伸ばせなかったか?」
「あ…すみません。」
先ほどとは違い、しおらしく謝る。
「たまたまハボック少尉が入り口付近に居たからすぐに入れたが、そうでなかったらどうなっていたか分からんぞ。」
「はい。」
「以後、心するように。さあ、撤収だ。」
「「「「はい。」」」」
先に出て行ったマスタングに続き、他のメンバーも出て行く。
リアーナがハボックの軍服の裾をツンツンと引っ張った。
「ん?」
振り返った耳元に、小さく耳打ちをする。
表情を曇らせたハボックの視線が、カウンターの方へと向いた。
「………っ。」
息を飲んだのはどちらだっただろう?
…こっちへ来たら、どうしよう…。ダイアンの足がすくむ。顔も引きつっているのが分かる。
「………。」
少し肩を落として、苦く笑ったハボックはそのまま外へ出て行った。
リアーナがその背をぽんぽんと叩く。
多分もう、ハボックから連絡は来ない。ただそれだけのことに、ダイアンはほうっと安堵の息を吐いたのだった。
20050707UP
NEXT
迫力の無い銀行強盗ですいません〜。
しかも突入の合図が銃声2発…って。ありえないでしょう。弾が足りなくなったらどうすんの!?
後半のお笑いトリオ+大佐は、人質になっていた人たちをリラックスさせようとしてわざと軽口を叩いています。
中尉もだからすぐに止めには来なかった…と。
後半は本気で楽しんでいたお笑いトリオ。けど、きっと一番楽しかったのは月子。