やさしい笑顔を 3
「トウエン少尉。」
「はい。」
今夜の夜勤はホークアイだ。
来週休みを取るためそれまで残業を余儀なくされたリアーナと二人。夜の指令室に詰めていた。
「今日、ハボック少尉の様子がおかしかったけれど…?」
「あ…その…。」
言ってもいいものだろうか?昨日の銀行強盗事件の人質の中に、ハボックの彼女がいたことを。ハボックが犯人を射殺したことで、嫌悪されたことを。
「……また、彼女に振られたのかしら?」
「あ…はは、そんなとこです。」
「そう。毎度毎度大変ね。」
「ですねえ。」
「ハボック少尉が……ではなく、あなたが。」
「私…ですか?」
「そう、あなた。…愚痴を聞いてあげているのでしょう?」
「ええ、まあ。そういう時は向こうの奢りなんで。」
それでも今回は聞いてやれそうも無い。何しろ連日残業の上、3日後には帰省するのだ。戻ってきてからも、数日は休みの分の仕事が山積みだ。
まあ、さすがにその頃にはハボックも愚痴など無いだろう。激しく落ち込む割には、2・3日で浮上するのが常だから。
「良かったじゃない。」
「何がですか?」
「彼がフリーになって。」
「……中尉?」
「好きなんでしょう?」
「んなっ!!」
顔が赤くなるのが分かる。
「言わないの?」
「なっ、中尉!?」
「お似合いだと思うけど…。」
「………。」
しばらく、口をパクパクさせていたリアーナだが、
「言えませんよ。」
と、苦く笑った。
「どうして?」
「私たち、付き合い長いんですよ。軍に入隊した時の研修で一緒になって…。」
「ええ、そうですってね。」
「もうハボックだって、私の性格とか良いところも悪いところも良ーっく分かってると思うんです。」
「そうでしょうね。」
「…それでも、ハボックは何時だって、私じゃない誰かを選ぶんです。」
「………。リアーナ。」
「それでもって、絶対に私をファーストネームで呼ばないんです。」
「………。」
「ハボックのこと、ひどい奴だと思います?」
「そうね、少し。」
「私は…凄く優しい人だと思う。」
「何故?」
「とっても優しくしてくれるし、私が困っていれば助けてくれる。弱いところも見せてくれる。…けれど、それは友人としてだぞ、って。女性としてお前に優しくしている訳じゃないんだぞって、きちんと線を引いてくれる。」
「………。」
「だから私は、どんなに甘やかされたって『もしかして私のことを好きなのかも』なんて、期待を抱かなくてすむ。」
「………。」
「期待しなければ裏切られることもない。だから、私は何時だって笑っていられるんです。」
「あなたは……それで、いいの?」
「いいとか、悪いとかじゃありません。」
では何故、あなたの笑顔はそんなに辛そうなの?
リアーナの言った言葉。それは裏を返せば、ハボックはリアーナのことを女性として全く見ていないということ。好きな男性にそのような態度で接せられて、辛くない訳がないでしょう?
けど、ハボックが付き合う女性は確かにリアーナとは随分とタイプが違うようだ。
ホークアイもそうそう詳しいわけではないけれど、時々きく噂話から推察すると、容姿は良くても、性格は難のある子が多いらしい。同性から見ると、思わず眉を顰めたくなるような。我儘であったり、高額なものを強請る子であったり、複数の男性と平気で付き合える子であったり。
ホークアイに理解は出来ないが、ハボックの好みがそういう女性であるならば、確かにリアーナはその範疇には入らない。
『多少の我儘は嬉しいものだよ。』以前女性関係の激しい上司が言っていた。ハボックを指していった言葉ではなかったように記憶しているが、男性からすればそんなものなのだろうか?
「…伝えてみたら?…何か変わるんじゃないかしら?」
「次の日から、気まずくて顔合わせられませんよ。」
「………。」
振られるのが前提で話すリアーナにホークアイの方が辛い気持ちになる。
「ああ、でもそうですね。どっちかが移動なんてことになったら、言ってみるのもアリですかね。」
「……そう?」
「玉砕したら、中尉慰めてくれます?」
「勿論よ。」
「ふふ、じゃあ安心だわ。」
くすぐったそうに笑う。そして、
「あ…けど、私の態度ってバレバレ?…皆、知ってるのかしら?」
だとしたらそれも気まずい〜と、頭を抱える。
「そんなことは無いと思うけれど…。私と…もしかしたら大佐も…。」
「確かに大佐って、そういうところ鋭そうですよね。」
「そうかも知れないわね。」
「あ、だからこの間、私に謝ったのかしら?」
「…ああ、例の件の事ね。」
「ええ。帰省から帰って落ち着いてからってことにしてもらったんですけど。」
「断れなかったのかしら?」
「市長にも将軍にも頭下げられちゃいましたよ。」
「まあ。」
「大佐に『すまない』って言われたら、断れませんよね。」
「あの人、そんな事を?」
「はい。そう言われたら断れないって分かってて言ったのかしら?」
「どうかしら?」
「しょうが無いですよね。だって私、大佐好きですもん。」
「そう。」
「はい。私だけじゃ無いですね。皆、大佐のことが大好きですもん。」
「ふふ、そうね。」
尊敬…とか、付いていく…とか、あの人を上に…とか。そんなのではなく。
『大好きですもん』というリアーナの言葉は、簡単だけど意外と皆の気持ちを一番的確に表しているようで…。
「そうね、とっても手がかかるけれど…。」
「あー、中尉。昔から言うじゃないですか『馬鹿な子ほどかわいい』って。」
そして、二人笑い合った。
「ハボック少尉ー。」
「おう、何だ?」
確か庶務課の事務の子だ。
「トウエン少尉は何時お戻りなんですか?」
「ああ、休みは4日間だから…後2日だな。何か用か?」
「いえ、ちょっと聞いていただきたい話があっただけなんです。すいませんでしたー。」
深刻な悩みでも無さそうなので、ハボックもじゃあなと手を振った。
はあ、と溜め息を付く。後、2日かあ。タイミング悪いよなあ。
いつもなら彼女に振られて凹んでも、リアーナに愚痴をこぼしいつもより少し多く酒を飲む、それであらかた気が済んでしまうのに。
しかも今回は最悪だ。少し前からなかなか会えないだの、浮気疑惑だのと危ない感じだったが、直接の原因は自分が犯人を射殺したこと。軍人なのは伝えてあったけど、彼女の中では(根拠は分からないが)憲兵辺りと同じ仕事だと思っていたらしく、あの日のハボックに相当ショックを受けていたようだ。
指令室へ戻ると。
直接の原因は知らないまでも、ハボックの様子から彼女と別れたらしいと察した同僚たちにあれこれとからかわれる。
『仕事が忙しくてデートもあまり出来なかった』そんな、話になった時。珍しくホークアイが口を挟んだ。
「だったら、同じ軍人の女性にしたら?」
「はあ……。」
ここへ赴任してきてすぐの頃は、司令部内の女性と付き合ったことがある。受付の子と人事課の子。…なんで、駄目になったんだっけ? 確かあの頃はまだリアーナは東方司令部に配属にはなっていなかったはず。凹んだ自分はどうしていたっけ?
「お前の愚痴に付き合うのは、本っ当にイヤなんだが…。」
その日、ブレダが飲みに付き合ってくれた。
「珍しいじゃねーか。」
「何が?」
「大抵、すぐ立ち直るのに。」
「ああ、何でかなー。」
「そんなに、いい女だったのか?」
「あーうーん。どうだろうなあ…。」
「何だよ、はっきりしないな。」
「美人…では、あった。」
「ふむふむ。」
「ちょっと、我儘なところもあった。」
「ほう。」
「金も…結構かかった。」
「……おい?」
「…軍人が…嫌いみたいだった。」
「…続かねえよ、そりゃ。」
「やっぱなー。」
「中尉が言ったみたいに、次は軍人にしたらどうだ?」
「うーん。…そういう枠で決めるもんじゃねーだろう?」
「それもそうだな。お前にしては珍しく、まともな意見だ。」
「うるせ。」
「ま、トウエンが心配してたからな。早いとこ元気出せ。」
「トウエン?」
ああ、一回くらい一緒に飲んで愚痴をきいてやってくれって言っていったのかも。
「アイツが居ないせいもあるのかもな。おまえがダラダラと落ち込んでるの。」
「?」
「アイツ、落ち込んだお前の扱いはピカ一だからな。」
「何だ、それ?」
「ぎりぎり残業しない程度に、程よく頭使わなきゃならん仕事をお前に回すだろ。」
「……え?」
「何だ、気付いてなかったのか?」
「知らなかった。」
「そうやって、めいいっぱい仕事して、程良く頭使っていろんなこと考えてるうちに、落ち込んでるの忘れちまってるみたいだけど。」
「あ……うん、そうか。…そんな感じだな。」
いつもだったらリアーナが聞いてくれる愚痴。
『大丈夫よ、ハボック。次はきっと上手くいくわ。』
いつも言ってくれる言葉が思い出される。
けれど、彼女のしてくれることはそれだけじゃなかった。
ハボックが気付かないところで、たくさんたくさん気を使ってくれて、そんな優しさのお陰でハボックはいつも元気を取り戻す。そんな、大切な友人に、自分はあまりにも甘えすぎていたんじゃ無いだろうか…。
リアーナの優しい言葉は思い出せるけど、その時彼女がどんな顔をしていたのかは霞がかかったみたいで、よく思い出せない。
『この仕事、お願い。』ハボックのためを思っての仕事を渡すときの顔は?どんな表情をしていたっけ?笑って?怒って?それとも、呆れていたかな?
あまりにも傍にありすぎて、当たり前にそこにあったから意識することすらなくて。
まだたった2日離れただけなのに、その笑顔を忘れてしまいそうだ。
いつもリアーナが歩く左側。何だか物凄く物足りなくて、温度すら下がったように感じる。
…早く帰って来い。
友人の結婚式に晴れやかに参列しているだろうリアーナに、心の中で呼びかけた。
「おっはようございます!」
久しぶりに指令室に明るい声が響いた。
「4日間もお休みいただいてしまって、すみませんでした。…これ、お土産です。」
「あら、ありがとう。休憩のときに皆で頂くわ。」
お菓子の箱をホークアイが受け取る。
「結婚式は、どうだったのかね。」
と、マスタングが話を振る。
「なんか、勢いでくっついたカップルって感じで…。」
「何だよ、そりゃ。」
「わーっと盛り上がって、わーっとくっついたらしくて…。もうみんなで、『何ヶ月で別れるかー。』なんて賭けまで始まっちゃって…。」
「何してんだよ。」
「だって、両方を昔から知ってるからさあ。」
「それで、トウエン少尉は何ヶ月に賭けたんですか?」
無邪気にフュリー曹長が聞いた。
「3ヶ月。」
「早っ!」
「その根拠は何なんです?」
興味深げにファルマン准尉が訊ねる。
「ハボックが振られるのが、大体3ヶ月目くらいだから。そんなもんかと。」
「何だと、てめー。」
わははははっと指令室中で大爆笑となり、そのまま仕事へと移った。
リアーナが休んでいた間に、ハボックやブレダが分担した仕事もあるので連絡事項や引継ぎを行う。中にはどうしてもリアーナでなければならない仕事もあり、早速エンジン全開で仕事を始めた。
他部署が関係するものもあり、司令部内をあちらこちらと小走りに駆け回っていた。
「あ、ハボック。」
休憩室でぼんやり煙草をふかすハボックを見つける。
「よう。」
「実は、ハボックにお土産があるんだ。」
「?」
「皆の分は無いからさ、さっきは出さなかったんだけど…。」
「何?」
「家の鍵、貸して。」
「何で?」
「キーホルダーなのよ。つけてあげるから。」
クスクスと機嫌良さそうに笑うリアーナに、何か企んでるなと思ったがポケットから鍵を取り出し渡した。
「ん……と……。よし、付いた。はい。」
「うわ!何だよ、これ。」
「乗り換え駅の売店で見つけてさ。もう、買わずには居られなかったのよ。」
それは小さな煙草のキーホルダーだった。但し、その煙草には赤い丸と斜め線の禁煙マークが付いていた。
「これを見つけて、素通りは出来ないでしょう?」
「いや、同意を求められても…。」
すると、リアーナはすとんとハボックの隣に座った。
「珍しいね、こんなに引きずるなんて。」
「………。」
何で、一目で分かってしまうのだろう?
でも、ダイアンと別れたことで落ち込んでいるのではないような気がするのだが…気のせいだろうか?かといって、他に原因も思いつかないのだけど。何かが足りない感じ。彼女と別れればやっぱり喪失感はあるから、それかな?
「…やっぱ、理由が理由だったしね。」
「……ん…。」
「ごめんね。」
「うん?」
「犯人たち、外へ誘導しようと思ってたんだけど…上手くいかなくて…。」
「お前のせいじゃないだろ。…いずれはこうなってたさ。」
口にして初めてダイアンと別れたことが納得できた気がする。多分リアーナに愚痴をこぼしながら今までもこんな作業をしてきたのだろう。
「………。」
しばらく黙り込んでいたリアーナだったが、不意に立ち上がるとにこりと優しく微笑んだ。
「大丈夫よ、次は上手くいくわ。」
「あ…うん。」
「今日と明日はどうしても残業なの。明後日はヤボ用だし…その次なら飲みにいけるわ。」
「ん、おう。」
今のほんの少しの会話だけでも、随分と気分が浮上したように感じる。
「じゃ。」
のんびりしていられなかったんだ、とヒラヒラと手を振ってリアーナは出て行った。
廊下の向こうでばたばたと走る足音。
『トウエン少尉!忙しいのは分かりますが、廊下は走らない!』口うるさい総務の少佐の声。『すーみーまーせーーん』全然懲りてないリアーナの声。
何やってんだか。
吸い込んだ煙草の味までさっきとは違う気がして、ハボックは小さく笑った。
あいつって不思議。
20050708UP
NEXT
禁煙マークのキーホルダーなんて、本当にあるのかな?
今回リアーナの気持ちが発覚。ほとんど一目ぼれでずーっと好きだった。
この話でのハボはイシュバールには行っていません。
「ウチのハボ」のハボがイシュバールに行っていた時期あたりに二人が出合った研修があります。
だからハボは研修→南方→東方。リアーナは研修→西方→東方。