やさしい笑顔を 5
「すまない。嫌な思いをさせたな。」
「いいんですよ、大佐。お料理もワインも美味しかったですし。」
「そうか。」
「ええもう。タダってとこが一番ですから。」
明るく笑うリアーナ。いい子なのにな。報われない恋をしている。
ホテルのロビーを通り抜け、外へと出る。
「それじゃ、ご馳走様でした。」
「今回に限り、ご馳走したのは私ではないがな。…送るよ。」
「えー、大丈夫ですよー。」
「まあ、それ位させてくれ。…埋め合わせは、改めてするつもりだが。」
「大佐。やっさしー。」
「おや、知らなかったのか?」
「知ってましたけどね。改めて自分に向けられると照れくさいもんですね。」
ふふふと笑う。
「…なあ。リアーナ。」
「?……何ですか?」
突然ファーストネームを呼ばれ、きょとんとする。けれどマスタングの真剣な表情を見て、リアーナも『部下』から『女性』へと表情を変える。
つらい恋をしている。時々息も出来なくなるくらい、苦しくなる。ほんの一時、安らぎを求めるのなら、目の前にいるこの男は最適で…。
ウエディングドレスを着た幼馴染は、この世の幸福を全て手に入れたようなピカピカの笑顔だった。胸に秘めた想いに執着している以上、自分には手の届かないもので……。
スポットライトが当たる彼女。当たらない自分。
どこかで諦めなければいけないのだと分かっている。さっきのあの男は論外だけど、この人なら…。リアーナの気持ちを分かってくれいて、それでいいよとこの人が許してくれるというのなら…。ほんの少しだけ、すがってしまおうか?
…でも、このまま流されていいの?心の隅で迷う。
「…車で、送ろう。」
マスタングの言葉に頷こうとして、視界の隅に何かが映った。
「?」
慌てて首を廻らすと。
「…ハボック……?」
ホテルの植え込みのところに座って煙草をふかしている。どこか呆然とした表情でこちらを見ていたけれど、ノソノソと立って近付いてきた。
マスタングの呆れたような溜め息が聞こえ、ぽんと肩を叩かれる。
「大佐?」
「送ってもらえ。」
「……でも…。」
「ずっと待って居たみたいだぞ。」
示されて、唖然とする。何だ、あの吸殻の山は。
「じゃあ、お休み。」
「…お休みなさい。」
タクシー乗り場へ行き、サッと車に乗り込んで行ってしまった。
「……ハボック?…どうしたの?」
「………。」
呆然というか憮然というか、どこと無くふてくされたような様子のハボックに首を傾げる。
今、口にしている煙草も、ポイと捨てて足で踏み潰した。
「…携帯灰皿使いなさいって、言ったじゃない。」
「とっくにいっぱいになった。」
「………。」
「………。」
「ずっと、待っててくれたの?」
「……まあ。」
「心配……だった?」
「……まあ、な。」
「…そう。…ありがとう。」
でもそれは、友人として…なのよね。リアーナは内心溜め息を付く。又、生殺しの日々が続くのかなあ。
いっそマスタングに頼んで、移動させてもらおうか?けど、それはただの“逃げ”だよね。きちんと伝えて玉砕しないから、諦めが付かないのだということは分かっているのだ。
「送って、くれるの?」
「…ああ、まあ。」
「…じゃ、帰ろうか。」
くるりと踵を返すと、後ろからハボックも付いてくる。
何なの?先程から様子がおかしいけど?
もう大分遅い時間。住宅街へ入ると人通りがほとんどなくなった。
静かな夜の街を、家へ向かって歩いていった。
フルコースと聞いていたから、時間がかかるだろうというのは覚悟していた。イライラと煙草を吸いつつ待っていると、ようやく二人が出てきた。
楽しそうに笑うリアーナはいつもと変わらない様子で、『ああ、食事だけだったんだ』とほっとしたのだが。
すぐに二人の雰囲気が一変する。上司部下ではなく男と女の表情になった。伺うように見つめあう二人に、声を掛けようと立ち上がりかけた身体が動かなくなる。
守ろうと思って待っていたのに、邪魔なのは自分の方なのか?
結局は自分が送っていくことになったけど。
少し前を歩くリアーナ。後ろからはどんな表情なのかは窺い知れない。
「なあ。」
「うん?」
「お前、大佐のこと…好きなのか?」
「………。そう…ね、好きよ。恋愛感情じゃないけど。」
「……でも…さっき……。」
あの雰囲気はどう見ても…。
「………。今度、埋め合わせしてくれるって。何をご馳走してもらおう。」
不自然に明るく言う。
「『埋め合わせ』?」
「?中尉から聞いてきたんじゃないの?」
訝しげに振り返る。
「?」
「…じゃあ、何が心配だったの?」
「いや、おい。ちょっと待て。話が見えない。何、してたんだ?」
「お見合い。」
「見合い!?」
「今の将軍の前任者だった人の息子がね、どこかで私を見てえらく気に入ったらしくて。市長や将軍にねじ込んだらしいの。」
「市長にも?」
「そ。美しいって罪よね。」
「…お前。」
「冗談よ。…父親の方は、割と人格者で人望もあるらしくて。…だから門前払いって訳にも行かなかったらしいの。とにかく一度、会うだけ会ってみましょうってことになって。」
「で、見合い…か。」
「市長に将軍に、その上大佐にまで頭下げられちゃ、断れないよね。」
「大佐も?」
「うん。私も始めは断わる気満々だったんだけどさ。…まあ、もしもいい人だったら考えようかなーなんて、思ってみたりもしたんだけど。」
「ダメだったのか。」
「本っ当、バカ息子だった。」
「…そ…っか……。」
『思い出しただけで、ムカつくーっ』とか言うリアーナに何だか体中の力が抜けて、歩道に座り込んだ。
ホークアイが店かホテルの前で待て、と言ったのはそれでか。
リアーナも、そんなハボックの前に立ち止まり、スカートの裾を気にしつつしゃがみ込む。
そして呟くように、力無く見合いの様子を話し出した。
「そのバカ息子曰く、『女は自分を立派に見せるアクセサリー』なんだって。」
「はあ?」
「お母様も元軍人なんですって。結構有能な人だったらしくて、お父様は仕事の相談も結構していたんですって。夫婦って言うよりパートナーよね。けど、まさか子供の前でそんな話はしないじゃない?」
「だろうな。」
「だからあのバカはそれを知らなくって。バカの知ってる母親は家で良い母親をしているか、パーティで着飾って父親の隣で楚々としているかのどちらかだったもんだから…。」
すっかり呼び方が『バカ』になっている…。
「元軍人っていうのは知ってたけど、女は所詮結婚すれば男のために子供を生んで隣でにっこり笑っている生き物なんだ…と。」
「で、アクセサリーか。」
「うん。あのバカなりに父親は尊敬してたし、良い夫婦だとも思っていたらしいんだけどね。 だから、自分の奥さんも軍人から選ぼうと思ったらしいんだ。」
「で、何でお前なんだよ。」
「だから、どっかで見かけたらしいのよ。母親に似てたのかな?それとも部下を叱り飛ばしてるとこでも見られたのかしら?」
「?」
「気の強い女を従わせるのがいいんだって。」
「…変態か?」
「ちょっとおかしいよね。さすがに父親も、息子がそんなこと考えてるとは思わなかったらしくて。あっちから言い出したわよ。『大変に失礼をした。申し訳ない。この話は無かったことに…』って。」
「そうか。」
「断わる手間が省けちゃったわ。」
ふふと笑うが、元気は無い。
「何か虚しくなってきちゃった。私、こんな調子で結婚出来ないで終わるのかなあ。」
「トウエン?」
「この間、地元へ帰ったでしょう?」
「ああ。」
「田舎だしね。友達のほとんどは、もう結婚してた。子供がいる子だっていたのよ。」
「…そっか。」
「結婚なんか、どうでもいいって思ってたけど…。…でも、幸せにはなりたいな。」
「男、作ったら…。」
「……さっき、あんたに邪魔されたわ。」
「!」
やっぱり、大佐と。胸の中に再び湧き上がる黒い感情。この間から時々現れるこれは何だ?
「大佐のこと…。」
「だから、好きだって。」
「恋愛感情じゃないって。」
「うん、違うね。」
「それでっ!いいのか?」
「………。ダメ…かなあ?」
「っ、そりゃあ!」
「確かにね、好きな人と想いが通じ合えばそれが一番いいけど…。世の中、そうそう上手くは行かないのよ。」
「けど。」
「あの、バカ息子は論外だけど…。優しい人なら誰でもいい。」
「誰でも…って。」
「だって。好きな人じゃなかったら誰でも一緒よ。」
「………。」
街灯の薄明かりの中。声は笑いを含んでいるのに、話しているリアーナの顔は泣いているように見えた。
…誰でも一緒?本当にそうだろうか?
「じゃあ、俺は?」
「え?」
「優しく、するけど?」
「………。…ダメ。」
「トウエン?」
「あんただけはダメよ、ハボック。」
そう言って、リアーナはよいしょと立ち上がった。
「さ、明日も仕事よ。頑張りましょう。」
“立って”というように手を差し出してくる。その手を握り返して。あまりにも小さいのに驚いた。
ギュっと引っ張り上げてくれる手の力を借りて立ち上がると、その勢いのままにリアーナの身体を抱きしめた。
すっぽりと腕の中に入ってしまう細い身体、肩。
『“雨上がりの香り”だって』リアーナが好んでつける香水は、爽やかだけどしっとりとしていて。そうだ、隣にはいつもこの香りがあった。
嬉しいときも凹んだときも、仕事が立て込んで疲れたときも。居て欲しいと思うときは、いつもリアーナが隣に居てくれた。
『大丈夫よ。ハボック』
いつも向けられる笑顔は、本当のリアーナの笑顔だったんだろうか?いつも頼ってしまうけど、リアーナから頼られた事ってあったっけ?
「…ハボック?」
戸惑いながら小さく呟く声は、せいぜい胸元からで。ちっさいなあ、こいつ。こんなに小さかったっけ…?愛おしくて、抱きしめる腕の力を強くした。
「どうして、俺は駄目なんだよ?」
「………っ。」
口ごもるリアーナ。
「そんなに頼りないか?」
「……そうじゃ……ないの…。」
小さく首を振る。
「じゃあ、何?」
優しくしてくれるのなら誰でも良くて、好きな男じゃなきゃ誰だって同じなのに。ハボックだけは駄目なんて…。それは告白と一緒だよ、リアーナ。
髪に口付け、こめかみに口付ける。
「や…めて。」
「やめない。」
涙が零れ始めた目元を唇で拭い、顎を持ち上げた。
「嫌なら、逃げろよ。お前なら、出来るだろう?」
「………。」
もう、その身体に力が入っていないことは分かっていた。
『たいがいズルイよな、俺も』内心そう苦笑して、リアーナの唇を奪った。
「……ん……。」
ハボックのシャツをぎゅっと握る手が愛おしい。小さく漏れる吐息にクラリとする。
愛おしさの理由にやっと思い当たって、心の中で何かがカチリとはまった。
その時イメージしたのは、リアーナがくれた煙草のキーホルダーを付けた鍵。心の中にあった気持ちの鍵が、やっと見つかって扉が開いた。一旦開いてしまえば、中から溢れてくる気持ちは、もう止められなくて…。
…ああ、駄目だ。キス1つじゃ止まりそうもない。
「リアーナ。」
耳元で名前を呼ぶと、ピクリと腕の中で身じろぎする。
「…泊まっていっても、いい?」
「………。」
迷うように、その視線が揺れる。
「…朝食、作って…くれるなら……。」
暫くしてようやく聞こえた小さな声は、肯定。
「材料、ある?」
「…昨日、買出ししたばっか。」
「OK。最高に上手いの、作るよ。」
ベッドの中で、リアーナがずっと好きだったのは誰なのか…とか初めて知って。ノロケや愚痴を平気で聞かせていた己の無神経さに、腹が立つやら呆れるやらで…。
けど……。
「リアーナ、メシ出来たぜ。」
「んー。」
「ほら、起きろ。」
「…眠い…。」
「お前、こんなに寝起きが悪かったっけ?」
「…ジャンが朝方まで寝かせてくれないからでしょ。」
んもう、と膨れる。
「そうだっけ?…ほら、朝メシ冷めるぞ。」
「ん……おはよ。」
「おう、おはよう。」
チュッと唇を合わせる。
「いい匂いだわ。」
「もう、コーヒーが落ちるぜ。」
「ん。ありがとう。顔、洗ってくる。」
朝日の中で、にっこり笑う笑顔はとっても幸せそうで、こっちまで幸せな気持ちになる。そんな笑顔、何だか初めて見るかも…なんて思ったりして。
泣きそうな笑い方より、ずっとずっと綺麗だと思った。
20050710UP
END
「やさしい笑顔を」はこれにて終了です。
いかがでしたか?感想やご意見を掲示板の方へ是非!
この後、「やさしい気持ち」に続きます。どうぞそちらもご覧下さい。