やさしい気持ち

 

 

 

 パンを切ってバターを塗る。用意しておいた具をはさんで…。朝食だからこんなものでいいかしら?それとも、もう少しボリュームある方がいいかしら?

 もう1つ多く作るかどうか迷いながらも手を動かしていると、背後から腕が伸びてきてぎゅうっと抱き込まれる。そして、煙草の匂い。

「おはよう、ジャン。」

「はよ。…悪い、寝過ごした。」

「いいのよ。たまには。」

 昨夜は日付が変わる頃、死にそうな顔をして帰ってきた。このところ、ハボックの任された仕事が混み入ってきていて残業が続いている状態。(…それでも、ベッドの中ではいつもと変わらず元気で呆れたけど…)

 今朝だって、起こされる前に自分で起きたことにむしろ驚いて感心しているくらいなのに。

「美味そうな匂いだ。」

「そう?良かった。」

「んー。料理もだけど、こっちも。」

 ハボックが首筋に唇を滑らせる。

「っちょっ…、こら。」

「…ダメ?」

「ダメ。もう出来るから。」

「ちえ。」

「はいはい、シャワー浴びてきて。…走って出勤なんて、嫌よ。私。」

「あー。だなあ。」

 そんな体力を使いたくないのは、ハボックの方だろう。

 抱き込んでいた腕を離し、ささっと身支度を整えてきたハボックが席に付く頃には、テーブルの上には二人分の朝食が並んでいた。

「「いただきます。」」

 それぞれ、食事を進めていく。

「…ねえ、ジャン。」

「んあ?」

「…自分の家へ帰ったほうが楽なんじゃない?」

「………。」

「ここの方が司令部から遠いし…。味は…まあ、あれだけど…朝食と夕食を食堂で取れば、もっとゆっくり寝ていられるし。」

「………。」

「……聞いてる?」

「…聞いてる。…リアーナは…俺が来ないほうが良いんだ?」

 どうして、そこで拗ねるかな。

「やっぱり、聞いてなかったわね。」

「っ。」

「私、そんなこと言ってないわよね。」

「……悪ィ。」

「確かにね。こっちへ来てくれるほうが安心するわよ。 もう終わったのかしら?まだかな?ちゃんと寝られてるかしら?…何て、心配しなくていいもの。…けどね…」

「俺も、こっちの方がいい。」

「…そう?」

「おう。リアーナ抱きしめて眠る方がぐっすり眠れる。」

「やっ……なっ!」

「おー、このトマトより真っ赤だぞー。」

 サラダのトマトをフォークで刺して、リアーナの顔の前で面白そうに見せる。

「ジャン!」

「はははっ。…まあ、仕事のメドは付いたから。今日特に何も無ければ、定時で上がれると思う。」

「本当?」

「ああ、久しぶりにどっかでメシ食うか?」

「うん。やった。…大佐、サボらないように見張っておかないと。」

「だなあ。…何かなあ、デートの予定があの人次第ってのはどうなんだろうな。」

「手がかかるわよね。本当。」

 そろって小さく溜め息を付いて、残りの朝食を口に運んだ。

 

 

 二人が付き合い始めて、もう4ヶ月となる。

 けれど、意外と知られていないのが実情だ。仕事のときは互いにファミリーネームを呼ぶ。何となくけじめをつけているといえば、それ位なのに。

 しかし元々この二人は、付き合っていなくても仲がよかった。

マスタングのいうところの『お笑いトリオ』であるブレダも入れて、少尉3人組は仲が良く、協力し合って仕事をしていたし、一緒に飲みに行っていたりもした。ハボックとリアーナが二人で飲みに行くことも珍しくなかった。

家の方向が同じで『途中で会った』と一緒に出勤してくることもあったし、逆に途中まで一緒に帰るのだと司令部を出ることも多かった。

食堂で一緒に昼食をとることも珍しくなく…。

だから、付き合い始めて二人で出勤しようが、『飲みに行くぞー』と笑い合っていようが、一緒に食事をしようが、休憩時間に二人でふざけていようが、誰もまさか付き合い始めたなどとは思いもしなかったのだ。

 さすがに極々身近な者たちは気付いていたし、打ち明けられた者も居る。そういう者たちはみな誰かに言いふらそうとはしなかった。

 『その仲の良さで、今まで付き合ってなかったのが不思議なんだ!』的ツッコミは置いといて、取り敢えず静かに見守ろうという気持ちだったのだろう。

 ところが、その朝。司令部に激震が走った。

 誰かが、リアーナの部屋から出てくる二人を見かけたらしいのだ。

「「「「おお。」」」」

 二人が並んで司令部の門をくぐるとどよめきが走る。

「…何?」

「さあ。」

 顔を見合わせて首を傾げると、再びざわざわと声が駆け抜けていく。『タイミングもピッタリだ…。』とかも聞こえたような…?

 何なの?本気で誰かをとっ捕まえて事情を聞こうと、リアーナが視線を廻らせた時。

「トウエン少尉!ハボック少尉とお付き合いしてるって、本当なんですか!?」

 経理課の女性職員が半ベソをかきながら駆け寄ってきた。

「うん。まあ。」

 何故泣く?そう思いながらもハボックも頷いた。

「いっ、何時からなんですか!?」

「何時って、…もう4ヶ月になるよね。」

「ああ、だな。」

「そっ、そんなっ!」

「そんなって、…知らなかったの?」

 知らせた人も、気付いた人もいるのだから、どうせ皆知っているのだろうと思っていた二人だった。…というか、いちいち皆に報告すること?

「知りません!」

 悲鳴のようにそう叫ぶ声に、その辺にいた軍人たちが全くだというようにうんうんと頷いた。

 おや、と辺りを見回した二人だったけれど…。

「何か、問題あるの?」

 訊ねたリアーナに、うっと口ごもる。

「な……ない、ですけど…。」

「例えば、ハボックが病気を持ってるとか。ハボックの脳みそ腐ってるとか。ハボックの…。」

「何で、俺だよ!」

 突っ込むタイミングまで絶妙だ。

あまりにも普段どおりなので(…というか、だから4ヶ月も気付かなかったのだけれど…)、だったらまあ。最初から付き合ってたということでいいんじゃないか?

 司令官のお呑気さはすでに司令部中に行き渡っているらしい。

 誰かと付き合ったからといってリアーナが変わった訳ではないと、半ベソをかいていた女性職員も安心したように去って行ったし、足を止めていたものも再び元の作業へと戻った。

「で…何なの?」

「さあ?」

 取り残されて、再び顔を見合わせて首を傾げる二人だった。

 

 

「今朝は、すごい騒ぎだったらしいな。」

 書類の提出に行くと、マスタングがニヤリと笑った。

「ほっといて下さい。」

 苦虫を潰したような表情で、ハボックがうなる。

 ハボックが提出した書類を見つつ、しばらくは仕事の話が続いた。

「…ご苦労だったな。この件については終了だ。」

「良かった、間に合って。もう、死にそうでしたよ。」

「文句は、将軍たちに言いたまえ。……さて、トウエン少尉の件だが…。」

「…あんた…。」

 途端にむっとした表情になる。

ハボックにしてみれば、『手ぇ出そうとしたくせに』だが。マスタングに言わせるなら『リアーナが苦しそうだったから手を差し伸べようとしただけ』で『そもそも、お前が鈍感だからリアーナが苦しんだのだろう』となる。

 二人の間には、大きな認識の差があった。

「なあ、ハボック。お前は考えたことがあるか?」

「何をです?」

 うなるように返事をする。

「何故、トウエン少尉がお前と付き合っていることを誰にも言わなかったのか。」

「…言ったでしょう?」

「…ああ、立場上私や中尉には教えてくれたな。仲の良い友人にも、言っていたようだ。」

「で、しょうが。」

「他に知っている者は、ごく身近でお前たちを良く知るものだけだろう?指令室のメンバーとか、お前たちの副官とか。」

「はい。まあ。」

「そういう者たちは自分から他人に言いふらしたりなどしない。」

「ですね。」

「けどな。…そう、例えば今朝の女性職員のようにな。知れば大騒ぎするような者もいるだろう?ああいうのにトウエン少尉が一言漏らしただけで、一日と待たず司令部内で知らない者は居なくなる。」

「…それは…そうですね。」

「何故、彼女はそれをしなかったんだろうな。変な話。公認の仲になっておいた方が悪い虫が付かなくていい。」

「………。」

 たまたまじゃないのか?ハボックはそう思う。言う機会が無かっただけなんじゃ…?

「お前がトウエン少尉と付き合い始めた頃、『ハボック少尉に彼女が出来た』と噂になった。」

「何スかそれ。」

「お前は分かりやすいからな。彼女が出来るたびに噂になってるんだぞ。」

 …知らなかった…。

「いつもなら、相手の情報も少しは漏れるものだ。花屋の娘らしい…とか、どこそこで二人で歩いているのを見た…とかな。ところが今回は相手の情報が何も無い。

…何でも知りたがる奴っていうのはいるもんだな。トウエン少尉から聞き出そうとする者もいたぞ。」

「え?」

「『トウエン少尉。ハボック少尉の新しい彼女って誰なんですか?』とな。そこで、一言自分だと言えばいいものを。『さあ、今度聞いておくわね。』とごまかしていた。」

「………。」

「付き合い始めてすぐの頃だからな。実感が無いのか、自信が無いのか、あるいは照れくさかったのか。その時はあまり気にもしなかったのだが…。」

 私の言いたいことが分かるか?マスタングの目がそう言っていた。

 つまり、リアーナはいまだハボックとの付き合いに不安を感じているというのか?『私が彼女です。』と胸をはって言えないくらいに?

「大佐……なんで…。」

「私に聞くな。本人に直接聞いてみればいいだろう?」

「………。」

「お前がどう考えているのか、彼女がどう考えているのか私は知らん。…けど、二人がこれからもずっと長く続けていきたいと思うなら、一度きちんと話をすることは必要だと思うが?」

「………。」

「…話は以上だ。仕事に戻りたまえ。」

「……失礼します。」

 執務室を出たハボック。すぐ隣の指令室に戻ろうとして…。ふと、足が止まった。

 この部屋の中には多分リアーナがいる。

 とても、今は普通の顔を出来る自信が無かった。取り敢えずの仕事は終わったのだし、一旦休憩室へ行くことにした。

 クッションのきかない硬いソファにすわり煙草をふかす。煙と一緒にふうっと溜め息を付いた。

 リアーナと付き合い始めて、驚いたことがある。

それは生活が全く変わらなかったことだ。全く…というのは語弊があるかも知れない。けど、変わったことといえば、時々互いの家に泊まりあったり、休みの日に共に過ごすくらい。

 当たり前といえば、当たり前なのかもしれない。しかし、ハボックにとっては驚きだったのだ。

何せそれ以前の彼女たちは、時に仕事を犠牲にしなければならない程様々な要求をしてきたのだ。

どこそこへ何時に迎えに来い。あれを買え。評判の店の食事をご馳走しろ…etc。

 ところが、リアーナはハボックのスケジュールも懐具合も完全に把握しているので、出来ない要求はしてこない。時間が合えば一緒に…となるが、合わなければ無理のない時間に待ち合わせ。給料日の後くらいはレストランの食事も有りだが、苦しい時期になると材料を買って互いの家で作って食べたり…。

 実は先日、過去にやったことの無い定期預金なんてものを生まれて初めて作ってしまったのだ。それをリアーナに言ったら、

「ああ。そういえば、去年の春頃に付き合ってた彼女に色々貢いで借金あったんだっけ。…じゃあ、あれは返し終わったのね。良かったじゃない。」

 とか言われて。気まずいやら、いたたまれないやら。

 とにかくそんなんで、ひどく“楽”なのだ。

 だから時々物足りなくなる。もっと我儘言ってくれていいのに。あれこれ要求してくれていいのに。

 考えてみれば、時々…そう、本当に時々だけど。言おうとしたことを飲み込むような表情をすることがあって…。

 もしかしたら、あれは何かを我慢しているのだろうか?だとしたらそれをさせているのは、なんだろう?

 ハボック? 仕事? 金? 友人? …それとも…?

 

 

 

 

 

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「やさしい笑顔を」から4ヵ月後のお話。
付き合っていて、ラブラブでお似合いで。
なのに、何故か相変わらず二人ともどこか不安で…そんなお話。

 

 

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