自室の天井のシミを、こんなにじっくりと眺めたのは…恐らく初めてなんじゃないだろうか?

 晴天の霹靂。

 鬼の霍乱…?

 数年振りに風邪を引いた…らしい。

 

 

 

やさしい笑顔を 〜わかりづらい…〜

 

 

 

 外は良い天気だというのに、大してキレイでもない男の一人暮らしの部屋で悶々と寝ていると。なにやら本当に情けなくなる。

「………はあ。」

 朝起きて。ベッドから立ち上がろうとして、足に力が入らなかった。

 へなへなと床に座り込んでしまう自分にしばし唖然とした後、めったに掛けない欠勤の連絡を入れた。

 指令室に回された電話を取ったのはリアーナだった。

『…風邪?熱は?』

「分かんねえけど、ゾクゾクする。」

『結構あるわね、きっと。薬は?あるの?』

「いつ買ったのか覚えてないけど、多分ある。」

『…期限切れてるんじゃないの…?』

 声の調子で、リアーナの眉を顰めた表情が思い浮かぶ。

『けど、飲まないよりマシね。何か少しでも食べてからの方がいいんだけど…。』

「食欲無え。」

『………。あったところで自分では作れないでしょうしね。…ああ、確か冷蔵庫にゼリーがあったでしょ。』

「ゼリー?」

 あったか?そんなもの。

『あるでしょ。食事の代わりにぎゅっと飲む不届きなアレよ。』

「ああ、チューブの。」

 不届き…っておい。

 身体が資本の仕事だからだろう。リアーナは俺の食生活が乱れるのを良く思わない。寝坊した朝なんかに、アレだけでとりあえずエネルギー補給をする俺を日頃から苦々しく思っていた模様。

『1本でも2本でも、とりあえずアレを流し込んでから薬を飲みなさい。で、後はひたすら寝る!』

「…分かった。」

『じゃ、中尉と大佐には知らせておくから。』

「あ、おい。…見舞いは?来てくれねーの?」

『………。休むあなたのフォローをするのは一体誰なのかしらね。』

 確実にリアーナの声が1オクターブ低くなった。

「すみません。リアーナとブレダです。」

『分かってれば良いのよ。つまり私の今日の仕事が1.5倍になることも分かるわね。』

「はい。」

『のんびり見舞いになんて、行っていられるかしら?』

「無理です、すみません。」

『じゃあ、ちゃんと暖かくして寝てるのよ。』

 そう言って、電話は切れた。

 言われた通りにチューブ入りのゼリーを冷蔵庫から出した。

 冷えてツルリと入ってくるその喉越しが思ったよりも良くて、2本一気に飲んだ後大分古くなっている薬を飲んだ。

 そしてベッドへ直行。

 ………。

 分かっている。自分が休むことであいつにどれだけ負担を掛けてしまうのか…なんて。

 けど、それでも来て欲しいと思ってしまうのは、我儘なんだろうか?

 天井のシミが、何やら妙な化け物のように見えてきて。情けなくてぎゅっと眼を閉じた。

 

 

 額にぴしゃりと冷たい感触がして、はっと目が覚めた。

 寝てたのか?俺…。

「あ、ごめん。起こしちゃった?」

「リアーナ!」

 叫んだつもりだったけど、しわがれた声にしかならなかった。

「んー、まだ結構熱があるわね。」

 額に冷却シートをぺたりと張ってくれたリアーナの手をとっさにぎゅっと掴んだ。…夢じゃない…。

「今、お昼休みよ。」

 俺の顔が疑問符で一杯だったのだろう。クスリと笑いながらリアーナが教えてくれた。

 ああ、昼休み…ね。

「だから、あまり居られないの。どう?気分は?食欲ある?」

「………。とりあえず…トイレ。」

 そう言って起き出した俺を支えてくれる。

「ああ、結構楽になったみたいだ。」

 自力で立てることにほっとしつつ言うと、リアーナも『良かった』と笑った。

「替えのパジャマを出しておくから戻ったら着替えて。お粥作るから、食べられるだけ食べてね。」

「ああ。」

 トイレを済ませ、汗ばんだ体を拭いてパジャマを着替えると随分と気分もスッキリとしたように思う。

「はい。お粥。レトルトだから、味の保障はしないけど…。」

 ベッドサイドにまで持ってきてくれる。

「……食べさせて…。」

 ボソリと言った俺にきょとんとリアーナの目が見開かれた。

「風邪って…両手が不自由になる病気だったかしら…?……それとも、熱で脳がやられたかしら……。」

 呆れたように呟く。

 それでも、キッチンから椅子を一脚持って来て座り。一口分をスプーンに乗せてふうふうと冷ましてくれた後『はい』と口元へと運んでくれた。

「…うまい…。」

「そう?良かった。」

 レトルトとは言っていたけど、俺の口に合うように多少調味料で味を調えてくれたようだ。朝からまともなものを口にしていなかった腹がぐうと鳴った。

 もう一口食べさせてくれていたリアーナは、クスクスと笑いながら『後は自分で食べたら?』と器とスプーンを寄こした。

「食べながらでいいんだけど…。」

 遠慮がちにそう言うと、リアーナは傍らの紙袋から何枚かの書類を出してきた。

「これ、ちょっと教えて欲しいんだけど…。」

 それは本来俺がやるべき仕事だ。

 特別に配慮しなければならない部分について幾つか申し送りをし、ブレダに『聞いて来い』と言われたという案件についても答えて。後、2・3枚の書類にサインをする。

 ああ、本当に迷惑をかけちまってるな…と申し訳なくなる。

「りんごと桃缶、どっちが良い?」

「……桃缶。」

「分かった。」

 リアーナは空いた粥の器を持ってキッチンへと立つと、暫くして桃を載せた器と水を入れたコップと薬をトレーに乗せて持ってきた。

「思ったよりも食欲があって、良かったわ。この分ならすぐに治るわ。」

「悪いな。迷惑かけた。」

「お互い様、でしょう? ジャンはこの頃忙しくしてたから、体が疲れてたのよ。」

 優しく笑うリアーナを思わず抱きしめていた。

「なあに?随分甘ったれモード入ってるわね。」

 クスクスと笑う声が耳元に届いた。

「なあ、キスしてえ。」

「ダメ!風邪うつるとヤだから。」

「…お〜い。」

「ダーメ! 今、私まで具合悪くなる訳には行かないの。」

 ぴしりと拒絶される。

 そりゃそうだろうけどさ。病気の彼氏にそれは無いだろう。

「あ、私もう司令部に戻らないと。」

「え、もう?」

「うん。これから戻って丁度1時間ってとこね。」

 慌ただしく書類を入れた紙袋を持って立ち上がった。

「じゃ、暖かくして寝てるのよ。薬ちゃんと飲んでね。」

 そういうと、リアーナはあっさり出て行ってしまった。

 そりゃあ、元々リアーナの性格はあっさりさっぱりしている方だと思うけど…、実に事務的に『看病』をして行っちまったよなあ…。

 溜め息一つついて、言われたとおりに薬を飲んでベッドへ潜り込んだ。

 薬が効き始めたのか、暫くしてうつらうつらと眠くなって…。

「あ。」

 ふと、気がついた。

あいつ、昼飯食ったのか?

 昼休みは大体1時間。

 買い物してここまで来て、俺の面倒見て、司令部へ戻る。

 これを1時間でやろうと思ったら…。自分の食事の時間なんて取れるんだろうか?

 買い物の時に何か買って腹には入れたのかも知れない。…けど、そんなの『食事』じゃない。俺のぎゅっと流し込むゼリーと変わらない。

 忙しい中、1時間の休憩時間を作り出すのがどれだけ大変か。身をもって分かっているはずじゃないか。

 なのに来てくれたのは、恐らく俺が気弱になってるのを察してくれたから。

 俺が、もしかしたら明日も休むかも知れない状況の中で、あいつまで体調を崩すわけには行かないのも分かっている。

 それは仕事が滞るというだけではなく、『自分がいるから安心してゆっくり体を休めて』というリアーナの優しさだ。

 傍にいて、かいがいしく世話を焼いてくれることだけが優しさじゃない。

 ああ、もう。

 何で俺は、不満ばっかりでちゃんと『ありがとう』と言えなかったんだ。

 何で、『お前こそ無理してないか?』と『昼飯ちゃんと食ってるのか?』と、気遣ってやれなかったんだ。

 いつの間にか眠っていた夢の中で、俺はリアーナに必死に謝っていた。

『いいから、早く治しなさい。それが一番のお礼でしょう?』

 夢の中のリアーナはそう言ってにっこりと笑った。

 

 

 ………分かりづらいよなあ。

 本当。分かりづれーよ。

 分かりづらいんだけど。そこにはちゃんとリアーナの優しさがある。

 

 

 

 

 

 

20070301UP
END

 

 

普段から忙しい軍のお仕事。
たとえ彼氏といえども同僚が風邪を引いて欠勤した時に、仕事を休んで看病など出来るものなのだろうか?
…との疑問から出来たお話。
優しさの表し方にはイロイロあります。
今回は
おまけ付き。
(07、03、05)