トライアスロンにチャレンジして完走された下肢切断アスリートの方たちです。
これは管理人が把握している情報の範囲内で作成しました。
まだ他にもおられると思われますので、ご存知の方がいれば管理人まで
ご連絡ください。 メール
片大腿切断 |
File No. | 氏 名 | 障害部位 | 地域 | ||
01 | サラ・レイナートセン | 左大腿 | USA | ||
情 報 | |||||
2005年ハワイのアイアンマンのトライアスロンレース(ロング)を、切断女性として初めて完走。 出ましたね、ついに。 〜詳細は下に掲載しています。 |
ついにやってくれました!! 大腿切断でしかも女性でハワイのアイアンマンを完走してしまいました。
写真で見る限りは断短は長く、義足でのランのフォームもすばらしいですね。
でも、これがいかに大変ですごい事かは、私が一番よく分かります。
ハワイのアイアンマンは、スイム3.8km、バイク180km、ラン42.195kmですから!(◎o◎)!
知り合いの方が、アメリカの本屋さんで偶然見つけたトライアスロンの雑誌の表紙を飾っていた
そうです。
記事は当然英語ですので、英語の得意な友人に翻訳してもらいました。下記がその内容です。
「しなければならないこと」 |
2005年、Sarah Reinertsen(30歳)は、切断障害の女性で初めてハワイのアイアンマンを完走した。15時間5分でアリィ・ドライブ(ハワイゴール地点の名前らしい)のゴールをたくさんのファンファーレ(と、少なくない5人のテレビカメラマンが彼女について)の中、くぐった。 この偉業は2004年のバイクで予選落ちしたことに、さらなる衝撃と胸がいたくなる思いを与えた。Reinertsenは先天性の大たい骨の障害をもって生まれ、7歳のときに切断した。4年後、彼女はその障害をもったまま子供の陸上大会に出場し、勝利した。1992年、17歳のときに、スペインのバルセロナパラリンピックにアメリカ代表選手として出場し、彼女は、ひざ上切断の区分で100メートルからマラソンまで全ての競技で世界記録を打ち出した。彼女は常に新しい挑戦を探していて、28歳のときにバイクに乗ることを学び、その数ヵ月後には2003年のITUトライアスロンワールドチャンピオンになった。障害者アスリート協会の代表者はReinertsenをオズール(義足メーカーだと思われる)のマーケティングディレクターとして彼女のものも含めデザインやプロデュースの仕事をさせた。彼女は最近私たちにAliso, Viejo, Califの会社のオフィスで話をしてくれた。 記者:2005年のハワイアイアンマンのあなたのモットーは「未完成の仕事」でした。その仕事がおわってこれからはどのような計画なのですか? 今シーズンは、短い距離のレースと2つのハーフのアイアンマンに出場したいです。将来他のアイアンマンにも出場したいですが、おそらく2007年までは出ないと思います。15時間をきろうと考えています。 また、仕事のほうでも計画はあります。紙面上で働いて、そして今のオズールの仕事を離れ評論家としてはたらいて、フルタイムでトレーニングを始めます。こうやって話してる間もモチベーションは上がってきているし、この仕事は2004年の初めてのアイアンマンからゆっくりとたちあがってきていますよ。私が両足で(冗談じゃなく・・)ジャンプすることで、自分の生計を立てられるのだと思っています。 そして、それは私が好きであるスポーツをするために、私に柔軟性を与えます。
‘コース上で時々考える・・・ 私に2本の足があったなら、今すぐにあなたを追い越すことができると ‘
記者:あなたは、ハワイのアイアンマンを完走した始めての切断障害をもつ女性です。しかし、あなたはこんなに才能のあるアスリートなのに、まだ1番でないと疑い、コナ(ハワイの地名)の大きなコースに向かうのですか?
私は、負けず嫌いで、自分が挑戦したレースでポイントを得たいのです。 オリンピックの距離がこれを長くしたものであり、そして、2008年の北京パラリンピックにトライアスロンをいれようという運動もあります。 もし、通過したら、アメリカ代表のトライアスロンの選手としてもう一度でたい。これは、アスリートとしてフィールドにたちむかうレースであり、ただ単に時間を競争するだけのレースではなくおもしろいと思う。 短い距離にもどるということやもっと早くなるための1つの理由であります。
記者:あなたは、もしあなたに2本の足があったらどれだけ早くなるだろう、もしくはあなたの気持ちにそういう仮定をしないでおこうとしたことはありますか?
私の気持ちはあちこちへ行きます。激しく。 アイアンマンのセレモニーで同じ年齢のグループの女性が賞をもらうのに立ち上がるのを見て、そしてタイムを聴いて私は考えます。「神様、私に両足があったなら私は、負けず嫌いだったでしょうか?」と。 そして、コース上でときどき思うのです。もし、私に両足があったなら、いますぐあなたを抜くことができる!と。 特にアイアンマンのようなレースではそのようなことを考える時間が多かったです。私は、義足で走っているのだから、はやくなるはずがないと、ときどき、それらの考えを自分で制限するときがあります。時々、私は、自分自身を強く押さないでおこうと考えます。なぜなら、私は、そういうこと(義足でトライアスロン)をしているただ一人の人なのですから。負けず嫌いをもたないことが私の背中をおしてくれるのです。 記者:あなたの達成の結果として、ランナーズワールドの表紙を飾り、TVのニュースでもフューチャーされましたよね。そのような注目をどのように感じますか? 私は、みんなに注目されることを楽しんでいます。注目が私を支えてくれます。しかし 私が一番感動させられるのは、一人一人からの声援なのです。私は、ニューヨークシティマラソンのRunner’s Worldのブースにサインをしました。そのとき、私のところへたくさんの人々がよってきてくれて、私に、去年の私の話をどう思ったか、彼らの子供たちが、私の話を聞き、そして私をみて、奮起して走り始めたとか、40ポンドも体重がへったとか、いろいろなことを話してくれました。それらの話を聞くことが、私にとっての最大のご褒美なのです。そしてそれは、私の話を世の中に伝えてくれる、メディアのおかげだと思っています。 ‘2004年の予選通過ができなかった時、衝撃的でそして悲痛でした’ 記者:あなたのやる気をおこさせる話し方のビジネスは、確実にあなたが、世間の関心を集めたままでいられるのを助けています。あなたは、将来にそのような広報活動を常に一歩リードしてコンスタントにやっていくことにプレッシャーは感じませんか? 私の、新しいキャリアの方針は、たくさんの人に名前を知ってもらうことです。しかし、私の性格でさえ常に次の挑戦へむけて設定しているのです。もし、私がメディアの注目をあびたなら、それはとてもよいことです。しかし、そうでなくても、いいのです。なぜならば、私の次の挑戦は、5Kや10Kやハーフアイアンマンで勝利を収めることなのです。そうすれば、質問がありますよね。‘アイアンマンの後は何をするのか?’って。おそらくただ違うアイアンマン、もしくはアイアンマンでより早くなるのを目指すのです。おそらく、ウルトラマラソンもしくは、アドベンチャーレースもやるでしょう。 正直、去年のアイアンマンの後、スポンサーが「OK。彼女のアイアンマンは終わった。これで終わりなんだ。もう、メディアの関心を集めることはないだろう」というだろうと心配していました。 しかし、それは本当だと考えなかったのです。私は特別なアスリートですから。小さくても、ローカルなトライアスロンでさえも、人々は、「おぉ!!義足で走る女の人みたことある?」っていいます。私の思う注目は続くでしょう。なぜなら、ただ単に私が私であること、私がその状況にいるということだけなのですから。 私にとって、今の私のポジションを利用するということは、他の切断障害の人がこのスポーツに参加するのを助けるという重要なことなのです。これは、なぜ私の仕事がChallenged Athletes Foundationであるかが重要なことなのです。私の名前を使う必要があるのは、プロとしての自分のためだけではなく、トライアスロンというスポーツの向上と、他の障害者の助けになると思うからです。 記者:メディアの注意は、初めてのアイアンマンに及ばないですね。 私が、2004年に予選通過できなかったとき、とても衝撃をうけ、悲痛でした。よりドラマティックだと思ってほしくなかったけど、私は確実に、少し元気がなかったんです。私は、人が考えることを心配しました。「しかたないな。彼女の挑戦はかっこよかったけど、もう彼女のあたまにはなすすべもないんだ」 私は、本当に自分のフラストレーションをポジティブに変える道をさがしました。私の心構えを大きく変化させました。私は、できる限りの準備をしました。しかし、レースで自分自身に驚いたのです。私は思いました。自分の人生のレースが15時間半であると。バイクが、1時間半以前のレースより早くなりました。アイアンマンは、本当に自分自身を律することのできるスポーツです。そして、私は始まったばっかりだと思っています。あのゴールラインは終わりではありません。始まりだったのです。 記者:私は多くのトライアスリートがあなたのような一本の足でトレーニングし、レースをするのに驚くだろうと思うのです。何か他の人と違うという例がありますか? 私は、ニューヨークでの研究に参加しました。その研究とは、片足切断の人は健常者の片足よりも2倍のエネルギーと、40パーセントより多くの酸素を使うということです。だから私は、コースで倒れないために一生懸命にトレーニングしているのです。私は、バイクにまたがったら、サドルから降りることはできません。私を救ってくれるものはありません。これが最大の違いだと思います。サドルの上に忍耐強く乗り続け、こぎ続け、そして上位をめざさなければならない。だから、自転車に若干の変化をつけたのです。マウンテンバイクの後ろの歯車を後ろで持っています。だから、私は坂道でもこぐことができるのです。 ときどき、友達の足の1本をペダルの外にとめて、サドルにすわらせて、坂をこがせてみるのです。彼らは、「あなたがこれをしているなんて信じられない!!」といいます。 しかし、これは私がしなければならないことなのです。 |