「怪盗 I が、花鳥の器を盗もうとしてるんだってよ」

ふとそんな言葉を耳にして、はその会話のあった場所に一瞥をやった。人ごみの中で、高校生らしい、ブレザーを着た少年の姿が目に入る。口調や声からすると、さっきの会話はあの子たちがしていたのだろうか。どうして、そんなことを知っているのだろう ――― たしかにそれは、本当のことだけど。







怪盗には

噂話予告状

付き物







はぁ、と新一はため息をついた。彼の周りにいる、ざっと80人ほどの警官たちは、今彼らがいるこの大きな屋敷 ――― 虻川邸の敷地内で、それぞれの持ち場へと移動をしている。それは全て、怪盗 I を捕まえるために、だ。
怪盗 I は、少し前に世間に現れた怪盗だった。大げさなほどに世間を騒がせる怪盗キッドに比べれば知名度は落ちるものの、それでも現れてからのこの短期間の間に10件以上もの盗みを成功させた彼は、十分なほどに名を知られていた。それは、警察内においても同様だ。いくら警備を布いても、彼は誰にも姿を見られることなく、その警備網を潜り抜けていく。ただでさえ厄介なキッドに I まで加わり、頭を悩ませた警察から白羽の矢がたったのが、高校生探偵として有名な彼、工藤新一だった。
だんだんと人の気配が減っていく中で、新一は怪盗 I の予告状を思い出す。予告状には、『 今夜7時、虻川守之助氏宅より、花鳥の器をいただきに参ります 』と、その一文が書かれていた。簡潔に、その一文だけが。正直、いまいち新一のやる気が出ない理由は、その予告状にあった。彼は確かに凄腕の怪盗なのだろう。けれど、探偵である新一にしてみれば、もう謎のある ――― 捻りのあるもののほうが、楽しいことは事実なのだ。

もう一度小さく息を吐いてから、新一は自分の時計へ目をやった。時刻は6時59分。彼の予告時間まで、あと1分だ。
周りは既に静寂に包まれていた。新一は電波時計である自分の時計に目をやったまま、虻川邸の正面で7時を待つ。そして ――― カチリ と時計の分針が12を指した瞬間、屋敷の中から爆音のような大きな音と、目を塞ぐ激しい光が漏れ出した。屋敷の中では何かが起きたようで、中に待機していた警官たちのざわめきが聞こえる。外で張っていた警官たちも、そんな屋敷の様子に、新一の横を通って屋敷の中へと入っていった。
けれど、新一はそこから動かずにいた。すっかり人がいなくなったその場で、新一は呆れたように息を吐く。全員がいなくなってどうするんだ と。屋敷のざわめきを耳に、しばらく時計を見ていた新一は、頭上から聞こえたカツン、という音に顔を上げた。そうして、そこにあった姿に、彼は口元を吊り上げる。新一のはるか頭上、虻川邸の屋根の上には ――― 人影があった。黒いスーツに黒のマント、そして黒のシルクハットという装いのその姿に、それとは逆の色合いのキッドの姿が脳裏に浮かぶ。その次の瞬間、お互いに確認は出来ないけれど ――― 2人の視線が重なった。

      随分お若い刑事さんね?」

その人影から、新一へと声が届いた。その声に、新一は一瞬眉を寄せる。女性の声だ。遠目ではあるけれども、あの身体付きも、女性にしか見えない。怪盗 I は女だったのか ―― ?変装の達人であるキッドの例を頭に置きながら、怪盗 I へと言葉を返すために口を開いた。先ほどまでのやる気の無さはどこへ行ったのか、その目は、しっかりと探偵としてのものになっている。

「いえ、高校生ですよ。はじめまして、工藤新一です。以後お見知りおきを」
「あら、貴方が有名な      

新一の丁寧な言葉に、怪盗 I は声を返しながらクスリと笑った。その様子に、新一の楽しげな表情を浮かべる。どうやら、怪盗 I に捻りがないと思ったのは間違いだったらしい。彼女 ―― まだ確定は出来ないが、今はそう思おうと新一は思った ―― には、探偵として惹きつけられるものがあるようだ。それは、そう ――― 怪盗キッドに感じる なにか と似ていた。

「僕のことをご存知なんですか?」
「もちろんよ。日本警察の救世主と名高い、東の高校生探偵 工藤新一」
「光栄です。」

新一が笑顔を浮かべれば、怪盗 I も笑顔を浮かべた。そうして、その穏やかな ――― けれど、張り詰めた糸のような緊張が漂うその場に、再度屋敷の中からの光が漏れた。そして、また大きいざわめきが起きる。そう、近くにはかなりの数の警察がいる。新一がなにか行動を起こせば、この状況は一変するだろう。けれど今の新一には、そんな気は起きなかった。彼女もそれを察しているのか、ゆっくりとした動作で首をかしげる。

「名残惜しいけれど、失礼するわね」
     花鳥の器は?」
「頂いたわ」

ここに と示すように、彼女は黒い布で包まれたものを新一へと見せた。なるほど、たしか先ほど新一が見た器の大きさもあれほどだった ――― つまり、怪盗 I にしっかりと仕事をされたということだろう。それもそうだ、あれほどいた警官たちは、彼女がこうして外にいる今、屋敷の中で彼女を探してるのだから。頭のどこかでそんなことを思いながら、ス と身体を一歩後ろへと下げた彼女に、新一は待ってください と声をかけた。

「なにかしら、探偵さん?」
「よろしければ、あなたのお名前を」
     そういえば、言っていなかったわね」

今思い出したように言う彼女に、ええ と新一は答える。そうすると、彼女は胸元のポケットから白い何かを取り出した。目を細めて警戒する新一だが、新一がなにかする前に、怪盗 I はその白いものをヒラリと宙に手放した。新一がそのものを見れば、白く薄いカードのようで、新一はそれを確認してから怪盗 I へと視線を戻す。そうすれば、怪盗 I は不敵に笑ってみせた。

「世間でいうところの       怪盗 I よ」

それだけを言って、彼女は一歩下げただけで止めていた足を再度動かし、屋根の奥へと消えていった。ようやく近づいてきた白いカードを、新一はパシリと手にとる。そこには、新一が見た怪盗 I の予告状と同じように、『 花鳥の器 たしかにいただきました 』 とだけ書かれている。そのカードを前に、新一は一人 ニッと不敵な笑みを浮かべた。そうして、思う。 怪盗 I は ―――― 俺が捕まえる。