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人気のない墓地の中、家の墓の前に怪盗 I は立っていた。周りに警察はいない。この場所はわからなかったのだろう。黒のシルクハットに黒のスーツ。この墓地には不相応なこの格好は、しかし怪盗 I としての正装だった。手には、今日の仕事のメインのものがある。父に頼まれた母の遺品は、 ――― 母の、結婚指輪だった。そして、怪盗 I の手にはもう一つの指輪がある。父に頼まれたものではない。自分の判断でもってきた、父の結婚指輪。自分のもとにあるよりも、一緒にあったほうがいいと、そう思ったからだった。母が父を愛していたことは幼いころから知っていたし、父が母を愛していたこともわかった。だからこそ。だからこそ、この2つの指輪を墓の中に納めるために、怪盗 I はこの場に立っていた。 けれど、怪盗 I は墓の前に立ったまま動かなかった。時刻はすでに8時2分。予告時刻と寸分たがわずに仕事を済ませる怪盗 I にしてみれば、 大分のロス。けれど彼女はそれを気にすることはなく、そうして、一つ息を吐いてから口を開いた。 「こんばんは、工藤くん」 「・・・・・、こんばんは、怪盗 I 」 一人だったはずの怪盗 I の言葉に、返事が返ってくる。そのことに驚くでもなく、怪盗 I は自分の後ろを振り返った。そこにいたのは幾度となく対面してきた高校生探偵の彼で、怪盗 I は口元にいつものような笑みを浮かべる。いつも怪盗 I は新一よりも高い場所にいるため、こうして同じ高さで会話をすることは初めてのことだった。けれど、目深にかぶられたシルクハットで、新一から怪盗 I の顔は見えない。 「お一人かしら?」 「えぇ、一人です」 「そう。よくわかったわね、この場所が」 「・・・あなたが、たくさんのヒントを残したからだ」 言って、新一は足を進めた。少しずつ2人の距離が近くなる。5m、4m、3m。あと2mといったところで、新一は足を止めた。まっすぐに感じる視線に、怪盗 I は笑みを崩さない。あんなことを言ってみたものの、きっと彼はここにくるだろうという確信があった。それは彼の言葉通りだろう。いろいろなヒントを与えすぎたのだ。だから、動揺はしていない。捕まってもいいとさえ思っている。ただ、―― この仕事をやらせてさえくれれば。 「どうして、怪盗 I を?」 「・・最初は母のため。次は父のため。最後は、・・私のために」 その言葉に、新一は目を細めた。わかって、いた。そもそも怪盗 I は盗んだものは全て持ち主に返しているのだから、その行動自体に利益はないのだ。彼女が、家族のために怪盗 I をやっていたことなど、新一は知っていた。自分は、ただ利益だけを求める怪盗など追いはしない。そんな新一に、怪盗 I は小さく笑う。 「どうして一人で来たの?逃げられるかもしれないのに」 「・・・逃がしません」 新一の言葉に、怪盗 I が、あら と笑う。実際のところ、今回は逃げる気などない。ここにいる時点で、彼は自分の正体に気づいているはずだ。ならば、逃げたところで何にもならない。今までこういった一対一の状態で、怪盗 I は毎回捕まらずに逃げてきたとはいえ、これは言葉遊びのようなものだ。それは新一ももちろんわかっている。けれど、それでも逃がすつもりはなかった。新一が一歩、怪盗 I に近づく。怪盗 I は動かない。また少し近くなった状態で、新一が口を開いた。 「俺はあなたを盗みに来たんです」 「・・・・・・、希代の探偵さんが、何を言っているのかしら」 少し考える間をあけた彼女の言葉に、それじゃぁ俺も怪盗になればいいですか?と新一が返した。その顔にも声にも、ふざけた様子はない。今度こそ、怪盗 I は訝しげに眉を寄せた。彼はいったい何がしたいんだろう。シルクハットで怪盗 I の顔は見えないが、その雰囲気を感じた新一が小さく笑った。そうして、手元の時計へと目をやって時間を確認してから、怪盗 I へと視線を戻す。 「今夜8時10分 怪盗 I の最後の仕事場に、あなたを戴きに参ります」 宣誓のようなその言葉に、怪盗 I は何かを言いかけて、結局口を閉じた。彼の目的ななんなんだろう。わざわざそんな雰囲気で怪盗 I の最後をしめてやろうとでも言うのだろうか。そんなことを思いながら、怪盗 I は小さく笑った。今まで彼のいろいろな面を見たけれど、彼にはこういった口調も似合うらしい。今の彼の雰囲気に、一人の白い怪盗を思い出す。一度だけ接触した怪盗の彼は、そういえば、今目の前にいる彼と似ていた。そんなことを頭の隅で思いながら、怪盗 I が笑う。 「ロマンチックな最後に感激の意を表して、おとなしく捕まるべきかしら?」 「・・違いますよ。怪盗 I を捕まえにきたんじゃない」 冗談めかして言った怪盗 I に、新一が一歩近づきながら言う。一歩、また一歩。怪盗 I はそれを見据えながら、やはり動くことはしなかった。手を伸ばせば触れられる距離で、新一は怪盗 I の手をとった。その手の中には、今日の目的である2つの指輪がある。その指輪に、新一は小さく微笑んだ。 「手伝います。いくらあなたでも、一人でやるのは大変なはずだ」 「・・・・・どうして?」 新一の言葉に返すことはせずに、怪盗 I は指輪へと目をやったままで呟いた。彼は、本当に、何がしたいんだろう。最後に彼と会ったのは、まだ彼が自分を少しも疑っていなかったときだ。そのときと、彼は変わらない。優しくて、温かい彼のまま。だからこそ逆に、どうしたらいいのかわからなかった。そんな彼女に、新一はゆっくりと手を伸ばした。そして、目深にかぶられたシルクハットに触れる。それでも怪盗 I は動かなかった。する、と彼女の頭から落とされた黒のシルクハットが、ぱさりと音を立てて地面へと落ちる。 「・・・・・こんばんは、さん」 柔らかい声に、は指輪へと向けていた顔を新一に向けた。そこには声と同様に柔らかい表情をした新一がいて、はしばらく彼へと視線をやってから、こんばんは と返すように小さな笑みを向けた。そして、ごめんね と小さく呟く。いろいろな意味をこめてだった。父のことも、怪盗 I のことも、自分のことも。そんなの言葉に笑顔を返してから、新一はさん とゆっくりと彼女の名前を呼ぶ。 「俺がさんを捕まえる。どこにも行かせない。そして、怪盗 I は姿を消す。」 真剣な顔で言ってから、いいですか と新一が問いかけた。その言葉に、驚いていたも小さく笑う。そんなに言っておきながら、わざわざ確認をとる意味があるんだろうか。きっと彼は、嫌だと言ったところで折れはしないのだろうに。なんだか急に、今まで考えていたことが馬鹿らしく思えてきた。探偵と怪盗だと、そう思っていたというのに、なんなんだろう、彼のこの吹っ切れている感じは。そんなことを思いながら、は新一に向かって口を開く。 「名探偵の工藤新一くんは、それでいいの?」 怪盗 I の事件は迷宮入りよ とが言う。迷宮入りなしの名探偵。そう言われるのが、東の高校生探偵 工藤新一だ。その言葉に、新一は悪戯っぽく笑う。俺の中では、謎は解けたんで。そう言いながら、新一が既に近かった距離を埋めた。ふわりと抱き込まれるのは父が亡くなった後に会ったあのとき以来。けれどあのときとは少し違う温度に、は目を閉じた。 |
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「さんが、好きです」 新一の言葉がの耳に届く。の手の中で、2つの指輪が小さな音を立てた。 |