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To Shine
welcome the New Year
「監督」 「・・・か」 笠井と昼食を共にしたその日、後輩に頼んだ伝言通り、は部活の終わったグラウンドへと顔を出した。声をかけられた桐原も笠井から伝言を受け取っていたためか、驚きもせずにの姿を捉える。グラウンドを挟んで松葉寮とは反対側、駐車場へと続く道で、少しお時間いいですか、と問うたを、桐原は3年間指導者としてを見てきたその目で見据えた。 「決めたのか」 然程間を空けることなく紡がれた、何の前置きもない、いつも通りの厳しい声とぶれることない口調での問いかけ。そんな彼らしい桐原の様子に、は唇を結ぶ。はい、と返す声はどこかぼんやりとして頭に届いて、まるで自分のものではないような感覚が芽生えた。けれどこれは、自分で決めたことなのだ。悩みに悩んで、自分が。そう思い返しながらゆっくりとひとつ瞬きをして、は桐原へと意志を込めた視線を返す。 「・・・・ドイツに行きます」 もっと、強くなるために。 そう告げた途端、どこか遠くにあった感覚が、押し寄せるように自分の手の中へ戻ってきたかのようだった。こうしてはっきりと、宣誓するかのように告げたのは初めてだったからだろうか、急に生まれてきた現実味に、は拳を握る。この話が来るまで、はこのまま桐原の元でサッカーをしていくつもりだった。このまま武蔵森で、このままのチームメイトと。そんなこと、改めて考えるまでもないことですらあった。けれど、自分は今、こうしてここを離れることを決めたのだ。今までお世話になった、この人から。そんな事実に、後ろめたさのような、心苦しさのような ―― 言葉にし難い感覚を呑み込むに、静かにその言葉を聞いていた桐原は口を開く。 「そうか」 そうして紡がれたのは、やけにあっさりとした言葉だった。言葉だけではない、その声にも作ったものではない落ち着きが多分に含まれていて、伝えるまでに悶々と考えて混んでいたは、え、と拍子抜けして無意識な声を零す。そんなに、ふん、と桐原が小さく眉を上げた。そうして、ただの無謀な馬鹿なら私も止めた、と、無表情で紡がれた辛辣な言葉に、は小さく苦笑を零す。この中学生活で慣れた、けれどもなんだか久しぶりなそれ。感じる懐かしさに頬を緩めたは、しかし、と続いたその言葉に、目を見開いた。 「お前にはそれだけの可能性がある。・・・行ってこい」 そう言う桐原の顔には笑みが浮かんでいる。まるで初めから、がこの道を選ぶことがわかっていたかのようだった。普段は厳しい桐原のその言葉に、その笑みに、はぐっと唇を結ぶ。そうしなければ、嬉しさや寂しさや、感謝や ――― そんな堪え切れない感情が、溢れてしまいそうだった。それらを十分押し止められないまま開かれた口から出る声は震えてしまうけれど、それでもは桐原に向かって頭を下げる。 「・・・ありがとうございます。俺、武蔵森でサッカーが出来て、本当に良かったです」 深く腰を折ったからは見えなかったけれど、その言葉に桐原は、指導者としての微笑みを顔に浮かべた。そうして、まだ武蔵森サッカー部員のはずだったが、とに言葉をかける。そんな監督に、気持ちはいつまでも武蔵森サッカー部員ですよ、と返しながら顔を上げたは、どこか不格好な笑みを浮かべていた。嬉しかったのだ、監督がそう言ってくれたことが。けれどどれだけ勝手なのだろうか、少しだけ、止めてほしいとも思った自分がいたことに気付かないふりをして、は再度礼をする。練習後に時間を取ってくれたことに対して、自分の決断を待っていてくれたことに対して。何も今日が最後というわけでもない、何より3年間の礼は、今ここで全て伝えきることなど出来るはずもなかった。そうして席をはずそうとしたに、、と桐原の声がかかる。 「・・きちんと伝えるように」 「・・・、・・・はい」 何を、とは言わずとも、その意図は十分にへと伝わった。3年間指導してきた桐原は、やはりのことをよくわかっているのだ。まだチームメイトにも告げていないこと、ぎりぎりまで伝える気もないこと。それをわかっての言葉に、は困ったように笑いながらも、しっかりと頷いた。教え子のその様子に納得したのか、桐原はを見遣ってから踵を返す。その恩師の姿を見送って、はグラウンドへと視線をやった。遠目ながらもまだ何人かが残って練習をしているのが見える。その姿に、は小さく呟いた。 「・・・ごめんな」 高等部で待っている、は後輩たちにそう告げて憚らなかった。その時は偽りない本心だった、なんていうのはただの言い訳だろう。がドイツに留学することを躊躇った理由には、それもあった。彼らに、自分を追いかけてきてくれると言った彼らに約束したのだ。待っている、と。それなのに。けれど、もう自分は決めた。そうしてそれを告げたのだ。ならばもう迷わない。もう、決めたのだ ――― 自分のために。 |