To Shine
welcome the New Year






新年となり、新たな学期が始まってからも、武蔵森学園の日常は大きくは変わらないものだった。新年が明けたとは言え、日本での大きな区切りは新年度というものである。学生にとって一番の大きな変化があるのはその新年度なのだから、年が変わったとは言え、彼らにとっての感覚は新学期が始まった、というものであった。それに加えてエスカレーターで高等部に上がる生徒が多いのが武蔵森である。外部受験の生徒がいる以上至って普段通りというわけではないが、それでも他の ―― 例えば公立中学などの ―― 3年生に比べれば、やはり緊張感も緊迫感もない。も例に漏れずいつも通りの一日を過ごしていたからこそ、携帯に届いた笠井からの昼食のお誘いは、その日常の中でも少しばかり特筆すべきものであった。とは言っても当然嫌なものではない。ただ、寮でも会うというのに、恐らく敢えてなのだろう学内での昼食の誘いに思う所があったのは事実だった。そんな思案を巡らせながら、は購買で買った昼食を手に、待ち合わせの屋上の扉を開く。目的の後輩はすぐに見つかった。

「おー、笠井。悪い、待たせたか?」
「いえ。すみません、寒いのに」

1月という時期柄、やはり気温は冬真っ盛りのそれである。元々利用者が多いわけではない屋上は輪をかけて人が疎らで、言ってしまえば絶好の穴場スポットとでも言うのだろうか。もちろん寒さのためにしっかりと着こんでくることが大前提ではあるのだけれど。そんな中、この場所にを呼んだ笠井はすまなそうに謝罪を口にした。けれど着こんで来た身は少なくとも現時点ではさほど寒さを感じてはおらず、何より普段こういった誘いのない後輩からの呼びだしを不満に思うほど器が狭いわけではない、と、は気にするなと笑った。そうして二人、建物が風除けとなるスポットに腰を下ろす。まずは、とは菓子パンの袋を空けた。そうして交わされるのは至って普段通りの会話。というのも、やはり毎日寮で顔を合わせているのだ、先日の新人戦の結果だって知っているし、誰が調子がいいのかなんてことも知っている。だからこそ、笠井が何を思って自分を呼んだのか、は少なからずわかっているつもりでいた。恐らく笠井も初めからそれをわかっていたのだろう、ふと途切れた会話の中で、から向けられる視線に、笠井は苦笑を浮かべる。

「・・先輩には、敵いませんね」

そうして紡がれたのは、現在のチーム状況に対する笠井の ――― ある種の焦りのようなものだった。取り立てて何かが物凄く上手くいっていないわけではない、誰かと誰かが揉め事を起こしているわけでもない。けれども、チームとしてのまとまりが出来上がっていないと、笠井は先日の新人戦で決定的に感じたと、そうに打ち明けた。その言葉に、は考える。こう言っては身も蓋もないけれども、それは当然の状況なのだ。実際、去年だってまとまってなどいなかった。ましてや去年はスタメンを含め怪我人が続出していたのだ、まとまりだのなんだのというよりは、まず試合を出来るだけのチームに仕上げるところからの問題であった。けれどその環境下でもそう感じさせなかったのは、ある意味で、問題が3年生の外に出なかったというだけだ。最高学年としてチームの中心にいなければわからないこともある。今だって、恐らく笠井たちの下の代 ――― 1年生たちは、この状況へのリアルな危機感など抱いていないだろう。そんなものなのだなと、こうして後輩を見る立場になったは改めて思う。結局どんな代だって、スタート地点はほぼ変わらないのだ。けれどそれに頭を悩ませる笠井を見て、一代下のキャプテンを見て、はひとつ息を零した。けれど決してネガティブなものではないそれを耳に留めた笠井は、その息の意味を問うようにへと声をかける。その声に答えるように、はからりと笑った。

「いや、なんつーか・・成長したな、お前」
「・・・からかわないでください」

半分は本音、半分は照れ隠しというところだろうか。の言葉にため息をついて、笠井は手元の飲み物へと視線を落とす。そんな笠井に、は昨夏の後輩の姿を重ね合わせた。まだ半年も経っていないというのに、すっかりキャプテンらしくなっちゃってまあ、なんていうのはまるで成長した親戚の子供を見るような感覚でいて、けれどそれよりももっと近い。

「・・なあ、笠井」
「はい?・・、」

呼びかけに顔を上げた笠井は、その先にあったの表情に、続けようとした言葉を呑み込んだ。サッカーをしているときのような強気な笑みではなく、友人たちと話しているときの気楽な笑みでもなく、なにか悪戯めいたことをしているときの企んだような笑みでもなく ――― 先輩の笑みとでも言うのだろうか。そんな穏やかな目を、は笠井に向けていた。

「お前ひとりで抱え込む必要なんてないんだからな」

落とされる声はとても落ち着いて、しっくりと届く。優等生めいた言葉であるそれが、この人の声で告げられるだけで説得力を持つことが笠井には不思議だった。けれどそんな思考とは裏腹に、俺はさ、と続けるその声の先を笠井は素直な気持ちで待つ。

「渋沢たちがいなかったら、どうにもならなかった。多分・・渋沢も、同じだと思う」

自分で言うのもなんだけどな、と笑うは幾分かいつもの表情に近く、その様子に笠井は無意識に握っていた拳を緩めた。そうしての言葉を反芻すれば、本当にそうだろうか、と、一縷の疑念が湧く。それほどに、一つ上の彼らは頼りがいのある先輩であった。ちょうど一年前の彼らと自分たちを比べて、焦ってしまうほどに。そんな笠井に、嘘ついてどうすんだよ、とは笑う。そう見えていたのならその方が格好がつくというものだけれど、別段隠しておくようなことでもない。それに、彼らの先輩でいられる時間はあと少しなのだ。ならばこうして堂々と先輩の立場にたっている間に、先輩らしいことの1つや2つ、しておいてやりたい。そんな気持ちで、は言葉を続けた。

「だからお前ももっと周りを頼れ。それなりに頼れるチームメイトがいるはずだろ?」

まあ、藤代なんかは頼りないかもしれないけどな、と言う声には冗談めいた色が混じる。けれどだからこそ、そうですね、と笠井は素直に頷いた。それこそ、何かあったら誠二に丸投げなんてしてみてもいいかもしれない、なんて冗談が、ついさっきまでは考えられなかったような気軽さをもって浮かんできて、笠井は思わず笑う。それは、先ほどまであれほど思いつめていたのはなんだったのかというそんな自分への可笑しさと、その軽くなった心から生まれたものだった。そんな笠井の姿に、もどこか満足そうに笑む。もともと、賢い後輩だ。ひとつ山を越えれば、渋沢とは違うタイプの、いいキャプテンになるだろう。を含め、3年はそれを知っていたからこそ、彼をキャプテンに指名したのだ。頑張れよ、とひとつ内心で呟けば、屋上に予鈴が響く。その音に促されるように立ち上がったを、笠井はその隣から見上げた。キャプテンという立場柄、相談相手は渋沢でもよかったはずだ。もちろん渋沢が役不足なんてことは全くない。けれど、一番に浮かんだのはこの人だった。それは ――― どうしたってこの人が、自分にとって特別だからだ。自分でもわかりきっている答えに苦笑して、笠井はに続くように腰を上げる。この人が自分の先輩としてここにいてくれてよかった。引退した今も、改めて笠井は思う。そして、これからも彼の後輩としていられることを、嬉しく、また誇らしく思った。そんな笠井の気持ちを知ってか知らずか、 ―― 十中八九後者だが ―― そういや、とが思い出したように声を零す。

「今日、監督休みじゃないよな?」
「はい、来ると思いますけど・・何か用事ですか?」

ぽんと投げたの問いに、至って普通に笠井が答える。外部監督である桐原だが、滅多なことでは練習を欠席するということはない。当然それを知っていながらも、あえて確認したに笠井が問えば、ああ、とは相槌に似た曖昧な声を返した。

――― ちょっとな」

の顔に浮かんだのは、どこか苦笑に近い、先ほどの声とよく似た曖昧な笑み。部活終わるころに顔出すって伝えといて、と、後輩に伝言を頼んだなら、は笠井に声をかけて屋内へと続く扉へ足を進める。そんなを少し不思議そうに見ながらも、この屋上に出てきたときよりも格段に軽くなった自分の気持ちに、笠井は目の前にある背中にむかって呟いた。ありがとうございます、そう紡がれた言葉は届かなかったようだけれど、きっと届いたところで、何がだよ、とは笑うのだろう。そんな姿が即座に想像出来て、笠井は小さく笑ってその背中に続いた。







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