南部エチオピア民俗紀行
〜アフリカ大地溝帯の自然と人々の文化にふれる旅〜
 中国雲南の棚田撮影に行き棚田の少数民族に魅せられ、ついにアジアを飛び出しエチオピアまでやってきた。
 エチオピアは黄熱病のイエローカードは要らないのだが、旅行社からはどうも建前論で黄熱病の予防注射やマラリアの予防薬の勧めがあった。電話で担当者に聞けばあまり心配もなさそうで、今までの参加者も何の措置もせずに参加する人も多かったそうだ。そんなことで自分も”まあ、いいか・・・”と思ったのだが、主治医からは措置を勧められた。
 マラリアの予防薬は副作用の心配もあるが、医師の勧めを無視するわけにもいかないので黄熱病の予防注射も行い、マラリアの予防薬も用意した。心配した副作用は出なかったが、予防薬は100%大丈夫な訳でないので、道中、蚊対策も。(一行12名中、マラリアの予防薬を服用していたのは3名のようだったが、蚊には皆神経質になってはいた。)
 今までの東南アジアでは何の蚊対策もせず、殆ど半袖のシャツで通したが、今回は毎日が長袖。今までの東南アジアは無謀だったのか?? 運が良かっただけなのか???

 テントに6連泊、デジカメの充電が出来ないのでバッテリーを買い増しし、予備のコンパクチデジカメも単3電池を使用出来るものを購入しと電源対策を講じたが、結果的には無駄な用意に終わった。
 アプローチが長く、毎日の撮影時間は20〜30分なんて日ばっかり。おまけに、撮影する度にお金が要り、金額は1〜2ブル(1ブル約13円)でたいしたことはないが、撮れ撮れとうるさいことうるさいこと。撮影意欲もしぼんでしまう。予備知識は仕込んであったが想像以上。悪い習慣を覚えさせた我々観光客の責任だが・・・。
 そんなことで、普段の海外旅行の撮影と比べると4〜5分の1位。写したと言う充実感を感じない消化不良の旅に終わった。

 おまけに、第一の狙いだったブメ族は道路がぬかるんで行けずじまい。でも、自分的にはアフリカは少数民族の旅の番外編。撮影も満足に出来ないし、どうしても記念写真になってしまうので、もう一度行きたいとは今は思わない。

 ホテル事情も中国、東南アジアの僻地よりも劣り、水シャワーが大部分。部屋の鍵もスムーズに開け閉めでき無かったり、トイレの水もバケツで流したり。地震被災の実施訓練をしているみたいで・・・・。

 しかし、これも女性には人気のコースで、一行12名で10名が女性。若い女性が一人いたが後は・・・・。そして、2週間も一緒に行動していると様々な人間模様が。
 旅に出ても、花、動物や食物にはあまり興味がないが、彼女等を観察していると(こちらも観察されているが)ある意味面白い。でも、気疲れの方が大きいが。
日程(2007.6.21発)
日次 コ  ー  ス 宿泊地
関西空港→(エミレーツ航空)→ドバイ 機中
ドバイ→(エミレーツ航空)→アディスアベバ アディスアベバ・ヒルトンホテル
アディスアベバ→アワッサ アワッサ・ワビシェベレホテル
アワッサ→コンソ コンソ・セント・メアリーホテル
コンソ→マゴ国立公園 シンカ マゴ ジンカ・テント
マゴ国立公園 ジンカ マコ・テント ジンカ・ホテル
7 マゴ国立公園 ジンカ→ムルレ ムルレ・テント
ムルレ ムルレ・テント
ムルレ→オモラテ→トゥルミ トゥルミ・テント
10 トゥルミ トゥルミ・テント
11 トゥルミ→エルボレ→コンソ コンソ・セント・メアリーホテル
12 コンソ→ガトー→アルバミンチ アルバミンチ・スウェイネスホテル
13 アルバミンチ→ウォンドゲネット ウォンドゲネット・ワビシェベレホテル
14 ウォンドゲネット→アディスアベバ→(エミレーツ航空)→ドバイ 機中
15 ドバイ→(エミレーツ航空)→関西空港



(西遊旅行パンフレットより)
@ 2007.6.21(木) 関西空港→(エミレーツ航空)→ドバイ
 第一日目は夜行便でドバイまで約10時間。自分的にはこれは飛行の最長時間。飛行機で座っているのが嫌いな自分には10時間はきつかった。
A 2007.6.22(金) ドバイ→(エミレーツ航空)→アディスアベバ
 さらに乗り継いでアディスアベバへ。オーバーブッキングなのか、初めてビジネスクラスに座って運が良いと思ったが、これがケチの付き始め。良いことがあれば次は悪いことの確立が高く、今回の旅の第一の目的が叶わなかった。
 今日はアディスアベバの市内観光でアフリカを実感。
B 2007.6.23(土) アディスアベバ→アワッサ
 今日も殆ど移動。途中アシャラ湖に立ち寄り、数羽のフラミンゴと飼育されているダチョウを暇つぶしに撮影しただけ。
C 2007.6.24(日) アワッサ→コンソ
ラジョ村(アラバ族
ワンボラレナ村(ワライタ族)

 エチオピアに入り三日目、やっとのことで少数民族の村に。でも、まだ町に近いので裸の部族ではないし、ここでは一人一人にモデル代を払う必要はなかった。
 コンソに向かう途中でバブーンという猿(ヒヒ)に出会った。道路沿いに数匹の群れでいて車を止めても逃げない。ここはアフリカだとの実感が湧いて来もした日だった。

 ホテル泊は今日までで明日からはテント6連泊。ろくに撮影してないが充電を、と思えどもコンセントに電気は通じていない。水も節水で時間がこないと水はでない。その時間もどうなっているのか分からず、出るときが出、出ない時は出ないと、その時次第。
 これではテント住まいの方がまだましか? 帰りもこのホテルに泊まるのだが考えただけで憂鬱。
D 2007.6.25(月) コンソ→マゴ国立公園 ジンカ
コンソ族
ルカ村(セマイ族
カコ市場バナ族

 いよいよ期待の裸族地域に入り、道中でもコンソ族の女性の撮影。この辺りからモデル代が必要になった。
 ルカ村では集落を訪れセマイ族、マゴに向かう途中ではバナ族の少年や市場も。
 で、今日は
マゴ国立公園でテント泊の予定であったが、時ならぬ大雨で増水し橋を渡れずジンカ泊。ここにもキャンプサイトがあり雨の中で野営。(うまい具合にキャンプ場があるもんだ???)
E 2007.6.26(火) マゴ国立公園 ジンカ
シャンブレ村(ムルシ族

 今日は
ムルシ族の住むシャンブレ村には行けたものの、
マゴ国立公園のキャンプ場には行けずジンカのホテル泊。予定ではテント泊だったので暖かいシャワーも浴びることが出来たけれども・・・・。
F 2007.6.27(水) マゴ国立公園 ジンカ→ムルレ
バナ族

 予定のカロ族の村には行けずバナ族の村に。泊まりはムルレのキャンプ場。この
キャンプ場はオモ川沿いにあり、シャワーはオモ川の水。茶色の水で洗濯物も茶色に染まる。
G 2007.6.28(木) ムルレ
カルチョ村(カロ族

 ブメ族を見るのが第一の目的だったのに結局行けずじまい。他の部族は所々に集落があるのだが、よりによってブメ族は、行くことが出来ないカンガテ村にしかいないらしい。(本当か???)
 カロ族は予定の村に行けたのだが、肝心の白いペイントもしていない。今は特別の日にしか行わないらしいが、是も想定外。旅行パンフに載っているような写真は撮れない。(これも一つの詐欺だ!!!!って、世間には通じない??)
H 2007.6.29(金) ムルレ→オモラテ→トゥルミ
ラテ村(ゲレプ族
オモラテ市場(ゲレプ族


 ブメ族も見れず、カロ族もカロ族らしくなく欲求不満のまま、もう中日を過ぎ後半へ。丸太をくり抜いた小船でゲレプ族のラテ村に。この部族も変わり映えはしない。
 アフリカの少数民族は裸で生活出来るのだから、アジアの少数民族のような多彩な民俗衣装には乏しいので、豪華な飾りのブメ族の衣装を見れないのが余計悔しい。
I 2007.6.30(土) トゥルミ
ワンニャキ村(ハマル族
ディメカの土曜市ハマル族
カロ族バナ族
ディメカハマル族


 ワンニャキ村では個々の撮影の他にハマル族のダンスが撮影できた。(グループで一括支払いのようで心置きなく撮影できた。)
 
ディメカの土曜市はハマル族、カロ族、バナ族が集まっているらしいが、ハマル族は、ヘアースタイルから多分ハマル族と予測できるが他は全く分からない。中国や東南アジアは様々な民族衣装で賑わい、民族衣装の見本市にもなるが、こういう点からアフリカはつまらない。
 
ディメカでは予定外の本物の牛飛びを見ることが出来、残酷なムチ打ちも撮影でき、おまけに2ブル、2ブルの請求もなく自由な撮影。こういう予定外は歓迎である。でも、牛飛びは幼い少年(諸般の事情かららしい)で全く迫力無し。
 アフリカに入り初めて撮影したような気分だが、これも多分最初で最後?(結果的に予想通り最初で最後)
J 2007.7.1(日) トゥルミ→エルボレ→コンソ
ロンパ村(ハマル族)
エルボレ村(エルボレ族
コンソ(コンソ

 昨日の牛飛びは本物の行事で、契約先の見世物の牛飛びは今日見学。でも、思ったほどの迫力は無く、三重県多度神社の上げ馬神事の方が何倍か迫力がある。

 エルボレ村のエルボレ族は女性のビーズ首飾りが美しい。ブメ族に次いで興味ある部族である。
 コンソの郊外?にコンソ族の王宮がある。王宮と言っても質素なもので、一族十数人が住んでいる。説明では国からの補助はなく生活は楽ではないらしい。
K 2007.7.2(月) コンソ→ガトー→アルバミンチ
オランタ村(コンソ
ガトーの月曜市
コンソ族、ギドレ族
チャンチャの月曜市、チェンチャー村ドルーゼ族


 コンソ郊外のオランタ村を見て、コンソ族、ギドレ族が集まるガトーの月曜市に来たのだが、コンソ族はスカートで分かるがギドレ族が分からない。コンソ族のスカート以外がギドレ族でもないらしいし。ガトーの市場は我々一行は現地の人に取り囲まれて撮影どころではなく、カメラのストラップを引っ張られ(強奪目的か否かは分からない)袖を引っ張られと、彼らは物珍しさかも知れないが恐怖心さえ覚えるほどだった。
 
チャンチャはガトーほどではなかったが、衣装も特徴があるわけではないのでもう市場の撮影は戦意喪失。ドルーゼ族の竹の家で今回の旅の撮影は終了。

 今日はホテルらしいホテル泊のつもりだったが、シャワーは湯とはいい難いぬるま湯で、おまけに出も悪い。
L 2007.7.3(火) アルバミンチ→ウォンドゲネット
 ホテル近くの湖をボートで回り、ワニ、カバや水鳥の見学。興味はないので、見学後ホテルに帰ってくるなら留守番していようと思ったが、帰らないのでついてはいった。
 天候も、今にも雨が降りそうだし、船上から撮影してもろくな写真しか撮れそうもないので、カメラを持たずに観光に徹する。

 今夜こそ疲れを癒せる夜。温泉付き。の、予定ではあったがとんでもない。工事中でプールに水はなく打たせ湯だけ。よしんばあっても、部屋からは数分歩かなければならない。
 日本の温泉と違うことは承知の上だが、これではいくらなんでも、喜ぶ客はそうはいない。自分的にはこんな温泉には泊まらず、ワニやカバの見学もせず、もう1日少数民族を撮影するか、逆に、
アディスアベバに一目散で1日早く帰国。が良いのだけど。・・・パッケージツアーだから仕方ない。
M 2007.7.4(水) ウォンドゲネット→アディスアベバ→(エミレーツ航空)→ドバイ
 午後アディスアベバに着き買い物をしてホテルに。エチオピアへはもう来ないだろうから、空港でも土産物を買いブルを殆ど使い夕刻発の飛行機でドバイへ。
N 2007.7.5(木) ドバイ→(エミレーツ航空)→関西空港
 ドバイからまたまた長いフライト。概ね定刻に関空着。印象深い旅も無事終わった。家に着き風呂に入り”ああ、日本はいい”(笑)
 
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