グジャラートインド最西端のトライバル・ベルトを行く
 二回目のインドである。前回は東部のオリッサ州だったが今回は西部のグジャラート州。グジャラートの方が裕福なのだろう、ホテルや食事も今回の方が良いような気がした。

 少数民族はオリッサのボンダ族ほどインパクトのある民族はいず、皆サリー系?の衣装。遠目では見分けもつかないし、近くで見ても見分けるのに難しい部族もいる。まだ、2〜3行きたい地方もあるのだが、そんなに変わり映えもしないので暫く見送りかななんて思いも芽生えてきた。(下に書いてあるように、カメラの持ち込み事件もあったし・・・笑)

 前回のオリッサは乾季の終わり、今回は乾季の始め。やはりまだまだ緑は残っていたが、これからドンドン少なくなり乾季の終りの春にはもっと砂漠風になってしまうのだろう。

 (帰国して1週間ほど経った26日の夜、ムンバイで同時テロが勃発し日本人1人を含む100人以上が死亡した。先月行ったタイではデモ隊が空港を占拠し封鎖状態。時期や場所が少しずれてはいるが運が悪いと遭遇する可能性もあったし、3月にはムンバイからタイ経由で帰国した。気をつけないといけないが、気をつけるということは危険な所は避けざるを得ないし・・・・)
日程(2008.11.8発)
日次 コ  ー  ス 宿泊地
関西空港→(シンガポール航空)→シンガポール→(シンガポール航空)→アーメダバード アーメダバード・カーマホテル
アーメダバード→ポシナ ポシナ・ダルバルガーホテル
ポシナ ポシナ・ダルバルガーホテル
ポシナ→パタン→モデラー→ダサダ ダサダ・ランライダーズ
ダサダ サダダ・ランライダース
6 ダサダ→ブジ ブジ・ホテルプリンス
7 ブジ ブジ・ホテルプリンス
8 ブジ→ワンカネール ワンカネール・ロイヤルオアシス
9 ワンカネール→ジャンブゴタ ジャンブゴダ・ジャンブゴダパレス
10 ジャンブゴタ ジャンブゴダ・ジャンブゴダパレス
11 ジャンコブタ→アーメダバード→(シンガポール航空)→シンガポール→ 機中
12 シンガポール→(シンガポール航空)→成田空港


(西遊旅行パンフレットより)
@ 2008.11.8(土) 関西空港→(シンガポール航空)→シンガポール→(シンガポール航空)→アーメダバード
 関空を午前便で発ちシンガポールで乗り換え、深夜にアーメダバード着、とここまではすこぶる順調にきたのだが空港の税関で思わぬ事態に遭遇した。デジ1を2台とコンデジ1台を持っていったのだが、無税で持ち込めるカメラは1台しか持ち込めないことになっている。これはほとんどの国が同じだが、普通の観光旅行ではチェックはまずない。
 しかし、アーメダバードの空港では通関時にもX線で検査され引っかかってしまった。デジ1を1台とコンデジ1台の同行者は二人いたのだがこちらは無事に通関した。
 6000ルピー(12,000円)とか200ドルとかを要求しているようだが、30分以上かかって1眼レフを持っていない人の分と言うことにしてやっと解放された。交渉は主に添乗員に任せたのだが、こういう時は女性のベテラン添乗員は頼もしい。
 他の同行者の話だが係員に裏金を渡している人が結構いたらしい。事情を知っている人は上手く通過しているようだ。
A 2008.11.9(日) アーメダバード→ポシナ
 午前中アーメダバードの市内観光。キャリコ博物館とか階段井戸をみてボシナに。
B 2008.11.10(月) ポシナ
ポシナ(ガラシア族
サレラ村・バーカルバジオ村(ビール族
シャトラル村(ガラシア族

 ホテルのすぐ前がマーケットになっていて、早朝からガラシア族の女達が売り物の薪を頭上にのせて歩いていて、エプロンのような前掛けの衣装が可愛らしい。(夕方にはマーケットに来ていたガラシア族の女性を車に乗せて、近くの村を訪問した)
 今日はもう一つの部族、ビール族も訪れた。ビールとは弓矢を意味し、各々の家には弓矢が保存されている。しかし、一軒の家は無いと言っていた。何故ないかは聞かなかったが、観光客に売ってしまったかも知れない。
C 2008.11.11(火) ポシナ→パタン→モデラー→ダサダ
アンバジ、ペラパニ村マルワーリ・ラバリ族

 小カッチ湿原近くのダサダへ。途中、パタンに立ち寄り、階段井戸やバトラ織、スーリヤ寺院を見学。
 途中にラバリ族の村に立ち寄る。
D 2008.11.12(水) ダサダ
ダサダ村ミール族カラカティ・ラバリ族バハルワード族

 午前中は小カッチ湿原の野生動物保護区を周る。野鳥や野生のアジアノロバ等を見ることができるのだが、それなりの装備をしないとまともな写真を撮ることはできない。ここでは塩の採取もしており観光客も自由に持ち帰ることができる。
 午後は周辺の部族の村回り。
E 2008.11.13(木) ダサダ→ブジ
ババリア・ラバリ族ジャート族
ダネーティ村アヒール族

ブジョディ村(カッチ・ラバリ族


 今日はカッチ地方の中心地ブジへ。途中ラバリ族やジャート族の移動に出会う。彼らは遊牧の民で家財道具をラクダに積み家族揃って移動する。
 ブジではミラーワークのブジョーディー村に。
 カッチ・ラバリ族の村だけど2001年の地震で被災し近代的な住居になっている。昔ながらの集落では我々が見せものでもあり、あっという間に子供たちが集まってくるが、新しい住居の集落では何故か静かだ。(やはり家屋の密閉性に起因しているのだろう)
F 2008.11.14(金) ブジ
ビアンディヤラ村メグワル族

 今日は一日中ブジに滞在で、様々な民族の村々を訪れる今回の旅のクライマックスと自分なりに思っていたのだが、見事に思惑は外れた。
 村々は少数民族の村ではなく、おまけに、皆、工房兼土産物屋ばかり。今回の旅もいつもの少数民族巡りと同じで女性が多く、買い物に多くの時間がかかり過ぎる。
 少数民族の村はメグワル族だけ。この村の人々も古着の民族衣装を売っている。こんなことをしていると良いものが徐々になくなってしまい、最後には伝統的なものが消滅してしまう危険性があるが仕方ない。
G 2008.11.15(土) ブジ→ワンカネール
ラバリ族

 今朝は5時出発で、夜の10時にホテル着。走行距離は500キロ以上らしい。しかし、そのうちの半分以上はドーラビーラの遺跡を見るために費やしているのだが、この遺跡はそんな苦労をしてまでも見る価値はなかった。(勿論人それぞれなのだが)
 見学者は我々以外は見当たらず、トイレにはカギがかかったまま、出土品や写真の展示棟は電気も消えていて、到着したらおもむろにスイッチを入れていた。
 今回の旅行社は一番使っている会社なので魅力的なツアーが多いのだが、誰も行かないところに行って自慢げにしているのが欠点でもある。(笑)
 そんなことで一番イライラした一日だが、途中で出会ったラバリ族が唯一の救いであった。
H 2008.11.16(日) ワンカネール→ジャンブゴタ
 今日も移動の一日。(つくずくインドは広い・・・とため息)途中、ロータル遺跡に立ち寄ったが、遺跡に興味がないのでここもツアーの一行に付き合うだけ。
I 2008.11.17(月) ジャンブゴタ
カワント市場、ナルコート村ラトワ族

 今回の旅で唯一の市場訪問。少数民族はラトワ族に時々遭遇する。ラトワ族は目じりの刺青、コイン様の物をつけた首輪と腰の装飾品が特徴。市場ではあまり撮影時間がなく満足感は得られなかった。
 工房などを訪れた時では買い物時間はたっぷりあるのだが、こういうツアーの当り外れは来てみないと分からないのが辛いところだ。メンバーの構成上からも、買い物時間が多くなるのも仕方ないと諦めざるを得ない。
 夕方はピトーラ壁画のラトワ族の家に。この壁画の考え方は独特のものだ。
J 2008.11.18(火) ジャンコブタ→アーメダバード→(シンガポール航空)→シンガポール→
チャンパネール(マルワーリ・ラバリ族

 今日はインドでの最後の日。チャンパネールの遺跡も大したことはなかったが、マルワーリ・ラバリ族に遭遇。こういうこともあるので遺跡や寺院巡りもツアーに付き合っている。
 午後は
アーメダバードの市内観光なのだが、旧市街の雑踏は凄まじく、これぞ「アジアの雑踏」、度肝を抜かれた。
K 2008.11.19(水) シンガポール→(シンガポール航空)→成田空港
 シンガポールには早朝着。ここで乗り換え成田へは午後5時過ぎに予定通り無事到着。心配していた胃腸を壊すこともなく。
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