雲貴高原・少数民族紀行貴州西部の奥地を訪ねて
〜知られざるミャオ族の村巡りと自然美にふれる旅〜
 実りの秋の元陽棚田から金平を経てベトナムへのツアーが催行中止になって、代わりに見つけたのがこのツアー。一行は14名、内女性9名、女性上位の構成で、色々な面でウーマンパワーを久々に目にした旅でもあった。何時もの事だが世界中を飛び回っている人達で、a round the world にさして興味もない自分だけ異質も何時ものこと。そろそろ単独行と思いつつも・・・度胸と金と時間が。まあ、一番は度胸だが!。

 元陽の棚田撮影から大いに興味が湧いたのが少数民族。今回のツアーは雲南省と同様少数民族の宝庫の貴州省。これという棚田はないけど、主にミャオ族の村々を訪ねる。ミャオ族には多くのバリエーションがあって出発前から楽しみであった。(いつも出発前から楽しみか?)
 しかし、ミャオ族の村々への旅も広い中国、毎日300km以上の移動で1日の撮影時間は2時間程度、ある意味では欲求不満の日々でもあった。
 また、今回は撮影ツアーではなく観光ツアーであり、ツアー会社のコーディネイトにより歓迎式というものがセッティングされていて村を挙げてのセレモニー、逆に我々が見世物でもあった。

 貴州省西部は観光客も少ないようだが、中国の都市から車で2時間程度の村々の小数民族は、最早都会の小数民族で民族衣装の着用率は大変低く、思惑は大外れ、観光パンフレットの写真は非日常の祭りの日や歓迎式での写真のようだ。
 茶店ブイ族ミャオ族イ族郷というところで丁度マーケットがあったが、民族衣装を纏った人は回族の女人にたった一人遭っただけだった。民族衣装の女性や子供がかっ歩している村々、そんな情景を思い浮かべていたのに見事に当てが外れたものだ。知られざるミャオ族も知らないのは日本人で、漢民族の影響はとうの昔に受けているようだ。この現実に遭遇すると元陽のハニ族、イ族等の着用率の高さは逆に不思議でもある。


 気候は雨季と乾季の境目、「天に三日の晴れなし、地に三里の平なし、民に三分の銀なし」と言われる貴州省だけど、まあまあの天気、朝夕の焼けは見られなかったが気持ちの良い青空の日も多かった。

 今回はスナップ中心なので機材はEOS Kiss デジ、フィルムはEOS Kiss Vと645はペンタ1眼をやめコンパクトなフジ645ziとした。三脚の持参は迷った挙句20kg以内に収まるので持っては行ったが1回も使わなかった。撮影ツアーなら三脚使用は普通のことだが、やはり撮影ツアーではないので三脚を使いじっくり写すのは無理だった。(1脚も持って行ったがこれさえ1日使っただけ)
 ただ、貴州省は日照時間は少なく、旅行者が良い気象条件の風景写真を撮るのは余程の幸運に恵まれないと無理なようで、我々もこの1週間、朝焼け、夕焼けは1度もなかった。
 ソニーのパソコンU1、飛鳥トリッパーでのデータ2重バックアップ体制は前回と同じ、デジの場合はホテルでデータセーブ、充電それにRAWなので現像して画像チェックと毎晩忙しい。
日程(2005.9.17発)
日次 コ  ー  ス 宿泊地
関西空港→(中国南方航空)→広州 広州・華厦大酒店
広州→(中国南方航空)→貴陽→(短角ミャオ族)→織金 織金・店谷酒店
織金→(紅線ミャオ族)→畢節 畢節・銀鶴酒店
畢節→(花ミャオ族)→威寧 威寧・黒頚大酒店
威寧→(大花ミャオ族)→興義 興義・盤江賓館
興義(ブイ族) 興義・盤江賓館
7 興義→(黒ミャオ族)→貴陽 貴陽・神奇大酒店
8 貴陽(短裙ミャオ族)→(中国南方航空)→広州 広州・華厦大酒店
9 広州→(中国南方航空)→関西空港  



(西遊旅行パンフレットより)
@ 2005.9.17(土) 関西空港→(中国南方航空)→広州
 まず、いきなりのハプニング。既に関空を発つ時1時間遅れだったが、広州の空港が悪天候で着陸出来ず一旦桂林に。夕闇迫る桂林の風景をほんの一瞬堪能?させてもらった。
 桂林では機内待機、狭い機内でイライラして待ったのだが、隣の客は桂林が目的地。しかし、この飛行機からは降ろしてもらえず、関空、桂林、広州、桂林のルート。幸いにも1時間ほどで広州に向け離陸し、広州には3時間遅れで到着。まあ、こんなことは世界基準のフライトスケジュールでは何でもないことかも知れないが、自分には初体験、先が思いやられる。
A 2005.9.18(日) 広州→(中国南方航空)→貴陽→織金
短角ミャオ族
 昨日の予感が的中。今日は5時起きで早朝便だったのに空港に着いたらフライトキャンセル。次便まで3時間待ち。新しい空港を見学したがそんなに見るものもなし。定期便がいくら客が少ないとはいえ欠航なんて日本では通用しないが世界では常識なのか?(良くも悪くも日本の常識は世界の非常識もあるにはあるが)
 3時間遅れながらも予定の短角ミャオ族の村に到着。村人も首ならず角を長くして待っていたようで、到着次第所謂歓迎式。しかし、悪いことは重なるもので始まったとたんにスコール。雨の多い貴州省の面目躍如?。
 急遽屋内に移ったり、雨が上がればまた屋外、されど地面はドロドロで靴に土がへばりつく。大変な撮影であった。
 最初の歓迎式でこのツアーのからくりははっきり認識できた。普段の民族衣装の着用はこの貴州省西部も老人だけ。若者や子供は祭り等非日常的な日しか着ない。まあ、個人で行くようなことは無いが、個人で行けば角を付けた人には出会えない確立は極めて高そうだ。

 改めて認識したのは民族衣装の着用率と観光ズレは別のこと。観光客はまだ少ないので写真を撮ると金、金、金ではないが、これはツアー会社が支払ってあるからのことで、個人で出かければ必要かも知れない。商売もしたたかで、自分たちの衣装のパーツを売っているが、自分の感覚では極めて高い。同行の人がろうけつ染めのハンカチ様の物の値段を聞いたら100元。取り巻きのミャオ族が何やら言ってたらすぐに50元に。多分「お前、幾らなんでも高すぎる」そんなことを言ったのだろう。自分はあまりにも馬鹿らしいのでその場を離れたが、同行の人も買わなかったらしい。
 反物様の物になると数百元の値になる。彼らの年収はどのくらいか分からないが、数百元の物が売れた暁には我々が競馬で大穴を当て何十万円も儲けた以上の余禄ではないだろうか。
B 2005.9.19(月) 織金→畢節
紅線ミャオ族
 三日目の今日もまたまたハプニング。紅線ミャオ族の撮影も順調に終えての帰路、故障して立往生の車でこちらも立往生。しかし、ここは10数分で動き出し無事に通過出来たが、一難去ってまた一難。今度は大型トラックがパンクしていた。スペアタイヤも持ってなく、携帯で連絡し町から持ってこさせるらしい。(中国は携帯は全国通じるようで、これはいつも感心する)
 これでは何時間かかるかわからない。道路は2車線あるのだが片側は数m毎に岩や土砂が小山になって置かれている。道路工事用の物のようだ。で、我々も含め人海戦術で路肩にかたずけることにした。まさしく中国流。こんなこともあり予定より大分遅れ夕食にありついた。

 肝心の紅線ミャオ族の村は、ここも村中挙げての一大イベント。昨日と同じだ。でも、中国流の一面も垣間見え、直前になってどこで執り行うか、大きな声でしゃべくりまくってやっと決まった。
C 2005.9.20(火) 畢節→威寧
花ミャオ族
 今日はやっと順調な1日。
 花ミャオ族の村の広場のロケーションも良く、青空の下で気持ちよく撮影が出来た。貴州省は今雨季と乾季の境らしく天候は不安定。もともと3日と晴れは続かず、太陽が貴重だから貴陽市とも言われてるらしい。
D 2005.9.21(水) 威寧→興義
大花ミャオ族
 大花ミャオ族の村は珍しくキリスト教を信仰する一族で村には教会もあり、歓迎式ではミャオ語の讃美歌の披露もあった。ここの歓迎式も村を挙げての歓迎式で、小学校は休みなのか学校行事なのか、教師の引率で小学生の踊りもあった。しかし、その踊りの調子もちょっと??なのでガイドに訊ねたらやはり新しい音楽。この子供たちに伝統は伝えられないのか、学校では新しい教育、伝統は村の教育、そんな感じなのかなあ?。
 歓迎式のパターンはどこも同じようなもの。歓迎の酒が二度、三度、帰りも更になんてところもある。村の広場では伝統の音楽、舞踊が披露される。まさか横のネットワークがあるわけではなく、ツアー会社がコーデネトしているんだろうが、この期に及んでなにやら協議していることも多い。

 それにしても今日は長い道のりで、ホテル着はかろうじて日付の変わる少し前。皆元気だが、まあこんな日程はコーデネーターの趣味のようなもの。バスに乗っている方が勿論楽だが、精神的には自分で運転する方が余程楽。これも話の種には良いネタでもある。
E 2005.9.22(木) 興義
ブイ族
 訪れたブイ族の集落は町から30分と大変近い村であった、今回訪れた村々の中では裕福な村みたいで住居も立派である。どういう人選か知るすべも無いが、いわゆる歓迎式も10数人で子供の参加も無い。また、他の村人達は我々一行を見に来ている。今までの中ではそんな感じを一番に受けた訪問地でもある。(この日以降の歓迎式は村を挙げてという感じではなくなってきた。)
 今日は今回初めての所謂観光地の観光で、自分は観光には興味はないが行ってみてビックリ!、全くの予備知識不足でカルスト地形の奇岩と棚田の馬嶺河峡谷や万峰林は思わぬ収穫であった。もし可能なら再度訪れ、朝夕じっくり撮影したいものだ。
F 2005.9.23(金) 興義→貴陽
黒ミャオ族
 昨日から貴州省の南西部に入ったのだが、興義周辺は北西部に比べて貧しい省内でも裕福に見える。貴陽市からも200km以内のようだし、アジア最大の滝と言われる黄果樹大瀑布の観光産業も発展した要素かもしれない。
 この辺りは主食は米ということで水田の割合もかなり高い。しかし、水田は沢沿いの比較的平坦地にあり、急峻な斜面はやはりトウモロコシ畑である。
 ところで、各地で市の観光局とやらの役人が同行してくる。別に非解放区に行くわけではないが、少数民族の村の外国人の受入体制がまだまだということかららしい。
 今日の収穫は絵になる女性が約2〜3名。小数民族の女性はやはり苦労も多いだろうし、気候も影響しているだろうし、早く老け込み、色も日焼けだろうか色黒の女性が多い。この2〜3日シャッターの集中放火を浴びせる被写体に恵まれなかったので・・・今日は・・・満足・・・。でも、集中放火を浴びせていると写真が偏り、1枚ものならそれでもいいんだが、曲がりなりにも幅広く編集しようとするとバリエーション不足になってしまうが。
G 2005.9.24(土) 貴陽→(中国南方航空)→広州
短裙ミャオ族
 今日は貴陽のホテルから恵水県に行き、短裙ミャオ族の村と石畳が印象的な古い町、青岩古鎮を観光して午後貴陽の空港から広州へ、撮影は最後の1日であるが、ここでまたまたハプニング。一行の中の若いお嬢さんが体調を崩し急遽病院へ。我々は予定のコースを消化したが、彼女とは午後に空港で合流。空港で合流できるまで回復してほっと一安心だし、他の日だと合流ももっと困難な行程なので不幸中の幸いだった。
 初めの頃のハプニングは後になれば笑い話、懐かしい思い出のネタだが、こんなハプニングは当の本人には本当に気の毒。
 自分は胃腸がタフでないので毎日の食事は思い切り控えているのはいつものことだが、同行の方に逆に心配をかけるのが心苦しい。(脂っぽく辛く、パサパサのご飯という中国の食事そのものが合わないこともあるが)

 
短裙ミャオ族はミニスカートの衣装が可愛らしいが、下はパンストを穿いているし、中にはジーンズの女性もいた。昔は生足??、いあ、他分麻のズボンだろう。このミャオ族は旅行社のパンフには恵水ミャオ族となっていた。
 ミャオ族は衣装、言語や住んでいる場所等々で分類されているらしいので、さしずめこのミャオ族は短裙ミャオ族であり恵水ミャオ族でもある。
 しかし、これらの分類は外部の者が勝手に命名したものであり、彼らの間では全てミャオ族であるらしい。
H 2005.9.25(日) 広州→(中国南方航空)→関西空港
 今日は帰国。広州の空港は供用され1年ちょっと。昨年元陽へ行った時は古い空港だった。新空港は勿論綺麗だが、もうやたら広い。広ければいいってもんじゃないと言いたいくらいで移動が大変。中国は搭乗のチェックも厳しく、あちこちでパスポートや搭乗券も提示しなければならなく単独行だとドギマギしそうだ。
 30分遅れで、何はともあれ皆無事に関空に着。皆さんお疲れさん!自分にもお疲れさん(笑)
 
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