原色の西アフリカ マリ
 円高ユーロ安だからと思われるが、アフリカ方面の旅行費用が格安になったので友人と出かける事にした。目的はドゴン族。各旅行社のパンフレットには他の小数民族の村も訪ねることになっているが、こちらは自分的にはあまり期待出来そうもない。

 で、結果的には散々な旅で終わってしまった。旅行の途中で冗談半分本気半分で言っていたんだが、「マリ三大がっかり」。

 第一はジェンネの日干し煉瓦の大モスクが思いの他小さく、おまけに多くの人で賑わうはずの月曜市が、翌日やらに大統領か政府の高官が訪れるので準備のため市の中止。今迄多くの曜日市に行ったがこんなことは始めて。

 第二は「黄金の都」トンブクトゥのつまらなさ。未舗装の道路をランクルで丸一日がかり。往復で二日間は移動日。歴史的には重要な街なんだろうが、苦労してまで行くところかな???。(ここを外すには旅行企画者も度胸がいるだろうが)

 第三はドゴン族の写真嫌い。あれだけ嫌がられては駆け足の旅行では満足な写真を撮るのは難しい。(勿論嫌という意思は尊重しないといけないのだが)
 我々一行は五台のランクルで行ったのだが、2〜3台の車のフロントガラスにヒビがある。これは客が車中から撮影したのでドゴン族に石を投げられて出来たヒビだそうだ。
 お金を払えば撮影はもちろん可能だが日本円で100〜200円。かなりのぼったくり。旅行中一人だけお金を払って撮影したが二コリともしないし。

 結局今回の撮影枚数は海外旅行では最低の数。それもダントツのビリ。もう一度行こうなんて気は全く起こらない。

 更に運が悪いのか日ごろの行いが悪いのか、パリで飛行機が飛ばず空港で16時間くらい待った揚句ホテル泊。帰国は1日遅れになってしまった。
日程(2010.2.20発)
日次 コ  ー  ス 宿泊地
1 成田→(エールフランス航空)→パリ→(エールフランス航空)→バマコ バマコ・ホテル マンデ
2 バマコ→セグー セグー・インディペンデンス
3 セグー→ジェンネ→モプティ モプテイ・ホテル カナガ
4 モプティ→トンブクトゥ トンビクトゥ・ホテル コロンベ
5 トンブクトゥ トンビクトゥ・ホテル コロンベ
6 トンブクトゥ→サンガ サンガ・カンプマン
7 サンガ サンガ・カンプマン
8 サンガ→ワガドゥグ 機中泊
9 ワガドゥグ→(エールフランス航空)→パリ パリ泊
10 パリ→(エールフランス航空) 機中泊
11 →関空


西遊旅行パンフレットより
@ 2010.2.20(土) 成田→(エールフランス航空)→パリ→(エールフランス航空)→バマコ
 成田の午前便でパリまで。パリでは4時間以上待ちマリのバマコ着。都合20時間以上。もうウンザリだが、帰りはパリでの乗り継ぎ時間が更に多く8時間。考えると気が重い。
 おまけにパリの空港の検査の厳しさ。ベルトを外し靴は脱ぎ、カメラはバックから出しともう面倒。
A 2010.2.21(日) バマコ→セグー
セコロ村(バンバラ族

 初日にホテルまで両替商が来て両替するのだが、少額紙幣は少ない。自分は買い物をするわけではなく、小数民族の撮影にお金がいるということなので少額紙幣が欲しいのだがどうしようもない。途中で要らないものを買ってお釣りをもらうしかないのだが、これだった何人もが同じ店で出来るわけもない。(同行者は15人もいる)
 エチオピアでは現地のガイドが沢山用意していたが、ここでは無理とか。催行旅行会社も考えて欲しい。

 ということなのだが、最初のバンバラ族で最早がっかり。マリの小数民族は衣装の特徴は無いとか。部族の見極めは顔つきだそうだが、旅行者には分かるわけがない。
 おまけに極端な写真嫌い。撮影料の交渉にもたどり着くのも大変で、これならシステム?が確立しているエチオピアの方がどれだけいいことか。とにかく中途半端だ。
B 2010.2.22(月) セグー→ジェンネ→モプティ
ガンガ村(ボボ族
フラニ族


 今日はジェンネの月曜市だが、小数民族の民族衣装の撮影をメインにしている自分には、部族毎の衣装の特徴は無いということなので行く前から興味半減だった。
 しかし、しかし、今日は臨時の取り止めとか。話では、明日大統領とか政府高官とかが来るので準備のため休みとか。どこを見てもそんな雰囲気は感じられないが。
 始めから戦意???も失せているのでそれほどの残念さは無いのだが、こんなことは始めての体験。
 右の写真は思っていたほど大きくなかったモスク。前の広場は市で多くの人で賑わっているはずだったが・・・。
 
 ジェンネに良く途中に立ち寄った村ガンガ村のボボ族も、ジェンネに行く船着き場への道中のフラニ族も撮影に気合いが入らない。
C 2010.2.23(火) モプティ→トンブクトゥ
ボゾ族

 今回はランクルに分乗して未舗装道路を1日がかりで
トンブクトゥに向かう。
 途中ニジェール川をフェリーで渡るのだがフェリーは何時来るか・・・とにかくあてにならないらしい。フェリー乗り場にはボゾ族が住み着いて観光客相手に商売をしている。
D 2010.2.24(水) トンブクトゥ
トゥアレグ族

 かっては黄金の都として栄えたトンブクトゥも歴史的には意味のある街なんだろうが、観光的には大したものは無いというのが自分の感想。勿論人それぞれなんだが。

 街はずれなんだろうか、トゥアレグ族が自分たちのキャンプ地までラクダに乗せて行く商売もしており、これも日本人の観光客は必ずと言っていいくらい利用しているようだ。
 キャンプ地はなぜか女子供は少なく、ラクダツアーの男ばからがやけに目立つ。(ただ、マリの小数民族の集落はどこも若い女性が少なく・・・・不思議????)
E 2010.2.25(木) トンブクトゥ→サンガ

 今日はまた悪路をひたすらドゴン族の地サンガまで。
 移動で丸一日費やすのだが格安ツアーなので仕方ない。トンブクトゥ行きは飛行機で往復のツアーも多いのだが当然費用は嵩む。

 マリのホテルは歯磨きもスリッパも用意されていないが、ここのホテルにはマッチも置いてない。香取線香に火をつけるため同行の友人がフロントにマッチを貰いに行ったら、「アイ アム ノースモーキング」だと・・・・。飛行機にはマッチ、ライターは持込み禁止なのだが隠して持って行くべきか。(苦笑)
F 2010.2.26(金) サンガ
ドゴン族

 ドゴン族の村を回りながら写真撮影なのだが気分は盛り上がらない。ここでは始めてお金を払い若い娘さんを撮影したがニコリともしない。お金を渡しても無愛想。
 最後はドゴン名物の仮面舞踏。これは我々一行がワンステージ貸切なので思う存分撮影できる。本来の仮面舞踏は60年に一度で、次は2027年とか。自分の寿命が先に尽きそうだ。

 右の写真はドゴン族の集落サンガ村。断崖のテラスにへばりついている。遠方からは迷彩色で小さな写真では分かり辛いかも。
G 2010.2.27(土) サンガ→ワガドゥグ

 今日もまたひたすら移動。途中国境越えなのだが、マリもブルキナファソも入出国審査は添乗員が纏めてと至ってのんびりムード。ただ両国の建物間の長いこと、東南アジアでは長くても2〜3キロくらいだったがここは10キロくらいありそう。

 今晩は夜行便なので夕方はブルキナファソの首都
ワガドゥグのホテルで休憩。バスタブこそないが今度の旅では一番良いホテルで休憩だけではもったいないくらい。

 いよいよ帰国なのだが、ワガドゥグの空港がまたまたサプライズ。現地のお金が余ったので空港で何か買おうと思っていたが、搭乗チェックイン、出国手続きとの流れからいきなり搭乗。途中売店も何もない。
H 2010.2.28(日) ワガドゥグ→(エールフランス航空)→パリ

 パリには予定通り早朝に到着。8時間待ちで関空着の予定だったのが、ここからが大騒動。ストとか天候不順とか、とにかく何だかわからないが出発が二時間遅れ、三時間遅れ。やっと機内に乗り込んだら待つこと三十分でフライトキャンセル。
 添乗員の手腕でホテルを確保出来、2台に分乗しタクシーでホテルに向かったがこのタクシーが雲助タクシー。エールフランスのチケットだから安心して雲助になったのだろうか、(我々が支払うのでないから)場所が分からないと深夜の待ちをウロウロ。タクシーの運ちゃんも分からないほどチンケなホテルなんだろうかと予想したが、着いたホテルは立派なホテル。これだけのホテルをタクシーの運ちゃんが知らないなんてことは有り得ない。
 遅くなったので添乗員が心配して待ってるかと思いきや、もう1台はもっと遅れてきた。同じような雲助らしく、途中ガソリンの給油までしたらしい。2〜30分の実車中に給油なんて考えられない。
 天下のパリもこんなタクシーがいては・・・・東京にはこんな雲助はいて欲しくないが、実際はどうなんだろう。
I 2010.3.1(月) パリ→(エールフランス航空)

 定刻から1時間遅れでやっと飛行機は飛び立った。
 機内に乗り込んでからフライトキャンセルなんて経験したが、離陸しても引き返すなんてこともあるから・・・こんな目に逢うと疑い深くなる(笑)
J 2010.3.2(火) →関西空港

 1日遅れでやっと関空着。荷物も無事出てきたが、パリで別れた成田組は8人全員が荷物が行方不明らしい。飛行機は遅れ、検査は厳しく、おまけに市内のタクシーは雲助とパリの印象は最悪。写真も思うように撮れず、とにかく今回は散々だった。
 
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