天国の階段(フィリピン)
バナウェイの大棚田と民族探訪
 やっと念願がかなってのフィリピン、バナウェイの棚田に行くことが出来た。が、メインの場所であるバナウェイのビュースポットからの眺めは思ったほどではなかった。天国への階段はどんなに高いことかと想像していたが、中国の元陽・猛品などと比べると正直なんだこんな程度か。
 でも、今回は日程等からバタッドに行けなかったので、何時か再訪を・・・・。
日程(2007.1.19発)
日次 コ  ー  ス 宿泊地
成田空港→(フィリピン航空)→マニラ マニラ・マニラホテル
マニラ→(アジアンスピリッツト航空)→バギオ→マウントダータ マウントダータ・マウントダータホテル
マウントダータ→サガタ サガタ・イグロットイン
サガダ→ボントック→バナウェイ バナウェイ・バナウェイホテル
バナウェイ バナウェイ・バナウェイホテル
バナウェイ→マニラ マニラ・マニラホテル
7 マニラ→(フィリピン航空)→成田空港


(西遊旅行パンフレットより)
@ 2007.1.19(金) 成田空港→(フィリピン航空)→マニラ
 成田の午前便で発ちマニラには午後到着。ホテルは豪華ホテル、チックイン後周辺を散策し、夕食はエルミタにて。夜のマニラをほんの少しばかり味わった。
 マニラホテルは老舗ホテルで混雑していたが、ホテル内に入るには飛行場と同じようにX線検査がある。反政府過激組織問題を抱えているフィリピンならでのこと。3〜4年前の大晦日にマニラの主要施設で爆弾テロがあったので公共の施設は警戒してのことだろう。数日前に過激集団アブサヤフのリーダーが殺されたが、何事も無いことを期待するのみ。
A 2007.1.20(土) マニラ→(アジアンスピリッツト航空)→バギオ→マウントダータ
 国内線でバギオに。最近アブサヤフのリーダーが殺されたこともあるのか、搭乗チェックは大変厳しく、靴は脱ぎ、ベルトも外された。
 バギオの空港はのどかな空港。町も落ち着いた雰囲気が漂う町である。バギオからさらに山岳道路を上りマウントダータの町に。途中に段々畑が至る所にあり、キャベツを主にいわゆる高原野菜が栽培されているが水田は見当たらない。
B 2007.1.21(日) マウントダータ→サガタ
サバンガン棚田
サガダ棚田

 南国フィリピンといえども2000m以上のマウントダータの夜は大変冷え込み、一行全員夜の寒さに度肝を抜かれた。
 今日はイグロット族の織物工場や棺桶を崖に吊るすハンギング・コフィン(右の写真)なるものを見物したが、サガタに近づくにつれ棚田が増えてきてやっとフィリピンの棚田を訪れた実感が湧いてきた。
 織物工場にはイグロット族の女性が働いてはいたが民族衣装の着用は見当たらない。
C 2007.1.22(月) サガダ→ボントック→バナウェイ
ボントック(イフガオ族
チャッチャーカニ棚田
バイヨ棚田
バナウェイ(
イフガオ族

バナウェイ棚田

 ボントックに立ち寄りボントック博物館を見物。フィリピンの山岳民族の文化を保存してあるのだが、最早生きた民族様式は極僅かで民族衣装を着た老女はたった一人逢えただけ。
 ボントック周辺の棚田は今が実りの時期。北部山岳地帯の棚田の殆どが年1作の米作りらしいが、1日で田植えと稲刈りが見られるのは南国ならでのもの。棚田好きには至福の土地だ。
 午後いよいよバナウェイの棚田のビュースポットに着いた。勿論今回のメインの場所ではあるが、意外なことに思ったほどのスケール感がない。やはり、中国の元陽の棚田と比べると見劣りがすることは否めない。
 民族衣装を着た老女が二人いて彼女らの職業はモデル業、一人当たり20ペソ支払えば大喜びでモデルになる。(写真でよく見かけるお爺さんは数年前に亡くなったそうである。)
D 2007.1.23(火) バナウェイ
ゴーハン棚田
ハパオ棚田
バンガアン棚田
タムアン棚田

 今日はホテルを基点に周辺の棚田をフィリピン名物のジプニーにて撮影に。
E 2007.1.24(水) バナウェイ→マニラ
 撮影は昨日で終わり、今日は途中キアンガンの町で山下大将の降伏の地を見学し一路マニラに。
F 2007.1.25(木) マニラ→(フィリピン航空)→成田空港
 午前中サンチャゴ要塞、サン・アウグスティン教会を見て、午後便で成田へ。夜無事到着。

 フィリピン北部のホテルはバスタブはなく、スリッパ、歯磨き、タオル等も充分備わっていないので細かなことが気になる人は日本から持っていった方が良い。
 コンセントは日本と同じタイプが多いので面倒はない。
 
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