雲南・北部ベトナム小数民族街道
 去年の秋にこのツアーが催行中止になって以来、何時かきっと思っていた。それが意外に早く実現、半年後に念願がかなった。今回のツアーは去年催行中止になったのと同じツアーである。(旅行社の話では、秋は雨季にあたり、山間部は道路事情も懸念がある。お客さんもよく知っていて、雨季は申込みも少なめで募集すれども催行中止は結構多いということだった。)

 日本から一旦ベトナムのハノイに行き、ハノイから昆明に。昆明から建水を経て元陽、金平、河口へ。河口から歩いての国境越えでラオカイへ。ベトナムでは北部サパの少数民族と棚田、そして再びハノイに戻り日本へ。こんなコースである。日本から中国、ベトナム、日本と周遊すれば日程も短縮できるだろうが、航空券の兼ね合いからだろう。建水も省略した方がと思うがパッケージツアーでは仕方ない。(建水は定番でもう三回目になる。)
 ベトナムは七年ほど前に行ったことがあるが南部のホーチミン周辺だけ。この時は単なる観光旅行でろくに写真も写さなかったが、真っ白いアオザイの女学生の制服姿が印象的だった。

 機材は今回も撮影ツアーではないので機動力重視。EOS Kiss Dは売ってしまったのでペンタックス*ist DSと銀塩はLX。645は今回もフジ645ziとした。デジ導入以前は35mmと中版(主に645)で済んだのだが今はこれにデジ1眼が加わり機材が増えている。35mmの代わりがデジ1眼と割り切ればいいのだが、未だ銀塩に未練たっぷりで思い切れない。しかし、いざ現場では圧倒的にデジカメでの撮影が多いのでそろそろ踏ん切りをつけようかと・・・。
 三脚も元陽の棚田へ行くので持参した。

 一行は男性8名、女性4名の12名。いつものことながら海外旅行好きの人たちばかりで、中には6年間で91回なんて考えられないような人もいた。
 昨秋の貴州の小数民族ツアーと同様、一般のツアーだったがカメラマニアも3〜4名。でも棚田は初めての人ばかりのようだ。自分としては今回棚田は1日だけだったのであまり期待してなく、少数民族を楽しみにしていた。しかし、中国側は元陽以外は民族衣装の着用率が低く、村を訪問しても全く民族衣装を着ていない村や、村人が畑に出かけているのか、人が殆ど見当たらないような村もあった。高い費用で参加しているんだし、この辺はツアー会社にコース設定を考慮してもらいたいものだ。
 そんなこともあり、一ヶ所の村でのカット数がデジカメで数カットなんてことも多く、更に銀塩カメラでの撮影は今までと比べ激減した。
 今回は乾季にも係わらず雨、霧も多かった。ただ、撮影にはタイミングよく上がったりもして、撮影を断念せざるを得なかったのは早朝の多依樹棚田だけであった。

 フィルムの空港でのX線検査も、最近は機内持ち込みのバックに入れたまま。あまり神経を使う必要はないし、ホテルの電源も中国、ベトナムともB型プラグで大丈夫。
日程(2006.3.11発)
日次 コ  ー  ス 宿泊地
成田空港→(ベトナム航空)→ハノイ ハノイ・ホライゾン
ハノイ→(ベトナム航空)→昆明→建水 建水・臨安酒店
建水→元陽 元陽・雲梯大酒店
元陽 元陽・雲梯大酒店
元陽→金平 金平・金煙賓館
金平 金平・金煙賓館
7 金平→サパ サパ・ダーリン
8 サパ サパ・ダーリン
9 サパ(バック・ハー) サパ・ダーリン
10 サパ→ハノイ 機中
11 ハノイ→(ベトナム航空)→成田  



(ユーラシア旅行社パンフレットより)
@ 2006.3.11(土) 成田空港→(ベトナム航空)→ハノイ
 初めての成田から6時間でハノイに到着。ハノイの旧市街の36街を散策し水上人形劇を観覧。
A 2006.3.12(日) ハノイ→(ベトナム航空)→昆明→(200K・3.5時間)→建水
 今日はハノイから建水に。途中、建水県の蒙古郷という所のモンゴル族の村に立ち寄る。ホテルは定番の臨安酒店。建水には日本人ツアー向けのホテルはここしかなさそうだ。
B 2006.3.13(月) 建水→(111K・4時間)→元陽
 建水市内観光(朝陽楼、双龍橋)。こんな観光は省いて早く元陽に行きたいがパックツアーじゃあ仕方ない。
 元陽には午後2:30頃着。イ族の水ト竜村を訪問なのだが雲行きがおかしくなり、一面霧に包まれ小雨もパラパラ。棚田の元陽だが霧と坂の町元陽の面目躍如か?三回目の元陽で初めての霧の洗礼であった。バーダの棚田撮影をリクエストしてあったがこれでは無理。
C 2006.3.14(火) 元陽
イ族チワン族ハニ族
 今朝も濃霧だが回復を願いとにかく早朝多依樹の棚田に向かった。が、やはり霧で何も見えない。前回、前々回は天気が良すぎて霧が出ないことを残念がったが、全く見えないのはもっと残念である。
 棚田を諦め勝村のイ族、チワン族、ハニ族の村の観光。元陽は豊かな村が多く立派な住居が多い。途中霧の中の棚田を撮影。初めて霧の棚田が写せたなんて自分を慰めたりして・・・。(右の写真)
 午後は定番の猛品に。なんとか霧は消えたがドン曇。以前撮影した写真は超えられず。でも、同行の皆さんは皆始めての元陽。せめて全体を見渡すことが出来、まずは目出度し目出度し。
 今回はこれと言う被写体の恵まれず、未だ銀塩カメラのシャッターは切っていない。これからは思い切って35mmの銀塩は置いてきたほうが良さそうだ。
D 2006.3.15(水) 元陽→(220K・4.5時間)→金平
イ族紅頭ヤオ族
 昨日空振りだった多依樹の棚田にツアー会社の計らいでリトライ。今日は極普通の天候で普通の写真?は撮影出来た。まあ、初めての撮影とか普通の観光なら概ね合格の天候であった。帰路はお決まりの第2展望台、勝村のマーケットと棚田、チン口の棚田と巡回しホテルに。写真はおまけのようなものしか捕れず。元陽は3回目だが来る度に条件が悪くなり、よくあることだが最初の写真を越えられない。
 昼食後は南紗近くの旱タイ族の村を見て金平へ。金平の棚田も元陽に負けず劣らずの棚田である。幹線道路沿いからだけだったがこまめに探せばもっと良い所もありそうだ。でも、自分で見つけることは無理!
 金平の街への途中のイ族と紅頭ヤオ族の村で撮影。こちらのイ族の民族衣装は元陽に比べるとかなり地味。紅頭ヤオ族の村は閑散としていて村人が少なかったが何とか見つけて撮影。
E 2006.3.16(木) 金平
ハニ族旱タイ族ミャオ族
  今日の午前中は旅の中休みの様なもので、ホテル近辺のマーケットを散策してひとまず部屋に帰り休憩。マーケットも小数民族は少ないし、紅頭ヤオ族以外は元陽と違い判別も難しい。
 午後はモウ拉の市場と小数民族の村を二つほど回ったが、市場にも村にも民族衣装の人は殆ど見当たらない。以前参加したツアーではやらせの歓迎式というものがあり、写真は飽きるくらい撮れた。やらせのない村々の訪問は日常の姿が見られるわけだがTシャツにジーンズの小数民族では致し方ない。子供もせいぜい下だけ民族衣装だったりで全く興ざめ。
 ツアー主催者もこんな状態は把握しているはず。棚田が悪天候で撮影できないのは誰の責任でもないが、今日は運悪く民族衣装の人は少ないでは無責任である。
 中国での撮影は今日が最後だが、これでは今までのツアーの中で最低のツアーになりそう。後はベトナムに期待するしかない。
F 2006.3.17(金) 金平→(200K・6時間)→河口→サパ
 金平から棚田を撮影しながら曼耗に戻り国境超えの街河口に。途中道路工事もあり長いバスの旅だった。
 島国の日本ではありえないことだが、歩いての国境越えは貴重な体験だ。国境なのに何の問題もなく気楽に写真撮影が出来るという貴重な場所でもある。(右の写真は中国側からの撮影)
 ベトナム、中国の両国民も頻繁に行き来していて、自転車の人専用のゲートを満載の荷物を載せた人々が出国審査を受けていた。(彼らの審査はかなり簡単のようである。)
 ラオカイからサパは30キロ強。サパに近づくと野良仕事帰りの小数民族が沢山歩いている。黒モン族や赤ザオ族のようで中国より民族衣装の着用率は高そうだ。
 明日からの撮影が楽しみだ。
G 2006.3.18(土) サパ
黒モン族赤ザオ族
 サパの街はやはり民族衣装の着用率は高い。(観光用に着ているということでもあろうと思うが。)主に黒モン族、赤ザオ族で花モン族は少々。他の民族はいるのかいないのか見分けられない。
 黒モン族のカットカット村と赤ザオ族のターフィン村に行ったが、サパの小数民族は日本語も少し分かるし英語は自分より堪能。多分フランス語も大丈夫では? 土産を売りながら覚えたようで感心するし、英語と日本語のチャンポンで話も出来るので中国よりは面白く村を散策することができる。
 また、白人の観光客も多くさしずめ彼らは白モン族で我々は黄モン族。国際交流も楽しめる場所だ。
H 2006.3.19(日) サパ→(103K・3.5時間)バック・ハー→サパ
花モン族
 今回の旅のメインかも知れないバック・ハーのサンデーマーケットに行ったのだが、勝手に思い込んでいたイメージは広場での出店。ところが現実は道路沿いの常設店舗に道路沿いの出店。
 小数民族は圧倒的に花モン族が多く、他には現地ガイドに聞き識別できたのはタイ族と白ザオ族のみ。
 午後は花モン族の村パンフォー村を撮影してサパに帰るのだがラオカイ経由で片道3〜3.5時間。明日はまたラオカイ経由でハノイに向かうので効率の悪いことこのうえない。まあ、発展途上までも達していない地では仕方がないのか?
I 2006.3.20(月) サパ→ラオカイ→(350K・11.5時間)→ハノイ
 撮影は昨日で終わり後はひたすらハノイへ。これも自分の勝手な思い込みだったが、かなりの距離が山岳道路。ラオカイを越せば海岸部の平地の走行と思っていた。まあ道路はかなり整備されているが昔は二日かかったというのもうなずける。
J 2006.3.21(火) ハノイ→(ベトナム航空)→成田
 ハノイ発の深夜便は1時間ほど送れたものの、朝無事に成田着。
 
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