ベトナム最北の地を行く ハジャン民族紀行
 先月の雲南から歩いて国境越えでベトナムのツアーに続いてのベトナム北部の小数民族探訪ツアー。一ヶ月少々の間の海外旅行だが色々わけあって・・・。

 事前に催行のツアー会社から聞いていたが総勢10名のうち女性が8名と・・・・。日本の女性のパワーを再認識。そんな旅でもあったが、皆さん人柄も良く、一期一会ではあれど楽しい旅でもあった。
 ホテル事情は100%を求める方が無理。国民性の違い。日本なら安宿の民宿でもちゃんとしている。鍵が壊れている、洗面所の水は漏れるなんて普通のこと。
 ただ、中国と違いゴミは少ない。中国では公共の場所(道路)はゴミ捨て場と同じだが、こちらでは、朝、道路を掃いている姿を良く見かけた。こんな姿を見てほっとするのは自分だけか?

 気候はもう雨季のはしりで前半は曇り時々雨のうっとおしい日々。しかし、晴れ男の面目躍如、撮影時に要雨具とならなかったのがせめてもの・・・。
 後半は晴れ。晴れたら晴れたで日焼けで首はヒリヒリ! 東南アジアの夏の走りでもあった。

 肝心の少数民族の撮影はほぼ満足。棚田は最初から大きな期待はしていなかったが、水が張られていない所が多かった。機会があれば再度とほ思えど、まだ雲南も満足な写真が撮れていないし。

 いつものように詳細な旅のレポートではなく、写真そのものを見ていただきたいのが管理人の思いです。一部の方には期待外れのページかもしれませんが、写真撮影の参考になれば幸甚です。
日程(2006.4.27発)
日次 コ  ー  ス 宿泊地
関西空港→(日本航空)→ハノイ ハノイ・ホアビンホテル
ハノイ→ハジャン ハジャン・ホアンアンホテル
ハジャン→クウェッティン→ドンバン ドンバン・ゲストハウス
ドンバン→メオバック→イェンミン イェンミン・ゲストハウス
イェンミン→タンハー タンハ-・タンハ-ホテル
タンハー→ナムティ→バックハー バックハー・サオマイホテル
7 バックハー→バットサット→サパ サパ・グリーンバンブーホテル
8 サパ→ムンクン→ラオカイ→ 車中・
9 ハノイ→ 機中・
10 →(日本航空)→関西空港  



(西遊旅行パンフレットより)
@ 2006.4.27(木) 関西空港→(日本航空)→ハノイ
 今日は関空を夕刻発ちハノイ泊。30分程遅れたもののまずは無事到着。
A 2006.4.28(金) ハノイ→ハジャン
 まずは北を目指し約300キロ、思っていたより道路も整備されていておおよそ8時間程で到着。

ヌン村(タイ族
 ハジャンの町の手前のタイ族の村、タン村を訪問。この村はお年寄りも民族衣装を着ていない。もう諦めていたがたった一人いた。ここの衣装は大変地味で黒一色。”黒タイ族”とも呼ばれている。

 ここまで入ると観光はまだまだのようでホテルはシャワーのみ。しかし、既に夏だし湯は出るのでまあよしと。
 電気も問題なく、デジカメのチャージもOK。
B 2006.4.29(土) ハジャン→クウェッティン→ドンバン
 今日は更に北上してベトナム最北の町ドンバンに。少数民族めぐりもいよいよ本格化!

クウェッティン土曜市(白モン族ヌン族ランテンザオ族
 白モン族、ヌン族、ランテンザオ族は初めて見る民族。民族衣装の着用率も高く出足から快調。(今度の旅は楽しめそうだ。左の写真はクウェッティン土曜市

ルンカム村(花ロロ族
 ここの花ロロ族は普段は民族衣装は着用していなくてこの写真は”やらせ”。”やらせ”なんて言えば表現が悪いが小数民族探訪ツアー。せっかく行っても民族衣装を着ていなければただのベトナム人なので”やらせ”でも満足満足。
ニャオロン村(白モン族
 もう夕暮れなのに村に居るのは男と子供ばかり。主婦は畑でまだ農作業。我々が子供たちを相手に写真を撮っていたら”ぼちぼち”帰ってきた。
C 2006.4.30(日) ドンバン→メオバック→イェンミン
 更に高度を上げ中国との国境地帯の山岳部を走行したが、延々と続くカルスト地形は中国貴州省が思い浮かぶ。(もっとも、これはつながっているのだが)岩と岩の僅かな隙間までトウモロコシを植えてあるのも、水田は沢沿いの比較的緩やかなところにあるのも同じだ。やはりカルストの急峻な地は保水力からも稲作には適していないのだろう。
(右の写真の道路は通称M字カーブというらしい)


ドンバン日曜市(白モン族
 ここの市場はホテルのすぐ近くにあったので早朝に出かけてみた。
メオバック日曜市(ザイ族黒ロロ族アオザイザオ族
 ここではザイ族、黒ロロ族、アオザイザオ族と初対面。
ソムラー村(アオザイザオ族
 この村は民族衣装の女性は老人と子供だけのようだ。
ボーモイ村(スン族
 この村は人が少なく、撮影はやらせのモデルだけ。

イェンミン棚田イェンミンに近づいた途中の道路沿いに風情のある棚田があった。)


ナズー村(ザイ族

 ここもモーモイ村と同様。何とか見つかり撮影できたが綱渡り!!
D 2006.5.1(月) イェンミン→タンハー
ナヘー村(ランテンザオ族
 ランテンザオ族はなぜか背が高く見えるが、それは衣装のデザインのせい?
クウェンティ村(ボイ族
 ボイ族はハジャン省にしかいないらしい。この村には4戸のボイ族が暮らしているとのことだが、最早小数民族の絶滅危惧種か? この老婆の衣装は100年以上前から引き継がれている。
ボラック村(ヌン族

 ヌン族は角が生えた黒いターバンが特徴。

 やっと午後になって晴れてきた。晴れて来れば南国の太陽はさすがに熱いけれど、青空に飢えていたことから熱さも心地よい。しかし、こんな日に限って撮影は早々に終了。何の変哲もない道のりをホテルに向かうのみ。明日からの青空に期待!
E 2006.5.2(火) タンハー→ナムティ→バックハー
 今日は朝から良い天気で気分も爽快・・・であったが、さすがに南国、あっという間に日焼けした。ツアー催行会社特製の首に掛けるボールペンの紐跡が鮮やかに残った。

ドゥンタム村(花ラチ族

 この村は平坦な地にあり開放感が漂う村で、多くの村人が民族衣装を着てはいたが、子供はカジュアルな服装の方が多い。
ナムティ棚田
 この辺りは昨日までのカルスト地帯から離れてきたようで山々の木々の緑が多くなってきた。カルスト地帯は保水力が無いので水田は少ないが、この地帯には急峻な斜面にも水田がある。しかし、残念なことにここの棚田には殆ど水は張られていない。水利は天水のようで本格的な雨季を待って田植えを行うのだろう。
ナムティ村(ターバンザオ族
 棚田での稲作技術を持っている民族のようだ。この一帯は殆どの人が民族衣装を着ている。
タンティン村(パテン族
 衣装は赤色の艶やかな衣装。この衣装も普段は着用していないようだ。
ワンビン村(黒ラチ族

 この村の人々も殆どの人が民族衣装を着ている。
F 2006.5.3(水) バックハー→バットサット→サパ
バンフォー村(花モン族
 バックハーの町のすぐ近くの村で観光コースの村。前回も訪れた村である。
ムンフン棚田
 途中からは四駆のジープに乗り換えて未舗装道路の走行。このジープはベトナム戦争で軍が使っていた払い下げ品らしい。
 ベトナム北部の代表的な棚田のようだが、稲作が主体ではない地域によくあるパターンで水田は沢沿いの比較的傾斜の緩やかなところに開かれ、急峻なところはトウモロコシ畑である。雲南のように天まで届きそうな棚田風景とはなっていない。
 田植えは本格的な雨季が到来してからのようだが水が張られている田はかなりある。しかし、水量が足りないのか、耕作方法がこれでOKなのか、土が水の上に出ていて鏡のような水面とは言い難い。

シンチャイ村(黒ハニ族
 この一帯も観光客は殆ど訪れない地のようで、写真撮影も被写体となることを嫌がる人が多いので思うような絵創りは難しい。単に秘境の地に意味があるなら別だけど(このツアーはそうなんだが)自分としては、同じ民族が楽に撮影出来るならばこんなに時間をかけてくる必要は無いとも・・・。
ナンブーン村(赤ザオ族
 ここもハニ族の村と同様。デジカメのモニターに再現された他人の写真は興味あれど、カメラを向けると嫌がると言うか恥ずかしがるというか・・・。本当はもっと時間をかけて滞在し、彼らも和んでくればそうでもないとは思えど、何しろ我々もつむじ風のような
突撃訪問隊だし???
G 2006.5.4(木) サパ→ムンクン→ラオカイ→ハノイ
ムンクン木曜市(花モン族黒ザオ族ザイ族
 この市場は花モン族を主に黒ザオ族、ザイ族が集まっていたが、三月のバックハーのサンデーマーケットで見た花モン族の民族衣装の記憶と違和感を感じていた。(色の鮮やかさになにか物足りなさを感じていた。)感動が薄れているのかもと思っていたが、答えは彼女らのスカートに違いがあった。ここのスカートは化繊のプリントなのだが、バックハーでは刺繍された生地で鮮やかさや重厚感がはるかに勝っていたのだ。
 バックハーのサンデーマーケットへは、若い娘さんらはいわゆる”おめかし”で普段着とは別のよそゆきの衣装をまとって出かけていた。都会に近いだけ裕福なのだろう。

ターヤンチャイ村(黒ザオ族
 黒ザオ族は初めて見る民族。立ち居振る舞いが機敏に見えるのはその衣装からなのか?
ターキナー村
 突然訪れた我々一行を珍しそうに見に来るのもよくあるパターンなのだが、その中に一人だけ刺繍のスカートの娘さんがいた。村長の娘? まさか!

 撮影は今日で終わり。ハノイまで夜行列車だがラオカイのホテルで時間待ち。
 今日は”凄い”の連発日でもあった。まずはムンクンへの道のり。今日も途中から四駆にジープなのだが昨日に増しての悪路。日本にはこんな道路はないというくらい。
 二番目はベトナムの公安。ムンクンの市場の入口で若い公安にストップされた。事前に許可を取ってあるそうなのに。どうやら勤務中にもかかわらず酔っ払いらしい。で、上司と交渉して無事立ち入り可!勤務中の飲酒も問題ないのかな・・・??
 次はラオカイからハノイへの夜行列車。一室四名分は我々一行の席なのに既に白人(イギリス人)のアベックが。彼らのチケットはインターネットで購入した偽物らしい。彼らも多少分かっているようだったが、鉄道側からの座席移動の要請にも頑として動かない。結局同行の二名(ガイド)が他の席に移ったのだが、てこでも動かないくらいの彼らも凄いが、黙認してしまう鉄道側も凄い!!!
H 2006.5.5(金) ハノイ→
 早朝ハノイ着。昼まで市内のホテルに滞在し午後は市内観光。ここからはいつもと同様手ぶらでのんびり一般観光客に徹する。
I 2006.5.6(土) →(ベトナム航空)→関西空港
 珍しく定刻発で定刻着。早朝関空に無事到着。
 
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