雲南・ラオス国境越え
 今回は雲南の西双版納からラオス北部への陸路での国境越えであったが、少数民族の民族衣装は中国側、ラオス側のどちらも期待外れに終わった。
 西双版納は元陽〜金平ルートより観光地化も遅れているだろうから、民族衣装はまだまだ残っていると思っていたのだが、日常はほとんど着用していない。結局、頼み込んで引き受けてくれる人がいたら、記念写真風の写真が撮影できるのみ。

 ラオスは二回目。前回はベトナムの国境沿いで観光客もほとんどいない地域にもかかわらず、民族衣装は期待外れだった。今回はさらに観光地化が進んでいる地域なので、初めから期待はしていなかったが、やはり予想通り。ツアー主催会社のパンフレットのようにと、淡い期待もあったのだが無残な結果になった。
日程(2009.2.12発)
日次 コ  ー  ス 宿泊地
成田空港→(ベトナム航空)→ハノイ ハノイ・サイゴンホテル
ハノイ→(ベトナム航空)→昆明→(中国東方航空)→景洪 景洪・輝煌都暢大酒店
景洪→モンルン モンルン・科学家活動センター
モンルン→モウロウ モウロウ・錦繍大酒店
モウロウ→モーハン→(国境)→ボーテン→ルアンナムター ルアンナムター・ビーラーゲストハウス
6 ルアンナムター→ムアンシン ムアンシン・プーイウロッジ
7 ムアンシン→ウドムサイ ウドムサイ・スリンポーンホテル
8 ウドムサイ→ルアンプラバン ルアンプラバン・マノラックホテル
9 ルアンプラバン→(ラオ エアーライン)→ビエンチャン ビエンチャン・ラオプラザホテル
10 ビエンチャン→(ベトナム航空)→ハノイ 機中
11 ハノイ→(ベトナム航空)→成田空港



(ユーラシア旅行パンフレットより)
@ 2009.2.12(木) 成田空港→(ベトナム航空)→ハノイ
 午前便で成田発、ハノイは何度も来ているのでホテルでのんびり。
A 2009.2.13(金) ハノイ→(ベトナム航空)→昆明→(中国東方航空)→景洪
 チケットの都合だろうが朝ハノイ発。昆明で乗り換えてシーサンパンナの玄関口景洪に。ずいぶん時間がかかったが、このツアーに参加する人達は殆どが時間は十分あるので大丈夫。(笑)
B 2009.2.14(土) 景洪→モンルン
もん(孟+力)養鎮曼景法(花腰タイ族
もん(孟+力)養鎮曼竜岡(旱タイ族
もん(孟+力)侖鎮巴そう小寨(ジノー族

もん(孟+力)侖鎮水タイ族

 やっと今日から本格的な撮影のつもりが、花腰タイ族はみんな写真を嫌がり満足なものが撮れずに引き揚げ。
 旱タイ族の人たちは花腰タイ族と違い人懐っこいところがあり撮影は嫌がらない。しかし、この村は裕福な村で家は立派な家ばかり。写真的にはいまいちながら我々がどうのこうの言えることではないので仕方ない。これは衣装にも言えることなのだが。
 ジノー族の集落では民族衣装に着替えてくれる人がいた。これはこれで良いのだが記念写真的になってしまうのが玉に傷。ジノー族は一番新しく政府に認定された少数民族である。
 水タイ族は女性が集まって音楽に併せ踊っていた。民族舞踊なのかどうかは定かでないが、さしずめ日本でいえばカルチャー教室のようなものだろう。

 
シーサンパンナの第一日だが、早くも咲きは見えてきて明日以降の撮影も気が滅入る。最早シーサンパンナと言えども、車で簡単に行ける所で民族衣装を常に着ている集落はないだろう。

 今夜はとてつもなくでかそうなシーサンパンナ植物園内にあるホテル泊。
C 2009.2.15(日) モンルン→モウロウ
泡竹ちん(竹冠に青)ヤオ族
もん(孟+力)遠県開累鎮もん遠城子村
水タイ族

 ヤオ族の集落は現地ガイドの知り合いの家に行き、ここで民族衣装の正装を撮影。女の子は緊張しまくりで・・・。
 モウロウに向かう途中で水タイ族の村に立ち寄る。水タイ族の衣装は民族衣装なのか否なのかどうも分かりずらい。

 このツアーは日程的にも随分のんびりとしたツアーで、ホテルにも早い時間に到着。到着後観光は予定されていたのだが、少数民族巡りでもないのでパス。
D 2009.2.16(月) モウロウ→モーハン→(国境)→ボーテン→ルアンナムター
ルアンナムターランテン族

 早朝からモンロウの市場に出かけたが民族衣装は見当たらず、1枚も写さずに引き揚げた。ここまでで中国は終わり、ラオスに。

 ルアンナムターでランテン族の村に。ここでは民族衣装はかなり着用はしていた。
 ホテルに行く途中
ルアンナムターの市場へ。明日も早朝から撮影予定だが、露天の市場ではなく屋根で覆われているので光線状態は期待できそうもない。

 ラオスでの第一泊目、思っていた以上に良いホテル。1年半前に行ったベトナムとの国境周辺の地域とは雲泥の差。
E 2009.2.17(火) ルアンナムター→ムアンシン
ルアンナムターの朝市(モン族
トンチャンタイ村(黒タイ族
フッカンマイ村
イゴー族
ナムベットマイ村アカ族
ナムマイ村(ヤオ族
ドンチャイ村(タイルー族
ムアンシン(タイダム族


 今日も早朝から市場の撮影。しかし、少数民族の衣裳を着た人はランテン族は1人、モン族が5〜6人、他の人は普通の衣装で見分けがつかない。自分にとって民族衣装を着ていなければ少数民族でもただの人、イライラはつのるばかり。
 黒タイ族の村でも衣装を着替えてくれた人がいた。現地ガイドも我々への気使いなのか、交渉の成果なのだが。
 イゴー族は現地ガイドによればアカ族の系統とか。後のアカ族と同様写真のモデルになる人はいない。この部族は性格も荒く、我々は全く歓迎されないと言うより招かざる客。
 アカ族の集落のすぐ隣にはヤオ族の集落。ここは撮影は可能だがお金、お金。
 タイルー族はもう衣装そのものを持っている人が少ないらしいが、一人の老婆が巻きスカートらしきものを持ち出し見せてはくれた。
 ホレルに帰ったら庭に正装したタイダム族の女性がいたが、これは物売りの女性であった。暫く愛想よく写真におさまっていたがおもむろに商売開始。我々のグループに対して商談が成立したようでめでたしめでたし。少数民族の衣裳は観光地化に伴い復活する方法はこんな場合だろう。
F 2009.2.18(水) ムアンシン→ウドムサイ
ムアンシンの朝市アカ族
ラクシッペ村(モン族

メテオチャイ村(黒タイ族

 今日も朝市に。アカ族とタイダム族が数人のみ。まだ暗いのでストロボで一発シャッターを切ったら、アカ族にすぐに怒られた。
 殆ど人はタイルー族らしいが、タイルー族は衣装を持たない筆頭格なので期待もしない。
 車で移動中に民族衣装を着たモン族に遭遇。集落の人も集まって来たが他の人たちは極普通。
 またまた移動中に数軒の露店。黒タイ族とのこと。

 明日はモン族の村に立ち寄る予定があるが、ラオスの中心部にかなり近づいているので期待できなく、少数民族巡りは実質今日で終わり。今回の旅は自分的には何の成果も感じられない旅であった。
G 2009.2.19(木) ウドムサイ→ルアンプラバン
 今日も飽きもせずに早朝から市場に。モン族も予想通りで1枚も写さなかった。
 午後からは普通の観光旅行。カメラは撤収し観光に徹した。
H 2009.2.20(金) ルアンプラバン→(ラオ エアーライン)→ビエンチャン
 今日も早朝から名物の托鉢見物なのだが、フラッシュ禁止とか。あまり興味もないので不参加を決め込みホテルで留守番。
 その後ワットシェートン観光。ここは世界遺産らしいが、まあ普通の寺と観光客相手の町並み。(右の写真)
 
 昼食後は飛行機でビエンチャンに。ビエンチャンのラオプラザホテルは超豪華なホテルで、小泉前首相も
泊まったとかでロビーには写真も飾ってあった。
I 2009.2.21(土) ビエンチャン→(ベトナム航空)→ハノイ
 一日ビエンチャンの市内観光。こんな観光を省けば一日早く帰国出来るのだが・・・・。
右の写真は仏塔タートルアン

 夕刻ハノイに。一時間足らずのフライト、ハノイは近いんだ。ハノイ空港で5時間近く待ちいよいよ日本に。
J 2009.2.22(日) ハノイ→(ベトナム航空)→成田空港
 早朝予定通り無事に到着。
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