胎 児 よ
胎 児 よ
何 故 踊 る
母 親 の 心 が わ か っ て
お そ ろ し い の か
「ドグラ・マグラ」著・夢野久作 巻頭歌より抜粋









































 待ちくたびれたような顔をした街路樹の葉が夕方の風に揺れている。背の高い銀杏の木だ。スニーカーの底で黄色い落ち葉を踏みしだき、虫取り網を振り回す。アキアカネは風と同化しているかのようにつかみどころがなく、釣り糸でふわりと操られているかのようだ。一回、二回、まだ網には入らない。もう一度、二度、三度。
「はっ……はっ……はっ……」
 まだ発展途上の脚に鞭打ち、走る。がこがこと上下する虫かごの中には、まだ一匹もいない。悔しくて涙が出る。剥き出しの腕でごしごしと拭う。そして、低空飛行を続けるトンボを追い続ける。目の前にいるのに捕まえられないことが無性に悔しい。
 同じ顔なのに、どうしてこんなに自分はどんくさいのだろう。全く同じ顔なのに、一緒に生まれた兄弟なのに、どうしてこんなに違うのだろう。虫一匹捕まえられない自分と比べて、片割れはトンボを何匹もかごに入れている。それも空を飛び違うアキアカネだけじゃなくて、気性の荒いシオカラトンボもいれば、大きくて複眼の綺麗なギンヤンマもいるし、細くて折れそうなイトトンボも見つけている。
 顔が同じ兄弟には、余計に負けたくなかった。それでも脚は動かないし、追うアキアカネもどんどん距離を離していく。やがてアキアカネは風の間を縫うように夕陽に向けて飛んでいってしまった。昼間よりも弱くはなっているけれど、それでも陽が強すぎて手をかざした。小さな影は、不規則にホバリングをしながら、公園の外へ、ひらひらと飛んでいってしまった。
 膝を突いて、荒い息をついた。身体がすっかり火照っている。風が波のように空気を押し流していた。鋭角に差し込む陽の光は目を閉じても暖かい。
 泣きたかった。泣いたら負けだと思っても、泣きたかった。
 すると双子の兄弟が、自分の名を呼んだ。振り返る。まず目に入ったのが、虫がいっぱいつまったかごで、余計に泣きたくなったけれど、目を逸らしてそれとなく拭った。
「捕まえられなかった?」
 唇を噛んだ。指摘されるのが悔しかった。自分よりもできる、自分と同じ、それでいて自分ではない自分に向けて、精一杯強がりの言葉を返す。
「兄ちゃんだって……そんなに捕まえようとするのもダサイよ」
「駄目だよ、そういう言い方じゃ、どっちが兄ちゃんか分からないよ。昔の風習なら、先に生まれた方が弟だって決まるんだよ。だから……ね?」
「わかんないよ。知りたくもない」
「わからなくてもいいよ。知らなくてもいい。だって、俺達は兄弟じゃないもの。だからね、」
 そのとき、虫のいっぱい入った虫かごの口をスライドさせた。開けられた出口から、羽持つ虫たちが、己が翼を確かめるように飛び立ってゆく。そして空になったころ、虫かごを投げ捨てて、こう囁かれた。
「……これで、同じになったよ」
 一匹も残っていない、二つのかごを寄せ合わせる。
 全く同じ顔が、目を見据えた。その瞳孔の先がみえないほど、深い闇が、こちらを見つめている。
 目には魔力があると、慣用的に言う。その瞳孔に吸い込まれそうになったとき、ふいに手を握られた。あたたかくて、やわらかくて、走った後だから少し湿っていて、それでも離したくない手だった。
「帰ろ?」
 と、手を引かれた。かごを鳴らしながら歩く。家に帰る、そう長くもない道への一歩を、まだまだ小さな歩幅で進み始める。
 アスファルトに長い影を落としながら、先急ぐように引っ張られる。
 でもまだ、答えを聞いていない。
「ねえ……俺達は、兄弟じゃないの?」
 すると、振り向いた影は笑顔で答えた。
「だって俺達は、双子だから」
 兄弟じゃない。姉妹じゃない。ほかのなにものでもない。だって、双子だから。


『ずっと一緒だよ――淳』




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