呼吸がままならない。口腔の粘膜が粘ついている。からからになった喉からは喘鳴。脾臓がしくしくと痛みを訴える。浦山しい太は痛む脇腹をぎゅっとつかみ、背後を気にしながら夜の住宅街を駆け抜けた。心臓が胸郭を内側から太鼓で叩くように脈打っている。
 電燈が落とす光の円錐を頼りに、無人の道を走った。邸宅と道路を隔てる塀が千里の道のようでもある。つぎはぎだらけのアスファルトを真新しいスニーカーが駆け抜ける。乾いたアスファルトに、点々と赤黒い雫が落ち、しい太の足跡を示している。事実、しい太の身体には無数の傷があった。細い脚、発達のさなかにある腕に開いた傷は十を超え、そのどれもから一筋以上の血が線を描いているのである。スラックスは傷の場所に合わせてぱっくりと切り割られて夜風にはためき、右膝の広い穴は今しがたこさえたものだ。桜色の頬の左にも深い刃傷が掘られており、血は顎を伝ってワイシャツのところどころを鉄錆色に染める。
「(誰か、たすけてでヤンス、誰か!)」
 なん度助けを求めても、人影ひとつ自分の目の前には現れなかった。
「(助けて、助けて、誰か――)」
 世界へのアクセス権を失ったかのように、鼓膜を打つものはない。いくら叫んでも、その声が耳に届かない。自分が叫んでいるという事実さえあやふやになる。しかし痛みはある。視覚もある。
 小さなアパートの角を曲がり、なお疾走した。しかし今、彼を鞭打つものはどこにもないのだ。二十メートルほど走ったところで、つむじ風が吹いた。その時、太ももの皮膚を横一閃され、繊維の十数本で辛うじて繋ぎとめられていたスラックスの裾が切り取られ、ずりさがり、しい太の靴に絡みついた。足がもつれて、その場にどうと倒れた。噛んだ頬から血の味がした。
 倒れた状態から再び身を起こし、しい太は足を引きずりながらも駆けた。縋るように触れた塀のコンクリートがいやにざらざらした。
 逃亡を要求する生存本能が、羨んでやまない先輩に助けを求める。鬼のように無敵で、狐のように翻弄し、神のように遠い存在の先輩たち。喉がからからに渇いて、声帯は口呼吸で掠れ始めている。しい太は痛む喉に鞭打って、思いつく限りの、先輩の名前を連呼した。
「助けて、助けてっ! 幸村部長、真田副部長、柳先輩柳生先輩仁王先輩ブン太先輩ジャッカル先ぱ」
 またもや疾風が、今までにない強さで、轟と髪をはためかせた。風はしい太の両膝を深々と抉った。電燈から離れた小道ではその傷を本人が見ることは叶わなかった。心臓の拍動に合わせて傷口が脈打ち、生ぬるい液体が噴き出す。ひぐっ、と灼熱に泣き、噎せた。倒れた拍子に袋小路の突き当りの塀に肩を打ちつけた。塀伝いに逃げるが、足は使い物にならない。肘を使って匍匐前進になったしい太の足元には一対のスニーカーがふたつとも脱げて、真っ赤に染まって落ちていた。よく見ればスニーカーの片方には、まだ中身が膝まで入ったままである。
 相対して初めて、自らを追い詰めた疾風の影を見た。眼球のように赤くぬめるような輝きを街路に落とす上弦の月が叢雲に遮られて朧に揺れ、その巨大な月を背負うように立つ、人間の形をしたものの影。手首の外側に向けてものすごい大きさをした鎌の刃を引っ提げ、足をなくしたしい太を見下ろしている。獲物を追い詰めた狩人は一メートルを優に超そうかという大鎌を振り上げた。
 しい太は顔を守るように両腕を交差させて、唇を震わせた。
「たすけて……あかやせんぱい……」
 狩人の、動きが止まる。
 恐れていた一瞬が来ず、しい太は恐る恐る顔を上げた。
「(わかって……くれた……?)」
 ……容赦なく鎌が、頸動脈を裂く。

   *

 丸井ブン太は部室のドアに首だけを入れて、汗臭さがこびりつく部室を見回した。ロッカーと、柳の管理下にある書棚と、外したら真田に一喝されそうな確乎不抜の張り紙。今までの、そしてこれからの栄光をこれでもかと陳列し続ける写真やトロフィーには一片の曇りもない。
「しい太〜、いるか?」
 部室には三年生が引退した直後に繰り上がりでレギュラーになった二年生が五人ほど着替えを始めていた。その中で唯一繰り上がらずにレギュラーの座を射止めている、現在の部長・切原赤也が振り返った。赤也は黄色いポロシャツから首だけを出して、「いんや、まだ来てねぇっすよ」とだけ返した。そのままもぞもぞと両手を袖に通し始める。すでにはいていた短パンがスラックスの下から現れた。赤也はテニスバッグにぐしゃぐしゃにしたスラックスを詰めて、ごそごそと漁りはじめ、そこでなにかを思い出したように両手をぽんと叩いた。
「あ、そうだ聞いてくださいよ。しい太のやつ、今日も朝練サボリやがったんっすよ」
「はぁ? それでよく掃除当番とか押し付けられてねえなあ」
「押し付けたいとこなんすよ。でも本人が来てなきゃそんなわけにもいかねえし、俺が真田元副部長に怒られるし。散々なのは俺の方なのによ。ああ、ったく」
 赤也は組んだ指を天に背伸びをした。脱力して、短い癖っ毛をばりばりとかきむしる。
「先輩、しい太がどこにいるか知らねっすか?」
「それはこっちのセリフだろぃ。あーあ、今日、幸村君の見舞いに、しい太を連れていこうと思ってたのによ」
 味のなくなりかけたグリーンアップル味のガムを、頬の代わりに膨らませた。両手を後頭部に当てて、もう一度ガムを風船にする。
「しい太をっすか?」
 ああ、とも、おお、ともつかない返事がガムに邪魔される。
「そろそろ幸村君も暇になってるだろぃ。見舞いついでにジャンプとか持ってこうと思ってよ」
「しい太は?」
「荷物持ち」
 こともなげに返答したら、赤也はけたけた笑う。
「ひっで。先輩命令反対」
「なんだよ。言っておくけど、しい太にも利はあるんだぜ。どうやったら強くなれるか、幸村君にも訊けるだろ」
「嘘つけ。ブン太先輩だって幸村部長だって、一回も俺にそんなの教えてくれなかったくせに。ひいきっすよ、ヒーキ」
「可愛げの勝負に決まってんだろぃ」
「勝負に負けるのは性に合わねえ! ブン太先輩、今すぐしい太を探しに行きましょうよ! 絶対俺が勝ってやる」
 いやににこにこした顔で赤也は眼前まで持ち上げた拳を握った。
「可愛げで勝つなんて身の程知らずもいいとこじゃん。お前、しい太の足元にも及ばねぇだろ。無駄な威勢は試合で使えよ。その代わり、シータって名前のやつは誰からも大事にされるって相場が決まってるんだよ」
「天空の城なんて冗談はなしっすよ。じゃあ柳生先輩は『三分待ってやる』とか言いそうっすよね。こうやって拳銃持ちながら」
 ばーん、と右手で拳銃の真似をして、どうやら気づいたらしい。弾かれたように赤也は部室の時計を見上げ、即座に真っ青になった。やっべ、とラケットを引っ掴み、ブン太を押しのけて慌てて部室を後にした。開け放たれたドアから赤也のスニーカーが土を蹴る軽快な音が届き、それが次第に遠ざかっていく。部活開始の時刻まで後五分かそこらしかない。着替え時間も必要なのにまだ部活に来ないとは、しい太は本当に部活を欠席する予定だろうか。
 しい太が無断で部活を休んだことも、遅刻によって真田の制裁を受けたことも、入部してからの半年間、一度としてない。強いレギュラーの先輩を見て、羨望の眼差しで練習に取り組んでいた。
 どちらにせよ、大雑把な赤也のことだ。連絡を確認していないか、もしくは連絡が行きわたっていないだけなのだろう。
 ブン太は「つまんね」とだけ呟いて、ドアを押し開こうとノブに手をかけた。
 その時、スニーカーが何かを踏みつけた。足をどけてみると、金色の鎖がもつれたペンダントがあった。二本の指でつまみ上げて目の高さに持ってくると、その輪の鎖が両端に小指の先ほどの大きさの金属飾りが繋がれていたのに気付く。ジャッカルのお守りだ。ブラジルのお守りで、確かエスカプラーリオという首飾りのはずだ。それがどうしてここにあるのだろう。
 ブン太はそれを部室に残そうかと思い、しかしジャッカルには自ら渡した方が早いと思い直して、それをポケットに入れた。
 ドアの外では、暦の上では終わりかけた夏がいまだこの街にわだかまっていた。暑さ寒さも彼岸までとは言われるが、たかだか十数日程度でこの暑さが和らぐとは到底思えない。ワイシャツの背中が汗にうっすらと湿り、布と肌の間の湿度を極度に上昇させているのだ。
 通学カバン代わりのテニスバッグを担ぎなおし、ブン太はひとり、病院までの道のりを急いだ。読み終えた漫画雑誌が何十冊も詰まったバッグは肩の肉に容赦なく食い込んだ。やはり、しい太なり赤也なりを荷物持ちに指名した方が良かった。天才的な技術を重視しすぎた悪影響が強すぎて、力仕事は苦手になりつつある。いつもはジャッカルに力仕事を押し付けていたが、今日は家事の手伝いがあるからといって、早めに帰られた。頼めるはずがない。だからといって柳に任せると後々までデータに残る。柳生は快く引き受けてくれそうなものだが、その紳士的性格と真逆の態度を見せたらどうなるか分からないので気が引ける。仁王を勘定には入れるのは間違いだ。力仕事を手伝ったということをネタに倍返しの要求をされるのは金輪際勘弁だ。真田に荷物持ちを頼んだところで、「その程度の荷物も持てないとはたるんどる」と一喝されるに違いない。バッグの中にはいつも十二キログラムはある「力石」(赤也は漬物石だと言っていた)が入っているくらいだからだ。やはりひとりで、少し遠い金井病院まで行くしかないだろう。
「めんでぇなぁ……」
 コート上でランニングする集団の先頭に立った赤也の、ファイオーという掛け声をわざと聞かないように意識を背けながら、ブン太は校門を出た。
 幸村が再入院した金井病院は、電車で行くには運賃が高すぎ、歩いて行くには少し遠いという、実に中途半端な場所にあった。つい一か月ほど前までは真田の引率によってランニングで病院に向かったが、引退した今はわざわざ歩いていく理由はない。今日はそんなにお金はなかったが、それでも疲労と天秤にかければ運賃も安いものだ。
 近場の駅に向かい、百六十円を意地悪な券売機に投入して下り線に乗る。高架を走る電車の窓際に立って、あっという間に過ぎていく市街を眺めながら、ブン太はふと物思いに耽った。
 幸村は全国大会が終わった一週間後、帰宅途中に突然昏倒して病院に搬送された。
 柳の話によると、どうやら病気が再発したらしい。幸村の病気に酷似したギラン・バレー症候群の再発率は多くても五パーセント未満と言われているそうだ。その五パーセントに該当してもなんら不思議はないらしい。なにしろ手術をするほどの重い病気だったのだ。癌だって予後の不良があるし、一度病気になったら続けて病気になったり合併症を起こしたりしてもおかしくない。
 それよりも、なんども病気を起こしてしまう幸村の身の上を少し心配してしまう。部活入部当初から、どんなに精悍な表情をしていても、身体の弱そうな人だなという印象は拭えなかった。幸村は二年生の冬、突然プラットホームで倒れた。しばらくの入院期間を経て、手術、投薬、そして過酷なリハビリテーション。しかしどんな手を尽くしても、一ヶ月ほど前にまた病院へ逆戻りしてしまった。城から出られないお姫様のようだ。なんども病気や怪我をして、入院を繰り返して、その間に時間が過ぎていって、下手をすれば一生病院から出られないのでは――
「金井〜、金井です。お出口は左側です」
 間の抜けたアナウンスで、現実に引き戻された。
 はっ、と息を吸い込んで首を上げた。窓の外に流れる金井駅の文字が近づいてきて、すぐにドアが開いた。プラットホームに降り立つとすぐに閉じた電車の扉が、ゆっくりと線路上に流れていく。
 再びテニスバッグを担ぎなおした。舌の上に乗るガムがすっかり味をなくしていることに気がついて、新しいガムを空けて、噛み終えたガムを包装紙で包んで備え付けのゴミ箱に投げ捨てた。新しいグリーンアップルの味を噛みしめながら、病院までの道を急ぐ。
 プラットホームを出て、駅から出ると病院は探すまでもない場所にその門を開けている。幸村がいるのは金井病院501号室。丸井はガムを噛みつつ病院の自動ドアから入った。薬とエタノールと、老人の古紙のようなにおいが混じって、独特の臭気が合成されている。それも慣れたものだ。
 東病棟の階段を上った。同じ景色が延々と続いて迷いそうになる。背中に負った数十冊の雑誌の重さにひぃはぁ息を切らせて、やっぱりジャッカルを誘ったほうが良かったかなと本気で後悔した。
 よりエタノールの強くなった一般病棟を進む。501号室。スライドドアを右手で押しあけた。
「幸村君、お久〜」
 前後に二台あるうち、手前のベッドから届いたのは、いつもと変わらないふうわりとした声だった。
「やあ、ブン太。来てくれたんだ」
 太陽を知らないかのように白い肌。ふわふわと波打つ、光に当てれば濃い青色にも見える黒い髪。立海大附属中学校テニス部元部長・幸村精市だった。彼は斜めに起き上がったリクライニングベッドに腰かけて、指を栞代りに厚い文庫本を閉じている。
 仄かに病やつれした顔はすっかりとコート上での精悍さを失わせている。しかしそれは美しさを衰えさせていることとはイコールではない。今にもこの手から消えてしまいそうな儚げな印象が庇護欲と同情心をそそる。唇は紫に変色し、指先は針金に紙粘土を薄く巻きつけたかのようだった。薄い唇が小さくつりあがって、ふふ、と笑みを漏らす。
「来てくれて嬉しいよ。そういえば今日、しい太が来るって言ってたけど、どうしたんだい? 姿が見えないけど」
「ああ、しい太?」
 ブン太は重さに耐えきれず、その場にテニスバッグを下ろした。
「連れてこようと思ったんだけど、部活に来なくってよ。せっかく荷物持ちにしようと思ってたのに」
「部活に来なかったんだ? ふうん、珍しいね、あのしい太が。一度もサボったことなかっただろ?」
「そうなんだよ。ったく、ここまで運んでくるのが重かったこと重かったこと。そうだ、見舞いの品といっちゃあなんだけど、漫画持ってきたぜぃ」
「漫画?」
 そこで初めてブン太はテニスバッグの横に腰を下ろし、ファスナーを開け始めた。いつもはラケットが入っている場所に押し込まれていたのは、数えるのも嫌になるほどの漫画雑誌のバックナンバーだ。週刊少年誌が三種、月刊誌が二種。そして読み終えた流行の小説が数冊。適当な雑誌の最新刊をテーブルに置いた。これにはさすがの幸村も目を大きく開いた。
「こんなにいっぱい、どうしたの?」
「ああそれ? 読み終えたやつ。もう読まないからあげるぜ。もうそろそろ小説も読み飽きただろ? たまには漫画で息抜きしろよ」
 と言いつつ、テニスバッグの奥に潜り込んでいた最後の一冊をベッドの横に積んだ。バベルの塔建設を早送りで見ているかのような雑誌タワーの建立である。幸村は思わぬプレゼントに、ふふ、とまた笑った。
「ありがとう、ブン太。そんなにたくさん持ってきて、重かっただろ? 座りなよ」
 幸村の指したパイプ椅子に、ブン太は凝った肩をぐりんぐりん回して、伸びをしてからどっかりと腰かけた。
「相変わらず元気そうだね、ブン太。また太ってないか?」
「は? 俺がお菓子好きだからって、そんな簡単には太らないようにできてるの知ってるだろ」
 そう胸を張って、ブン太は口の中のガムを交換しようとポケットを探った。制服のポケットから出した新しいガムの封を開ける。
「そうだ、お菓子食べていきなよ。お腹減ったんじゃない?」
「いるいる! 甘ぇのある?」
 幸村は棚から木製の受け皿を出し、ティッシュペーパーを敷いた上におかきをぱらぱらと出した。ガムを棚に置き、早速おかきをつまみ上げて口の中に放り込む。もぐもぐと咀嚼しながら、ふと思い出して尋ねた。
「そういや、食ってええの? これ」
「なにをいまさら。それにどんなにたくさんもらっても、全部は食べきれないよ。どんなに貰っても家族に渡すことになっちゃうのなら、目の前で食べてもらった方がずっと嬉しいから。食べなよ」
 ありがたいような、困ったような、そんな表情をして幸村はいつものようにほほ笑む。しかしその笑みは一か月前の全国大会の時よりも、ずっと青白くやつれて見える。近くで見れば隈が色濃い。肌は透き通ると呼ぶよりも、蛍光灯の光に血管の色が薄く透けて、精緻な蝋人形のようでもある。これで向こうのベッドがカーテンを閉めきっていなければ、幸村の姿は落日の残照に照りつけられ、光の中に融けて消えてしまいそうだった。
 舌の上に残る塩味を嚥下し、ブン太は今日学校であったことを話した。幸村は微笑みつつ、ブン太の話に耳を傾けた。面白おかしく、時にはジェスチャーを交えて幸村を笑わせて、ブン太も思わず笑顔になる。
 ジャッカルが三者面談の紙を、急に忙しくなった親に渡せずにいて昼休みに職員室に呼び出されたこと。柳生が意外に好きな戦隊物のオープニングが昼休み時の校内放送で流れた時に、こっそり食堂を離れて静かな場所に行ったこと。昼休みに真田が柳生を訪ねて来た時、柳生はすでに食堂にいなくて探し回っていたこと。そんな真田を見つけて、柳が柳生の場所を教えてあげたこと。でも途中の廊下で見つかった柳生は仁王で、真田は気付かずに仁王に柳生への呼び出しを伝えたこと。赤也が怖いもの知らずに囃したてたら、案の定真田に呼び出されたこと。
 連絡もよこさない、しい太のこと。
 全てを話したら、外にはもう星が煌めき始めていた。
「しい太、本当にどこに行ったんだろうね」
 無機質な蛍光灯の明かりを受けながら、幸村はいささか沈んだ顔で呟いた。少しだけ厳しい目で、組んだ両手を睨んでいる。
「十代の子供が失踪する理由の大半は家出だそうだけど、一概には言いきれないこともあるからね。無事だとは思うけど、念のためだ。ブン太、何回か携帯に電話を入れてあげなよ」
「……分かった。やってみる」
 その場で携帯を取り出し、そこで幸村に止められた。それでここが病院だということを思い出し、次いで現在の時刻を待ち受け画面で確認した。すっかり電源を切り忘れていたらしいが、幸いにして圏外だった。時刻としては七時に近い。そろそろ帰らねばならないだろう。
 ブン太は病院に来るまでとは比べ物にならない軽さのテニスバッグを軽快に背負い、「じゃあまたな」と手を振った。


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