青森県音楽資料保存協会

バレエ「アレコ」の原作となった物語詩「ジプシー」


【アレコホールのシャガール画】

 青森県立美術館の「アレコ・ホール」は、画家マルク・シャガール (1887-1985) が、1942年に手がけたバレエ「アレコ」の背景画3点を展示するために作られた特別な空間です。背景画1点の大きさは、縦約9メートル、横約15メートルで、シャガールの作品としては日本で最も大きなものです。

 1941年、シャガールは、戦争による迫害から逃れるため、フランスからアメリカに渡り、約7年の間、アメリカで過ごすこととなります。「アレコ」の背景画が制作されたのは、アメリカでの亡命時代のことです。当時の舞台装飾家組合の規則により、アメリカでは芸術家が舞台に上がって仕事をすることが禁じられていたために、シャガールはやむなくメキシコシティーへと拠点を移し、メキシコの民族芸術の影響を受け、背景幕と衣装の制作に没頭することとなるのです。

 以下バレエ「アレコ」上演の記録です。

 1942年9月8日 国立芸術院宮殿(メキシコ・シティー)初演
 1942年10月メトロポリタン・オペラ・ハウスにてニューヨークで初演

 音楽: チャイコフスキーのピアノ三重奏曲イ短調
 振付: レオニード・マシーン
 台本: プーシキンの物語詩「ジプシー」






【プーシキンとジプシー】

 さて、バレエ「アレコ」の原作となったのが、ロシアの詩人・作家であるアレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキン(1799−1837)の物語詩「ジプシー」です。

 この物語詩の序文の草稿として、プーシキンが次のような文を書いています。



 ヨーロッパではジプシーの起源は長い間知られずにきました。彼らはエジプトからの移住者とみなされて、現にある国ではいまだに彼らのことをエジプト人と呼んでいます。このような憶測を最終的に一掃したのはイギリスの旅行者でありました。ジプシーはパーリアと呼ばれる賤民のカーストに属するインド人であることが証明されたのです。彼らの言語も信仰と呼ぶべきものも、容貌や生活様式も確実にこの証明を裏書しているわけなのです。
 彼らの貧困によって保証された自由への愛着は、こうした浮浪者の無為の生活を矯正しようとしてとられた政府の施策をことごとく無にしていました。彼らは、イギリス同様、ロシアでも放浪の生活を送っています。男達は最小限の要求をみたすのに必要な手仕事に従事し、馬を売り、熊をあやつり、詐欺と窃盗をはたらいているようです。そして、女たちは占いと舞踊を生業としているわけなのです。
 モルダヴィアでは住民の大多数がジプシーです。注目されるのは、ベッサラビアとモルダヴィアで農奴制がおこなわれているのは、この原始的な自由の温順な信奉者たちの間にかぎるということなのです。しかしながら、このことは、彼らがこの物語(物語詩「ジプシー」のこと)の中で、かなり忠実に描かれている未開な放浪生活を営むことの妨げにはなっていません。彼らは他のジプシーよりも道徳的に純潔です。彼らは窃盗も詐欺も働くことはありません。しかし、未開であり、音楽を好むという点では同じであり、従事する荒仕事の種類もまた同じです。彼らの貢物は、領主の奥方の無限の収入源をなしているわけなのです。



 ジプシーとは、プーシキンが書いているように「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音が消失した単語だといわれていますが、「ロマ」という呼称が現在では一般的です。こうしたジプシーの生活を細かく物語詩の中に記すことができたのは、プーシキンの体験によるところが大きいといわれています。


 物語詩「ジプシー」は、1823年か1824年のはじめごろにオデーサで起稿され、1824年10月にミハイロフスコエで完成されました。しかし、発表されたのはその3年後の1827年です。背景になっているのは南べッサラビアのジプシーの世界ですが、プーシキンは、この物語のエピローグで次のように書いています。



 彼らの怠惰な群れを追って、私はしばしば荒野をさまよい、つましい糧を彼らと分け合い、彼らの焚き火の前で寝入った・・・。



 もしこれが事実だとすると、プーシキンがキシニョフ滞在中(1820年9月−1823年7月)のことに違いないとみられていますが、その真偽は、作者のいない今となっては確かめるすべはありません。しかし、少なくとも物語詩「ジプシー」に見られるジプシー生活のさまざまな細かな点、シンプルながら精彩に富むリアルな描写が、プーシキンの直接の観察に基づくものであることは間違いないといわれています。彼は一時期、ジプシーの生活様式やモラルに非常に興味を抱いたらしく、この作品のためにジプシーに関する序文まで、上記のように用意したわけなのです。




【物語詩「ジプシー」のテーマ】

 物語詩「ジプシー」が、プーシキンみずからが観察する機会のあった、ベッサラビアのジプシーたちのなつかしい思い出から生まれたと同じように、アレコとゼムフィーラの悲劇的な恋愛のモチーフも、おそらく作者自身の体験から生まれたものではないかといわれています。

 アマリア・リズニチが1826年にイタリアで肺をわずらって死んだとき、プーシキンは彼の恋愛詩の絶唱とされる「はるかなる祖国の岸を求めて」を書いてその霊をとむらいました。オデーサ時代の彼女には、プーシキン以外にも恋人がいて、そのためにプーシキンは嫉妬の思いに苦しめられどおしであったといわれています。この体験が物語詩「ジプシー」の主人公であるアレコのモチーフに生かされているといいます。アレコの名は、ほかならぬ作者自身の洗礼名アレクサンドルの別称となっており、自分自身の投影がみられるのです。

 プーシキンがこの作品で提出している第1のテーマは「自由」です。主人公のアレコは文明社会には自由がないと考え、自由を求め、ジプシーの群れに身を投じることとなります。しかし、アレコの求める自由は、自分だけの自由であって、他人の自由が、自分の権利を侵害する場合、アレコは他者の自由を認めません。アレコの自由の観念の根底にあるのは「エゴイズム」なのです。作者は物語に出てくる老ジプシーの言葉を借り、自由の美名のもとに隠されているエゴイズムを批判します。

 第2のテーマは「文明」対「野蛮」の問題です。これは18世紀のフランスの作家・思想家たちが好んでとりあげた問題でもあり、フランス文学の影響を受けたロシアの文学界で、このテーマがやはり反復されていきます。アレコは文明を代表する存在であり、野蛮を代表するのは老ジプシーなのですが、プーシキンは、アレコではなく老ジプシーの方を、道徳的にも人間的にも、高い人物として描きます。プーシキンの人間的理想が未開の中に求められているわけなのです。しかし、だからといって、プーシキンは未開を単純に美化してもいません。愛が裏切られることは人間の運命であり、文明社会におけるのと、ジプシーの貧しい生活の中にいるのとにかかわらず、この運命は、容赦なく人を襲う。どこにいようとそれをまぬがれるすべはない。こうした運命に対する最善の手段はそれを受け入れ、それに服従することである。それによって、人間はある種の「自由」に達するかもしれない。しかし、こうした運命への服従は人間を幸せにはしない。すなわち、人間の生は必然的に悲劇的である。これが作者の結論とされています。


 物語詩「ジプシー」に対し、プーシキンが自ら批評めいたことを次のように書いています。

 「ジプシー」についてある貴婦人が言いました。「この詩全体を通じてただひとりの正直な者がいます。それは熊です」と。故ルィレールは、アレコがなぜ熊使いをして、おまけに見物の人から金を集めたりするのかと憤慨していました。ヴャーゼムスキイも同じような意見を繰り返していました。ルィレーエフは、せめてアレコを鍛冶屋にでもしてくれ、そうすればもっと上品になるだろうと私に頼んだことがあります。彼をジプシーではなく、8等官の官吏か地主にするのが一番よかったのかもしれません。しかし、そうすれば実のところ、この物語は存在することはなかったでしょう。しかし、その方がよかったのかもしれない。




【文明と野蛮(未開)】

 原文600行にみたないこの小さな物語詩「ジプシー」は、「エヴゲニーオネーギン」とならんでその後のロシア文学に大きな影響を与えることとなりました。ことに「文明」対「野蛮(未開)」の問題は、19世紀ロシアの社会状況に重なり、「知識層」対「民衆(つまりロシアの農民)」の問題におきかえられ、様々な文豪、例えばトルストイやドストエフスキイの文学の基本的な問題の一つとなっていったのです。

 期せずして、物語詩「ジプシー」に基づく、バレエ「アレコ」の背景画が展示されている青森県立美術館は縄文の聖都である三内丸山遺跡の敷地内にあります。物語詩「ジプシー」に込められた「文明」対「野蛮(未開)」の問題は、ここで、「文明」対「縄文」の問題に重なっていくということが興味深くもあるわけなのです。






 それでは、バレエ「アレコ」の原作となった物語詩「ジプシー」を意訳文でご紹介していくことといたしましょう。


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 【物語詩「ジプシー」意訳文】


 ジプシーはさわがしい群れをなしてベッサラビアを遊牧する。
 今日はとある河のほとりにぼろぼろのテントを張って一夜を明かす。露天の宿の安らかな彼らの眠り。これこそ自由の楽しさだ。

 毛氈(もうせん)で半ばおおった荷馬車の車輪の間には火が燃えている。それを囲んで一家の者が夕飯の支度をする。広野では馬が草を食う。テントの後ろでは手飼いの熊がのんびりと寝そべっている。
 ステップはすべてが生気にみちている。遠くもあらぬ明日の旅路の朝立ちの用意のできた家族らの落ち着いた心遣いも、女房どもの歌声も、子どもたちの高声も、携帯のかなとこを打つ音も。
 だが、やがて遊牧のたむろの上に眠たげな沈黙が降りてくる。ステップのしじまのうちに聞こえるは、ただ犬の吠え声、馬のいななき。火はみな消され、どこもかしこもしんとなり、月だけが空の高みにかがやいて静かなたむろを照らしている。

 テントのひとつでは老人が眠らずにいる。炭火の前に座を占めて残り火のぬくもりに暖まりつつ、うっすらと夜露のかかったはるかな野末を見つめている。うら若い彼の娘はさびしい野原に散歩にでかけた。気ままな遊びに慣れた娘だ。すぐに戻ってくるだろう。しかしもう夜更けだ。月も、ほどなく遠い空の雲と別れることだろう。ゼムフィーラはいつまでも戻らない。老人のまずしい夕食は冷えていく。

 しかし、とうとう戻ってきた。そのうしろから若者が一人、足早についてくる。ジプシーの仲間では見かけぬ顔だ。「父さん」と娘が言った。「お客さんよ。丘の向こうの荒地の中で私が見つけてテントにお泊まりなさいとすすめたの。私達みたいなジプシーになりたいそうよ。お上に追われる身だそうだけど。でもあたし、友達になってあげるの。名前はアレコ。私のあとならどこへでもついてくるって」


◆老人
 これはようこそ。テントの中にお入りなさい。明日の朝まで休むなり、それともずっと、わしらと暮らすなり、気の向き次第、どうともなされ。わしはあんたとパンと住まいを分け合って暮らしてもいい。わしらの仲間になりなされ。貧しいながら気ままにさまよい歩くわしらの渡世に慣れたるがよい。明日は夜の引き明けに起き出して、一つの馬で出かけよう。なんなりと好きな仕事を始めなされ。鉄を打つなり、歌をうたうなり。熊を連れ、部落部落を回るなり。

◆アレコ
 ぼくは残る。

◆ゼムフィーラ
 この人は私のものになるんだわ。誰にだって追い出せなどするものか。でも、もうおそいわ。新月が沈んでしまって、野原は霞がかかっている。なんだか眠気がさしてきたわ・・・。


◇ ◇ ◇

 夜が明けた。老人が音もせぬテントのまわりを静かに歩いている。「さあ起きてこい、ゼムフィーラ。日が出たぞ。お客さん、起きなされ。時刻じゃ。時刻じゃ。子どもらよ、甘い寝床を飛び出してこい」

 たちまち、みんなが、ガヤガヤと外に出てくる。テントはたたまれて荷馬車の群れは出発の用意が整う。あらゆるものがいっせいに動き出す。住む人もいない平原を群れなして進んでいく。振り分けのかごの中で遊ぶ子どもを運ぶロバ、夫、兄弟、女房、娘。老いも若きも、あとに従う。叫ぶ声、さわぐ声、ジプシー調で話す声、熊の吠え声、熊の鎖のガチャガチャ鳴る音。
 色とりどりの派手なぼろきれ。裸の子どもや老人たち。犬の吠え声、唸り声。笛の音、荷馬車の軋り。すべて貧しく荒っぽく、雑然とした趣ながらも、すべて、はつらつたる生気にあふれ、心はずまぬわれらの逸楽。奴隷の歌を思わせるこの単調な無為の生とは似ても似つかない。

 若者はものうげに、ひとけのたえた平原を眺めやりつつ、自分自身の悲哀の秘密をあえてつきとめようとはしなかった黒い瞳のゼムフィーラの伴侶。彼はいまや自由世界の住人だ。頭上では、南国のうるわしい太陽がにこやかに輝いている。それなのに、この若者は何に心が騒ぐのか。何を気に病んでいるのか。

 神の小鳥は気苦労知らず。あくせく働くこともない。長持ちするねぐらなど、せっせと作ることもない。夜は夜どおし枝にまどろみ、お天道さまが登ってくれば、神の御声に耳澄まし、羽ばたきをして歌いだす。花咲く春もいつしか終わり、暑さの夏もほどなく過ぎて、やがて来るのは秋の暮れ。霧立ち込めて天気は悪い。人はわびしく思いに沈む。小鳥は遠い南の国へ青い海越え飛んでいく。春が来るまで飛んでいく。

 わずらい知らぬ小鳥にも似た、行く方定めぬ逃亡者。彼もまた。たのむべき巣を知らず、いかなるものにもなじまなかった。いたるところに道はあり、いたるところに一夜の宿は求めえた。
 朝早く目覚めれば、日々の暮らしのわずらいも、怠惰の心を乱さなかった。時として、栄光の魅惑にたたえて、はるかな星がさしまねき、時にはおごりと楽しみが思いもかけず訪れてきた。孤独な頭上に雷雲のはためくこともまれでなかった。
 だが、彼は雷雨のときも、うららかな日和のときも、心のどやかにまどろんでいた。盲目の奸知にたけた運命の力も知らずに暮らしていた。
 だが、ああ、かつて情欲は彼の素直な魂をあれほどまでにもてあそんだのだ。力なえた彼の胸に、あれほど激しくたぎり立ち、波打ったのだ。その情欲はとうの昔にまた末永くしずまったのか。
 待て、やがてそれは目覚めよう。



◆ゼムフィーラ
 ねえ、どうなの。あなた、永久に見捨てたものに未練はないの。

◆アレコ
 おれがいったい何を見捨てた。

◆ゼムフィーラ
 わかっているくせに。ふるさとのまちの人よ。

◆アレコ
 おれになんの未練がある。あの息苦しいまちの奴隷の暮らしを。おまえが知ってくれたら、胸に描いてくれたら、あそこでは人間が 囲いの向こうにつめこまれ、朝のすずしい空気も吸わず、春の牧場の香りもかがず、愛を恥じ、思想をとがめ、おのれの自由を売り渡し、偶像に頭を垂れ、金と鎖をあくせくと求めているのだ。
 何を俺が捨てたと言うんだ。女出入りか。既成のモラルの判例か。群集のキチガイじみた迫害か。それとも派手なしくじりか。

◆ゼムフィーラ
 でもあそこに大きな邸宅がどっさりあるわ。あそこにはいろんな色の絨毯が。あそこにはいろんな遊びが。にぎやかな酒盛りがあるわ。それにあそこの娘らの装いの豪華なこと。

◆アレコ
 まちの奴らのさわがしい楽しみがいったいなんだ。愛がなければ楽しみもないものなのだ。娘らか・・・。お前の方が贅沢な衣装はなくとも、真珠はなくとも、首飾りはなくとも、どんなにかあれらに勝っていることか。
 やさしい友よ、おれを裏切らないでくれ。おれは・・・、たった一つのおれの願いは、愛情や、暇な時間や、みずから選んだ追放をお前をともにすることなのだ。

◆老人
 裕福な人たちの間に生まれながら、お前はわしらを好いてくれる。
 だが贅沢になれた者には、いつも自由がありがたいとはかぎらぬものだ。わしらの間にこんな話が伝わっている。
 なんでもあるとき、南国育ちのさる男が、皇帝に流されてわしらの土地にやって来た。その男のこむずかしい苗字をわしも以前は覚えていたが今は忘れた。もうかなりの年寄りだったが、柔和な心はまだ若く活気があった。歌の才はすばらしく声はといえば、さらさら流れる水の音のよう。みんなからしたわれて、ドナウ河の岸に住み、誰の気持ちも傷つけずいろんな話でみんなを面白がらせていた。
 身過ぎのすべは何ひとつわきまえず、子どものように頼りなく臆病だった。ほかの者らがその男に綱でけものや魚を捕らえてやった。流れのはやい河が凍って冬の嵐が吹き荒れるころともなれば、清い心のこの年寄りをやわらかなけものの皮で包んでやった。
 だがこの男は貧乏暮らしのわずらいにいつまでもなじめなかった。やつれた青い顔をして、あたりをほっつき歩いては、「おれは神の怒りに触れて犯した罪の懲らしめにあっているのだ」と言って、許しの日を待ちわびていた。
 ドナウの岸をさまよいながら、かわいそうにいつも悲嘆にくれていた。
 ふるさとの遠い都を思い出しては、熱い涙を流していた。さて、いよいよ死ぬというときには悲嘆にくれるなきがらを死んでもなお、他国では安らかに眠りもならぬこの客人を南の国へ送ってくれと遺言した。

◆アレコ
 ああ それがおまえの子らの運命なのか。ローマよ。威名四海にあまねき大国よ。愛の歌い手、神々の歌い手よ。言ってくれ。栄光とはそもそも何なのか。死後の遠音か、讃美の声か。世から世へ伝わる響きか。それとも煙たいテントの中の未開野蛮なジプシーの物語か。


◇ ◇ ◇

 2年過ぎた。

 ジプシーの平和な群れは、相もかわらず流浪しながら、いたるところに昔と同じ歓待と安息を見いだしている。文明の枷(かせ)をきらったアレコも同じ自由の身だ。煩いもなく、未練もなく、遊牧の日々を送っている。いつに変わらぬ同じ彼。同じ一家だ。昔のことは思い出しもせぬ。ジプシーの暮らしにもすっかり慣れた。ジプシーのテントの夜の憩いを、とこしえに続く物憂い陶酔を。貧しいながら、響きの高い言葉を彼は好いている。生まれた穴を逃げてきた熊。このテントの毛深い客はモリダヴィアの都に近いステップの路のほとりの村里の用心深い群集の見ている前で重たげに踊り、吠え、いらだたしげに鎖を噛む。旅の杖にもたれつつ、老人がものうげに手太鼓を打ち、小唄まじりにアレコが熊をあやつれば、ゼムフィーラは村人の間をまわって喜捨を集める。

 夜が来る。3人で刈り入れの前の穀物を煮る。老人は眠りに落ちた。安息が訪れる。テントの中は暗く静かだ。老人は、春の日差しに冷えてきた血をあたためている。ゆりかごのかたわらで娘が恋の歌をうたう。アレコはそれを聞きながら青ざめていく。


◆ゼムフィーラ
 おいぼれ亭主、かみなり亭主、切っておくれよ、焼いておくれよ。どんなにされても私は平気。刃(やいば)も炎も怖くない。私はお前が大嫌い。身震いするほど憎らしい。好きなお方はただ一人。焦がれて死んでも悔いはない。

◆アレコ
 黙れ。歌はもうたくさんだ。俺は野蛮な歌は嫌いだ。

◆ゼムフィーラ
 嫌いなの? でも私は平気。あなたに聞かせているんじゃないもの。
 切っておくれよ、焼いておくれよ。私はなんにも言わないよ。老いぼれ亭主、かみなり亭主、あの人の名は言わないよ。
 春の日よりもさわやかな、夏の日よりも熱い人。若くてもものおじしない人。私を好いてくれる人。静かな夜のひとときに、どんなに愛してやったやら。あのときお前の白髪をば、2人でどんなに笑ったか。

◆アレコ
 黙れったら。ゼムフィーラ。もうたくさんだ。

◆ゼムフィーラ
 じゃあ、わかったのね。私の歌が。

◆アレコ
 ゼムフィーラ。

◆ゼムフィーラ
 怒るのも無理はないわね。あなたのことを歌った歌だから。(出て行って歌う「おいぼれ亭主・・・・」)

◆老人
 うん、覚えている。覚えている。あの歌は。わしらの若い自分にできた歌だ。ずいぶん前から、ほうぼうで歌われて世間の人を面白がらせてきたものだ。カグールのステップを回っていたころ、冬の夜など、うちのマリウラが焚き火の前であの娘を揺さぶりながら、よくあの歌を歌っていたっけ。わしの頭の中では、昔のことが一刻一刻、ただ、もうぼやけていくばかりだが、あの歌だけは心に深くしみこんで忘れられぬ。

◇ ◇ ◇

 夜。あたりはしんと静まって、月だけが南国の瑠璃色の地平をかざっている。
 老人はゼムフィーラに起こされた。「父さん、私、アレコが怖い。いやな夢でも見ているのかしら。ほら、うめいたり泣きわめいたりしているわ」

◆老人
 そっとしておけ。黙って、黙って。いつか聞いたロシアの言い伝えにあるとおり、今はちょうど真夜中だから、生まれた家の精霊(たましい)が、寝ている者を息苦しくさせるのだ。夜明け前には帰るだろう。ここにすわっているがよい。

◆ゼムフィーラ
 父さん。あの人、小さな声でゼムフィーラだなんて。

◆老人
 ああやって、眠ってからもお前を探しているのだ。あれにとっては、お前は、この世の誰よりも大事なのだ。

◆ゼムフィーラ
 あの人の愛情なんか私はもうたくさん。退屈だわ。私は自由になりたいの。私はもう・・・。しっ、ほらね。誰かの名前を呼んでいるわ。

◆老人
 誰の名前を。

◆ゼムフイーラ
 ほらね。かすれたようなうめき声、すごい歯ぎしり。まあ怖い。私、起こすわ。

◆老人
 よしたほうがいい。真夜中の精霊は、さえぎってはならぬ。ひとりで帰っていくものだから。

◆ゼムフィーラ
 向き直ったわ。起き上がって私を呼んでいる。目が覚めたんだわ。私、行くわ。じゃ、また。おやすみなさい。

◆アレコ
 どこにいたんだ。

◆ゼムフィーラ
 父さんといっしょにいたの。あなたは何かの精霊に苦しめられどおしだったわ。あなたの心は夢の中で、苦しみをじっと忍んでいたのね。それを見るのが私は怖くて。あなたったら、眠っていても歯ぎしりをして私を呼ぶんだもの。

◆アレコ
 お前の夢を見ていたんだ。なんでも2人の間に、おれは恐ろしい幻影を見たんだ。

◆ゼムフィーラ
 魔物めいた夢なんか信じない方がいいわ。

◆アレコ
 ああ、おれは何ひとつ信じちゃいない。夢も、甘ったるい誓いの言葉も。お前の心さえもな。

◆老人
 無分別な若者よ、どうしたのだ。ひっきりなしにため息ばかりついているようだが。ここでは誰もが気ままに暮らし、空は晴れ、女はみんな評判のきりょうよしだ。泣くんじゃない。ふさぎの虫は毒だぞ。

◆アレコ
 父さん。あれはもう俺を愛しちゃくれない。

◆老人
 気にするな。なあ、お前。あれは子どもだ。それをお前がしょげるなんぞばかばかしい。おまえのかわいがりようは気難しくて陰気だが、女心は浮気なものだ。見るがいい。遠くの空を。気ままにさまようあの月を。通りすがりのいろんなものにわけへだてなく光をそそぐ。好きな雲をちらりと見やって、そいつを派手に照らし出す。かと思えば、もう別の雲へと移っている。それとてそんなに長くいるわけじゃない。月に向かって、中空のひとつを指差して「そこに留まれ」なんぞと誰が言えるかね。若い娘の心に向かって「一人を守って 浮気はするな」なんぞと誰が言えるかね。まあ気にせんことだ。

◆アレコ
 あんなにも昔は愛してくれていたのに。俺にやさしく寄り添いながら、あれはよく、しずかな荒野で夜更けのときを過ごしたものだ。いつも子どものような快活さにあふれながら、あんなにたびたび、かわいらしい片言や心を酔わせる接吻で結ばれた俺の心をあっというまに晴らしてくれたものだのに。ところが、今はどうだろう。あれは裏切ったんじゃあるまいか。俺のゼムフィーラは心がさめてしまったんだ。

◆老人
 まあ、聞くがいい。このわしの話をひとつしてやろう。むかし、むかし。ドナウがまだ大ロシアからおどかされていなかった頃の話だ。見てのとおり、なあアレコ。わしは昔の哀しみの思い出をたどっているのだ。その頃わしら、サルタンを恐れていた。アッケルマンの高い塔からトルコの総督がブジャークをおさめていた。わしもまだ若かったよ。あの頃のわしの心は楽しさにわきたつようであった。巻き毛にも白髪なんぞは、ただの一本もなかったものだ。
 さて若いきれいな女子どもの中に、一人。その一人をば、わしは長いこと、日の光と同じように見れど見あかぬ気がしていたが、それがとうとう、わしのものになったのだ。ああ、わしの若い時代は、まるで流れ星のように、あっという間に過ぎてしまった。だが、恋の月日よ。おまえの過ぎ去りようは、もっと速やかであった。マリウラが、わしを愛してくれたのは1年だったのだ。
 あるときのこと、カグール河の近くで、わしらは他のたむろの者と行き会った。このジプシーらは、わしらから遠からぬ山のふもとにテントを張って、2夜いっしよに泊まったものだ。3日めの真夜中近く、連中はそこを発った。するとマリウラのやつ、小さな娘を置き去りにして、あとからついて行きおった。わしはぐっすり寝ていたが、夜が明けて目をさますと、女房がおらぬ。探す、呼ぶ。影も形もありはせぬ。ゼムフィーラは母を慕って泣いている。わしもとうとう泣き出した。そのときからというもの、わしは女と名のつくものが嫌いになってしまった。女の顔を見比べて相手を探したこともついぞない。ひとり居の暇なときを、それからはもう女と2人で過ごすことはなくなったのだ。

◆アレコ
 あんたはなぜ、その恩知らずの女のあとをすぐ追いかけて、人さらいどもと性悪女の胸にずぶりと短剣をつき立てなかったんだ。

◆老人
 つき立ててなんになる。若い者は鳥より気ままなもの。恋心は誰一人、おしとどめはようせぬものだ。幸せは誰のもとへも順ぐりに巡ってくる。一度来れば、もう二度と来ることはないものなのだ。

◆アレコ
 おれはそんな男じゃない。そうだとも・・・。争いもせず、自分の権利をむざむざと見捨てはしないぞ。それがかなわぬなら せめて復讐のよろこびにひたってやる。おお、そうだとも。底知れぬ海を見下ろす崖のきわに、眠っている恋敵を見つけたら、誓ってもいい。おれの脚は、その悪党を見逃すものか。顔の色ひとつ変えずに、素手のそいつを海の荒波のまっただ中へ蹴りこんでやる。目覚めはせぬかという恐れがふときざしたら容赦なく笑い飛ばしてやるだけだ。そいつが海にはまるときのにぶい音は、いつまでも俺を笑わせ、楽しませることだろう。

◆ジプシーの若者
 もう一度、もう一度、接吻してくれ。

◆ゼムフィーラ
 もう行くわ。あの人はやきもち焼きで意地悪だから。

◆ジプシー
 もう一度、ゆっくりだぜ。お別れにな。

◆ゼムフィーラ
 さようなら。あの人が来ないうちにね。

◆ジプシー
 おい、この次はいつ会えるんだ。

◆ゼムフィーラ
 今日、月が沈んだら、丘の向こうのお墓のところ。

◆ジプシー
 でたらめ言うな。来ない気だろう。

◆ゼムフィーラ
 逃げて。あの人だわ。ねぇ、きっと行くから。

◇ ◇ ◇

 アレコは眠る。頭の中では朦朧たる幻がうずまいている。
 やがて暗闇の中で、あっと叫んで目をさます。
 嫉妬に燃えて、我にもあらず片手をのばすが、臆したその手には、つめたい夜具をつかむばかり。妻は遠くに行っている。身をふるわせて起き上がる。耳を澄ます。しんとしている。恐怖が襲う。全身がほてったり総毛立ったり。立ち上がって、テントの外へ出る。荷馬車のまわりを、すごい顔をして歩き回る。あたりは物音一つない。野原もしずまりかえっている。真っ暗だ。月は夜霧にかくれてしまった。星がかすかに、おぼつかなげにまたたいている。夜霧でかすかにそれと知られる足あとが遠くの丘へ続いている。アレコは不吉なその足跡をたどりつつ、ジリジリしながら進んでいく。道のはてにある墓が、行く手に遠く白じらと見えてくる。
 予感に悩みながら、弱りゆく足をそこへ運ぶ。
 口が震える。膝が震える。
 行くうち不意に、それともこれは夢なのか。突然、間近に見える人影2つ。
 汚された墓のほとりに聞こえる間近なささやき。

◆第1の声
 もう行かなきゃ。

◆第2の声
 待ってくれ。

◆第1の声
 でも行くわ。

◆第2の声
 いや、いや。待ってくれ。夜明けを待とう。

◆第1の声
 もう遅いわ。

◆第2の声
 臆病な惚れようだな。1分だけ。

◆第1の声
 あんたは私を滅ぼすわ。

◆第2の声
 1分だけ。

◆第1の声
 私のいない間に、あの人が目を覚ましたら。

◆アレコ
 覚ましたぞ。この通り。どこへ行く。動くな2人とも。きさまらは、ここでもいいはずだ。墓もあるしな。

◆ゼムフィーラ
 さ、逃げて。はやく。

◆アレコ
 どこへ行く。色男め。寝てろ。(ナイフを突き刺す)

◆ゼムフィーラ
 アレコ。

◆ジプシー
 やられた。

◆ゼムフィーラ
 アレコ、殺すのね。この人を。見てごらん、体中、血だらけ。ああ、なんてことをしたの。

◆アレコ
 なんにも。これからは、こいつにたんとかわいがってもらえ。

◆ゼムフィーラ
 やめて。おまえなんか怖かないよ。そんなおどし文句なんかへっちゃらさ。人殺しめ、呪ってやる。

◆アレコ
 そんなら、おまえも死ね。(彼女を刺す)

◆ゼムフィーラ
 あの人といっしょになれるわ。


◇ ◇ ◇


 東の空はあかつきの光を浴びて輝いていた。丘のうしろの墓石の上にアレコはナイフを手に持って、血まみれのまま座っていた。目の前に死骸が2つ転がっている。人殺しの顔は恐ろしかった。気も転倒したジプシーの群れが、恐々、彼をとりまいていた。そのわきでは墓穴を掘っていた。
 女たちは涙にくれつつ、順ぐりに進み出て死者の目に接吻した。年老いた父は、ただ一人すわったまま、悲しみにうちひしがれてなすこともなく、ただ黙然と殺された娘の方を眺めていた。
 やがて死骸が持ち上げられ運ばれ、大地の冷たいふところに若い2人は埋められた。
 アレコは遠くから一部始終を見守っていた。やがて最後の土の一握りで2人の姿が隠れたとき、アレコはゆっくりと上体を傾けて、石から草へどさりと倒れた。すると老人がかたわらへ来てこう言った。
 「おごった人よ。わしらのもとを離れてくれ。わしらは野人だ。わしらに掟はない。わしらは人を苦しめもせず、仕置きをすることもない。うめきだの、血だのというものは、わしらには用がないのだ。だが、人殺しといっしょに住むのは、わしらはゴメンだ。生まれつきおまえは、荒野の暮らしに向かない。おまえがほしいのは自分の自由だけなのだから。おまえの声を聞くだけでわしらはぞっとするだろう。わしらはみんな臆病でお人よしだが、おまえときては執念深く、恐れ気もない。行ってくれ。ではお別れだ。達者で暮らせ」

 言葉が終わると、遊牧の民のたむろは、さわがしい群れなして、恐ろしい一夜を明かした谷あいを出た。  一行は見る見るうちに遠い荒野に消え去った。
 見る影もない覆いをかけた一台の荷馬車ばかりが宿命の野に残された。
 あたかもときおり、冬の来る前、霧の立つ夜明けのころに遅れた鶴のひと群れがいっせいに野からあがって鳴きながら遠い南へ急ぐとき、致命の弾丸に射抜かれて痛んだつばさを垂れた一羽が、あとに悲しく残るかのよう。
 夜が来た。暗い馬車には、誰一人かがり火をたく者もなく、誰一人、テントの下に朝まで眠った者もなかった。


◇エピローグ

 妙なる歌の力によってほのかなわたしの記憶のうちに、過ぎ去った明るい日々、悲しい日々の幻があざやかによみがえってくる。
 かつて恐ろしい砲声が永く永く鳴りやまず、ロシアの民がイスタンブールに厳然と国境をさし示していたあの地方。
 老いたるわれらの双頭の鷲が、過ぎし日の栄光にいまなおさわぎやまず、あの地方のステップのさなか、いにしえの陣屋の跡で、わたしは柔和な自由の子、ジプシーたちの平和な荷馬車に行き会った。彼らの怠惰な群れを追って、わたしはしばしば荒野をさまよい、つましい糧を彼らと分け合い、彼らの焚き火の前で寝入った。のんびりとした旅のおりには彼らの歌のよろこばしげなしらべに聞き惚れ、なつかしいマリウラのやさしい名をば飽かず繰り返していた。
 しかもあわれむべき自然の子らよ。君達の間にも幸せはない。
 やぶれたテントのかげにも痛ましい夢は生きている。荒野の中の遊牧の君ら幕舎も、しょせんは不幸を避けておらぬ。運命の苦難はいずこにもある。運命をまぬがれるすべはないのだ。


 (終)

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