(781) 駒込獅子踊り その14 |
2009年 8月 2日(日) |
【駒込獅子踊り その14】
今回は、戸山中学校の生徒さんの参加について、高坂昊一保存会長が語られます。
獅子踊りをやるにはそうですね、10人・・、いや10人だとちょっときついですね。とにかくある程度のまとまった人数がないとできません。道具の用意をする裏方も必要ですしね。
頭数をそろえようと、兄がやっているからと、下の子を引っ張ってきて、ようやくだましてだまして子供達に踊らせても、結局、そういった子どもはいなくなりますね。こうしたものは、強制してもダメなんですね。
困ったなと思っていたのですが、幸いなことに近くにある学校で関心を示してくれています。
小学校も体験学習ということで来るんですが、熱心なのが戸山中学校です。
戸山中学校から30名くらい参加しています。
今日もこれから午前11時ぐらいから戸山中学校で稽古があるんですよ。
小学校の子どもたちも、今日は何人かその様子を見学にくることになっています。
戸山中学校の生徒は、すごく指導しやすい。
人数が多いので、2つのグループに分けて指導しているんですが、一方が指導を受けていると、もう一方の子供達は遊ぶことなく、指導を受けている仲間の様子を見て、真剣に覚えようとする気持ちがあるんですね。
わきにいて、ちゃんとまねて覚えようとしている。
そういう心がけの子どもたちなので、指導する側としても非常にやりやすいですよ。
[3年女子生徒の声]
私は「選択」をやる前から獅子踊りを知っている。なぜなら、私は駒込町会だからだ。
毎年の宵宮が小さい頃からの楽しみだった。年に一度しか見れない獅子踊りのために行っていたようなものだ。
だから、選択の教科の中に獅子踊りがあったのを見たときには、絶対に獅子踊りをやろうと決めていた。あのかっこいい獅子踊りを覚えたいと思った。
ところが、実際やってみるとすごく難しかった。覚えられるか不安になった。
でも気づいたら獅子踊りの音楽を聞くと反射的に踊りだすようになっていた。すごく楽しい。
これからもできる限り、獅子踊りを続けたい。早く次の踊りを覚えたい。全部マスターできたらいいな。
[2年男子生徒の声]
僕が獅子踊りを始めたのは1年生の頃だった。
あの頃はまだ本気でやろうとは思っていなかった。ただ、単に学校の行事でやっているだけだと思っていた。
でも、やっているうちにだんだん踊りを覚え、いつのまにか本気で取り組むようになった。保存会の会長さんにも本物の踊りを教えてもらい、どんどん覚えていった。
そしてついに大会がやってきた。どういう大会なのかわからないまま大会の会場に行った。いろんな所から、獅子踊りをするために来ていて、他の踊りを見たときにはとてもすごいと思った。でも負けたくないとも思った。
初めての踊りでとても緊張したが、自分的にはとても一生懸命やれたのでよかったと思った。
優勝はできなかったけど、次の大会では優勝したいと思う。
[2年男子生徒の声]
僕は、中学2年で初めて獅子踊りを知って、初めて踊った。
始めてみてとても難しかったのは振りつけで、顔を振りながら腕を伸ばして踊ったりと、とても難しかった。
でも、日に日に練習していくと自然に体がついてきて、どんどん楽しくなった。
8月に養老寺という所で獅子踊りを披露することになった。
僕は今まで練習してきたのだから失敗はしないと思い、踊った。激しく踊ったので、頭にかぶっている獅子頭がずれて大変だった。
でも踊りが終わると、たくさんの人から拍手をもらって、とてもうれしかったし、とても楽しかった。
この経験があったからこそ、僕は獅子踊りというものが好きになった。
徐々に獅子踊りを練習してうまくなっていきたい。
(資料提供 青森市立戸山中学校)
(つづく)
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(782) 駒込獅子踊り その15 |
2009年 8月 6日(木) |
【駒込獅子踊り その15】
今回は、前回の続き、戸山中学校の生徒さんの参加について、さらに、高坂昊一保存会長が語られます。
駒込の村の子どもは、古臭いとかかっこ悪いとか、獅子に対してそんな気配があるのですが、戸山中学校の子供達はそういったことはなく、自分から進んで「やってみたい!」と入ってきた子どもたちばかりなのでたいへん熱心です。
先生も熱心でね。土曜日の夜、駒込の公民館で指導するのですが、先生もわざわざいらしていただき、前は十和田にいらした方のようなのですが、真剣に先生も汗をかきながら踊ってくれ、生徒達と一緒に、獅子踊りを勉強されています。
今日は月曜日ですが、先日の土曜はネブタでやれなかったので、例外的に戸山中学校でこれから指導します。
夏休み期間中ということもあるし、先生が理解あるので、学校を獅子踊りの練習に開放してくれるているんです。今日は校長先生もいらしているはずです。
一時間はみっちりやりますよ。まだ始めたばかりで、ぎこちない踊りですが、自分達で獅子頭を手作りで製作したりと中学校は一生懸命です。獅子踊りのノボリまで作ったそうです。
今、中学校でも授業の延長として伝統芸能に取り組む学校があるようですが、これだけ熱心に取り組んでいる学校は青森市内でもそれほど多くはないのではないでしょうか。
それで来年から、この間、先生がぺろっとしゃべっていましたけど、獅子部ができるかも?という話でした。そうなれば、私としては最高に嬉しいんですけどね。まあ、どうなるかわかりませんが。
[2年男子生徒の声]
自分は獅子踊りをやって本当によかったと思います。
獅子踊りは、何百年も続いている伝統的な踊りです。
こうした伝統あるものなので、最初はやはりとても難しかったです。何度もビデオなどを見て、先生とみんなと一緒に練習しました。
衣装なども着て練習しましたが、思うように体が動かず、とても難しかったです。
ですが、みんなと練習するので、すぐに覚えることができました。
みんなと踊ると、とても楽しく踊ることができます。
さらに地域の人たちとも交流ができ、上手になるコツなども教えてもらいました。
自分は最近、踊るだけではなく、太鼓にも挑戦しています。まだ完全に覚えていませんが、獅子踊保存会の人たちのおかげで、練習は順調に進んでいます。
自分は獅子踊りをやって、いろいろなことに挑戦することを学びました。これを活かして、これからも、いろいろなことに挑戦しようと思っています。
[2年男子生徒の声]
獅子踊りは、手の動きや足の動きが難しい。しかし、けっこう同じ動きも多いので、一つの動きをおぼえれば少しずつできるようになっていく。獅子踊りの保存会の人にも教えてもらい、少しは上達したと思う。
保存会の人はとても踊りがうまい。
僕は夏休みに練習が少ししかできなかった。そのため、みんなより少し遅れている。これから遅れを取り戻していきたい。今日から少しずつうまくなっていきたい。
[3年女子生徒の声]
中1の時の「創造祭」のときに初めて獅子踊りを知った。
先輩達の踊る獅子の姿が印象深く、私の中での第一印象は「かっこいい、私も踊りたい。獅子になって多くの人に見せつけたい!」というものであった。
中学1年生のときからずっとやりたいと思っていた、この獅子踊りが中学3年生になって、やっと踊ることができた。
今現在、間違えはするものの、獅子踊りを楽しむ自分がいる。
獅子踊りは予想以上に大変で体力が必要とされるが、とてもすばらしい伝統芸能だと私は思っている。
私達の地域では敬老会が開かれており、そこに招待され、約200人のおじいさん、おばあさん方にこの獅子踊りを披露した。
本番では緊張で一瞬時間が止まってしまったような気がした。しかし、囃子の音が聞こえてくると体が勝手に動き始め、楽しく音に合わせていた。
終了後、大きな拍手がおこり、まわりの方から「すごかったよ」「これからも続けてね」などという多くの言葉をいただいた。
今後も行事に参加する予定があり、すべて楽しくやりたいと思っている。
これからも獅子踊りを続け、多くの人を魅了していきたいと思っている。
(資料提供 青森市立戸山中学校)
(つづく)
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(783) 駒込獅子踊り その16 |
2009年 8月 9日(日) |
【駒込獅子踊り その16】
最終回です。高坂昊一保存会長が獅子踊りへの思いを語ってくださいます。
昔は、獅子踊りを全部やるとなると40分じゃきかなかった。もっともっと長かったものですよ。
それが「猿賀踊り」、つまり奉納大会用の短縮版ですね。それが主として踊られるようになって20分の短い踊りが主体になってしまいました。
学校で指導しているのも、この短縮版です。
津軽獅子は今、奉納大会の影響で、ほとんど15〜20分踊りになってしまいました。どれか得意なものだけを選んだり、各演目を短縮させたりして踊ったりしているところもあるようですが、こうして昔からの踊りが忘れられていくというのは、残念なところだと思っています。
駒込の獅子踊りは三百数十年の歴史があります。
私が小さい頃、母親に手を引かれて公民館に行けば、もっとも今のような立派な公民館ではありませんけどね、そこに行けば、年とった人たちが、指導者となって、一生懸命練習していました。
二回りぐらい取り巻きの観衆もいて、それはそれは熱心に、地域の人は獅子踊りを見守っていたものですよ。そうした環境の中で育つうちに、こうやって踊るんだな、というのが自然と体にしみこんできたものです。獅子踊りは村の風土そのものでした。
時代とともに画一化が進み、どの地域も、かつてのような個性を失っている今だからこそ、地域の個性の象徴でもある駒込に古くから伝わる獅子踊りを守っていかなければと思っています。
[3年女子生徒の声]
私はみんなより覚えるのがおそい。
くじけそうになったとき、先生が来て教えてくれた。
先生はきちんとわかりやすく教えてくれた。創造祭まで仕上げないとだめだと思った。きちんと仕上げないとだめだと思った。
先生は、がんばれと励ましてくれ、みんなもわからないところを教えてくれた。あきらめそうになったけど、きちんとできるようになった。みんなもきちんとやっていた。みんなはあきらめなかった。
[3年女子生徒の声]
私は最高の獅子踊りになるように、これからの練習が大事だと思います。
私達は学校の行事で発表があるから、それに向けての練習をたくさんして、いいものになれたらいいなあと思っています。
この前に戸山市民センターで敬老会がおこなわれ、約200名が集まりました。
そんな中で私達3学年の12名が獅子を踊りました。とても緊張しました。お年寄りの方たちは私達の踊りを見て、とても喜んでいました。私達も、その喜んでいる顔を見てちょっと一安心しました。
また機会があったらぜひやって、お年寄りの方々に喜んでもらいたいと思っています。
[3年女子生徒の声]
最初は特にやるものがないなあと思って、軽い気持ちで獅子踊りを選択した。
しかし、実際やってみると意外に楽しいものだということがだんだんわかってきた。
この踊りにはしっかりとルーツがあり、それをもとにして作られた踊りだということもわかった。
踊りの練習をしていて、思ったより疲れて汗もけっこうかいていた。なかなかハードだと思った。
市民センターに行って踊ることができなかったのは残念だったが、創造祭までにはしっかりできるようになっておきたい。
[2年男子生徒の声]
1年生のときに初めて獅子踊りを見た。
とても簡単そうに見えたのでやってみたのだが、実際やってみると難しくて、本当に自分がやっていけるか不安になった。
ビデオを見ながらやっていたが、保存会の方の指導があったのでなんとかできるようになった。PTAの例会でも発表し、満足だった。
2年生になった。選択Bに獅子踊りがあったので、すぐに第1希望に獅子踊りを入れた。
今年も保存会の方の指導があるので、大会で優勝できるようなチームを作りたいと思い、夜の7時から9時までの練習にも参加した。創造祭でも発表するので恥をかかないようなものにしたい。
[2年女子生徒の声]
私は一年生のとき、「総合」の授業で初めて獅子踊りというものを見て、興味がわき、2年生になった現在、選択授業で獅子踊りを覚えています。
今では授業の枠を超えて、みんなで駒込の分館の方に習いにいっています。
話を聞いていくと、獅子踊りには深い歴史があります。そして、その踊りを見ると、きちんとストーリーになっていて、見ていてとても楽しいです。
歴史が深いだけあって、覚えるのは簡単ではないですが、先生と男子10名、女子5名みんなで楽しくやりながらがんばっています。
10月には創造祭という大きな発表の場がありますが、それに向けて一生懸命取り組んでいきたいです。
[2年女子生徒の声]
私が獅子踊りに出会ったのは、中1のときのPTA例会です。
自分は獅子踊りをやらなかったのですが、同じ学年の仲間がやっているのを見て、とてもかっこよく、「いつかやってみたい」と思ったのが参加のきっかけです。
選択授業という場で獅子踊りをやってみて、けっこう疲れて大変です。ですが、やっていて、とにかく楽しいです。
獅子踊りは何回か発表する機会があるのですが、それに向けてよいものに近づけていきたいです。成功させるためにこれからもがんばりたいです。
今、自分の目標は、サル役として踊りを成功させることです。今後の目標は囃子の笛を覚えることです。
目標達成に向け、がんばっていきます。
[2年女子生徒の声]
獅子といえば、たいていは正月におこなうもののことを思い浮かべると思います。でも、私達が取り組んでいる獅子踊りは、笛、太鼓、カネの囃子に合わせて、サル1人と獅子3人でやるものです。
私は「振り」がとてもおもしろいと思っています。踊りはだいぶできるようになったので、今は太鼓も習っているところです。
太鼓はひもがついていて、それを斜めに肩にかけて叩きます。
複雑なところもありますが、慣れてきたのでだいたいの叩き方を習得することができてきました。
私はねぶたの太鼓もやっているのですが、それとはまったく違うリズムで違うおもしろさがあり、つい夢中になってしまいます。
今は始めたばかりなので、未熟もいいところですが、これからどんどん技を極めて全部の踊りを覚え、全部の太鼓の叩き方を覚えて、獅子踊りの伝統を守っていきたいです。
[3年女子生徒の声]
私は小学生の頃に獅子踊りを見ました。
その時は、笛などに興味を引かれて、その道具を使ってやってみたいと思いました。そして「選択」で獅子踊りがあったので、すぐさま選びました。
さっそくやってみると、意外に難しく、失敗ばかりしていました。ある時、カネを使って演奏してみました。駒込のおじさん達を見ながらやっていました。カネは太鼓を見ながらやれば少しはできました。演奏するのはとても楽しかったけど、音楽に合わせて踊るのもけっこう楽しいと思います。
今は、一応、踊りに専念しています。
私はこの町会に住んでいてよかったと思います。ねぶた祭りや獅子踊りという伝統があるからです。
もし、将来も私がこの町会に住んでいたら、この伝統を守って他の人たちに教えていこうと思います。
(資料提供 青森市立戸山中学校)
[駒込獅子踊を見学に来ていた小学2年女子児童の作文]
せいかつかのべんきょうで町たんけんをしました。
わたしたちは「こまごめししおどり」のれんしゅうするところをみにいきました。
とやまちゅうがっこうで、とやまちゅうがっこうのせいとさんたちが、わたしたちがやったことのない「ししおどり」をおそわっていました。
すごくむずかしいおどりで、せいとさんたちはしんけんに「ししおどり」をしていて、わたしもおどりたいなあとおもいました。
あとで「ししおどり」のおめんをかぶせてもらったら、とてもおもかったです。
たいこもたたかせてもらいました。「ししおどり」もおどったけどむずかしいところとかんたんなところがあってたのしくできたのでよかったです。
れんしゅうがおわってから、高さかさんに「ししおどりはいろんなしゅるいがあるのですか?」としつもんした。
いろんなしゅるいがあることをおしえてくれました。
すごくべんきょうになりました。
(終)
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(784)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その1 |
2009年 8月15日(土) |
現在のようにねぶた祭りが盛大なものとなった蔭には、たくさんの方々のご苦労がありました。そのお一人に、青森県庁ねぶたの囃子方(はやしかた)の土台を築き上げた小川栄吉氏がおられます。
亡くなられる少し前に、貴重なインタビューをいただくことができました。興味深いお話の数々をこれから連載してまいります。インタビューは2004年8月9日におこなわれました。
正式には「会長」の表記がふさわしいそうなのですが、小川氏は「隊長」という言い方をされていました。「隊長」という言葉に、小川氏の気概が感じられます。そこで連載タイトルには「隊長」の表現を、そのまま採用いたしました。
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【ネブタ参加のきっかけ】
もともと私は十和田湖町の出身でして、全然、津軽のネブタとは縁がありませんでした。今のように全国的にネブタが有名にもなっていなかったときですし、ネブタといってもなんのことかわからなかったくらいなのです。
そんな私だったのですが、青森県庁に入りまして、やはり夏になるとネブタがあります。友人がさかんに「跳ねるべ」と誘ってくるので、一度、祭りに参加してみたのです。
そうしたら、祭りの雰囲気もいいし、なにより囃子の音色もいい。
結局、それが入口だったんですね。そこからネブタにめりこむようになっていったんです。
【初期の県庁ネブタの様子】
青森県庁も、最初はネブタを出していませんでした。
山崎岩男知事(在任期間 昭和31年7.22 〜 昭和38.1.26)のときに県庁を新しく建て替えました。それまでは木造建築だったんですが、現在の鉄骨のビルになったわけです。それを祝い昭和36年に出陣したのが青森県庁ネブタ第1号ということです。題名は「坂上田村麿 蝦夷征伐」で製作者は秋田覚四郎氏でした。
しかし、出陣といっても、ネブタ本体は出せても、その他のものが何も準備できていませんでした。一番困ったのが囃子なのです。
ネブタだけ出ても、囃子がつかなかったら、まるで格好になりませんからね。それじゃあ、ハネトも跳ねるに跳ねられません。
そこで、あちこちから、囃子方を借りてくることになったのです。
でもね、これはこれで本当に大変なんです。
ネブタの囃子は、知らない人が聞くと、同じように聞こえるかもしれませんが、実は、各団体、各集落の親方の意向でちょっとずつ、微妙に囃子、特に笛の旋律が違うんですよ。
あちこちから人を呼んで、県庁ネブタの混成チームを編成したのはいいのですが、そのままだと当然合うわけがありません。それぞれ持っている囃子がみんな違うわけですからね。
そこで指導を入れます。こうして県庁ネブタの囃子として一つにまとめていくのですが、それは本当に大変でした。けんかになることもよくありましたよ。そんなときは、まあまあと言って、仲裁に入るということもよくありました。
囃子方だけではなく、太鼓を乗せるリヤカーなど、楽器をはじめとしたその他の道具も何もありませんでした。そこで、あちこちの町内から必要なものを借りて、寄せ集めでやっていました。
しかし、やっているうちに、毎年こんな状態ではいけないということで、県庁ネブタの組織をしっかり作らなければと、みんなが思うようになっていったのです。中心になったのが、県庁の運転手仲間です。本当のところは、運転手の人でないと、そんなことを進んでやる人がいなかったというのが実情ですが。囃子方の隊長は私が引き受けることになりました。
県庁ネブタは大きかったので、太鼓は最低でも4つ必要ということで、まず太鼓を4つ買ってもらいました。それをリヤカーに積み込むわけなのですが、リヤカーに木をわたして太鼓を4つならべ、それを引っ張るといってもちょうどうまい具合にまっすぐ進まないでしょう。すぐパンクもしますし。そこで、毎年使うものだから立派なものを作ってもらおうと、県庁の関係部署に頼み込んで今の金額で150万円ぐらいもらい、ネブタの土台を作る人に頼んで、太鼓の乗る車の枠組みを鉄骨にしてもらいました。そしてタイヤに自動車用のものを使うなど、太鼓専用のしっかりした鉄骨台車を作ったのです。
今は、みんな、どこの団体も太鼓はそのような台車に乗せて引っ張っていますが、このスタイルは、県庁ネブタが一番最初でした。
やっぱりこれはいいものですからね。私たちのこのスタイルがあちこちの団体で取り入れられるようになって、今はこれが、標準的スタイルとなっています。
ところで、一つの太鼓は交代で叩くので2人必要です。太鼓が4つですから、合計8人ですね。太鼓だけでもこれだけの人数が必要なのですが、県庁のネブタ好きではじめた本当の初期は県庁ネブタの囃子方は10人そこそこだったと思います。ここからスタートしました。
最初はみんな借り物で、参加する人も、見よう見まねで覚えた人ばかりでした。今のようにネブタも大型化しておらず、ハネトの数もそれほど多くなかったので、囃子方も少人数で済んだということもありますが、それにしても必要最小限のギリギリの人数で当時は、なんとか音を出していたという感じでした。
昔はこういった手作りといった感じだったんですよ。今のように観光化して華やかになったネブタからは想像もつかないでしょうね。
(つづく)
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(785)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その2 |
2009年 8月23日(日) |
【太鼓の魅力と苦労】
私は南部の出身なので、津軽のねぶたはもちろんわかりませんでした。しかし、誘われてハネているうちにおもしろくなり、囃子も耳にしてだんだん覚えていきました。やっぱり魅力は太鼓でして、それに、はまっていくこととなりました。
ネブタの太鼓を一度でもやったことがある人はわかると思うんですが、叩くと、ビンビン腹に太鼓の響きがくるんです。あれがいいんですよねえ。凄いものですよ。反動がバーンと自分の身体に返ってくる。あの感触は一度経験したら忘れられないんですよ。
こうして、太鼓にのめり込むことになり、囃子方の隊長を以後20年以上続けることになったというわけです。
なにしろ私も太鼓は初心者でしたから、太鼓の叩き方をマスターするために、録音機に囃子を録って、それを家に持ち帰り、音を聞きながら畳をバチでたたいて、バチさばきの練習をずいぶんやったものです。なかなか覚えるまでが、たいへんなものなんですよ。
同じ太鼓を叩いても、叩き方でずいぶん音色が違ってくるものなんですね。うまい、下手は、見ていてすぐわかりますよ。体の動き方でわかるんです。手から腕だけでなく、体全体をしならせて叩くようでないとだめなんですよ。手だけではなく、足でもアヤ(拍子)をとりながら、身体全体でのリズムで太鼓を叩くものです。こういったリズム感がなければだめなんです。
ネブタの太鼓は一人で叩くわけではないでしょう。今はもっと多くなっていますが、昔は四つの太鼓が基本でした。その太鼓のバチさばきをそろえることが、まず重要なのです。一人でも早く出たり、遅かったりしてバチがそろわないと、それで囃子は狂ってしまうのです。びしっとバチの動きをそろえて叩かないとダメです。
こういったわけで、ネブタの1ヵ月前ぐらいから県庁での仕事が終わった後、練習するわけです。といっても、県庁の横で太鼓の練習をしたら近所迷惑になりますので、県庁の漁港事務所が海のそばにあった関係で、そこに集まってやりました。2時間から3時間はびっちりやります。こうして、ネブタ製作も佳境に入る頃、岸壁で囃子をそろえていくのです。
さて、その囃子方ですが、もちろんネブタ好きの連中ばかりが集まってくるのですが、これも問題がありまして、いくら太鼓を叩かせても、モノにならない人というのはやっぱりいるのですよ。
太鼓にも楽譜のようなものがちゃんとありまして、俗にナナフシで転ぶ、遊ばすなどあるのですが、こういった楽譜を見て練習するのですけれど、ある程度練習すれば、それなりに上達するというものでもなく、やっぱり、リズム感や音感といった素養がないといくらやってもだめなんですね。
他の人のバチを見て、それに合わせて叩くのですが、一人でも遅れたり、早く出たりすると、音が悪くなります。リズム音痴が一人でもいれば、それで囃子が崩れてしまいます。ビシッとバチがそろわないと良い響きにならないんですよ。簡単そうに見えるかもしれませんが、なかなかこれが面倒なんです。
4人合わせて叩かなければなりませんので、どうしても合わない人には、はずれてもらわなければなりません。1人合わないとみんな壊れてしまいますから。その辺はうまく淘汰していってはずします。だって、音楽なんですものねえ。入るべきところでないところに、バチが入ったりしたら、それで囃子は壊れてしまいますから。
ただ、そんな人でもネブタが本当に好きで集まってきているので、太鼓からはずれてくれというのは、本当に忍びないのです。しかし、これをやるのも隊長の仕事なのです。相手の気分を害さないように、うまくはずれてもらうよう気をつかうのです。申し訳なく思っていますが、こればかりは仕方がありません。
(つづく)
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(786)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その3 |
2009年 8月30日(日) |
【太鼓のバチについて】
太鼓のバチですが、これは、木に「しなり」が必要です。
あれは日本のものではなく台湾かどこかの外国のものです。
ヨシガヤの類だと聞いています。結構しなります。
昔は柳の木を使ったらしいんですが、私が始めたときは、もう柳は使っていませんでした。これは近くの竹屋からまとめて買ってくるんですが、一本あたり五百円ぐらいでしょうか。もっとも、買ってきたそのままでは、使い物になりませんので、私たちがそれをバチになるよう作るんです。
二本一組作るのに30分以上はかかりますね。ポイントは、バチの先端です。バチの先端につけるカーブが大切です。この先端につけられる「遊び」が、ばねのような働きをするんです。
バチが少しカーブを描いているので、太鼓の皮に当たるのはバチの先端より中よりのポイントとなります。そうすると、皮にあたった振動で、カーブしている先端も太鼓の皮に、やや遅れて触れることになります。つまり、都合2回、皮をバチの各二点で、少しの時間差をおいて叩く形となるのです。そのことで、太鼓の音が変化し、響きが良いものになっていくのです。
叩いているうちに、バチは自然に、しなってきますが、買ってきたばかりのときは、もちろんまっすぐなので、水につけたり、あるいはロウソクであぶったりしてカープをつけていきます。このカーブのつけ方というのも、微妙なものでして、熟練がいります。これは長年の経験ですね。これくらいカーブすると良い音が出るという経験です。ですから若い人は、うまく作れないので、私たちが作って渡していました。
バチが滑らないよう、手で持つ所は、タコ糸をぐるぐると巻いて糊でかためるのですが、こうしたバチをこれまで何本作ったかわかりません。
バチはあまり折れるものではないのですが、叩いているとやっぱり割れてきますので、毎年こうして、自分のバチの他に、県庁の囃子方連中のバチをたくさん作ってきました。
(つづく)
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