北海道ちほく高原鉄道 1

あんちゃんの旅TOP 鉄道訪問一覧

銀河鉄道CR-1

列車CR75-1

2006年 4月19日 (水)

2006年4月19日(水)どんよりとした空である、予定より早く羽田空港第一ビル駅に着いた。北ウイングの受付カウンター前には待ち合わせの人が大勢いて、Tシャツ一枚の人がいればオーバーやジャンパーを着ている人もいる、まさしくこれから南北に向けて出発をするところである。自分はと言うと、朝5時に目覚まし時計に起こされ、7時50分発女満別(めまんべつ)行きに乗るのに、あわてて支度をした為、これから北の大地である北海道に行くには、あまりにも軽装で普段着のまま出てしまった。天気予報では晴れから雪となっている、準備不足かもしれない。

今回の旅は、北海道ちほく高原鉄道が4月20日で廃線になるので、記念最終列車に乗車するのが目的である。

JAL1181便、出発時間の7:50になってやっとバスへの案内があった。バスが飛行機の前まで来たが、“機内の整備を行っているので、しばらくお待ち下さい”と乗務員のアナウンスがあり、しばらく待っていると、今度は“部品交換をこれからするので、そのまましばらくお待ち下さい”とのアナウンスがあった、ちょっと待てよ、これは今問題の多いJALだぜ!如何したものか。事態を見守っていると、乗務員がバスの中で新聞を配り始め、そのうちに飴を出してきた。ここは機内ではないぜ、バスの中だよ、そんなにくつろいで居て良いのか?と思い始めた。ここまで来たら覚悟を決めて行くしかない。

以前に死ぬ時は“ぴんぴんころり”がいいな〜、と考えていた、どおせなら補償が多くもらえそうな日本の大手航空会社の飛行機事故が良いのでないかと思っていた事があった、もしかして、それが今日になるかも!それにしてはまだ早い、やりたい事がある、もうちょっと待って欲しい。

20分位バスの中で待ったであろうか、準備が出来たとの事で、早速機内へ乗り込んだ。座席はいつも後方窓側を取っている、ところが今回はボーイング社製ではなくダグラス社製のMD-81型機であった。この機種はエンジンが機体後方左右に付いていて、翼も後方にある。その為窓から視界が妨げられるのではと心配したが、後方でも前よりであったので下が良く見えた。

このMD-81型機は横に2人+3人と新幹線と同じ座席配置の小型機である。もう40年以上も前になるがアメリカへ行った時は同じダグラス社製のDC-8であった、これは2人+2人で、もっとゆったりしていた記憶がある。しかしながらエンジン性能が機体の大きさに対して良いのか、離陸時の加速が良い、上昇時に体が下方と後方への押し付けられ方が違う様に感じた。

しばらくして安定飛行に入るとシートベルトのランプが消えドリンクのサービスが始まったが、依然と窓の外は雲の中、通常なら雨でもすぐに雲を突き破り青空に向かって上昇するが、今日の低気圧は大きいのか飛行中一度も雲の上へ出る事なく下降体制に入った。

雲が切れ海岸線が突然現れた、そこは凍っており、もしかしたら流氷かと思ったが、旋回しているうちに網走湖である事が分かった、今頃流氷が来るわけがない。定刻より1時間位遅れて女満別空港へ無事に着いた。

バスで北見(きたみ)駅に着いたら11時頃であった、朝食は羽田空港でのトーストとコーヒーだけなので、お腹が空いてきていた、待合室に入るとあの懐かしい香りがした。以前営業をしていた時に必ず立ち寄った“立ち食いそば”の香りである、ついついその香りに誘われて山菜そばとおにぎりを食べてしまった。

北海道ちほく高原鉄道の起点は池田(いけだ)駅であるが、本社は北見駅にある。そこで北見駅の本社事務所に行き、記念品のグッズ(全駅の硬券、切手等)を購入し写真を撮り、早速12:00発、置戸(おけと)行きの列車に乗る事にした。

北見駅を定刻に出発した、運転席の横に陣取りカメラを構え準備をしていたら、同じ様な仲間が大勢い乗って来た。ところどころに雪が残っている田園風景の中、エンジン音を轟かせながら疾走して行く。30分位で訓子府(くんねっぷ)駅に着き交換車両を待つ事5分、2量連結の車両がやって来た。しかし今乗って来た車両には乗らず次の列車に乗る事にした。理由は旅行積み立て貯金をしに行く為である。歩いて5分位の所に郵便局があった、早速旅行積み立てをした。最近おろそかにしているので今回は忘れない内にと思ったのである。

訓子府駅を出ると国道と平行して走り、列車の写真を撮る為に車を途中に止め、大勢の人が写真撮りに熱中している。

置戸駅を出ると山の中をぐんぐん登って行く、気温がそうとう下がったのかもしれない、前面のガラスを拭いても曇りが取れない。相変わらず山の中でもアマチェアのカメラマンと思われる人が大勢いる、足寄(あしょろ)駅の近くでは白い割烹着を着たおばちゃん達がダンボールの紙に“ご苦労様でした、ありがとう”と書いて手を振っていた。地元の人達には愛されていたと思われる。

第三セクターとしては線路の整備が出来ていると思った、80km/hを出してもゆれが少なく、線路のゆがみも少ない。一番前で見ていると整備の模様が分かり、廃止は惜しまれる。

明日は“さよなら臨時列車”に乗る事にしている。明日も5時頃起きなくてはならない。

鉄道訪問一覧 Next