“ひたちなか海浜鉄道湊線全線復旧”訪問記

「復旧状況確認」

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勝田駅に停車中の列車
キハ37形式




2011年 8月 3日(水)



2011年3月11日に東日本大震災の影響で“ひたちなか海浜鉄道湊線”の線路が破壊され全線でストップしていた。懸命な復旧作業の結果7月23日に全線開通したので、早速復旧状況を見に訪問をする事にした。



(左)立派になった勝田駅
JRとの共同駅

(右)エスカレーターでホームに降りると
そこが1番線につながっている


2011年8月3日(水)常磐線に乗り勝田駅に11:30頃着いた。ひたちなか海浜鉄道湊線は勝田駅から阿字ヶ浦駅までの14.7kmを結んでいる。起点となる勝田駅はJRと共用であり、1番ホームがひたちなか海浜鉄道湊線のホームで、2〜4番線をJRが利用している。早速1番線乗り場に行き発車時刻を確認したら次は12:00発なので駅舎と周辺の写真を撮った。

(左)入線してきた列車から
多くの乗車客が降りて来る

(右)出発すると、隣を走る常磐線と並行して走るが
すぐに左へ大きくカーブすると日工前駅がある


11:50頃列車が入線をして、多くのお客が降りて来た。列車の写真等を撮ってから乗込んだ、しばらくしたら運転手が乗込み発車の準備をしている。定刻にゆっくりと発車をする、500m位であろうか常磐線と並行に走り左へ急カーブしたら、そこが日工前駅である。この駅は日立工機鰍ノ勤める社員用の駅であったが1998年12月より、一般の方も利用出来るようになった駅である。ここを出ると右側は工場とか陸上自衛隊施設学校がある、左側は道路で並行して走るが、路盤が所々補修されている。3分位で金上駅に着く、ここは交換が出来る島式ホームである。この駅の下り線側の路盤は作りかえられていた、相当な被害があった模様である。

(左)金上駅ホーム左側が下り線で
路盤は全部新しく造り替えられている

(右)線路の下側が流され
レールが空中に浮いた状態になって所
補修は最大の難工事であった


金上駅を出るとしばらくは何もなかったようであるが、坂を下り始めると路盤が新しく作り替えられている、後で話を聞くと、脇に溜池があり、地震の影響で線路の下が完全に流され、線路が宙に浮いた状態になった所で最大の難工事であった模様。坂を下りきって平らになると、両サイドは田んぼの中を淡々と走るが、所々の補修はあるがたいした事はなさそうである。4分位で中根駅に着く。

(左)両サイドが田んぼで所々の補修あり
那珂湊駅に向けて東南に真直ぐ進む

(右)遠くに那珂湊駅の車両基地が見えるが
その手前で線路がぐにゃぐにゃに曲がって
ここも補修は難工事であったとの事


中根駅を出ると次の那珂湊駅までは東南の方向に真直ぐ田んぼの中を走る。この区間が一番長く3.4km約7分走るが、途中は大きな補修工事は無い模様である。しかし那珂湊駅近くに来ると新しい路盤になっていた、駅員さんの話によると、線路がぐにゃぐにゃに曲がりここも難工事であった模様。この駅に本社、車両基地等がありメインの場所である。

(左)線路を若干盛り上げてあるが
所々で崩落がある

(右)民家の瓦が崩れていたり
塀が被害に遭っている、現在はかたずけられている


那珂湊駅を出るとすぐ左へ急カーブする、右には民家があり左は道路であるが、線路は土盛りしてあり若干高い所を走っている。その部分がところどころで崩落して、その補修等の跡がある。3分位で次の殿山駅に着き、そこから田園風景の中を北に向けて走るが、すぐ平磯駅に着く。更に田園風景の中を走り磯崎駅に来る。この駅近くの民家では瓦が崩れ仮補修はしてあるが、家の中も被害はあったろうと想像が出来る。

(左)那珂湊駅舎は被害に遭っていない模様であるが
ホームは一部新しくなっていた

(右)駅近くにある掘出神社の
両サイドにあった石塔が崩れていた


磯崎駅を出ると2分位で終点の阿字ヶ浦駅に着いた。駅舎は大丈夫であった模様であるがホーム等は造り替えられていた。駅前から2分位歩いた所に掘出神社があった、入口の両脇にあった石柱が崩れ落ち粉々になっていた。その近所にある民家の塀も崩れていた、地震の大きさを物語っている。全線にわたり震災の後が見受けられる。

2008年3月末までは、茨城交通の路線であったが、経営悪化により2008年4月より第三セクター化にして、ひたちなか海浜鉄道が運営会社となった。2008年度、09年度、10年度と乗車人数が伸びて来たとこでの大震災、新しい社長は若くアイデアマンとの話である、今後の努力を期待したい。路線総延長:14.3Km。軌間:1067mm。最大勾配:10‰。最小半径:200m。駅数:9駅(起終点駅含む)。全線単線。全線非電化。自動閉塞式。車両基地:那珂湊駅。

しかしながら一部の駅を除き、ホームが長いのが気になった。駅員さんに聞いてみたら、以前はこの沿線に学校が多く、通学時は4両連結であったが5両にするか検討をしていた事があった様である。それと国鉄時代は常磐線が乗り入れて阿字ヶ浦駅まで来ていた事もあり、長いホームが必要であったとの事。現在は朝夕の通学時2両編成であるが、その他の時間帯は1両で運転をしている様である。

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