2000年4月13日日本共産党の不破哲三委員長(当時)が公表した日米核密約の全文
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訳文

相互協力及び安全保障条約
討論記録(レコード・オブ・ディスカッション)

東京 一九五九年六月

  一、条約第六条の実施にかんする交換公文案に言及された。その実効的内容は、次のとおりである。

 「合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更並びに日本国から行なわれ戦闘作戦行動(前記の条約第五条の規定に基づいて行なわれるものを除く。)のための基地としての日本国内の施設及び区の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする。」

  二、同交換公文は、以下の諸点を考慮に入れ、かつ了解して作成された。

 A「装備における重要な変更」は、核兵器及び中・長距離ミサイルの日本への持ち込み(イントロダクション)並びにそれらの兵器のための基地の建設を意味するものと解釈されるが、例えば、核物質部分をつけていない短距離ミサイルを含む非核兵器(ノン・ニュクリア・ウェポンズ)の持ち込みは、それに当たらない。
 
 B「条約第五条の規定に基づいて行なわれるものを除く戦闘作戦行動」は、日本国以外の地域にたいして日本国から起こされる戦闘作戦行動を意味するものと解される。
 
 C「事前協議」は、合衆国軍隊とその装備の日本への配置、合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り(エントリー)にかんする現行の手続きに影響を与えるものとは解されない。合衆国軍隊の日本への配置における重要な変更の場合を除く。

 D交換公文のいかなる内容も、合衆国軍隊の部隊とその装備の日本からの移動(トランスファー)にかんし、「事前協議」を
必要とするとは解釈されない。

(この密約は現在も生きている)

アメリカの資料で自由に核兵器を持ち込んでいたことが明らかになりました。

 「やはりアメリカは日本に核兵器を自由に持ち込んでいた」「岩国基地の核疑惑も密約に照らし合わせれば“筋書き”通りだ」−日本共産党の不破委員長(当時)が公表した一連の日米「核密約」文書(米側公文書)は、現在も続く危険な核兵器持込の“仕組み”を誰の目もにもはっきりさせました。
 岩国基地はいま、全額日本国民の税金(思いやり予算)による1.5倍もの大基地拡張工事の真っ最中。「40年も国民をだましつづけてきた政府は許せない」と新たな基地撤去の声が広がっています。
 不破委員長が公表した米側文書の中でも13日発表の密約全文は大きなショックを与えました。密約全文は現行安保への改定作業のなかで1960年1月6日、藤山外相とマッカーサー大使(ともに当時)が頭文字署名で公式取り決めとした「討論記録」。事前協議の対象となるのは、核兵器などの「日本への持ち込み(イントロダクション)並びにそれらの兵器のための基地の建設」(討論記録第二項A)に限定されるとし、核装備の「合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り(エントリー)」(々C)は従来通り事前協議なしの自由だとの意味が明確にされています。

過去の岩国基地への核持ち込み証言
 ○ 1978年8月8日 元米国防長官補佐官エルズバーグ博士
@ 50年代末から60年代末にかけて戦術核兵器が岩国基地に持ち込まれ、地下壕に貯蔵された。
A この核兵器はLST(揚陸艦)に積まれ基地沖100〜300メートルに係留された。(その後、67年まで停泊と証言)
 ○ 81年1月30日 日本共産党宮本委員長=当時
 岩国基地MWWUが核専門部隊で三種の核爆弾を扱うとのコマー米国防次官証言を公表(その後、MWWU施設は核兵器組み立て作業所と米資料で判明)
 ○ 81年5月20日 ライシャワー元駐日大使
 63年1月に大平外相(当時)と会談しイントロダクションには領海通過、寄港は含まない」と確認(毎日新聞)。
 ○ 81年5月22日 ジョンソン元米国防長官
 61年初春に岩国基地沖のLSTに核兵器があったと証言。
(以上2000年4月23日付け山口民報より)