感染の確率について(私の考えるところ)
よく感染率ということが言われています。“不特定多数とセックスする人の方が、リスクが高い”というやつです。
考えてみましょう。ここに10人の男性がいます。そのうちHIVに感染している人が1人いるとします。この10人のうち1人の人だけとセックスしたときには、感染している人に当たる確率は10%ですね。2人とやれば20%。3人だと30%。4人、5人と増えていけば、どんどん確率が高くなっていきます。1人とやるより、多数の人とやった方がリスクが高くなると言うのは、こういうことだと思います。
しかし、数字はあくまで数字であって、現実とは別のものではないでしょうか?ロシアンルーレットを思い出してください。最初の一発で、弾が飛び出してくることもあるのです。何が言いたいのか、それはこういうことです。感染している人が、必ずしもやりまくっていたというわけではないと言うこと。1人の人としかやらないから自分は感染しない、なんて幻想にしか過ぎないこと(まあ3カ月セックスをしていないことが証明できて、その時点で陰性なら、大丈夫ですけどね。たぶん)。感染を避ける一番いい方法は、一切セックスをしないこと。でも、そんなこと不可能です。だから、セックスをするときは、セーフセックスを心がけてください。完全ではないけれど、感染の確率が下がります(あくまでも数字の上だけでですが)。
それからもう一つ。ゲイの間で、発展場に通うゲイと、それを批判する発展場には通わないゲイという構図ができかけています。確かに発展場というのは、不特定多数とセックスをするためにあるようなものですから、感染の確率という点からそこに通うゲイが批判の対象になるのは仕方がないのでしょう。でも、発展ゲイに感染拡大の責任を押しつけているような気がしてなりません。
患者0号(ペイシェント・ゼロ)は知っていますか?北米にHIVを運んできた張本人として雑誌や本に取り上げられた人物です。映画『ゼロ・ペイシェンス』の監督はこう言っています。ちょっと長くなりますが、引用します。

『北米では、既に60年代にAIDSの症例が報告されているわけで、カナダの飛行添乗員ガエタン・デュガはたぶん、北米にAIDSを運んできた最初の男ではないでしょう。“そしてエイズは蔓延した”にレポートされているように、彼は北米のバスハウスでの接触感染のネットワークの中心に位置し、性的に親密な接触による感染を証明はしました。しかし、彼が実際に“患者0号”だったことは証明されていません。当時のAIDSに対する政治や社会の否定的な認識と彼が合衆国国民でなくカナダ人だったことが彼がスケープゴートに仕立て上げられた背景にあると考えられます。魅力的な容姿を持った青年が国外からやってきて北米各地のゲイ・サウナを転々とし、エロティックな関係を続けながらAIDSを蔓延させていったという物語は、 AIDSを蔓延させる危険で淫乱なゲイの象徴となるにふさわしかったといえるでしょう。彼の旺盛な性関係が多くのセックスパートナーに病原体を“与えた”のは確かですが、彼のパートナーの中には彼以前にはっきりとした症状が現れていた者がいたこともあり、彼がアメリカで“受け取った”可能性も否定できません。』(ゼロ・ペイシェンスパンフレットより)

読んでいただければわかると思いますが、結局のところ、自分とは関係のないところで起きている病気、と思いたいがために誰かに責任をなすりつけているのではないか、ということです。発展場自体は悪くないし、発展場に通うゲイだって悪くはないと、私は思います。日本の大都会には、必ずと言っていいほど、風俗街があるわけですから、ゲイだけが淫乱だ、なんて責められるのは不当だと、私は思います。ましてや同じゲイの中で・・・。
なんだか、熱く語ってしまいました。感染の確率と題したのに脱線ですね。
言いたいことはHIVは他人の問題ではなくて自分の問題だということ。確率というのは、あくまでもただの数字に過ぎないということ。セックスをするときには、セーフセックスを心がけるということ。そしてセックスパートナーは、自分の右手の代わりではないということ。それだけです。