わたしの

安保廃棄

通告

 

 


 

テキスト ボックス: No.4 

 

 


アメリカ大統領

バラク・オバマ殿

 

わたしは、日米安保条約第10条にもとづき、日米安保条約の廃棄を通告します。

 

日米安保条約10条

いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意志を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行われた後1年で終了する。


 

 私は1926年生まれで84才、幼いころはミッキーマウスやベティブープ、キングコングに親しみ、少年期に「ワシントンと桜の木」や「フランクリンの凧揚げ」を学び、チャップリンの演技に笑いました。ペリー来航でもたらされた文明を教えられ、輸入品の素晴らしさを知り、カラーアニメや西部劇・恋愛映画を楽しみ、豊かな家庭生活に憧れました。戦争末期の「鬼畜米英」宣伝が浸透したのは、せいぜい小学生まででした。

 19才になった時占領が始まりましたが、しかめ面して「兵隊言葉」を使っていた日本軍人とは打って変わり、アメリカ兵は陽気で気さくでした。休日にトイレを借りに来た若い兵士と片言と手真似で話したのが、外国人と初めての付き合いでした。元敵国を非武装で一人歩きするなど、とても考えられなかった時だったqのです。占領軍の民主化政策によって、重苦しかった軍国主義・戦時統制から解放されたと喜んでいました。

 年金生活に入ってから海外を旅行し、手真似を交えても一部しか通じなくても、世界の人びとと心は通じると知りました。国の成り立ちからでしょうか、アメリカ人は際立っていました。クルーズ船では、何10年の付き合いのように親しくなれました。

 戦前、日本人は傲慢にも「五族協和」の楽園「満州帝国」を指導援助し外敵から守ってやっていると、思い上がっていました。今日の日米同盟は昔の「日満同盟」に似て、軍事・外交・経済まで指図されているようで、不信感を募らせています。対等平等の友好条約に変え、両国民が心を許し合い交流できることを切に望み、日米安保条約を破棄されるよう求めます。

 

   2011年4月   大阪市旭区高殿6丁目21―1―704   太田 芳男

 

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