わたしの

安保廃棄

通告

 

 


 

テキスト ボックス: No.15 

 

 


アメリカ大統領

バラク・オバマ殿

 

わたしは、日米安保条約第10条にもとづき、日米安保条約の廃棄を通告します。

 

日米安保条約10条

いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意志を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行われた後1年で終了する。


 

 日本政府は、来る4月28日を「主権回復の日」として式典を行う準備をしています。

 61年前の1952年4月28日に発効したサンフランシスコ平和条約によって、日本が独立国になった日だからそうです。しかし、沖縄ではこの同じ日が「屈辱の日」と言われています。同じ日がどうしてこれほどにも違う捉え方をされるのでしょうか。

 それは、あなた方のアメリカ政府が、多くの人々の反対を押し切って全面講和ではなく単独講和として、日本が戦争したすべての国々とではなく、日本による侵略戦争によって深刻な被害を受けた中国・韓国、そして北朝鮮の代表すら含めずに会議を行い、ソ連など3カ国が署名しない中でサンフランシスコ平和条約を結んだかです。それによって、そういう国々との間で、今なお様々な問題が怒起っています。

 沖縄は、条約の第3条によって、日本から切り離され、ようやく1972年5月15日に「施政権」が返還されて日本に復帰はしたものの、第6条に基づいて、条約と同じ1951年9月8日に吉田首相ただ1人の署名によって結ばれた安保条約によって、普天間基地の問題をはじめ、多くの米軍基地が存在するが故の問題に今も苦しめられて続けています。

 そんな日を、沖縄の人々が「屈辱の日」と言われるのは当然のことであり、いくら式的に独立国になったとはいえ実質的にはアメリカの従属国とされた私たち日本国民にとっては、「屈辱の日」と言わねばなりません。

 わたしは今こそ改めて、本当に対等な立場での日米友好条約を結びたいと思います。そのたにも、まず、日米安保条約の廃棄を宣言するものです。

 

  2013年4月  寝屋川市  守山禎三

 

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