EE MORGAN / INTRODUCING

ARCHIE SHEPP / TRUE BALLADS
ARCHIE SHEPP-ts
JOHN HICKS-p
GEORGE MRAZ-b
IDRIS MUHAMMAD-ds
Dec 7 1996
VENUS
1.THE TRILL IS GONE
2.THE SHADOW OF SMILE
3.EVERYTHING MUST CHANGE
4.HERE'S THAT RAINY DAY
5.LA ROSITA
6.NATURE BOY
7.YESTERDAYS
8.VIOLETS FOR FURS

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  今回はこれに決まってしまった。思いつきの経路を示すと、日本で一番桜の開花の遅い吾が道東に咲いた桜に感激した→桜と言えば小さな花→”小さな花”と言えばシドニー・ベシェの”小さい花”→それを前衛音楽集団アート・アンサンブル・オブ・シカゴのジョセフ・ジャーマンが吹いていたが、僕はその粘っこい情念が萌える演奏にとことん惚れていた→でも他にアーチ・シェップにそういえば入っているのがあった→でも、最近CDラックを新調したら、それがどこにあるかわからなくなった→で、見つけたのこのシェップのアルバムなのだが、何とピアノがジョン・ヒックスじゃないか→最近、ヒックスのヴィーナス完全初回限定プレスの売れ残りを見つけた→じゃあ、これにしようか・・・というわけである。いやはや・・・。

 思いつきの発端となった”桜”のことを少しだけ話すと、職場の庭に一本の八重桜の樹があって、漸く先週あたりにそれが、零れるように咲いているのを見つけ、暫し見とれてしまったのだ。
 一瞬の生命を象徴するかのような儚い咲き方をする桜。曲がりくねった枝振りといい、花びらの大きさ、形、そして何より、桜の樹がそれ一本であったことが、感激ひとしおとなった所以だった。満開の桜が辺り一面じゃないところがイイ。こういう気持ち・・・そう、西行

 ねがわくは花のしたにて春死なむ


の心境がよくわかったのだ。ここで言う花とは、他でもない桜である。
 桜に絡めて、レッド・ガーランドのアルバムを良く引き合いに出したが、やっとこの時期実感したというわけである。で、絶対今回はこの感動を元にアルバムを選びたかったのだが、さっき言ったような経過である。

 そういう経緯はともかく、ジャズにおける「曲」の大切さを感じ始めている。ジャーマンにせよ、シェップにせよ”前衛ジャズ”の闘志が、可憐な”小さい花”を吹いたということに、僕は感激もし、いかにジャズにおける「曲」が重要なファクターとなっているかをいくら強調してもしすぎることはない、と僕も思い始めている。僕もといったが、ジャズ・ファンには「演奏派」と「曲派」があるようだ。で、「演奏派」が大勢を占めていて、「曲派」はマイナーなのだそうだ。僕が、どっちの派になるのか自分でもわからないが、ジャズの演奏において曲が重要であることは、最近とみに感じ始めていることは確かだ。
 この曲か演奏かというのは、卵が先か鶏が先かみたいな話で決着の付きかねる事柄で、どっちにせよ相補いあっているわけで、こういう議論は不毛に終わるだろう。どうやら、これは「理論派」と「情緒派」の差異ではないかという気もする。もっとはっきり言えば、モードかコードかなのかも知れない。そういう分け方をすれば、僕は「情緒派」に近いということは、さっきの桜の話で自分でも納得する。

 このアルバムは、ヴィーナスに次々とシェップが表したバラード集のなかの1枚だが、彼が吹くバラード曲は”薔薇ーど”いう程、艶やかな名曲の咲き乱れである。僕は今まで「花の気持ち」など介さない人間だったのだが、どうやらまたしても”年”のせいであろうか、気持ちが添うようになっきた。
 それと同じで、シェップのこの「象の嘶き」のような、もの悲しいテナーに気持ちが寄り添うようになった。

 このアルバムもそうだが、BLUE BALLADSもピアノはジョン・ヒックスで、彼も以前はここでのような「普通」の弾き方をしなかった人のようだが、こういう弾き方が今僕はイイと思っている。ヴィーナス・レコードというのは、そういう”力”を持っているようだ。つまり、嘗て前衛ジャズの闘志であろうと、理屈っぽい弾き方のピアニストであろうと、「普通」にしてしまうという”力”である。
 そういう「力」にもうひとつ付け加えれば、誰もが言う「音の力」である。ムラーツのベースが、ムハマドの叩くシンバルの”芯”が冴えて聴けるという幸せ・・・。「普通のジャズ」が活き活きと生命力を持つのだ。
 
 
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ARCHIE SHEPP / BLUE BALLADS

白洲正子『西行』