EE MORGAN / INTRODUCING


通崎睦美『天使突抜一丁目』

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 J.グリフィンのTHE KERRY DANCERSを聴いて、ジャズっていいなということについて話をもってきているのだが、普段ジャズを聴いていて、非常に拙いのだけれど、大事に考えてみたいなと思っていることがある。
 それは聴いている僕たちが日本人であるということで、所謂「日本人的感性」で聴いているということは、どういうことなのか・・・ということである。
 日本人ほど、自分の国や日本人であることをあまり良く言わない国民はないんじゃないかと思うのだけれど、そんなに日本人って駄目なのだろうか。
 よく例に出てくる「外国における日本人観光客」の典型が、眼鏡をかけ、常にカメラを持ち歩いてパチパチと所構わず写しまくったり、それらが何故か行列をつくってぞろぞろ歩いている・・・なんてのは、確かにあまり格好がよくない。こんな例はもう古いのかもしれなけれど、やっぱり欧米特にアメリカがグローバル・スタンダードであって、それとの比較からやっぱり日本人って・・・という具合になることが嘗て確かにあった。でも、今は、あまりアメリカを尊大に考えたりすることもなくなってきているし、嗜好が多様化していることは確かだとは思う。
 そういうのも「日本人的感性」のひとつだろう。つまり、グローバル・スタンダードを日本以外の外国に求める感性だ。

 もうひとつは、「古意(いにしへごころ)」というものだ。これまた「観光ブーム」で古寺巡礼(?)してみたりということではあまり感心しないのだが、俳句が好きなら芭蕉に興味を持ったり、和歌に興味があれば西行とか、お茶なら利休、後は万葉集?・・・とあげ出すとどうもカルチャー・ブームという感じでいただけないが、浮ついた気でなければ十分深めることが出来る「日本人的感性」だと思っている。
 
 関西で使う言葉に「はんなり」というのがある。北海道に住んでいる僕にはいまいちわかってないと思うが、マリンバ奏者の通崎睦美というひとが「天使突抜一丁目」というエッセイを書いていて、京都育ちの彼女の感性をいいなと思って読んでいた。因みに「天使突抜(てんしつきぬけ)一丁目」というのは実際にある京都の番地で、洒落ているなと思った。で、現代っ子の彼女が彼女流の着こなしで和服を常に着あるいて、しかも黒塗りの昭和30年代にあったような自転車で出掛けるという姿・・・これは現代的な「はんなり」かなという気がしている。
 そういう何か「そこはかなく」にお洒落を感じていいなと思うのも、「日本人的感性」の一部だと思う。

 で、本題のジャズっていいなだが、僕が大事にしたいなと思っているのは、後者の「古意」で感じるジャズ。つまりある種の「そこはかなく」を感じるもの・・・これなのだ。(ああ、疲れた・・・)
 で、また少しややこしくなるのだが、そういう「こころ」を持ち続けるというのは、時代の流れのなかでは、ある意味「時代遅れ」ということにもなるが、デジタルかアナログかと言うと、やっぱりアナログが好き・・・という感じのことにも通じる。そこからアナログ盤の話にもっていくと、またまた本題の本題であるアルバムから離れてしまいそうなのでいずれということにするが、要するに「まれ」とか「数奇」ということであって、早い話がジャズにおける「逸品探し」もジャズっていいなの一部に付け加えたかったのだ。
続く
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