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TAKING A CHANCE ON LOVE
JIMMY COBB
JIMMY COBB-ds
MASSIMO FARAO-p
ALDO ZUNINO-b
MARCO TAMBURINI-tp
2004
SOUNDHILLS
1.TAKING A CHANC ON LOVE
2.MY IDEAL
3.RELAX
4.NIGHTINGALE IN BERKELLY SQUARE
5.WHEN THE SAINTS GO MARCHIN
6.FOR MINORS ONLY
7.YOU SAY YOU CARE
8.POLKADOTS AND MOONBEAMS
9.I'VE GOT THE WORLD ON A STRING
10.THREE LITTLE WORDS
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JIMMY COBB/TRIBUTE TO WYNTON KELLY AND PAUL CHAMBERS
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「センセー、センセー」とうなり声がする。
繰り返されるその声は、付き添いの間中誰一人彼の声に応えるものもなく、応えて貰える宛のない間断ない呼吸の反復ように空しく病棟に響き続けていた。
何の病であったのかは判らないが、多分回復する見込みのないもので、いずれこのまま彼の意識はますます朦朧となり、やがて死の床を迎えるしかないのだろう。
彼が「センセー、センセー」と呼ぶ声は、不本意ながら閉じこめられてしまったこの空間から必死で抜け出そうとする足掻きに聞こえた。抜け出して得ようとするものは、喉を潤す水であろうか吸いたい煙草であろうか、いや多分そんな一切を含んだ自分の居場所である「日常」なのだろうと思った。そんな切なくも空しく響くうなり声を聞いているうちにいくつとも知れない記憶が、僕の頭のなかで行き来した。
それはねだっても買って貰えない玩具を前に、だだをこね続けた幼児の僕の声だったような気もするし、泣き続けた後のしゃくりあげる喉の奥の記憶だったかも知れない。
或いは、やはり何かの病気で床に伏していた時に家人が誰もいない部屋の心許なさを感じながら虚ろな頭で反芻され続けた思いだったかも知れない。
ともかくそれは繰り返すほどに何の為の繰り返しだったのか、最早意味を失ってしまう命の脈拍に違いなかった。
しかし矢張り鼓動を続けざるを得ない命の哀しさであろうと思うに、やり切れなさを感じていた。
外の雪は益々強く降るようだった。点滴が終わる頃に車の渋滞は止むだろうか。仕事からあがったら何をしよう・・・少しずつ減っていく点滴溶液の量を眺めながらぼんやり考え続けていたうちに、うなり声は最早僕の呼吸のように気にとめることがなくなってしまった。
帰りの渋滞にも遭わずに済み、降り積もった雪を踏みしめるキュキュという音を聞きながら「センセー、センセー」と呼ぶ声のことを思いつつ家路についた。
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さて、気分を変えてアンプに灯を点そう。
電源をいれると大小7本の管の先がポーっと灯る。そしてトレーに乗せたCDやターンテーブルのレコードがスピーカーを通してバッサバッサとブラシが臨場感宜しく鳴り、弦から弾かれるベースが腹にこたえるアコースティックな響きを発する瞬間・・・これだよな、やっぱり。
前回書いたジミー・コブの同じメンバー、マッシモ・ファラオのピアノ、アルド・スニーノのベースのアルバムで、今回はマルコ・タンブリーニのトランペットが部分参加したTAKING
CHANCE ON LOVEだ。
冒頭のタイトル曲が鳴り出すと、何だかだ言ってもやっぱり、これだよピアノ・トリオの原点はと思ってしまう。
前回はウィントン・ケリーのトリビュート盤だったが、マッシモのタッチはやはりケリーのセンスを引き継いだもので、ジャズピアノを聴き初めた頃に刷り込まれた感触が蘇るのだ。
ナチュラルなフレーズは、彼に身に付いた良質なセンスの総体が自然体で表現されていて、愛らしく粋である。
他と比べてどっちがいいの悪いのという次元のことでなく、やっぱりこれだ・・・という、どうしようもなく愛おしい要素を持っている。
選曲で面白いのが、「聖者が街にやってくる」でマルコ・タンブリーニのミュートを効かせたトランペットをフィーチャーした演奏だが、グルービーにアレンジしたなかなかのトラックだ。
ピアノ・トリオのアルバムとして聴きたかった僕には最初余計だなと思っていたこのトランペットの存在だが、トリオの雰囲気を壊すことなく、いや寧ろFOR
MINORS ONLYのようにスウィンギーなカルテットの演奏となって愉しませてもくれる。
老獪なコブのドラミング、低音を重く響かせるスニーノのベース、そしてマッシモ・・・最近の僕のフェバリット・トリオである。
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