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BLUE NOTEの光と影 猫
ルー・ドナルドソンはチャーリー・パーカーに似ている等と言われたが、僕は猫に似ていると思う。
アルト・サックスは犬猫で言えば、犬系統なのかそれとも猫系統なのか等と議論したことは一度もないが、どうもそれはアルトだからという理由に寄らず、リズムやフレーズが猫を感じさせるようだということを、このアルバムを聴いて思ったことだった。
全てそんな具合かと言えばがそうなのではなくて、所謂キャット・ウォーク、猫歩きを想像させるリズムやフレーズがそれだし、猫なで声というものある。ドナルドソンがそんな感じに吹くこともあるなとは思う部分と、寧ろサックスであれ、ピアノであれ、ドラムやベースでも猫の立ち居振る舞いが想像されるものとがある。このアルバムでは、ルー・ドナルドソンのアルトもそうだが、ホレス・シルバーのピアノに猫を感じた。
しかし、ジャズマンのことをキャットというのは、僕はいまだにしっくりと腑に落ちないのだが。
ひょっとしてだが、ビ・バップというスタイルにそう感じさせるものがあるのかも、と言う気がしたこともあった。
僕の実家や独立してから飼った猫は二匹いて、一匹目は余市というところで拾ったから「ヨイチ」とつけた。これは僕が中学に入ったばかりの夏からいて、高校の3年あたりで気管支炎のような感じになって、ひきつけを起こしたような呼吸困難になって死んだ。
二匹目は、独立してからで、幼い息子たちの大好きなアニメ宮崎駿男氏の「となりのトトロ」からつけた「トトロ」。イヤ、絵本に出てくる三匹の山羊のガラガラドンがやっつけたトトロだったかも知れない。これが、次男がまだ幼くやたらと噛みついたりするので実家に預かって貰っているうちに、ひょいと表に出たきり居なくなってしまった。どうも野良猫の仲間に入っている内に、猫狩りにあってしまったのではと、実家の母はふと漏らしていた。
猫は家につくというが、我が家の犬は、ヒトに媚びず寧ろ家についているのかと思うことがある。どこかご都合主義なところが、猫的だ。餌が欲しい時と、ドライブに連れて行って欲しい時と、家に入れて欲しい時以外は、尻尾も振らずそっぽを向いている。まさに唯我独尊。見知らぬ人が来ても滅多に吠えない。ただ、決まって郵便配達のバイクが来ると、途端に吠え出す。きっと、いつか何かやったなと訝っているのだが。
いや、猫であった。
試しに、2曲目のDOWN HOMEを聴いて貰いたい。所謂ブルースなわけだが、粘ったようなアルトの醸し出す趣が、猫が餌欲しげにすり寄って来る様を思い描いてしまう。ホレス・シルバーのピアノはさながらキャット・ウォークである。だいたいブルースてものは、そんな具合なのだろうが。
やっぱりルー・ドナルドソンは、猫ではなくてチャーリー・パーカー系統だと厭でも思ってしまうのが、LOU'S
BLUESだ。だって、パーカーが良く使うフレーズを遠慮会釈なく使ってしまってる。
このアルバムは割と爽やか系統の曲が選ばれている。CHEEK TO CHEEKなどは、早いパッセージを息も切らず吹ききる爽快感が素晴らしい。
ミディアム・テンポのSWEET
JUICEでのドナルドソンのソロもホレス・シルバーのソロもじっくり聴くと良い味わいだ。
また猫に戻るが、ROCCUSはまさに猫という感じのテーマだ。ともすると、ドナルドソンのアルトが発情期の猫の声にきこえてしまうから可笑しい。
最近10インチ盤を得たので聴き直してみているのだが、このROCCUSの演奏の中にR.ブライアントのREFLECTIONのメロディが突如出てくるのに気づいた。
あのロイ・ヘインズのアルバムWE THREEの冒頭で聴ける愛らしいメロディだ。
因みに10インチ盤では、セッション別にA面、B面となっていてわかりやすい。更にTHINGS WE DID LAST SUMMERというバラードがここだけで聴ける。
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