秋葉原旅行案内
第5話 成瀬親子な話(主題外 ほぼ番外)
シンシア・ナルセ:
1人の少女が泣いていた。
白い、何もない部屋のすみっこ。
膝を抱え、顔を伏せ、声を押し殺して泣いていた。
ただでさえ小さな身体を、よりいっそう小さくかがめて。肩を震わせて。
もう随分長いこと泣き続けているように思う。
でも、いっこうに泣き止む気配はなく、僕は途方にくれた。
そっと近づいてみる。
声をかけると、驚かせてしまうだろうか?
突然、少女はびっくりしたように顔を上げた。
少女の顔が驚きに染まり、泣き疲れてかすれた声で言葉が紡がれる。
「あなた、あたし?」
その顔を見た僕も驚いた。だって、泣き続けていた僕に、近づいて来たその少女は、僕にそっくりだったのだから。
あれ?
今、声をだしたのは・・・ずっと泣いてたのは・・・僕なんだっけ?
何が起こったのか解らなかった。
見慣れた天井。
窓からは光が差し込み、かすかに鳥のさえずりが聞こえた。
僕はベットの上。
夢?
僕は涙をぬぐった。
そうか、また寝ながら泣いてしまったのか。僕の中のシンシアが泣いているのだろうか?
また、あの夢。
いつも内容は覚えていない。でも、感覚だけは、はっきり残る不思議な夢。
世界にたった1人取り残されたような孤独。信じていた何かに裏切られたような絶望と後悔。
そして、死を選べない自分へのジレンマ。
僕は枕に顔を押し付けた。
大丈夫。これは夢だ。
これがシンシアの記憶だとしても、それは過去のこと。
でも、へたに我慢すると、この感情が残留してしまい酷いことになる。
それに、枕に顔を押し付けておけば泣き声に気付かれることはない。
僕は感情にまかせて、しばらく時を過ごした。
感情の波が収まっていくのを感じた。
頃合、か。
僕は飛び起きると洗面所で顔を洗った。それから髪を結う。そして、笑顔をつくってみる。
鏡のむこうの、幼い少女は、屈託の無い笑顔を僕に向けてきた。泣いていた気配なんて微塵もない。
うん、もう大丈夫!
自慢じゃないが、感情的許容量オーバーには慣れているのだ!
観光ガイドでの恥ずかしい数々のおかげ・・・いや、なんか、認めたくないな、それ。
まぁ、とにかく成長しているのだ。
記憶のダイレクトインストールの感情面への影響は、個人差があると聞く。
僕は相性的に、良すぎて、悪いらしい。
シンシアの記憶をインストールしてから2週間。
変化したという自覚はない。強いてあげれば、いくつかの変な夢をみるくらい。
シンシアが両親を失ってから1年以上たつ。
シンシアは立ち直れていないのだろうか?
そうなのかもしれない。
突然、たった1人、この世に取り残されたのだから。
でも、今日は『お世話になった人にスペシャル料理を食べてもらおう大作戦』の第1弾の決行日。
元気ださないと!
僕は大急ぎで着替えると、台所へと急行した。
保温料理鍋のふたを開けて、味見してみる。もっと煮込んだほうが良さそう。
昨日から用意しておいて大正解。朝から調理したのでは、間に合わなかった。
コンロの火をつけた。
昼くらいにはちょうどいいかな?僕はほくそえんだ。
この日のために苦労して資料を探し、お父様の母星の郷土料理を用意することにしたのだ。
地球の食材で、どこまで味が再現できてるかが不安だけど。
お父様は、朝食は食べたり食べなかったりと、不規則。
でも、昼食は確実に食べる。
僕はお昼になって丁度良く仕上がった料理を並べ、お父様を待った。でも、ケーキはまだ隠しておこう。気付かれるから。
・・・遅いな。
もう少し待って出てこなかったら呼びに行こうかな。冷めたら嫌だし。
「用意できてるんだったら、呼んでくれればいいのに。」
「今、準備できたところだから。」
つい、声が明るくなる。
疲れているのか、ノロノロとした動作で席に着くお父様。
どう思うかな?
僕はワクワクしながらお父様の反応を待った。
お父様はまずスープを一口。それから問題の料理を口に運んだ。
お父様の動きが止まる。
「味、ヘンかな?もう少し煮込んだほうがいい?」
「ごめん、急ぎの仕事を忘れてた。」
お父様は険しい顔のまま席を立つと、背中を向けた。
怒ったの?でも、なんだかお父様はとても危うそうに見えて・・・なんだか解んないけど、引き止めなきゃ!
「待っ、ほわぁ!」
僕は棚につかまることで、転倒を免れた。
あ、危ない。
とっさだと、どうにも昔の調子で体を動かそうとしてしまう。
こんなだから夏美に「何もないところで転ぶのはシンシアの持ちネタだな。」なんて言われるんだ。
由美ちゃんに「シンシアちゃんは運動神経きれてるんだから、気をつけなきゃダメだよ。」って、真顔で注意された時は、さすがに傷ついた。由美ちゃんの場合、悪意ゼロだし。でも、慣らしもせずに、いきなりレベル8でリンクしたんだから、仕方ないんだよー!
・・・あれ?
そうだ、お父様!
いない。
完全にタイミングを逃しちゃった。
僕がぼけぼけってところは、否定しようがないらしい。
溜息がでた。
あー、僕、何したんだろう。
僕は一口料理を食べてみた。まずい、のかな?
ホームシック、とか?
料理がきっかけで?
ありうるよ。
僕は1人、頭をかかえた。
アス・ナルセ:
シンシアとセス(娘)の姿がダブった。
不満げなセス(娘)の顔。苦笑しつつ娘をなだめるエレン(妻)の顔がありありと思い出され、たまらなくなったボクは部屋に逃げ帰った。
別れた日のことが、ついさっきのことのように思い出されてしまう。
「うん、おいしい!よくできてるよ、セス」
「嘘!味、ヘンだもん。もっと煮込まなきゃ完成しないもん!」
「ごめん、本当に急ぐんだ。あ、エレン、昨日届いた書類どこ置いたっけ?」
「さっき自分で鞄にいれたじゃない。落ち着いてよ。それからセスも機嫌直して。旅行に持って行けばいいでしょ?」
「じゃあ、ばっちり仕上げて持っていくから、ちゃんと食べてよ!」
「わかったわかった。じゃあ、一足先に現地で待ってるから。まったく、なんで突然料理なんて・・・」
シンシアには悪いことをしてしまった。
でも、こんな無様な姿をシンシアには見られたくなかった。
情けない、未練がましい姿を。
ずいぶん昔のことになる。
アーキテクトの巨大遺跡を家族に見せたい。それはボクの念願だった。
一応助教授だったボクだが、処世術を知らない研究バカでは権力など無いに等しく、それは遠い夢に思えた。
ところが、チャンスは突然訪れた。スポンサーの厚意で、家族の同行が許可されたのだ。
急な話だったが、ボクはその話に飛びついた。
セスは学校を休むことになったし、エレンもスケジュール調整が大変だったようだ。でも、2人とも喜んでくれた。
事故のことはニュースで知った。
大型宇宙船の爆散事故。
船体の大半が一瞬でチリと化す、酷いものだった。
原因は、エンジンの暴走とか、テロとか言われたが、説が入り乱れ、結局はっきりした解答はでなかった。
はっきりしているのは、妻と娘がもう戻らないということ。その欠片も残さず、銀河から消滅してしまったということ。
妻と娘を殺したのはボクだということ。
ボクが遺跡を見せたいなどと言い出さなければ、あの船に乗ることもなかったのだから。
シンシア・ナルセ:
僕は、お父様の部屋のドアをノックした状態で、固まっていた。
大急ぎでノックしたんだけど、お父様が出てきたら、僕、なんて言えばいいんだろう?
あああ、何やってんの、僕!
もう、ぼけとか、そーゆーレベルじゃないよ!
前からプレッシャーに弱いほうだけど、最近は酷すぎる。
レベル8リンクの影響?脳とかホルモンが子供化、女性化してる影響?
確か、女性は男性と比べ、主にイメージを処理する右脳と論理を処理する左脳をつなぐ情報バスの幅が広く、処理能力(=女のカン)が高い反面、情報過多によるパニック(あるいはヒステリー)を起しやすいって聞いた。その影響?
まさか、僕、女性化してる?
冷や汗が流れた。
いや、僕の場合、基礎人格形成終了後のリンクだから大丈夫なはず。
僕がパニくるのは、むしろ性格が女性脳に対応しきれてない証拠。
逆に男って証拠だよ!
他にもあるぞ!僕は松岡さんが好きっぽい。
ほら、男じゃないか!!
うんうん、どれも僕が男であることを肯定してる。
いやー、焦った。本気で焦ったよ。
僕の勘違いか。
他の事項も説明がつくぞ。
料理が好きなのは元々で、料理を始めたきっかけはオーブン電子レンジに興味をもったから。メカニカル的な興味。男だからこそ、料理にハマったのだ。
あと、かわいい小物類を買っちゃうのは、友達の影響だ。でも、最近は1人でも・・・ええい、男がかわいいものが好きでなにが悪い!
それから、男の僕が自分と思えなくなってきてるのは、これはアンドロイドさんが悪い。あんな綺麗な笑顔を見せられたら、男だっておちるね。僕だけじゃないぞ!
・・・?
いや、僕はおちてない!おちるってなんだよ!
あ、あれ?
脱線してた?僕??
幸い、まだお父様は出てこない。
仕事に集中してて、ノックの音が聞こえてないとか?
そうだといいな。
もうちょっと。
もうちょっとだけ待って、出てこなかったら戻ろう。
お願い、出てこないでー!
アス・ナルセ:
ドアがノックされた。
外には人の気配。たぶん、シンシアだろう。
ボクのたった1人の娘。
いや、セスやエレンの代用品?
それとも、被害を最小限にするために、打算で養女にした他人?
違う!
今ではシンシアを本当の娘だって思ってる。でも、本当か?
利用している罪悪感をごまかすため、自分を騙してるんじゃないのか?
偽善。
なんて醜悪な。
ボクは逃げている。シンシアにセスの面影をみるたびに、仕事を言い訳に逃げている。
ボクは利用している。シンシアが嫌がっていることを承知でコスプレさせ、ガイドさせている。
ボクは利用している。シンシアの負担を知りつつハードな仕事をさせている。
ボクは知っている。日常が一瞬で消滅してしまうことを。
足音。
「待っ・・・」
ドアの外の気配が去っていく。
背筋が凍った。
ハハ、病的だな。
ドアを開けたらシンシアが消えてしまう気がして、確認するのが怖かったなんて。
それに、どんな顔をして会えってんだ。
シンシアは、ただ、ボクを思いやって料理を用意した。
でも、ボクは自分勝手な感情でシンシアの思いを踏みにじった。
シンシアは、こんなボクを軽蔑するだろう。
きっと幻滅された。
馬鹿馬鹿しい。
なにやってんだ、ボクは。
シンシアとボクの出会いは、間違いなく最悪のものだった。
なにせ、シンシアは道の真ん中で、パンツどころか、尻までだして動けなくなっていた。お尻に『ぼけ』なんて落書きまでされて。
そして、その落書きのとおり、その地球人は大ぼけだった。
書類1枚にサインすれば、債務はデザインプランに移される。あとは、健康診断の結果を見て、スーツを脱ぎ、記憶を消してもとどおり。
でも、規則上一度は理解させ、サインをさせる必要があった。どうせ消す記憶。むなしい労力。
ところが、何度説明しても生返事ばかりでサインしようとしない。
理解できてる様子もない。
狼狽して的外れな質問を繰り返すばかり。
アーキテクトに近いと評されたはずの地球人の醜態に、アーキテクトを汚された気がして腹が立った。
ボクの精神状態も最悪だった。自社プランによる地球観光という目標が潰えたからだ。しかも、多額の損害をかかえて。
ボクはもちろん、このプロジェクトを応援してくれた友人、いや、大学を辞めて職を転々としていたボクを拾ってくれた恩人も辞職することになるだろう。暗澹たる気分だった。
妻娘を失ってなお、アーキテクトへの執着を捨てることができないボクへの罰だとでも言うのか?
「とにかく、サインしてください。名前を書けばいいんです。」
「でも、」
「こんなことで時間を浪費させないでください!こっちは手続きが大変なんですよ。不明点はそこのコンソールで検索してください。どうせ記憶は消されますけどね。いいですか、私が戻るまでにサインしてくださいよ。名前書くだけ。簡単でしょ。」
「はぁ。」
「解ったんですか!」
「すみません。」
何で謝る!
ボクは地球人を睨みつけると、部屋を飛び出した。
でも、いいじゃないか。これで地球への未練が消える。地球に来たこと自体、間違っていたんだ。今度こそアーキテクト狂いからも卒業だ。
半日後、健康診断の結果がでた。結果は良好。あとは、サインだけ。
ところが、まだサインをしていない地球人に、ボクは鬱憤を爆発させた。
「なんで名前が書けない!もう、いい加減にしろ!」
「あの、ちょっと見ていただきたいものがあるんですが。」
地球人のコンソール上に図形が浮かび上がる。
彼は200年前に養子縁組で未登録惑星の住人から地球コラボへの登録が行われた事例があること。
菅原
雄一とシンシアの滞在戸籍の金額と将来における予想金額。
自分が働けそうな場所。
融資してくれそうな金融機関。
未登録惑星からの銀河コラボ登録の際の補助特権類。
それらを列挙し、菅原 雄一の戸籍売却益で一旦債務を相殺し、10年後に再び買い戻すプランを私に説明した。
ちょっと待て。
この地球人が銀河コラボのDBをたたくのは今が初めてのはずだ。
現地にも情報機器は存在するが、ほとんど違うはず。
なのに、たった半日で必要な情報を揃えたばかりか、プレゼン資料まで作ったのか?
しかも、スクリプトまで組み込んで、資料を見やすく飾り付けている。無駄と言えるほど手間をかけて。
体が震えた。
この無駄なほど解りやすさにこだわる手口はアーキテクトたちのノリだ。やはり、地球人はアーキテクトに近いのか?
「ええと、これでいきたんですけど、いいでしょうか?」
あくまでも自信なさげな地球人。
こいつは自分が何をやらかしたか解っていない。
それに、いいでしょうか、だと?それはこっちがお願いすることだ。何故この地球人は被害者でありながらボク達を助けようとするのか。
ボクはそれを問い詰めずにはいられず、やっとかえってきたのが次の1言だった。
「なんとなく。」
馬鹿馬鹿しい。というか、いくら話しても理屈が通用しない。こっちが馬鹿みたいだ。
なにより、地球人の負担が大きすぎる。なんとなくだと?ふざけるな!
ボクは、撤回を迫った。ところが、地球人の意思は固く、いつのまにか説得されてしまったのはボクのほうだった。しかも、礼まで言われてしまっては、誰が被害者なのか解らなくなる。
正直、混乱している。でも、熱意だけは理解した。それ以外は理解不能だが。
ボクと地球人では、育った環境があまりに違いすぎる。最初から解かり合おうとすること自体無理がある。
でも、大きな借りがある尊敬すべき相手。そう思うことにした。
知的好奇心というやつかもしれない。ボクにとってシンシアは興味をそそられる相手だったようだ。ひょっとすると、初めて会ったときから。
狼狽しつつも、シンシアは足を止める気配を微塵も見せない。
見ていてヒヤヒヤするような行動を繰り返しつつも出口を切り開いていく。
やがて、疑念が浮かんだ。
いや、最初から不自然だったのだ。
壊れて画面もでないPDA経由で契約を成立させた?
そんな事があるのか?
ボケたふりをしている?
誰か黒幕がいる?
外部とつながりを持っている?
シンシアがその非常識な成果を上げるにつれ、疑念はどんどん大きくなっていった。
そして、それは今も解消されていない。
シンシア・ナルセ:
あ、危なかったよ。
でも、どうしよう?
いきなり女になってしまって、混乱しきっていた僕を支えてくれたお父様に、借りを返すどころか傷つけてしまうなんて。
もう予算はないし、どうしようか?
料理は作り直すとして、他には・・・
僕は、ウォークインクローゼットに入った。禁じ手っぽいけど、お父様が喜ぶとしたら、あとはこれだ。
ランキングで1位だったのは猫だったよね・・・
うぐあっ、うっかり心の傷に触れちゃった!!
うううう、でも、そんな場合じゃない。
幸い、頻度の高い猫の衣装は自分で着れるように改良されたし。
なんか、勢いがいるよね。衣装に着替えるのって。
僕は服を全部脱ぎ捨てると、全裸になった。全裸のまま、着ていた服を片付ける。
ほら、これで衣装がもっとも着やすい服になったよ。
それに、どんなにヘンでも、裸よりはマシ・・・でもないか。
いや、ここはひとつ、裸よりマシってことで手を打っていただきまして・・・何言ってんの僕?
二の腕の8割が隠れるくらいのピンク色の長手袋を装着した。次に尻尾をお尻の上の尾骶骨に接着する。そしてオーバーニーソックス型のサポータ。最後に猫耳と、イヤーガード。
やっぱり、手袋とソックスだけだと裸より恥ずかしい気がするよ。はやく連携しちゃおう。~
ええと、『サブシステム:衣装:連携!』
ショートカットでコマンドを叩き込む。
あっというまに前足と貸す手。指を伸ばそうとすると、ニュっと猫爪が現れた。猫耳は音を拾ってひょこひょこ動き、尻尾の先まで感覚が通じた。それから体の色を薄ピンクに設定する。これって改良前からついていた機能。他にも、4足歩行で猫並みの動作ができるようだ。○ャット空中○回転まで。全然使わない機能なんだけどさ。宇宙人って変なところには、ものすごく凝るみたい。でも、他にも優先すべき事項があると思うのだ。意図的にボケてるっぽいところは好きなんだけど。
『サブシステム:衣装:部分連携解除:両手』
手だけが5本指に戻った。こうゆう使い方もある。これは便利な機能だ。
あと、全タイとレオタードも着たほうがいいよね。
うーん、首輪は・・・つけたほうがいいか。
いそいそと僕は着替えた。
あ、そうだ。料理もしなきゃ。新しい炊事用手袋をつけて料理すればいいかな。
あと、エプロンか。
鏡に映してみた。
なんか、妙にハマってるな。
お玉とか持ってポーズをとったら、お父様が喜びそう。
しっかし、なんで、お客様は全タイ系の衣装を着せたがるのかな?スリムではあるけど。骨格がきれいだから?~
あ、また脱線してる!
ああもう、どうして緊張感が持続しないんだよ!
僕はチリチリ鈴の音を響かせながら台所へ向かった。
アス・ナルセ:
日が落ちていた。
ボクは予想以上に時間が経っていたことに驚いた。
いけない、シンシアを待たせたままだ。
シンシアの行動は、間違いなくボクを思いやってのこと。
なのに、ボクは自分の感情にまかせて、その思いやりを踏みにじった。
全面的にボクが悪い。
許されないかもしれないが、せめて謝罪しなければ。
キッチンに移動すると、子猫と化したシンシアが料理をしていた。
「あ、お父様、もう少し待ってください。」
予想外の風景に言葉を忘れたボクは、促されるまま椅子に座ってしまった。
怒っていないのか?
子猫姿のシンシアは右に左にと、鈴の音を響かせながら一心不乱に料理をしている。
いったい、これは、何だ?
その、なんだ。
かわいいじゃないか。
ほどなくして、テーブルは料理で埋め尽くされた。
「ええと、完成です。」
「これはさすがに多すぎるんじゃないかな。6人前はあるよ。」
「えっ・・・ですよね。あれ?なんか、夢中で料理してたらこんなことに。どうしよう。」
「いや、何日かに分けて食べればなんとかなるから。」
ボクは大急ぎで狼狽しかけたシンシアを止めた。どうにもシンシアのペースに流されて謝るタイミングがつかめない。
「あと、昼に食べかけたやつ、貰えるかな」
「でも、あれは、」
「食べたいんだ。」
シンシアは懐かしき料理をボクの前に運んだ。
そして、不安げな表情でそれを差し出す。
これは、ボクの大好物。
そして、食べ損なってしまったセスの最後の料理でもある。
でも、大丈夫。再び口にできるまで20年もかかってしまったけどね。
「ん、うまい。」
「ごめんなさい、あたし。」
「ちょ、それはボクの台詞であって、シンシアのじゃないよ。」
「台詞間違えた!?・・にゃあ、とか?・・・え?でも今は」
これだよ。
ボクはこみあがってくる笑いを抑えることができなかった。その拍子に気管に料理が入り、大変なことになる。
ボクは咳き込みながらも、なお笑うことを止められなかった。
反則だ。こうもボケたおされたんじゃあ、シンシアを疑っていられない。いや、疑いがどうした。ボクは騙されたってかまわないぞ。
ボクはなおも不安げな子猫を抱きしめた。愛おしさがこみあげてくる。
我ながら、何を考えていたんだか。自分に対してシンシアを愛してると嘘をつく?ボクがこの子を愛していないだって?そんなの、考えるまでもない。
「シンシア、ボクと母星に来るかい?仕事が一段落したら、一緒に帰らないか?」
「も、もちろんです!あたし、宇宙旅行って初めてで、そうか。そういえば、お父様って宇宙から来たんですよね!」
シンシアは毎週相手をしてるお客様が、どこから来ていると思っていたんだ?
それに、意味が違う。
でも、嬉しそうなシンシアを見ていると、訂正する気になれなかった。
それでいいじゃないか。
結論の前に、一度旅行をしよう。
いや、答えなんかどっちでもいい。ボクにとって間違いなくシンシアは娘。そうでなければ息子だ。銀河的にはね。
男に戻るなら、ボクは友人として地球にいればいい。
離れる必要なんて、ない。
そうだよ、離れる必要なんてないんだ!
「お父様?ええと」
もぞもぞとシンシアが動いた。でも、ボクは放す気になんてなれなくて、よりいっそう力をこめた。もう少し我慢してもらおうか。
しばらくして、シンシアは諦めたかのように体の力を抜いた。
「誕生日、おめでとうございます。」
「誕生日?ああ、そうか、それで料理を。」
「ケーキもありますから。」
「ひょっとして、この子猫もプレゼント?」
「う・・・はい。」
「じゃあ、食事の後は撮影会だ。」
シンシアの体がピクリと動いた。
「ううう、はい。」
シンシアには悪いけど、だって仕方ないじゃないか。
この子が大切だ。
間違いなく、断言できる。
この確かな感情だけで、ボクはには十分だ。
ああ、でも、どうしよう。ボクは抱きしめたこの手を放せそうにないよ。
ボクは腕によりいっそう力をこめた。
「・・・お、お父様?・・・ギブ・・・・・・・・・ギブ、ギブアップー」
「今日は本当にごめんね。でも、もう少し。」
「えええええ!な、なんでぇー」
ああ、幸せすぎるよ。
初めてシンシアが家に来た日、ボクはシンシアにセスは妹だと教えた。
ところが、改めて考えてみると9歳+20年間で、29歳。年齢的にはお姉さんだ。ボクはこんなことすら、まったく気付けなかったことに驚いた。
ボクは痛みを恐れるあまり、彼女達から逃げ続けてきたんだと思う。
反面、忘れるのが怖くて自分を責め続けた。
でも忘れていなかったか?
彼女達がいてくれて、どんなにボクが幸せだったのか。どれだけ多くのものをもらっていたのか。
あれ以来、ボクは暇を見つけてはシンシアにエレンとセスの思い出を話す。
そして、いかに幸せだったかを思い知る。
苦しくはある。でも、幸せも感じる。この天秤は、ボクの中で揺れ動き続けるのだろう。
シンシアは興味深げにボクの話に聞き入る。
シンシアがエレンとセスのことを知ってくれるのが、ボクは嬉しい。
ボクはエレンとセスがもう故人であることを、話していない。
でも、察しているようだ。いや、いまいち信用できないのだが、そんな感じがする。
いずれシンシアはこの家を出て行く。
だからこそ、このひとときを大切にしよう。
強がりでなく、そう思えるようになった。
ボクはずっと、そうと気付かずにあがいてきた。
でも、今。やっと、今、歩き出せた。
ボクの人生の功労者が、ボクの目の前で軽くあくびをした。それから口に手を当てる。
順番が違うよ、シンシア。
この娘は自分がボクにとって、どれだけ大きい存在なのか理解しているのだろうか?
いや、止めた。
ボクにとってシンシアの思考回路はどこまでも謎。
それでいい。
(つづく?
)
作者:
成瀬父娘の交流はこんなです。会話のほとんどが、真っ向から、すれ違いまくり、衝突する気配すらありません。
でも、会話の無いときは互いの存在を心地いいと感じ、互いに相手への借りが増えてると感じ、互いに尊敬しあい、愛情を育ててるヘンな父娘です。
以上、成瀬父娘の関連性に関する資料でした。