『チューリップ』
第0話 フィジカルガール、初お勤め。あとそれから、ピンク。
‥‥
やわらかいとも硬いとも言えない中途半端なベッドで起きて、枕元を探ってリモコンをとってから、時間を知るためにTVをつけるとニュースがやってる。
さわやかとは言えないが、まぁ普通の朝。
その日、そんな普通の朝はどっかにぶっとんでいた。
朝、目覚めたら、そこはどっかだった。
何故か、俺は硬いベッドに寝ている。硬い。硬いな、間違いなく。
いつもかむっている毛布はない。
昨日、俺は確かにベッドで寝たはずだよな‥? 間違いなく、俺の部屋だったよな‥?
むだすぎる確認をしてから、目を開く。
何か、電動のこっぽいものが天井についている‥
「ん‥ううんん‥‥」
手が何かを掴む。
いつのまにか、枕元を手で探っていたようだ。習慣っておそろしい‥
見ればそれは、俺の部屋のリモコンにとても似ていた。
とりあえず、リモコンの電源ボタンを押す。ボタンの上に小っちゃく、『電源』って書いてるのが何とも言えない‥
天井のキューブが90°回って、何か映る。
女性だ。
ベッドに横になっている。
ピンク色の長い髪がベッドに放射状に広がっている。ピンクの蛇は、どことなく、メデューサを想い起こさせる。
顔の凹凸も理想的にあって、年齢は19くらいに見えて、とても頼れそうな感じがする。
身長は多分、俺よりも高い。体格はとても女性的で、包容力を感じさせる。
はっきり言って、ちょっと好みかもしれない。
ただ、気になるのは‥‥なぜか、俺と同じ、青と白とオレンジのチェック柄のパジャマを着ていることだ。
著しく、にあわない。女性の美しさをパジャマが台なしにしている。
まぁ、とりあえず、不思議なのは。
なぜ、女性がベッドに寝ていて、なぜ、天井に女性が見えるかだ。
そして問題は。
なぜ、俺がまばたきするごとに天井の女性も目をぱちくりして、なぜ、女性は俺と同じ青と白とオレンジのチェック柄のパジャマを着ているかってことだ。
俺は右手を動かす。
女性は左手じゃなかった、俺から見ると逆だったな、右手を動かす。
俺と同じ手を動かしたってことは、鏡じゃない。つまり、天井の中の女性は、俺じゃないってことだ。
要するに、向こうも一瞬、いやな想像をして、それで、同じ動きをしてしまったってとこだろう。
「ふぅ」
俺は胸をなで下ろす。
ふわっ
手に伝わるやわらかくて弾力のある感覚と高く透き通った音色が、同時に脳に受諾される。
俺は少し、胸についている何かを何回かもんで。
「何じゃこりゃぁぁああぁ!」
俺は胸についている何かを下から抑える。
こんなリアクションをしてしまうあたり、俺もけっこうよゆうあるよな‥‥
あの妹に慣らされたせいだろうな‥きっと‥‥
‥いやな慣れだ‥‥
「おっはよ〜さ〜ん」
ばんっ
想像どおりのやつが、勢いよくドアを開けて入ってきた。あいかわらず、朝っぱらからテンションの高いやつだ。
「‥いっぺん、死んでこい‥‥」
俺はそいつに向かって、毒を吐く。
「ごはんですよ〜」
ひまわりは俺を上からのぞきこむ。
妹のひまわりは小学4年生にして、まっどだ。ちなみに、あたりまえだが黒髪だ。
「‥おまえ、俺の身体に何をした‥‥?」
「ちょっと改造しただけだから安心して。えへへ」
ひまわりの笑顔には、邪気がない。濁りとか計算とかが、いっさいまったくない。
だからいつもは、そのうぶで純な笑顔に俺は毒気を抜かれてしまうわけだが、今日はそのつもりはさらさらない。
俺は身体を起こす。胸にかかる重みはあえて無視するとする。
「ひまわり。ちょっとこっちへ来なさい」
「なんですい?」
ひまわりはぴょこんっと正座でベッドの上に飛び乗る。
「ひまわり。何で、俺の身体を改造したのか話しなさい」
考えたら、ひまわりにも言い分はあるだろう。場合によっては、まぁ、許してやるか。
「お姉ちゃんがほしかったから」
何ですとぉおおぉぉ!
ひまわりさんは、しゃあしゃあと言い抜かしやがったですよ。
「なぁ、ひまわり。人の身体を改造する以上、まずは当人に許可を取るのが人の道というものじゃないでしょうか?」
人の身体を改造する時点で、人の道を外れてるような気もするけどな。
「だって、お兄ちゃんだったら、おこらないもん」
確信犯だ。
はい、質問。
自分の身体を勝手に改造されて怒らない人がいますか?
「だってお兄ちゃん、やさしいもん。えへへ」
ひまわりはえへへと笑う。くったくのなさすぎる笑顔。ああ、怒る気もなくなった。
答え。
なさけないことに俺がそうみたいです。
「まったく。今度からは相談しろよ」
いや、相談されても困る問題だが。断固拒否するな、間違いなく。
‥拒否するよな‥俺‥‥?
「は〜い」
ひまわりは口を大きく開けて、右手を挙げる。
ほんとにわかってんのかね、こいつは‥
「とりあえず帰るぞ、まったく。ここはどこだ」
「‥ふぇ〜と‥どこだろ‥‥?」
ひまわりは、おでこに手を当てて、ベッドの上で考えこむ。
本当にわからないみたいだ。
かんべんして下さい。
それからしばらくして。
「あ、そうだ。お母さんが来るんだった」
ひまわりはぽんっと手を叩いて叫んだ。
「へ?」
ドアががちゃりと開く。
「家に帰りますよ。ひまわり」
母さんが来た。噂をすれば影がどーのこーの。
‥ごろが悪いな‥‥
「おなかすいた〜」
ひまわりはベッドから飛び降りて、母さんに抱きつく。そして、そのまま眠りこく。
「あらあら。ずっと起きてたから疲れたのねぇ」
母さんはひまわりを背負う。
それから母さんは俺の方をちらっと見て。
「行きますよ。えのころ」
「え、俺ってわかるの? 母さん」
「何年、あなたの母親をやってると思うの。と言いたいところだけど、実は前にひまわりから、えのころを改造したいって相談されたの」
母さんは当然、止めたはずだ。
「‥にも関わらず、ひまわりは改造を決行したと‥‥」
「ごめんなさい。私も、そんなに悩むくらいだったら、いっそのことやっちゃいなさいって言っちゃったの」
母さんはほっぺに手を当ててから、てれかくしに笑う。
「‥何で‥‥」
自分でも信じれないほど声に怒りがこもっている。
「だって、そんなひまわりを見てたら、何かかわいそうになっちゃいまして」
母さんはためいきを吐く。そのときを思い出したようだ。
「‥俺はかわいそうじゃないんですか‥‥?」
「でも、ひまわりは悪いって思ってることはしないから」
「基本的にひまわりに罪悪感はないと思います‥」
「あはは。そうよね。でも、それがひまわりじゃないですか」
「ああ。確かにいろいろ、無視し放題ですね」
俺は笑う。
「そうでしょう。だから、お兄ちゃんなんだから、ひまわりを信じて、がまんしてあげてください」
確かに。
ひまわりは倫理感なんぞ無視し放題だ。
死人でさえ勝手に蘇らせる始末。
だけど。
そうじゃなきゃ、俺と話しているこの人は今。
「お兄ちゃんだからか。それを言われると‥」
「しっかり信じてあげなさいね。お兄ちゃん」
「まぁ、とりあえず、やってみますがね」
正直言うと、そこで眠りこいている居眠り姫は、いまいち信頼する気にはなれない。
とりあえず、俺はあいまいな返事をしておく。
「それでどうです? 先に人間やめた感想」
「人間やめたって失礼です。私はまだまだ人ですよ。ちゃんと思って感じて動けるんですから」
「そんなものかねぇ」
「そんなものですよ。今はまだわからないでしょうけど、改造されるって結構便利ですし」
母さんはにこにこ微笑む。
「あんまり知りたくないがね」
「いつも身体でひまわりの応援を感じられるんですよ。母としてこんなに幸せなことはないです」
「俺は平穏を感じたいですがね」
「ひまわりといる以上、それはあきらめないと」
母さんはきっぱりとおっしゃられる。
「やっぱり」
俺と母さんは笑った。
「ええ。あなたにはいつもひまわりがついているの。幸せですよね」
ああ、そうかもしれないな。
「いやいや。うっとうしいだけですって」
実際そーゆー改造はないことを祈ろう‥
ぶ〜っぶ〜っ
何かが振動する音。
腕が震える。
え?
‥はい‥‥?
まさか‥
手をひじに当てる。
振動が伝わる。
‥腕の中に何か埋まっております‥‥
「腕が腕が腕が〜っ」
ひまわりの身体がぴくっと動く。
「んぁ‥かいじう‥‥」
「あらあら。起きちゃったようね」
「それより俺の腕が〜っ」
「お兄ちゃんなんだから、がまんしなさい」
母さんはひまわりを下ろす。ひまわりはすとんっと立って、ベッドの上にあるリモコンをとる。
「行ってらっしゃ〜い」
ひまわりは手をふる。
は?
「どこに?」
「かいじう」
「はい?」
ひまわりはリモコンのスイッチをすごい速さで押していく。
「おい、ひまわり。わかるように説め‥‥」
言葉が止まる。
‥何‥ここ‥‥
突然、目の前に広がったのは、空に向かって生え建つビルの団地だった。
ここがどこだか誰かに訊かないとな。
さて、さっきはいきなりだからおどろいてしまったが。
この程度でおどろいてたら、ひまわりと家族でなんかいられないっての。
きしゃー
はい?
今、ビルの間に変なものが見えたような‥
気のせいだな。
うん。
そうだ。
鼻から角を生やした1本足で立つ高さ26mのビルをぶち殴って倒す怪獣が俺の目の前にいるはずがないもんな。
そーゆーのは自衛隊の仕事です。
ああそうか。
うん。
見間違いだ。
とりあえず回れ右して、帰ることにする。
どこに帰るのか知らないけど。
だがどこでも、ここよりはましだ。
「お姉ちゃん、がんばって〜」
はい?
‥ひまわりの声が‥‥?
「ひまわりか?」
「うんそ」
「どこにいる?」
「部屋」
「何でおまえの声が聞こえる?」
「骨伝導」
「で、何の用だ」
とりあえず、ひまわりの最後の言葉は流しておこう。
「おーえん。がんばって、お姉ちゃん」
‥何をがんばれと‥‥?
「何を‥?」
情けないことに声が震えている‥
「かいじうたおし」
ひまわりは残酷に、一番欲しくなかった答えを的確に言ってくれる。
「あ・れ・と?」
俺はあれを指さす。
「うんそ」
「むりじゃ〜っ!」
「がんばってね。お姉ちゃん」
「おまえ、人の話きいてるか?」
「うん」
ひまわりは相変わらずむじゃきな声で答える。
「だったらむりだってのもわかるよな?」
「なんで?」
「なんでもかんでも」
「だいじょーぶ。いろいろ身体に埋めたし」
聞き流しておこう。
「だから早く行って。これ以上‥誰かが犠牲になるまえに‥‥」
「わかった」
それ以上言えなかった。
回れ右。
怪獣に向かって走る。
あんな声、初めて聞いた。
消え入りそうな声。
怪獣が見えた。
「ひまわり」
「なに?」
声の調子は戻っている。
だけどひまわり。
おまえは、この明るい音色の裏にどれだけの悲しみを隠しているんだ?
「戦い方、教えてくれよな。おまえ、いきなり怪獣にぶちっとかいやだぞ」
「うん。まかせといて」
「それから、もう1つ言っていいか?」
「うん。いいよ。なんでも」
「身体に埋めこんだ、この通信装置をとってくれ」
「うんいいよ。そのかわり、ほかのはとらないからね」
「ぜんぶとれ」
「だって、骨伝導しか約束しなかったも〜ん」
「ふざけるな〜っ!」
俺は叫んだ。
それがまずかったらしい。
きしゃー
怪獣さんがこっちをごらんになられていて‥
えっと‥やっぱ俺ですか‥‥?
俺は自分を指さす。
ずっしんずっしん
怪獣はこっちに跳んでくる。
怪獣はうんうんと首を縦にふる。
「いやじゃ〜っ!」
目に映る怪獣が大きくなっていく。
ああ、逃げだしたい。
逃げだしたい。
逃げだしたい。
けど。
もうこれ以上ひまわりを悲しませるわけにはいかない。
だったらとにかく。
まぁ、とりあえず。
やってみるか。
走る速度を速める。
いろいろ普段と違う感覚を感じるが、無視することにする。
ああ、何か腹たってきた。
そもそも何で、俺が。
そもそも何で、母さんが。
そもそも何で、ひまわりが。
「うぁぁあああ」
俺は気を吐く。
ずっしん。
怪獣が足を地に下ろす。
その轟音だけで、俺の全てはかき消される。
熱くなっていた身体が醒める。
勝てるのか?
勝てるわけがない。
そもそも俺は何をしようとしていた。
だいたい何で、俺はこんなことをしている。
足が止まりかける。
「お兄ちゃん、がんばって」
身体の中から湧き上がる声。
声が不安をぶっとばす。
安心が身体を包みこむ。
ああ、単純だ。
何とも単純だ。
結局俺はひまわりに回されっ放しだ。
「左手を突きだして」
言われた通り手を出す。
「くすり指に指輪があるでしょ? そいつでぶんなぐって」
「おお。わかった」
とは言ったものの。
指輪が何の役に立つのか、皆目検討つかない。
指輪には、赤い石らしきものが埋めこまれている。石はときおり強い光を放っているだけ。
しかし。
ひまわりが言ったことだ。
信じよう。
きしゃー
怪獣のしゃちはたみたいな足が浮く。
空が足に隠される。
そしてそんまんま、俺に向かって落ちて‥ってぎゃ〜っ!
俺は朱肉じゃないぞ〜っ!
つぶさないで〜っ!
「いや〜っ!」
俺はしゃがんで頭を抱える。
「がんばって、お兄ちゃん」
声が身体に響いてくる。
その言葉に。
自分のことなんてどうでもよくなる。
「ああ、そうだったな。母さんやひまわりのためにもやらないとな」
俺は立ち上がって、上を見る。
足の裏におちゃのこさいさいと書かれている。
そのおちゃのこさいさいが近づいてきて
まだだ。
この文字が大きくなって。
後少し‥
もう何が何だかわからなくなったころ。
今だ。
腰を回す。
構えていた手を天に向かって伸ばす。
指輪がこの文字に触れる。
と‥止まった‥‥?
足が止まった。
足が止まったかと思うと、今度は離れ始めた。
怪獣の身体が宙に浮く。
きしゃー
怪獣は叫ぶ。
どうやら浮いているのは、怪獣の能力じゃないみたいだ。
ふわふわふわ
怪獣は風船みたいに空に上っていく。
殴ろうが、ねじろうが、もがこうが。
もう何も変わらない。
「なぁ、ひまわり」
「うん」
「これって勝ったのか‥?」
「うん」
何かいろいろ疲れた。
「ふぅ」
俺は割れたアスファルトの上に倒れこむ。
お日さまがとてもまぶしいので、右腕で目を隠す。
「‥まぁ、いろいろ言いたいことはあるが、今日はなしにしといてやる‥‥」
「ありがとう」
むじゃきにうれしそうに答えるひまわり。
あまりにうれしそうで、こちらまでうれしくなる。
「‥とりあえず、そっちに帰してくれ‥‥」
「うん」
その声が響くと同時に。
はい。
やっぱり天井には電動のこっぽものがぶら下がっております。
はい。
ただいま天井には、のしかかる怪獣をグーで殴り飛ばす少女の活躍が上映されておりまする。
「おかえり、お姉ちゃん」
ひまわりがむじゃきな笑顔で、むじゃきにえへへと笑う。
「ひまわりさん、ひまわりさん」
俺は手でちょいちょいと、ひまわりに来るように合図を送る。
「なんですい?」
ひまわりは上から俺をのぞきこむ。
俺は上を指さす。
「これ、何‥?」
「大がめん8めんがた3めーとるまるちびじょん」
ひまわりはえへへと笑いながら答える。
「俺が訊きたいのはそうゆうことじゃなくって‥」
「おかえりなさい。えのころ」
母さんは当たりまえの微笑みで迎えてくれる。
「あ、ただいま、母さん‥‥」
はい質問。
この2人の笑顔のデュエット(えへへ+にこにこ)で、怒りがぶっとばないような人がいるでしょうか。
少なくとも俺はぶっとびました。いつのまにか、ひまわりがリモコンを構えております。
「今からとうちょう機としーしーてーべーーかめらにつうしん機を外すから、ねててね。お姉ちゃん」
ひまわりはスイッチに手をかけます。
「そいやっ!」
ひまわりはスイッチを押すと同時に気合の入った声で叫びました。
そこからは記憶がございませぬ。
硬いベッドで目覚める。
目を開くと、電動のこが天井にぶら下がっている。
はい。
一発で目が覚めましたよ。現実逃避する時間もございませんでした。
あれ? このまえと位置が変わっているような‥‥
いやな想像が頭をよぎったが、とりあえず、気にしないでおく。
「はい。お姉ちゃん」
ひまわりさんは眠っていた俺に、何やら四角いものを手渡しました。
「何? これ」
「けーたいでんわ」
「何で?」
「いつ、かいじうがあらわれてもいいように」
ひまわりさんはえへへと笑います。
何ですか。ちみは。
要するに。
俺に自分の時間はないってことですか。
俺は携帯電話を持たされて、家にいるときも仕事に縛られた会社員かっての。
「せめて‥」
「それに、いつでもお姉ちゃんと話せるしね」
ひまわりはえへへと笑う。
ひまわりの不意打ちの笑顔に。
文句を言うことも忘れて。
「それじゃ、これからもよろしくね。お姉ちゃん」
ひまわりは追撃の笑顔のあと、部屋から出ていく。
「電話にでんわ」
‥‥
‥何言ってるんだ‥俺‥‥
‥‥
いや、でも、そんなことも言ってしまうよな‥‥
‥何で、この色なんだ‥‥
俺は桃色の携帯を握りしめた。