変格探偵活劇

帝都幻想遊歩奇談

 

第一話「姉やよ。あれが、銀座の灯だ」

「姉や、姉やはいるかい。」

「はいはい、ここにいますよ。」

 洗い物でもしていたのだろう。前掛けで、濡れた手を拭きながら、姉やが、やって来た。

「はい、若旦那。何の御用でしょうか。」

「出かけるから仕度をおし。」

「ハイハイ、きょうはどちらまで、お出かけですか。また、浅草ですか。」

「いや、銀座だよ。」

「どなたとですか。」

「おまえもよく知っている人だよ。」

「ハイできました。ハンケチと、半紙はお持ちですね。巾着は、落とさないように、帯のあいだに入れて、さあ、いってらっしゃい。」

「なにをいっているのだよ。おまえの仕度が、まだじゃないか。はやく仕度をおしよ。」

「へ、わたし?」

「そうだよ。きょうは、おまえの、快気祝いに、銀ブラだ。急いで、仕度をおしよ。」

「へ、へ〜い。」

 姉やは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、素っ転びながらも、自分の部屋へ戻っていった。

「まったくもう、若旦那は、思いつきで、動くからこっちが迷惑するよ。」

 と言いながらも、自分の持っている着物を全部出して、鏡台の前で、あれでもない、これでもないと、衣装あわせをする姉やの顔は、迷惑というよりも、うれしさにほころんでいた。

 小一時間後、姉やが、やっと仕度を終えて、若旦那のところへ戻ってきた。

 

「お待たせしました」

「本当だよ。いつまで待たせるのだよ。おてんとうさんが、待ちくたびれて、帰っちまうよ。」

 と、いやみのひとつでも言おうと振り返った若旦那は、言葉を失った。

いつもは、汚れが目立たず、丈夫で、動きやすいように久留米がすりの着物しか着ない姉やが、地味とはいえ、柄物の着物を着た姉やを、見たのは、初めてだった。

 それに、いつもは、身にかまわず働いていたので気づかなかったが、髪に、油をつけ、櫛を通し、束ねて、薄化粧した姉やの姿は、近緒さんの優美さや、綾奴の妖艶さはなかったが、野に咲くすみれのように、優しい可憐さがあった。

「すみません。おそくなって。」

 若旦那は、言いかけた言葉を飲み込むと、無愛想に言った。

「さあ、いくよ。」

「はい。」

 姉やは、そう答えると、若旦那の後をついていった。店を通って出て行くと、姉やの通った後に感嘆の声が聞こえるのが、若旦那はうれしかった。だが、それを、姉やに悟られると、また、調子に乗るのはわかっていたので、無愛想なまま、店を出て行った。

 店を出て、数歩行った所で、若旦那は、姉やを待っていた。

「若旦那、すみません。」

 そう謝る姉やに、若旦那は、何も答えず、無表情のままだった。

「若旦那、怒っていらっしゃるのですか。それなら、わたしは、お店に戻って・・」

 若旦那は、何も答えず、ただ、左腕のひじを曲げて、ふんふん、いっているだけだった。

「わかだんな〜。」

 姉やは、こまって、どうしたらいいのかわからずにいた。

「腕が、寒いのだよ。お前の腕で暖めな。」

 姉やが戸惑っていると、若旦那が、強引に、姉やの右手を取ると、左腕の輪の中に、引っ張り込んだ。そして、左手を、右手と組ませ、そのうえに、優しく、自分の右手を置いた。姉やは、あまりのことに、呆然となり、戸惑って、手を抜こうとしたが、若旦那の手が、それを拒んだ。

「男がこうしたら、女はこうして、暖めてやるものだよ。」

 いつもなら、何か言う姉やも、きょうは、素直に、若だんなの言うとおりにしていた。

 二人とすれ違う人たちが、じろじろと見たり、振り返ったりするのが、姉やは恥ずかしかったが、若旦那は、別に気にもとめてないように思えた。 若旦那が、姉やに見とれ、通り過ぎていく人たちに優越感を感じていたなどと、不安でいっぱいの姉やが知る由もなかった。(ちょっと、サービスのしすぎかなぁ)

 いつの間にか、姉やは、若旦那の、身にもたれ、連れ添って歩くことに、幸せを感じていた。そして、そんな二人の姿は、自然に馴染んでいた。

 (資料がないので、道順ははしょらせてもらいます。)

 銀座和光宝石店の前に、人だかりがしていた。

「若旦那、すごい、ひとですね。」

「ああ、安売りでも、しているのかねぇ。」

 二人がのんきのそんなことを言っていると、野次馬の一人が振り返っていった。

「なにねボケたこと抜かしているのでぃ。予告状が来たんだよ。あの、「怪人福助」のよ。」

 怪人福助、その名を聞いたとたん、二人は、あまりの恐怖に戦慄を感じました。おおその名こそ、今帝都の善男善女の、安らぎを奪い、夜の帳を下ろした闇夜の帝都を、わが劇場のごとく、妖しき犯罪劇を演じる主演者こそ、「怪人福助」なのです。

 きゃつの年恰好はおろか、男女の違いさえも不明なのです。その変幻自在の変装術により、若き書生はおろか、恰幅のいい大店の旦那や、裏のご隠居、顔見知りの隣人や、果ては、よく知る家族にさえ変化するのです。さらに、女にまで化け、それは、共に、床を同じくしても気づかぬとさえ言うのです。

 その、「怪人福助」の予告ということで、人だかりはし、官憲は、それの整理と、大胆不敵な挑戦への対応に追われていました。

「あら、若旦那じゃありませんか。」

 声のするほうに、顔を向けると、そこには、断髪、ボレロにロングスカート、帽子を被ったモガスタイルの美女が立っていた。

「おや、東京日日の早島さんじゃないですか。」

 それは、東京日日新報の美人女性記者の早島早紀だった。

「若旦那、そちらの綺麗な人は?」

 若旦那は、組んだ手を離そうとしたが、姉やは、しっかりと掴んで、横に、誇らしげに立った。

「これは、うちの姉やで、のぞみって言うのです。こら姉や、手を離しな。」

 なおさら姉やの手に力が入った。

「今日は、わたしは、東京日日新報の早島です。どうぞよろしく。」

「姉やの、のぞみです。」

 早島の優しい笑顔に、姉やも、笑顔で答え、彼女の差し出した手を握って握手をした。

 それをきっかけに二人は、長年の友人かのように、親しく会話をしだした。

「ところで、お二人さん、そこで、カフェでも飲みながら、話しませんか。」

 すっかり、忘れられた存在になっていた若旦那が二人の提案した。

「そうね。ここで立ち話もなんだから。」

「若旦那、おご馳走様です。」

 二人は、息ぴったりに答えた。そんな二人に、若旦那は、ますます、自分の存在が気薄になって来ているのを感じていた。

「ところで、福助の予告ってこんな時間なのかい。」

「いいえ、夜よ。だけど彼らは、今から待っているの。夜中の2時までね。」

 この暇人たちが、純粋な江戸人気質だ。

 若旦那も待っていたかったが、病気が治ったばかりの姉やを連れてここにいる訳にはいかない。そして、まだ夜風はさむい。仕方なく、若旦那は、帰ることにした。

 だが、彼らは、この事件にかかわることとなる。それが、どういう風にかは、今は神のみぞ知る。そして、舞台は、新たな人物の登場により、新たな展開を見る。

 

さて、次回、第二話「驚天動地、怪人現わる。」で、お会いしましょう。