月の下僕の追走曲

 

 

 

 

 

「お前が欲しい!」

 ある古城の廊下で青年は大声でそう言った。いや、青年という表現は少々語弊があるかもしれない。彼は月の光を集めたような銀糸の髪、海のような青い瞳、女性と身紛[みまが]う容貌の持ち主だが、耳は何故か尖っていて、爪も鋭く、歯はまるで獣のように発達している。黒尽くめの衣装は普段着というより、格闘か何かをするのに適していそうである。そして何より腰から少し下がった部分に毛並みも豊かな長い尾が生えていた。彼の名はシェゾ・ウィグィィ。その種族は狼男に当たる。

「・・・またなの、シェゾ?」

廊下を歩いていた所、シェゾに叫ばれ指を突きつけられた少女が振り返った。その顔には呆れの色が浮かんでいる。亜麻色の髪と金茶の瞳を持つ美少女は、やはり犬歯が妙に鋭い。少女の名はアルル・ナジャ。この城の主である吸血鬼の一人娘である。

「五月蝿い!今日こそお前の全てを戴いてやる。」

「残念だけど、ボク今急いでるからパス。」

「何だと!?」

「お父さんに呼ばれてるの。だからキミと遊ぶのはまた今度。」

「チッ。」

アルルの言葉にシェゾは舌打ちした。そのまま彼は転移して姿を消す。

「狼男のくせに、転移を使いこなすなんて生意気だよ・・・。」

アルルはシェゾが消えた場所を一瞥して、再び歩き出した。

 

 

 

 ここは付近一帯を治めるある吸血鬼の居城。シェゾは物心つく前からこの城に住んでいた。彼ら狼男の一族は代々吸血鬼の一族に仕える間柄で、彼の父もまた主である吸血鬼に忠誠を誓っていた。シェゾもまたこのままいけば彼の父と同じ道を歩むことになるだろう。そして彼の主になるのは父の主の娘であるアルルだ。

「アルル・・・。」

空を見上げれば上弦の月。シェゾは優しくてお人好しで、それでいて残酷な少女を想う。シェゾとアルルは幼馴染と言っていい関係だった。両親からは未来の主である彼女に粗相の無いよう言い聞かされていたが、アルルの父やアルル自身の希望もあり、シェゾとアルルは兄妹のように育った。アルルはシェゾを慕っていたし、シェゾもアルルを大切に想っていった。しかし先祖がえり故に主の一族を凌ぐほどの巨大な力を持ったシェゾと、潜在能力は一族有数と言われていてもその力をほとんど使いこなすことの出来ないアルル。優秀すぎるシェゾにアルルはやがて劣等感を抱くようになる。アルルはシェゾ自身は好きだったが、シェゾと自分の能力を比較し文句を付けてくる者達は好きではなかった。ある日やはり親戚に自分の力を使いこなせていないことに小言を散々言われイライラしていたアルルは、溜め込んでいたストレスが爆発し、シェゾに八つ当たりをしてしまう。それが二人の亀裂の始まりだった。

「狼男・・・下僕の一族のくせに、生意気・・・か。」

 アルルに言われるまでシェゾは彼女が自分のせいで身内に責められていることなど知らなかった。下僕が主より優秀では示しがつかないということらしい。なかなか魔力が使いこなせないことを悩んでいるのは知っていたが、それは彼女なりの速さで成長していけばいいことで、シェゾはそれを長い目で見守っていくつもりだった。アルルが力を開花させるまでは自分が彼女を護っていけばいいだけの話なのだから。知識を吸収し力を得て強くなることは楽しかったが、それが彼女のためになるのだとシェゾは信じていた。実際彼はアルルのために生きるべく育てられたのだから。

「やはり俺はお前の側にいない方がいいのかもしれないな・・・。」

あの日を境にシェゾとアルルの溝は瞬く間に深まって、今ではすっかり犬猿の仲と周囲に思われている。お互いの両親に何度諌められたことだろう。しかし契約がある以上、シェゾがアルルから離れるためには彼女を倒しその魔力を手に入れなければならない。もはや何も知らず二人で笑い合っていたあの頃にはもう戻れないのだから。シェゾはアルルと戦うしかないのだ。

 

 

 

「シェゾ・・・。」

 アルルは自室のベッドでうつ伏せになり、力を高めることに貪欲で哀しい位不器用で一途な彼の青年を想う。

「あんな風に言うつもりじゃなかったのにな・・・。」

意地を張った結果、今では口癖のようになってしまった“狼男の癖に〜”というセリフ。アルルはただ無能な自分が悔しかっただけだったのに。彼と対等でありたかっただけなのに。アルルはあの日の自分をずっと後悔していた。

「どうしてこんなことになっちゃったんだろう・・・。」

シェゾは自分から解放されることを望んでいて、その為にアルルから魔力を奪おうとしている。魔物の世界は結構シビアで、一対一の勝負をするなら親であってもそうそう助けてはくれない。例え敗北は死とイコールであってもノータッチだ。子供の頃に親に結ばされたアルルとシェゾの主従契約は未だ仮のものであり、アルルが成人すると同時に本契約として発効する。一度契約が発効してしまえばシェゾは一生アルルの命令に逆らうことの出来ない下僕と化す。でもそれはアルル自身も望んでいる形ではなかった。

「ボクはキミに側に居て欲しいだけなのに・・・ね。」

 アルルは幼い頃からシェゾに懐いていたが、いつの間にか異性として彼の事を好きになっていた。だから下僕としてではなく対等な相手としてずっと一緒にいたかった。本当は契約なんかで彼を縛り付けたくないのに、解除してしまったら彼が離れてしまう不安に勝てなくて、いつもアルルは葛藤していた。自分はまだまだ未熟でシェゾとはつりあわない。そんな焦りと不安の中で、アルルは癇癪を起こし、今では彼との間に深い溝が出来てしまっている。

「・・・好きだよ、シェゾ。」

本当はずっとずっと昔から。そして今でも。届くはずのない想い。叶う事の無い願い。アルルはシェゾが欲しかった。

「無いもの強請り・・・身の程知らず・・・ボクってば馬鹿みたい。」

アルルは枕を抱きしめて瞳を閉じる。夢を見るなら昔の夢がみたかった。そこでは大好きな彼が自分に微笑んでくれるから・・・。

 

 

 

 

 

「お前が欲しい!」

 例によって例の如くシェゾがアルルに指を突きつける。アルルはシェゾを見遣りあからさまな溜息をついた。

「“お前が欲しい”も何もキミは元々ボクのものでしょ?」

二人が契約で縛られている限りそれは事実だった。アルルの返答にシェゾが言葉を詰まらせる。

「いい加減にしてよね。」

アルルは不満げに言った。

(それにボクはキミを手放す気はないんだから・・・。)

心の中で思ったそのセリフは呑み込んで。エゴといわれても構わない。アルルはシェゾと一緒に居たかった。

「五月蝿い、俺には時間がないんだ!」

「そうかもね。」

アルルは先日父から近いうちに成人の儀を執り行うと聞かされた。自分はまだ未熟で力を使いこなせていないのだから早いと思うのだが、親戚一同に急かされて仕方なかったらしい。もちろん一族の同年代の者は遠の昔に成人の儀を終えていた。アルルが成人するということはシェゾと本契約が結ばれることでもある。そうなってしまえばシェゾはアルルを倒すことができなくなってしまう。だから、彼に残された時間はもう僅かしかないのだ。

「とにかく、アルル!」

 シェゾはアルルに書状を投げつける。受け取ったアルルが確認すると、正面に書かれた文字は“果たし状”。

「それに書かれた時間と場所に来い。そこで今度こそ決着をつけてやるよ。」

「・・・本気なんだね。」

「ああ。」

「わかった。受けるよ・・・。」

悲痛な決意を固めた二人は、とうとう決戦の時を迎える・・・。

 

 

 

 

 

 運命の一夜。その日の月は満月だった。吸血鬼が、そして狼男が、魔力を最大限に高めることが出来る時でもある。

「いいの?この日にして。」

アルルがシェゾに問うた。

「俺達の関係にピリオドを打つんだ。こんな日でなけりゃフェアじゃないだろう?」

シェゾが口角を上げて答える。

 城の一角にある屋外の闘技場、そこでアルルとシェゾは対峙していた。シェゾはアルルから自由になるために、アルルはシェゾと共に居るために。

「・・・じゃあ、いくよ。」

「ああ・・・。」

魔力を増幅しコントロールする助けにもなる杖を握り締め、アルルは魔力を練り上げる。シェゾもまた剣を構え腰を低くした。

「くぅ!」

「チッ。」

 魔力を孕み強度を増したアルルの杖とシェゾの剣がぶつかり合う。そんな行為を何度繰り返したのだろうか。アルルが魔法を放てばシェゾが結界で防御し、シェゾが呪文を唱えればアルルが魔法で迎撃する。そんな均衡状態がしばらく続いた。実力はシェゾの方が上だったが、アルルはシェゾのように多彩な魔法が使えない分、持ち前の高魔力を圧縮して下級魔法を上級魔法並みの威力に昇華させていた。それと、アルルは気づいていないが、シェゾは彼女に戦いを挑む度にアルルが上手く力を引き出せるよう密かに誘導していた。自分が居なくなる前に少しでもアルルの成長を助けてやりたいというシェゾの願い故の行動だった。

「ラチが飽かんな。」

シェゾがそう一人ごちる。いつもならお互いが力尽きるまで魔法合戦が繰り広げられる所だが、今回はそうもいかない。彼は負けるわけにはいかないのだから。

「・・・使うか。」

シェゾは隠し持っていた小瓶を手の中に潜ませる。チャンスは一回限り。例え卑怯と言われようと、自分は今夜勝つ。

「シェゾ?どうしたの、もう終わりな訳。それとも潔く負けを認める?」

「フン、誰が!」

シェゾはアルルに切りかかる。アルルはそれを防ごうと杖を前に出す。しかしアルルを一閃したのは剣戟ではなく、液体の感触だった。

「な、何・・・!?」

 アルルが悲鳴を上げる。液体が掛かった部分からは煙が上がっていた。呆然となりかけながらシェゾを見遣ると彼は平然と佇んでいた。その手には彼の愛剣と空の小瓶。

「心配するな、毒じゃない。」

シェゾは言った。

「変身用の魔法薬だ。」

「何それ!?」

「無力な小動物になるだけだ。」

「シェゾ!」

彼の宣告にアルルは目を見開く。自分から噴出す煙で視界が覆われる。体中が酷く熱い。アルルは声にならない悲鳴を上げた。そしてしばらくすると体の熱も視界を覆う煙も消える。

「ぼ、ボクは・・・。」

 アルルは恐る恐る自分の体を見遣った。まず、手。ちゃんと指が五本ある。前と少しも変わらない。肌、獣らしい毛皮に覆われてはいない。周囲の光景、目線の位置も前と一緒。

「あれ・・・?」

何も変わっていない状況にアルルは首を傾げる。シェゾが魔法薬作りを失敗するとも思えないのだが、どうしたことだろう。

「シェゾ?」

アルルがシェゾを見遣る彼もまた唖然としている様子だった。

「どうやら魔力が高いせいで完全には変化しなかったようだな。流石に腐っても高位の魔物吸血鬼一族だけのことはあるな。」

そしてシェゾがようやく述べたコメントがこれである。

「完全に・・・?」

(じゃあ、ちょこっとは変化してるってこと?)

アルルはシェゾの言葉に疑問を覚えて顔の辺りをペタペタと触れる。

(髭とかは生えてないよね・・・。)

そして今度は頭部に手を伸ばし・・・

「ふにゃ!?」

何かやわらかい感触のものを掴んでしまった。

「な、ななな何これ!?」

アルルは慌てて手を離す。そして改めて触れる。温かくて長めの物体が確かにそこのは存在していた。しかも触ると頭の辺りがムズムズするのである。

「か、鏡!」

アルルは今がシェゾと勝負中であることも忘れて魔力で鏡を作り出し、自分の姿を確認しようとする。

(あれ?)

「どうして鏡が出てこないの〜?」

何度試してもアルルは鏡を作り出すことが出来なかった。

「見るか?」

そう言ってシェゾが手を振るうと音も無く姿見が出現する。アルルは鏡の中の自分をまじまじと見遣り・・・

「な、何なのこれ〜!?」

素っ頓狂な悲鳴を上げた。鏡に映っていたのは頭部に兎の耳を生やした哀れなアルルの姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

NEXT